85:家族の思い出
知らなかった母の一面に戸惑っている間にも、彼女は話を続ける。
「私はとても恵まれている自覚があるわ。生まれが貴族で裕福だし、容姿も褒められることが多いし、好きな仕事もできている。だけど性格がいいわけじゃない。でもサクセスは、そのままの君でいいと言ってくれた。このままの自分で、できることをすればいいんだと思えたわ」
とある言葉に、シェラルドはぎこちなくなる。
「母さんは別に、性格は悪くないだろ」
「悪くはないと思うけどいいわけでもないわ」
「そんなことは……」
「いい母親なら、子供達ともっと関わるでしょう」
少し言葉に詰まる。
それはシェラルドも気にしていた。
兄や姉に対しても積極的に関わる方ではなかった。全て自分で決めなさいと、決断を求めた。それだけだ。それ以上は自ら関わることはなかった。
だが。
「人見知り、だっただけだろ」
おそらく自分の子供に対しても、どう接していいか分からなかったのだ。家族なのに、親なのに、と思われるかもしれないが、親子の関係も、人と人との関係であることに変わりはない。
ルマンダはあっさりと言う。
「もっと人と関わる練習はしておくべきだったわね。母親失格だわ」
シェラルドは少しむっとした。
「母親らしいことはしてくれた」
確かに自ら何かしてくれたことはないかもしれない。だが、こちらが主張したことは、全て了承してくれた。全て受け入れて、応援してくれた。
シェラルドが騎士になりたいと言ったときも「そう」の一言だけだった。何かしてくれたわけではないが、将来どうするか自分で決められた。自由に決められた。
母は、何も言わなかったわけじゃない。
全て肯定するつもりで何も言わなかったのだ。
それを、今になって知る。
ルマンダはきょとんとした顔になる。
まさかそう言われるとは思ってなかったらしい。
「私はあなたに嫌われていると思っていたわ」
「嫌ってたわけじゃない」
わけではない、と思っている。
一応親子だ。家族だ。
「シウとルカは強かで、私がしたことをそんなに気にしていなかったわ。自由にさせてもらえて感謝していると言ってくれた。でもあなたは、面倒見がいいでしょう? シウとルカの子供達に接するのも上手だし、騎士団の人達から好かれてる話をたくさん聞くわ。面倒見もいいし優しいし、人を大切にできる。そこはサクセスに似たのね」
「……それが、なんだ」
父に似ている、と言ってもらえるのは嬉しい。けどそれが一体何なのだろう。
「私が母親らしくないせいで、傷ついていないか気にしていたの」
「…………」
「子供に対してどう接したらいいか分からなかった。できるだけ自由にのびのびと育ってほしかったから、常にあなた達に考えさせたのよ。だから優秀な世話係を雇って世話を頼んだわ。私じゃ、あなた達を立派に育てられないかもと思ったから」
「――俺の母親は一人だ」
「!」
真顔でそう言ったシェラルドに対し、ルマンダは少しだけはっとする。しばらく無言になりながら、目線を下にした。
「……ごめんなさい。あなたの言う通りね」
しばし静かな時間が流れる。
ルマンダは、対人スキルがあまりない自分が育てるよりも、他の人が育てた方がいいと思った。それは子供のためだろう。だが、子供にとって母親は一人しかいないのだ。一人でしかないのだ。育てられないからとか、そんなことを言われても、子供には分からない。知らない。そんな考えを持っていたなんて、知らない。ただ一つ言えることは、立派な母親でいてほしかったわけじゃない。
シェラルドは落ち着いていた。
その当時の気持ちを、素直に伝える。
「子供の頃の俺は、寂しいと思った」
「…………」
「関わりがないのは、俺に興味がないのかと思った。優秀じゃないからとか、可愛げがないからとか、そういう理由なのかと思った。認めてもらえていないから、愛してもらえないんだって」
「……違うわ」
ルマンダの声が少しだけ震えている。
「分かってる。けど、寂しかった」
「……ごめんなさい」
「…………。俺も、歩み寄ることをしてなかった。申し訳ない」
「シラが謝ることは何もないでしょう」
「俺は子供で、素直になれなかった。全部母さんのせいにしてた」
「実際私が悪かったもの。あなたは何も悪くないわ」
「もっと我儘を言えばよかった。口に出して言えばよかった。そしたら母さんも、何か言ってはくれただろう?」
兄と姉を見て育ち、要領よく何事もこなした。それはよかったが、聞き分けが良すぎて、全て鵜吞みにしてしまっていた。母がそうならそうなのだろうと、全て受け入れたふりをしていた。自分から歩み寄ろうとしていなかった。
子供の頃に、少しでも声を荒げていたら。寂しかったことが母に伝わっていたかもしれない。母も変わろうとしてくれたかもしれない。自分だって何の行動もせずに逃げていた。だから、母だけが悪いわけじゃない。
シェラルドは少しだけ苦笑してみせる。
するとルマンダも、同じ顔をする。
「シラ。大人になったのね」
「ああ、少しは」
「これもフィーベルさんのおかげかしら?」
「……ああ。きっと」
フィーベルが、二人で話をするのはどうか、と提案してくれた。それは自分達のことを思ってだろう。結婚というのは子供だけの話ではない。家族と家族がつながること。だから少しでも良い方向に行くようにと、考えてくれたのだ。素直に、相手のことを思って。
そんな彼女だから惹かれた。
そんな彼女と傍にいると、自分も変われるようだ。
シェラルドはすっと、手を差し出す。
「これからも親子として、よろしくお願いします」
ルマンダは目を丸くする。
すぐに微笑み、手を握る。
「未熟な母だけど、こちらこそ、よろしくね」
「未熟なのは俺もだ」
「私にとってシラは、自慢の息子よ」
真っ直ぐな賞賛に、少しだけ顔が緩む。
(……ああ。俺はただ、褒めてほしかったんだ)
母に。一番身近な人に。
それが分かると同時に、少し照れくさい。
照れ隠しのつもりで言う。
「なんだか今日は饒舌じゃないか?」
そもそも関わることすら避けていたので、母がこんなにもよくしゃべるとは思っていなかった。するとルマンダは肩をすくめる。種明かしをしてくれた。
「フィーベルさんが挨拶に来る前に手紙をくれたの。シェラルドとじっくり話したらどうか、って言ってくれて」
「はぁ!?」
いつの間に。
どうやら魔法具「伝書鳩」を使って頻繁にやり取りをしていたらしい。フィーベルはシェラルドがあまり母親と仲が良くないことを気にしていたようだ。だから挨拶のタイミングで、二人で話すのはどうかと、話すなら何を話すのか、先に決めておけばスムーズなのでは、と。
自分には何の相談もなくそのような話が先に出ていたと知る。シェラルドは思わず深い溜息をついた。
フィーベルは隠し事があまり得意でないはずだ。いつも通りだと思っていたのに、いつの間にそんなことを計画していたのか。だからルマンダも、饒舌だったのか。先に伝えたいことをまとめていたから。
「フィーベルさんのおかげで、シラに伝えたいことも伝えられたし、あなたの本音も聞けた。本当に感謝しているわ」
「……俺も後で礼を言わないとな」
このような機会を作ってもらえてありがたいことだ。こうでもしないと、母と和解することもなかったかもしれない。純粋な彼女のおかげで、二人とも素直になることができた。
「あ、ルマンダ様にシェラルド様」
「おかえり。二人でいい話はできたかい?」
「ああ」
皆のところに合流すれば、わいわい何か話をしていた。大きいソファーにみんなで一列に並んでいる。仲良しか。打ち解けるのが早すぎる。
「良かったです」
にこっとフィーベルが笑顔を向けてくれる。
全て分かっているのだろう。本当に、大した花嫁だ。シェラルドはすぐにフィーベルに近付く。
「俺も座りたい。横開けてくれ」
「えー、嫌よ。シラは端にいなさいよ」
「どうせいつも隣に座るんだろう? 今日はいいじゃないか」
フィーベルの隣に座る兄姉から不満の声が上がる。
