92:いつか

「あらあら」


 輝く笑みでフィオは一人の女性を見つめる。その瞳を一身に受けているルマンダは、いつもの鉄仮面になっている。人見知りが発動しているようだ。だがフィオは気にせず話しかけている。


「素敵な髪色に素敵なドレスね……! とても良い香りがするわ。これは香水かしら? 知らない香りなんだけど、教えていただける?」

「……ありがとうございます。こちらはラフラシラというイントリックス王国にある香水店の香水です。特別にオーダーして作っていただきました。主人が誕生日に用意してくれたみたいで」

「まぁまぁ! 彼からの贈り物? 夫婦仲がとてもよろしいのね。羨ましいわ。私なんてようやく妻になったばかりで……あら、この話、聞いていたかしら?」

「事前に伺っていましたわ。たくさんのご苦労があったみたいで」


 ルマンダは遠慮がちに言う。

 フィオはあっけらかんと笑う。


「今となっては昔のことよ。今は娘とお話できているし、素敵な婚約者さんの親御さんとこうしてお話しできているもの。とても嬉しいわ。これからよろしくね」

「……ええ。こちらこそよろしくお願いしますわ」


 ルマンダはたどたどしいが、フィオに合わせて会話をしていた。年齢的にはルマンダが上だが、身分としては他国の王族であるフィオの方が上だ。だから気を遣っているのだろう。一方のフィオは、まるで友人に話すように無邪気だ。ルマンダが身近にいないタイプだからこそ、珍しいのだろう。


 隣では別の二人が話している。


「事情は聞いているよ。とっても立派だね。今は陛下の側で働いてるんだろう? 僕より若いのにすごいね」

「いえ……自分のできることをしているまでです」

「謙虚なんだね。僕も見習わないと」

「学者として世界中を飛び回っていらっしゃるのもすごいことだと思います。とても勤勉な方だとお聞きしました」


 にこにこ顔のサクセスに対し、ベルガモットは緊張しながら相手を尊重している。年上であるし、経歴もあるので、尊敬の目で見ているようにも感じた。


「「…………」」


 そんな両方の夫婦を見ながら、その子供であるフィーベルとシェラルドは静かに見守っている。互いに目を左右に動かしていた。


「……それぞれタイプ違うな」

「ですね」


 側で見ているととても分かりやすい。


 母親同士、父親同士、タイプが異なるようだ。柔らかい笑みを持つフィオとサクセス、多少笑顔がぎこちないルマンダとベルガモットは互いによく似ている。だからこそ、パートナーは自分と違うタイプなのかもしれない。


 挨拶のために両親達が会ったわけだが、思ったより話が弾んでいる。しばらく手持ち無沙汰だったのもあり、フィーベルとシェラルドは少しだけ離れた場所で話すことになった。


「安心した。特に母は堅いからな。フィオ殿下のおかげでだいぶ打ち解けている」

「母の明るさには、私も父も助けられています」

「さすが逆境を乗り越えた方だ」


 隣同士座っていたのだが、自然と指を絡ませる。

 婚約者同士、触れ合うのも慣れてきた。


「ご両親と暮らしてみてどうだ。楽しいか?」


 優しい眼差しで聞いてくれる。


「はい。一緒に暮らせることが嬉しいです」


 今は国の勉強のみならず、作法や乗馬なども習っていることを伝える。すると「すごいな。フィーベルの乗馬姿は様になりそうだ」「世話係のアンジュからも、馬に乗ると父の動きに似ているって言われました。男装すればもっとかっこいいだろうって」「……そういえば男装したことあったな」娼婦館に潜入したことを思い出す。「機会があれば一緒に乗馬したいです」「もちろん」次の約束も決まった。


「充実してるみたいだな。よかった」


 そっと、髪を撫でられる。

 それが気持ちいい。


 数ヶ月間シェラルドと離れ、すぐ寂しくなるのでは、と心配していた。ここに来る前にたくさん会う時間を作っておいた。そのおかげもあると思うが、思ったより寂しくなかった。それは側で愛をくれる両親の存在も大きいだろう。


 フィーベルはもたれるようにシェラルドの肩に頭を置く。上目遣いをしながら相手をじっと見つめる。すると相手は苦笑しながら聞いてくる。


「いつの間にそんな技を身につけた?」

「バレましたか? 母直伝です」

「さすがだな。やられた」


 以前「こうするときゅんとしてくれるわよ?」と、フィオがベルガモットに実践しながら教えてくれた。された側の父はなんともいえない表情になっていた。あれはきゅんとしていたのだろうか。


 フィーベルもついやってみたわけだが、笑われてしまう。頭が重いかなと思って離れようとすれば、シェラルドの手が伸びる。フィーベルの肩に手が回り、よりぎゅっと密着するようになった。


