84:兄姉と母と
「フィーベルさん! いらっしゃーい!」
ドアを開けた瞬間出てきたのは、満面の笑みで両手を広げたルカだった。長い茶髪をなびかせながらフィーベルに抱きつく。その勢いに押されつつも、元々体幹があるフィーベルは綺麗に受けとめる。
「その服、前に私があげたやつね? とっても似合ってるわ」
今日のフィーベルの服装は、清楚なベージュ色の綺麗めワンピースだ。スカート部分とはフレアで少しひらひら。膝よりも長めなので、上品に見える。首元には小さいパールのネックレス。耳元もパールで揃えた。足元も同じ色のあまり高すぎないヒールを履いている。全てルカから以前もらったものだ。
「髪、巻いたの? リボンのバレッタ、可愛いわね」
「これは、友人がやってくれて」
シェラルドの両親に挨拶に行くと言えば、アンネが気合いを入れて髪を巻いてくれた。バレッタは白いレースのリボンの形。イズミの件での礼だと、アンネがプレゼントしてくれた。色合いや素材が、ワンピースとよく合っている。ルカはきらきらした眼差しでそっとフィーベルの髪に触れた。
「綺麗にしてもらったのね。素敵よ」
「ありがとうございます。嬉しいです」
「……おい」
「あらシラ。いたの?」
「いたの、じゃないだろ。なんでルカがいるんだ」
実家のドアを開けた瞬間、出てきたのがルカだった。今日は両親とフィーベルが会う日。事前に連絡を入れ、この日に会うことが決まった。各国を回る学者の父も、今日は家にいるはずだ。ルカがいるとは聞いていない。
するとルカは腰に手を当て、くいっと首を上げる。
「シラったらひどいわ。フィーベルさんが来るなら私にも連絡入れなさいよ」
「何度も会ったことあるだろ。大体今日は両親に挨拶に来ただけで」
「――本当に。ひどいなシェラ」
「!?」
ルカの背後で声が聞こえたと思えば、とある人物がひょっこりと顔を出す。それを見たシェラルドは思いきり眉を寄せた。ルカとその男性は、にこっと優雅に微笑んでいる。
「父上母上に挨拶は結構だが、俺には一回も挨拶に来ないとはな」
「……なんでいるんだ」
「こらこら。兄に向かって失礼だぞ」
「兄……?」
フィーベルはぽかんとした顔になる。
男性の髪はアイスグレーのさらさらした髪質で、顔立ちはシェラルドの母であるルマンダに似ていた。たれ目がちな金色の瞳にはどことなく色気もあり、優雅さを感じる。しばらくじっと見ていると、目がばっちり合った。
彼は微笑み、近付いてくる。
「初めまして。僕の名はシャウル。シェラルドとルカの兄で、ここから少し遠い地で領主をしている。会えて嬉しいよ、シェラの花嫁」
「フィーベルと申します。お会いできて光栄です」
「礼儀正しくていい子だね。聞いていた通りだ。さ、母上と父上がお待ちだ。家の中を案内しよう」
「いや俺を無視するなよ……」
シェラルドを置いてさっさと行ってしまいそうな雰囲気だったので、当の本人がぼそっと呟く。するとシャウルはにこやかな笑みのまま口を開いた。
「こちらに何の知らせもない、花嫁の情報さえ与えない薄情者を弟に持った覚えはないぞ」
「……それは悪かったと思ってる。仕事が忙しくて、」
「仕事、か。仕事人間過ぎるのを軽減するために花嫁をもらった話じゃなかったのか?」
「…………」
シェラルドは珍しく焦った顔になっていた。
そういえば以前ルカに「シャウルが会いたがっている」という話を聞いていた。聞いていたにも関わらず、何の連絡もできなかった。いや正確には、連絡をする暇もないくらい、色々あった。アルトダストに行かなければならなかったし、それよりも前に心が動かされるような出来事、フィーベルの家族のことで色々あった。だから兄のことなどすっかり忘れていたのだ。