だが無視して二人の身体を押しのける。そして隙間を作るようにした。抗議の声が上がるがシェラルドが勝ち、隣に座る。フィーベルは自分が席を外した方がいいんだろうか、と少し迷う素振りを見せていた。
そんな彼女の手を取る。
そっと、握る。
「シェラルド様……?」
「ありがとう。母と話す時間をくれて」
穏やかな表情で気付いたのか、嬉しそうに「どういたしまして」と言ってくれた。シェラルドは思わず彼女の目の上側にキスをする。周りにどよめきが起こるが気にしない。フィーベルも少しだけ驚いた様子だった。すぐに顔を赤くさせる。
「あ、あの……」
ルカとシャウルがこそこそ話をする。
「前はキスなんて全然できなかったのに」
「確か自分を律していたんだっけ?」
「そうそう。あれは見ものだったわ」
「その頃のシェラ、僕も見たかったなぁ」
好き勝手なことを言っている。
だが何を言われようが、シェラルドは無視を決めた。それよりも目の前の花嫁への愛情が深くなるばかりだ。フィーベルは両親の手前、少しだけどきまぎしている様子だったが、花が咲くようにふわっと笑ってくれる。その笑みに、シェラルドはさらに愛おしい表情になった。
そんな子供達を見つめるサクセスの笑みも穏やかだった。
そっと彼の傍に、ルマンダがやってくる。ゆっくり横に座りながら、頭をサクセスの肩に置く。彼女なりの甘え方だ。ルマンダは表情や言葉で愛情を伝えるタイプではない。行動で、愛情を伝えてくれる。
初めて会った時、サクセスはルマンダのことがあまりよく分からなかった。だが彼女の行動で、愛を知った。言葉で愛を伝える方がロマンチックかもしれない。だが行動で愛を伝えられる人というのはそんなに多くない。言葉がない代わりに、行動で示す。そんなルマンダのことを、どこか可愛らしく、どこか愛おしく思えるようになった。だから結婚したのだ。
シェラルドがフィーベルに見せる表情。本当に彼女を愛しているのが伝わってくる。過去の自分も、妻に見せていたかもしれない。サクセスはただただ、幸せな気持ちになった。
「どうだった。うちの家族……と兄と姉は」
日がだんだん沈んでいく時間。フィーベルはシェラルドと二人で道を歩いていた。途中までは馬車を使って帰っていたのだが、少し歩きたい、とフィーベルが言ったのだ。
ふふふ、とフィーベルは笑う。
「とても楽しい人達でした」
「よかった。……本当に、ありがとな」
「こちらこそ。ルマンダ様ともお話できて、よかったですね」
「ああ……」
シェラルドはなんだかすっきりした様子だった。
空に浮かぶたくさんの雲が、一気に消えたように。改めてフィーベルは、ルマンダに先に伝えておいてよかったと思った。仕事が忙しいと、なかなか親子で話す時間が取れないだろうから。お互いすれ違ってしまうのは、寂しいから。
二人の関係が気になっていたからこそ、こっそり話を進めていた。どうやら大成功のようだ。しっかり話す時間が取れてよかった。今後はもう少し実家に顔を出すと、シェラルドは言ってくれた。
それに、フィーベルも気付いたことがある。
「……あの。シェラルド様」
「? どうした」
足を止めたフィーベルに、シェラルドも立ち止まる。フィーベルは少しだけ緊張してしまう。その様子が伝わったのか、シェラルドも待ってくれる。言えなくなる前に、口を動かさなければ。
「シェラルド様のご家族とお話しして、本当に楽しかったです。シェラルド様の昔の話も聞けましたし、ルカ様やシャウル様の話も聞けました。……家族って、本当に素敵だと思いました。だから、思ったことがあって」
過去の話、子供の頃の話を聞いた。
シェラルドの幼少期はどんな感じだったのか。どんな子供で、どんなことを学び、何に感心があったのか。負けず嫌いで徹底的に努力をする子で、失敗したら落ち込んで、こっそり泣いていたこともあったらしい。それを皆、楽しそうに話してくれた。話の後は食事も一緒に取った。ルマンダの料理で何が好きかとか、苦手な食材の話も出てきた。
皆の笑い声が、部屋に響いた。
ルカとシャウルは今日、子供を旦那や妻に任せたらしい。今度は子供達にも会ってほしいと言われた。フィーベルは喜んで、と答えた。孫にもまた会いたいなぁと、サクセスも希望を伝えていた。仕事柄なかなか家に帰れないからだろう。時間を作ろうという話になった。
そんな、ごく普通の家族の様子が。
素直に羨ましかった。
「私……」
「両親のところに行きたくなったか」
視線が下がっているときに言われ「え」と声が漏れる。顔を見れば、シェラルドは穏やかな眼差しで見つめている。
フィーベルは、迷いながらも頷く。
シェラルドはふ、と笑う。
「俺の両親も、いつかフィーベルの両親に挨拶に行きたいと話していた。フィーベルがフリーティング王国に行っている間に行くのも、いいかもしれないな」
「…………シェラルド様」
こちらが何か言う前に、察してくれた。
本当は自分の口から言わないといけないのに。
シェラルドは迷いなく口を開く。
「行ってこい」
「……いいんですか?」
「前に聞いた時もいい、と言っただろ。怒ると思ったか?」
少しだけ意地悪い笑みを向けられる。
フィーベルは首を横に振る。
そんなことは思っていない。
「でも……」
「?」
「シェラルド様と離れるのが、寂しいんです……」
「……!」
フィーベルは、落ち着きなく自分の手に触れる。左右の手をさすりながら、自分の気持ちを、必死に伝えようとする。
「両親と一緒に、もう少し過ごしてみたいって、思いました。過去の思い出がないから、少しでも、思い出を作りたいって。でも、今まではシェラルド様がいてくれたから。一緒にいるから、私、寂しくなかったんです。両親のところに行ったら、寂しいって思ってしまうかもしれないって。だから、不安で」
言葉が止まる。
シェラルドが急に抱きしめてきた。
すっぽりと彼の身体に包まれる。ぽんぽんと優しく、背中を叩いてくれる。まるで、あやしてくれるように。フィーベルはそれに、心臓が痛くなった。嬉しさに、視界が少し滲みそうになる。自分も両手で、シェラルドを抱きしめ返す。
「俺もだ」
「……え?」
「俺も本当は寂しいし不安もある」
「……シェラルド様も?」
「当たり前だろう。俺の花嫁と離れるんだから」
すっと身体を離し、互いの額を合わせる。
赤い瞳と金の瞳が交差する。
「……離れたくないです」
「……距離的に難しい」
そうだ。ここからフリーティング王国に行くにはそれなりに時間がかかる。距離もある。簡単に行ける場所じゃない。シェラルドも仕事がある。一緒に来てもらうのは難しい。それが分かっているからこそ、悩ましい。
フィーベルは「うう……」と少しだけ唸ってしまう。
「離れるにしても少しだけだ。夫婦になったらずっと一緒になる。その期間の方が長い」
「……でも」
「あっちに行くまでに一緒にいる時間を増やそう。二人で色んなところに行こう。思い出があれば頑張れるか?」
「…………」
「フィーベルがしたいこと、全部しよう」
「…………はい」
「いい子だ」
笑いながら頭を撫でてくれる。
その優しさに、少しだけ泣きそうになった。
シェラルドと結ばれて、よりシェラルドと一緒にいられる喜びを感じていた。一人ではないと、自信になった。支えになった。フリーティング王国で過ごした時もだ。シェラルドがいたから、両親とも向き合うことができた。彼がいたから、頑張れた。だから彼と離れたらどうなるんだろうと、不安に思ってしまう。
再度抱きしめられる。
大丈夫だと、言ってくれるように。
「手紙を書く。こっちのこと、ヴィラやアンネ殿のことも書くようにする」
「……はい」
「両親と過ごせるんだ。もっと喜べ」
「はい。……シェラルド様」
「ん?」
「いっぱい、ハグもキスもしたいです」
彼はふっ、と微笑む。
「……ああ。いっぱいしよう」
二人は口付けを交わす。
何度も、愛を確かめながら。
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