「離れてる間、寂しかった」

「! 私もです」


 両親と一緒とはいえ、寂しくなかったわけではない。するとシェラルドのもう片方の手が回る。フィーベルも自然と彼を抱きしめた。互いの体温を感じる。


「……ハグをするのも、久しぶりですね」

「そうだな。安心する」

「私も……」


 半分は嘘だ。どきどきしている。


 慣れたはずなのに、彼といるのは安心するのに、久しぶりに触れたからか、胸の高まりを感じた。好きな人だからだろう。愛しているからだろう。フィーベルは微笑んでそのままでいる。


「今日のドレスもよく似合うな」

「シェラルド様はタキシードなんですね」


 珍しくシェラルドは黒のタキシードを着ていた。いつもなら式典用の制服のはずだ。白だから目立つと毎回ぼやいていた気がする。


「今回は個人的に招待されたからな。さすがに制服は着ていない」

「久しぶりに見たかったです」

「白だから目立つ。勘弁してくれ」


 溜息をつかれる。

 着ていないのにぼやいていた。


「今も素敵ですが、制服姿、いつもかっこいいですよ?」

「そう言うのはフィーベルだけだ」

「クライヴ殿下も言ってますよ?」

「……確かに言ってくれたことはあるな」


 なんでも褒めてくれる主人だ。

 そんな彼が実は一番輝いているのだが。


「クライヴ殿下とユナさんが結ばれて、嬉しいです」

「ああ、あれか。驚いたな」


 お姫様抱っこをされ、赤い顔で目が潤んでいた。その上、クライヴがいつも以上に嬉しそうにしていた。何かあったのだろうなというのは、参加者全員が思ったことだろう。


「ユナさんが戻ってきたら、ダンスが行われるそうです。一緒に踊りませんか?」


 ユナは今化粧を直している。ユギニスが誰でも気軽に踊れる場を用意してくれた。それを知っていたフィーベルは、自分からダンスに誘う。シェラルドは迷わず「喜んで」と答える。


 と、一瞬眉を寄せる。


「待て。ダンスを誘うのは俺からじゃないか?」

「ふふふ。女性から誘ってもいいんですよ」


 フィーベルはにこっと笑い、両手を差し出す。

 シェラルドはすっと両手を重ねてくれる。


「リベンジだな。やっと踊れる」

「ダンスも練習しました。あの頃よりもっと上手くなっているはずです」


 きりっとした顔で伝える。


「……本当にフィーベルは、努力家だな」


 シェラルドは呆れたように笑った。







 ユギニスが用意していた音楽隊によって曲が始まる。それを合図に、招待客達が踊り始めた。フィーベルとシェラルドも、互いに手を取り、ダンスを始める。


 やっと。やっと共に踊ることができた。

 思えばここまで来るのに、色んなことがあった。


 シェラルドの花嫁になり、エリノアの誕生祭に着飾り、お酒に酔ってしまって結局ダンスは踊れなかった。次に踊ったのは互いにパートナーが違う時だ。あの頃には想い合っていたものの、結果的に踊ることは叶わなかった。それがここに来てようやく、婚約者という立場で踊ることが叶った。


 二人は見つめ合う。


 今までのことを噛み締めるように。

 今の関係性に、幸せを感じながら。


 フィーベルは嬉しそうに笑う。


「ジェラルド様、お上手です」

「……だからそれ、俺のセリフだぞ」

「ふふふ」

「フィーベルも上手い。元々センスはいいと思ってた」

「ほんとですか!?」

「わっ。びっくりするだろ」


 急に声を上げたからか、シェラルドの身体がびくっとなる。慌てて「すみませんっ」と謝る。だがついでに、前々から思っていたことを言いたくなった。


「シェラルド様に褒められるのが、一番嬉しいんです」

「そうか」

「頭を撫でてくれた時、本当に嬉しくて。もっと撫でて欲しいなって思ってました」

「…………? それいつの話だ?」

「あ。エリノア様の誕生祭の前の話です。ほら、客人のリストを叩き込むように、ってシェラルド様に言われて」

「そんな前の話……」


 昔の話は気恥ずかしのか、少し微妙な顔になっている。あの頃のシェラルドは、まだ知り合って間もなかったこともあり、少し厳しい面が強かったかもしれない。それも思い出しているのだろう。だがフィーベルは、このタイミングで言えてよかったと思った。


「心の中では、そう思っていたんですよ」


 するとなぜか、深く溜息をつかれる。


「……本当にフィーベルは、ずるいな」

「? どういう意味ですか?」


 ぐいっと腰を引き寄せられた。


「いつも可愛いって話だ」

「え。え!?」


 互いの顔が近くなったこともあり、頬に熱を感じてしまう。急に近付きそんなことを言われては、どきどきする。慌てていると笑われてしまった。なんだか立場が逆転したようだ。