兄のシャウルは姉のルカよりは優しい。いつも笑みを絶やさない、いい人ではある。が、約束を守らないとしばらく許してくれないほどに厳しい面もある。顔がにこやかなままなのがより怖い。顔は母似、笑顔は父似、怒ってしばらく許さないところはルカにそっくりである。
「そ、それは私のせいなんです。すみません」
なんとなく兄弟の雰囲気を察してか、フィーベルはすぐに謝る。シャウルのもとに挨拶に行けなかったのは仕事が理由ではあるものの、自身も大きく関係している。シェラルドをあまり責めないでほしいという気持ちもあって謝ったのだが、シャウルは人のよさそうな笑みをこちらに向けてくれる。
「君には何の非もないよフィーベルさん。全てはこの愚弟のせい……と言いたいが、女っ気のなかった弟に花嫁ができるのは兄としても喜ばしい。この件は水に流してあげよう」
あっさりそう言い放ち、両手を上げる。
自然に美しいウインクを弟に見せた。
「結婚おめでとう、シェラ」
「……ありがとう。兄さん」
今回は許してくれるのが早かった。
それが兄の優しさであるとすぐ気付く。
シャウルは嬉しそうに笑みを深くする。
「久しぶりに兄さんと呼んでくれたね。離れてるとなかなか聞けないからな」
「それは本当に悪かったと思ってる」
「いいよ。お前は僕の可愛い弟でもあるからね。さ、行こう」
シャウルとルカに連れられて、二人は家の中に入った。
外観も大きいと思っていたが、中の方がより広い。家、というより屋敷、だ。天井も高く造られているようで、豪華で見とれてしまう。「すごいですね……」と口に出せばルカに「フィーベルさんのご実家はお城だからもっと広いでしょう?」と笑われる。
フィーベルが王族の血を引いていることも先に伝えている。伝えてはいるが、ほぼ城の外で過ごしてきたのもあって、どうにもピンとこなかったりする。フィーベルは苦笑して誤魔化しておいた。
しばらくすると広い部屋に案内される。
そこに、シェラルドの両親がいた。
「おお君が」
先に近付いてきたのは、シェラルドの父であるサクセスだ。
短い茶の髪。丸眼鏡をかけており、とっても優しい笑顔を見せてくれる。茶色の千鳥格子のジャケットがとてもよく似合っていた。会うのはこれが初めてだ。本当はエリノアの誕生祭の時に会う予定だったが、色々あって会えなかった。
「初めまして、フィーベルと申します」
「シェラルドの父、サクセスだ。君のことは息子からも、妻からも、娘からも聞いているよ。よく来てくれたね」
「お会いできて嬉しいです」
「僕もだよ。君のような素敵な女の子が娘になってくれるなんて、嬉しいなぁ」
笑うと目じりに皺ができる。
本当に嬉しそうにしてくれた。
サクセスは貴族ではなく平民出身なこともあり、とても気さくな様子だった。柔らかい雰囲気の持ち主で、フィーベルはなんだかほっとしたような気持ちになる。すると傍にいたルマンダが「フィーベルさん」と言いながら近付いてくる。
「ルマンダ様」
「あの日以来ね」
ルマンダは初めて会った時と変わらずの鉄仮面だった。今日は紺色のシンプルなロングワンピースを着ている。控えめだが身体のラインが綺麗に見える、彼女によく似合う服装だった。手元や耳元には金色のアクセサリーをしており、とてもおしゃれだ。今日も美しい。
「シェラルドの……シラの本当の花嫁になってくれてありがとう」
「……!」
シェラルドは目を見開く。
母が幼少期の頃につけた愛称を今も呼んでいるのだと知り、素直に驚いた。成長してからは聞いたことがない。シェラルドが固まっている間に、フィーベルはにこやかな笑顔を向ける。
「全ては出会わせてくださったクライヴ殿下のおかげです」
「そうね。殿下にもとても感謝しているわ」
母とフィーベルは談笑していた。
なんだか楽し気な様子だった。
会うのはこれで二度目のはずなのに、もう打ち解けている。息子である自分よりも。それがシェラルドは少しだけ、戸惑った。
「あ、そうだルマンダ様。シェラルド様と少しお話をされたらいかがですか?」
「は!?」
フィーベルの急な提案に、思わず声が大きくなる。
これにはルマンダも、少しだけ驚いた表情になった。
「仕事が忙しくてご実家にあまり帰っていないことを聞きました。折角ですから、ゆっくりお二人でお話するのはどうかなと」
「フィーベル、その必要はない。大体今日は挨拶のために」
止めようとするがフィーベルは目を合わせてくれない。
あくまでルマンダに話しかけている。
「ルマンダ様も、久しぶりにシェラルド様とお話されたいのでは?」
「そんなわけないだろ……」
エリノアの誕生祭のときに久しぶりに会ったが、フィーベルを見つけるとすぐに二人で移動していた。自分のことは、父に任せた。話したいなどと思うはずがない。大体子供の時から放っておかれることが多かった。好きにしろと言われた。じっくり話したことなどない。
いくらフィーベルの提案でも、すぐ断るだろうと思った。が、いつまで経っても彼女は何も言わない。
ちらっと顔を見ると。
「……そう、ね」
ルマンダは緊張気味にそう言った。
それを聞いてフィーベルはにこっと笑う。
「私達は私達でお話をします。サクセス様、よろしいでしょうか」
「もちろんだよ。ルカとシャウルもおいで」
「フィーベルさんとゆっくり話せるなんて嬉しいわ」
「シェラの城での様子も聞きたいと思っていたんだ」
兄も姉も便乗して一緒に行ってしまう。
二人はそのまま取り残された。
「「…………」」
しばし無言の状態になる。
静かなのがすごく落ち着かない。
(……なんでこんなことに)
シェラルド自ら何か話すことなどなかった。実家に帰っても、元気かどうかしか確認してこない。それに、クライヴやヨヅカから色々聞いているはずだ。勝手に情報を流していることも知っている。今更自分から言うことなんて。
「結婚、おめでとう」
「……ありがとう」
お互い目線を下にしたまま、話が始まる。
「クライヴ殿下からの紹介と聞いて、きっと素敵な子だとは思っていたわ。本当に、素直で、いい子で、あなたにはもったいないくらい素敵な女性ね」
「……俺もそう思ってる」
フィーベルに関しては同意する。
本当に、あんなにも純粋な人はそういない。
「フィーベルさんに出会って、雰囲気が柔らかくなったって、ヨヅカやルカに聞いたわ。伴侶がいると、精神的にも落ち着いてくるのね。前は何があっても全て仕事優先にしていたけど……今は、フィーベルさんを一番優先しているんでしょう?」
そんなことまで知られているのかと、シェラルドは何も言えなかった。改めて人に指摘されると恥ずかしいものだ。だがその通りで、仕事よりも休むこと、フィーベルのことを優先するようになった。気持ち的にも、余裕を持てるようになった。それも全て、フィーベルのおかげだ。
「……あなたはいつも頑張ろうとするから、傍で支えてくれる存在が必要だと思っていたわ。……本当に、二人が結ばれてくれて嬉しい」
「…………!」
そっと顔を向ければ、ルマンダは微笑んでいた。
そんな表情を、今までほぼ見たことがなかった。
いつも鉄仮面で、同じ顔で、堂々としていて。常に毅然とした態度に、人としての憧れがあったものの、どこか母親じゃないようにも思えた。母親というのは、常に子供を心配して、常に子供のことを考えて、顔にも行動にも出してくれる。そう、思っていただけに、自分の母はそうじゃないのだと、どこか諦めに近いものを持っていた。
だが今、ルマンダは母親の表情をしている。
本当に嬉しいと、喜んでくれている。それを見た瞬間、本当に心配してくれていたのだと、自分を愛してくれていたのだと、分かった気がした。
大人になると子供の時よりもじっくり話す機会がなく、あまり構ってもらえなかったせいか、愛されていないのでは、と感じていたところもあった。フィーベルから母の様子を聞き、父からも母の愛情深さについて聞いてはいたものの、シェラルド本人にはそれを見ることも、感じる機会もなかった。だから、本当のところどう思っているのか、分からなかった。