 フィーベル達が踊っている間にも、よく知る人物達が踊っていた。互いの両親も踊っている。フィオとベルガモット、ルマンダとサクセスは慣れた様子。なかなかの上級者だ。ユナとクライヴも踊っている。ユナはうつむいていたが、耳元で何かささやかれていた。すぐに顔を上げ、クライヴを睨む。若干顔が赤いところを見るとからかったのだろう。クライヴはくすくすと楽しそうに笑っていた。


 ユナはその後、フィオとも踊っていた。ユナは男性パートも踊れるからだ。常に笑顔のフィオに対し、ユナも微笑んでいた。本当に二人共、楽しそうだった。


 シュティとリオも踊っていた。リオはダンスがあまり得意ではないのか、気難しい顔をしていたが、シュティは気にしていなかった。ただ彼と踊れることが幸せであると、そんな表情でいた。


 一番の注目を浴びていたのは、この国の王であるユギニスと王妃であるビクトリアのダンスだろうか。二人共とても美しかった。誰からも視線を奪い、お手本のように綺麗に踊っていた。


 ユギニスは時折ユナとクライヴを気にしてか、顔が別の方向を向いていた。が、その度にビクトリアが「陛下」と名前を呼んでいた。フィーベルとシェラルドはまさかこの二人が婚約するとは思っていなかったが、なるほど、ユギニスの相手はビクトリアでないと無理かもしれない、と悟った。




「楽しかったな」

「はい。とても楽しかったです」


 フィーベルはシェラルドと共に、ソファーで寄り添っていた。夜会が無事に終わり、招待客はアルトダストに泊まる。食事は夜会の時に堪能した。あとはゆっくり各自で過ごし、眠りにつくだけだ。二人も部屋を用意してもらっていた。しかも以前、ユギニスに案内されたあの部屋に。


「……この部屋だと色んなことを思い出すな」


 フィーベルも苦笑してしまった。


 想いがつながった思い出ある部屋だが、あの後ユナに連れ去られてしまったのだ。複雑な気持ちになってしまうのは仕方ない。だがそれも分かってユギニスはこの部屋を用意したのだろう。さすがというか、からかいも含めてだろうか。


「フィーベル」


 名を呼ばれてからぎゅっと、抱きしめられる。


「この部屋だからというのもあるが、離したくない」

「……はい」


 フィーベルもシェラルドの背に手を回す。


 この貴重な時間、ずっと一緒にいたい。

 その思いは二人とも同じだ。


「…………でも寝る部屋は別だ」

「え!?」


 思わず相手の顔を見てしまう。


 シェラルドは自分で言っておきながら、苦虫を嚙み潰したような顔になっている。どうやらユギニスに頼んで隣の部屋を借りたらしい。だからジェラルドは隣の部屋で寝ると言う。


「まだ籍は入れてない。当たり前だろ」

「で、でも、離したくないって、今」

「それは俺の願望だ」

「私の願望でもありますっ!」

「それは嬉しいが、まだだめだ」

「なにがだめなんですかっ!?」


 婚約者なのだから一緒の部屋で寝てもいいだろうに。だが実はイントリックスにいる間も、フリーティング王国にいる時も、一緒の部屋で寝たことはない。いつの間にかシェラルドは部屋を出ていたりする。出かける時もいつも日帰りだ。


 フィーベルは「別に一緒の部屋でいいのでは?」と言ったことがあるが、シェラルドは「まだ早い」としきりに却下した。


 抗議の意味も込めてむっとしながら上目遣いをしてみる。これも母直伝の技だ。相手に対して言いたいことがある時、怒った時にやってみればいいと言われた。実際されていた父はすぐに「……分かった。謝る。謝るから」と言っていた。おそらく母を怒らせたのだろう。すぐに頭を下げていた。


 するとシェラルドは唸る。

 直伝の技が効いているようだ。


「そんな目で見るな。俺だって我慢してる」

「……シェラルド様と一緒がいいです」

「だめだ」

「えー!?」


 フィーベルは思わずシェラルドに突進する。

 「うっ」と鈍い声が聞こえてきたが知らない。


 そのままぎゅうっと抱きしめ、離さない意志表示をする。シェラルドはフィーベルの身体を離そうとするものの、彼女は平均的な女性よりも力が強い。なかなか難しかった。一旦諦め、シェラルドはそっと丸まったフィーベルの背中をさする。


「籍を入れたら、毎日一緒にいられる。一緒の部屋で寝ることができる。そんなに遠い未来じゃない」

「…………正直、シェラルド様がいなくても大丈夫かなって思ってた時もあるんです」

「は」

「両親が傍にいてくれるから……寂しくないから。……でも、やっぱり久しぶりに会ったら、寂しいです。一緒にいたいです」

「……そう言ってくれるのは、本当に嬉しいんだがな」

「なにがだめなんですか……?」


 おそるおそる顔を上げる。

 同じ問いをする。


 理由が分からないから納得できないのに。


「…………」


 シェラルドは黙っていた。

 が、フィーベルも同じように黙って見つめる。


 しばらく沈黙の時間が続く。


 観念したのか、シェラルドは溜息をついた。

 一度呼吸を整え、口を開く。


「俺はフィーベルに触れたくてたまらない」

「はい。私もです」

「最後まで話を聞け」


 ぴしゃりと言われてしまう。


「今の俺はフィーベルを預かっている状態だ。まだご両親と過ごすんだから、自分のことを大事にしろ」

「……シェラルド様は、大事にしてくれます」

「……そのつもりだがそういうことじゃない。大体俺の言ってる『触れたい』って意味分かってるか?」

「触れたい……というのは、こうやって引っ付くことですよね?」

「………………」


 げんなりするような顔をされる。

 なんだか失望されているようにも見えた。


「な、なんですかその顔はっ。教えてくださいっ」


 フィーベルは慌てた。

 相手の服の裾をぎゅっと強く握る。


 シェラルドにそんな顔されたくない。

 そんな意味も込めて焦って言ってしまう。


 すると相手は、少し考える素振りをする。

 言葉を選んでか、時間をかけて、口を開く。


「肌に触れたい」

「……? はい」

「……あー……違うな。肌に触れるのを許してほしい」

「??? はい」

「………………言うより見せる方が早いか」


 疑問符を頭に乗せたままでいると、すぐに身体が引き寄せられる。抱きしめられるのかと思えば、瞬く間に唇が重なった。


 急なので驚きながらも、フィーベルそれを受け入れる。こうして唇に触れるのも久しぶりだ。何度も角度を変えて唇に触れながら、次第にそれは深くなる。フィーベルは目を閉じてそれに酔っていた。愛しい人からの甘いキスは、何度受けてもふわふわした心地になる。愛されていることを感じる。ずっとこのままでいたいという気持ちになる。


 と思っていれば、相手の唇は首に移動した。

 同時に手も、いつもより違う触れ方をしてくる。


 ただ触れるのではなく、優しく、だけどどこか、ゆっくりと、大事に触れてくるようで。知らない感触に、ぞくっとしてしまう。フィーベルが戸惑いながらシェラルドの方を見つめると、彼と目が合う。美しい金の瞳がこちらに向けられたまま、彼は首をぺろっと舐めた。


「っ!」


 途端にびくっとしてしまう。


 それは彼の手が、そっと背中から服の中に入り込もうとしたからだ。これにはフィーベルも気付く。彼がこれから行おうとすることを。


 それは、今までフィーベルが知らなかったその先であることを。フィーベルはどきどきしながら動きを止めていた。彼がこの後どうするのか、予想が出来なかった。するとシェラルドはすぐに手を緩める。


「……分かったか?」

「……は、はい」


 シェラルドが求めるのはおそらくその先の話。

 さすがのフィーベルも理解した。


「で、でも、普通は結婚式後、ですよね……?」

「当たり前だ。そうでなきゃ俺は各方面から殺される」


 シェラルドは半眼になる。


 おそらく今、色んな人達の顔を思い浮かべたのだろう。各方面がどこなのか、誰から怒られるのか、なんとなく察した。


「……でも。私、シェラルド様なら」

「その先は言うな」


 やんわりと止められる。


「俺はいつだってフィーベルに触れたい。全部余すところ俺のものにしたい。寸出のところで止められるのもけっこうきつい。……だが、一番は大事にしたい」

「……シェラルド様」


 大事にしたい、という言葉に感動しながらも、その前の言葉の数々に心臓がどきどきしてしまう。シェラルドの本音が聞けて嬉しい気持ちと、早く彼のものになりたいと思ってしまう自分がいる。それでも今この場では、互いのことを大事にすることが、おそらく必要な時間だ。


 フィーベルはそっと、彼にもたれかかる。


「……嬉しいです。その時が来たら、私の全てをもらってください」

「……簡単に言ってくれるな。……ああ。その時は」


 シェラルドはフィーベルの手を取る。


 手の甲に口付けたと思えば、手の平にも同じように唇を寄せる。しばらく二人は見つめた後、また唇を重ねた。何度も何度も、愛を伝え合うように。

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