「母さん……」
自然と呟いていた。
父であるサクセスは堅苦しいことが苦手だ。父親ではあるが、まるで友のように気さくに接してくれた。だが貴族でもある母は、作法や礼儀に厳しかった。母さん、という呼び方も人前では言わないように、と注意されたことがある。父はいいじゃないか、となだめてくれたこともあった。この呼び方はあまり好かれないのではと思いながらも、無意識に呼んでしまう。
ルマンダは真っ直ぐ、微笑んだままの表情で。
「親の願いは、子供が幸せになることよ」
「……ありがとう」
さっきよりも、気持ちを込めて礼を言う。
「いいえ。親として当然のことだわ」
「…………母さんは、分かりづらい」
苦笑交じりにそう言ってしまう。
一応言葉は選んだ。本当は色々と言いたいことはあったが、この様子だ。ただ純粋に子供の幸せを願って、花嫁を見つけてほしいとずっと思っていたのだろう。だから祝福してくれるのだ。シェラルドは思わず本音がこぼれたが、意外にもルマンダはくすっと笑う。
「サクセスにも言われたわ。私は素直じゃないんですって」
「……俺も言われた。そこが似てるって」
「似ているのは顔だけじゃなかったのね」
こうして顔を合わせても思う。
母と一番顔が似ているのはシェラルドだ。
だから容姿で周りに何か言われるのが面倒だとよく思った。それはどうやらルマンダもらしく、周りがやかましい、今もうるさい、と遠慮なく愚痴を吐いていたのを聞いたことがある。
「俺としては少し癪だけどな」
フィーベルほど素直ではない、と認めるものの、それが母譲りというのがなんとも。だが素直じゃないだけで、大事な人達のことは思っている。そこは一緒のはずだ。
「お互い、素直な人を伴侶に持って幸せね」
そう言われると大きく頷いてしまう。
サクセスもフィーベルも、そういう人だから。
シェラルドはふと、気になったことを口にする。
「母さんから、父さんに結婚したいって言ったんだよな」
「ええ」
「……なんでだ?」
ルマンダは貴族の娘ということもあり、縁談の話はかなり多かったはずだ。容姿も圧倒的な美貌の持ち主と言われていたようだし(鉄仮面だが)。それなのに全てを捨ててでも父と一緒になりたいと周りに言ったらしい。父の性格の良さを考えれば結婚したい気持ちは分かるものの、どういう理由で結婚したのだろと気になった。
するとルマンダはあっさり言う。
「私と正反対の人だったから」
「……は?」
「私にはない良さを持っていたからよ。よく鉄仮面だから近寄りがたいって言われていたけど、元々人と関わることが苦手なの。話だって、何を話せばいいか分からないし。ご令嬢達はおしゃべり好きが多くてね。彼女達が集まる場に行くと息が詰まるからお茶会も全て断っていたわ。でもサクセスは人当たりがいいし、人と話すことが好きだし、なによりいつも笑顔でしょう。全て私と逆だと思ったの。こんな私にも優しくしてくれたというのもあるけど、私にはない良さがあるから、夫婦になればお互いを支え合えると思ったわ。だからよ」
「…………」
今更だが、母は人見知りだったということか。
人前ではあんなに堂々としているくせに。
そのくせ人と話すのが苦手なのか。
てっきり、話す価値もないから話さない、なのかと思った。全然違っていた。どうやら人と話すとき、何を言えばいいか分からないらしい。だからいつも無言になるようだ。そして人と関わるのを極力避けるらしい。堂々としているように見せかけて、内心ではテンパっていたらしい。全然知らなかった。というか、誰がそんなこと予想できただろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます