83:遠回りからの
「私への触れ方が、分からなかったの?」
小さく問いかける。
「……ああ」
「触れたいって、思ってはくれてる?」
「……それは」
「実際どうするかは置いておいて、そう思ってはくれてる?」
イズミは少しだけ黙ってしまう。
視線を一度下にしたが、また合わせてくれる。
「常に」
真っ直ぐ伝えてくれた。
それが聞けて、アンネは苦笑してしまう。
「常にって、全然知らなかったんだけど」
「俺も、アンネがそう思っているとは思わなかった」
「それは、だって言ってないもの。イズミだって言ってくれてないわ」
「壊れるかと」
「だから壊れないわよ」
思わずツッコミしてしまう。
アンネは、はぁと息を吐く。
「確かに私は、男性が苦手だった。でもそれは、視線で嫌な目に遭うことが多かったの。実際何かされたことはないわ。鑑賞するように見られたり、声をかけられることは多かった。その回数が多くなると、相手の真意が分かってしまう。最初から関わりたくないって思うようになったの。でもイズミは違う。いつだって私のことを考えてくれる。自分の思いよりも先に、私がどうしたら嫌じゃないかを考えてくれる」
思えば最初から、男性が苦手だから、という理由でイズミは遠慮してくれていた。アンネも、苦手な理由をはっきり伝えたことはなかった。ああ私達は、こんな大事なことすら話していなかったのかと、気付かされる。
アンネは一呼吸置いて、言葉を続ける。
「私はイズミに感謝しているの。こんなにも私のことを考えてくれるのはあなただけ。あなたのその優しさに……惹かれたの。感謝しているから、それがあなたの良さだと思うから、私の思いは全部我儘じゃないかと思ったの」
「我儘じゃない。アンネの願いなら、望みなら、俺は全て叶えたい」
「そう言ってくれることは分かってた。でもそれは、私のためじゃなくて、イズミにもそう思ってほしかったの。気持ちが同じじゃないなら、願いを叶えてもらっても、嬉しくない」
すずらん祭に行った時もそうだ。
行きたいと思っていて、連れていってくれた。でもイズミ自身が楽しめているのか、不安に思っていた。楽しかったのだとちゃんと彼の口から聞けて、ほっとしていたところもある。それと一緒なのだ。一人だけが楽しいなら、一緒に行った意味がない。一緒にいる、意味がない。
「ねぇイズミ。これからはもっと、イズミの願いも口にしてほしい」
「願い……」
「私のことを考えてくれるのは嬉しいけど、もっと私にしてほしいことを言ってほしいの」
「俺はアンネの願いを叶えたい」
「……そうじゃなくて」
呆れて溜息をついてしまう。
「イズミが私のことを受けとめてくれるように、私もイズミを受けとめたいの。だから……お互いにもっと、話しましょ。私も、もっと伝えていくから」
アンネはどこか吹っ切れたような顔になる。両手を自分の腰に置いて、しっかり相手の目を見る。綺麗なラピスラズリの瞳。好きなところの一つだ。
「思えば恋人になる前の方が言いたいことを言えていた気がするわ。イズミだって馬車の中では色々願ってきたじゃない。好きって言ってほしいって。キスしたいって。私、嬉しかったのに」
「どちらも渋ってなかったか?」
真顔で首を傾げられる。
「なっ。そ、そんなの、恥ずかしかったからよ……言わせないでよ……」
元々素直じゃないのだから察して欲しい。まさかそう言われるとは思わなかった。アンネは少しだけ顔を赤くして、視線を逸らす。
するとふ、とイズミが笑う。
「知ってる」
「……イズミ」
むっとして声が低くなる。
すると声を出して笑われる。
楽しそうな表情だった。
そんな彼を見るのが、なんだか久しぶりに思えた。
「そういうところも好きだ」
「……私も好きよ」
多少まだ不満顔ではあったが、アンネは倒れ込むようにイズミの胸に飛び込む。すると自然と、抱きしめてくれる。何も言わなくても、分かってくれているように。
「アンネ」
「ん?」
顔を上げたタイミングで唇が合わさる。
一瞬だったが、彼の口元に笑みがある。その後はじゃれ合うように抱きしめてくる。頬ずりまでされる。いつもの落ち着いた様子とは打って変わって、甘い雰囲気を感じた。
人前でしていた行動。もしかしたらあれも控えめだったのかもしれない。アンネは同じく、口元が緩む。そのまま、素直な気持ちを伝えてみる。
「もっと、触れて欲しい」
「ああ」
「遠慮しないでね?」
「分かった」
今度はアンネの頬に彼の唇が触れる。口付けの嵐がやってきた。抱きしめる腕も少し強くなる。
しばらく二人は、愛おしそうに触れ合っていた。
「アンネ、よかった」
そっと隠れて様子を見守っていたフィーベルが呟くと、その場にいたヴィラはすっと歩き出す。これ以上は野暮だと思ったのだろう。フィーベルも同じくその場を移動した。
「二人とも素直になれて、よかったですね」
フィーベルはにこにこしていた。
ヴィラは少しだけ神妙な表情になっている。
「ヴィラさん……?」
「……ああごめん。なんだか感慨深くて」
「?」
「私はイズミのこと、入隊当時から知ってるからね。あまり人と話さないし、つるまないし、同期ともそんなに関わってないしで、ちょっと心配してたんだけど……イズミにとってアンネの存在って、本当に大きいんだなって」
イズミは基本的に静かで、面倒なことが嫌いな性格だった。無駄なことをしない、言わない、と人からの注目を受けていたわけだが、逆に「何考えているか分からない」「人形みたい」と影口を言われることもあったのだという。
同じ隊の仲間を馬鹿にされたのが気に食わなかったヴィラは、鉄拳を飛ばすかの如く魔法を相手に投げたらしい。そんな時も「別に俺は気にしていないので」とイズミは大人の対応だった。ヴィラは思い出しながら苦笑する。
「昔からイズミは自分のことに無頓着だったかも。人にも興味なかったし。でもイズミなりに、アンネのことずっと見てたわけじゃん。アンネの苦しいことも見て、知って、だから守りたいって思ったって。……そう思うとすごいなって。あのイズミがだよ? あんなにも愛おしくアンネのこと見つめて……そんな人に、出会えたんだなって」
ヴィラは嬉しそうに前を向いている。
心から喜んでいるように。
「アンネのことを理解してくれる人に出会えてよかったって思ったけど、イズミのことを理解してくれる人に出会えたのも、よかったなって」
今までのイズミを知っているからこそ、そう思うのだろう。思えばエダンがアンネに「イズミを頼む」と言っていたとき、エダンも嬉しそうな表情になっていた気がする。イズミの変化を、喜んでいた。
「イズミは口数少ないけど、アンネははっきり物を口にできるし。逆に素直じゃないところはあるけど、イズミは真っ直ぐ伝える人だし。美男美女ってところだけじゃなくて、中身もお似合いだよね」
「互いに補い合えるってことですね。ヴィラさんとエダン様みたいです」
頭脳派のエダンと行動力のヴィラ。恋愛面ではエダンが引っ張っている印象がある。そういう意味で言えば「え、ええ……?」と、少しだけ照れたような顔をされる。
「それならフィーベルさんもでしょ。フィーベルさんはとっても素直だけど、シェラルドは素直じゃないもん。……いや素直か? 素直っていうか正直っていうか」
ヴィラは考え込むようにぶつぶつ何か言っている。同期ということもあり、互いに言いたいことを言えている関係性だからだろう。
「私、シェラルド様に出会えて、本当に嬉しいです」
思ったままの言葉を口にすれば「そうそれ。そういうとこ」と人差しを向けられる。ヴィラは苦笑しながら「そういう素直さがあいつには足りないんだよ」とちょっと呆れた顔になっていた。傍でシェラルドが聞いていたら何か言い返していたかもしれない。フィーベルはふふふ、と笑った。
「昨夜は、ありがとうございました」
次の日。
休憩時間に三人で会った。
アンネは深々と頭を下げている。
「いいってことよ。よかったね、甘い雰囲気だったじゃん?」
ヴィラはにやっと笑う。
するとアンネはじろっと睨む。その表情にぎょっとしつつ「怖いんだけど……」と言えば「茶化すのは嫌ですよ」と返ってきた。ヴィラは不満そうな声を出す。
「えええ。素直になったと思ったら……」
「……でも本当に、感謝しています」
アンネは穏やかな様子だった。昨夜イズミと色んなことを伝え合い、触れ合ったおかげか、晴れ晴れした表情になっている。
「お。そっちの方が可愛いよ」
自然とヴィラもにこやかな表情になる。
アンネは照れを隠すように、軽く咳払いをする。
「お礼にプレゼントお送りますから、覚悟しといてくださいね?」
綺麗にウインクされた。
小悪魔的でものすごく可愛かったのでうっかりときめく。だがその後の言葉に眉を寄せたくなる。プレゼントと言われたらあれしか思いつかない。
「いやだからいらないって」
「綺麗な身体してるんですから自信持って下さい」
裸の付き合いをしたことがあるからこそ言えるのだろうが、ヴィラは微妙な顔をしている。
「まな板だし着ても意味ないって……」
「ランジェリーにも色々種類があるんですよ。ヴィラ様はベビードールの方が似合うかもしれません。身体のラインが綺麗ですから、ひらひらしたランジェリーの方が多分見栄えします。透け感も強めですし、背中が大きく開いているもの、スリットが入っているものもあるんです。エダン様もそちらの方が好きそうな気がします」
「い、いやいやいやちょっと待って。本気でアドバイスしないで……!?」
思った以上にしっかり語ってくれ、ヴィラは少し引いた。大体ランジェリーの種類なんてそんなに知らない。だがアンネはしれっとした態度でいる。
「良いところを伝えてるだけでしょう。大体自分を着飾るのは自分のためにもなりますが、相手のためにもなるんですよ。自分のために着飾ってくれたら男性は喜びます。これ、前にも言ったの覚えてます?」
「……ラウラさんがドレス選んでくれた時でしょう。覚えてるよ……散々な目に遭ったんだけど……」
「媚薬効果で普段より増し増しでしたね。愛されてる証拠です」
「エダンくんの場合は引き際ってものを分かってほしいんだけど……」
「――俺がどうしたって?」
急に聞こえた第三者の声に、ヴィラは飛び上がるほどに驚いた。その勢いのまま、フィーベルの背中に隠れる。見ればいつの間にかエダンの姿がある。シェラルドも側にいた。
「そんなに驚くか……?」
エダンは少しだけ悲しそうな顔になっていた。前よりもさらに表情豊かになったが、ヴィラと恋人同士になれたからだろうか。それとも相手がヴィラだからだろうか。
「き、急に出てきたからびっくりして……」
「クライヴ殿下の仕事がやっと落ち着いたんだ。久しぶりに昼でも一緒にどうかと思ったんだが」
「ようやく落ち着いたんですね。エダン様、お疲れ様です」
世話係でもあるアンネは事情を察してか、哀れみの目を向けて労いを見せる。エダンはただ苦笑していた。
アルトダストの滞在期間が予定より伸びてしまったこともあり、クライヴ本人が処理しなければならない仕事は溜まりに溜まっていた。さすがのマサキも処理ができないため、とにかくすぐにやってほしいとクライヴに口うるさく頼んでいたようだ。
だがクライヴは煮詰まると脱走する性格で、いつの間にか部屋から抜け出すこともあったらしい。エダンが慌てて探しに行ったり、これはいいから判押しておいて、とメモ書きされたものを代わりに判を押したりと、何かと走り回っていた。
「話すのも久しぶりだろう。お昼、一緒にどうだ」
「え……と……」
ヴィラは微妙に視線を避けている。直前にエダンの話になったのもあるのだろう。気まずそうな様子だった。
それに対し側で見ていたシェラルドが「なにもぞもぞしてるんだ」と眉を寄せる。指摘されたヴィラは顔が熱くなりながら言い返す。
「シェラルドに言われたくないんだけどっ! ていうかもう少し乙女の気持ち分かってくれる!?」
「前からそこそこの仲だったのに、恋人になったからって露骨に態度変えなくていいだろ」
「なー!? 自分だってフィーベルさんと偽の関係期間の時、ふわっふわした顔してたくせにっ!」
「はっ!?」
「あの時の顔、めっちゃ気持ち悪かったから!!!」
「な、おい待て。なんで偽の時の知ってんだ!」
「教えてもらったんです〜!」
「誰にっ!」
同期の言い合いに、他の者達はそれを見守る図となる。「だからお昼……」とエダンは呟いていた。仕事がひと段落したついでにヴィラに会いに来たのだろう。
「エダン様。少しお聞きしたいことが」
「? どうしたアンネ殿」
「好みのランジェリーってあります?」
「……えっ?」
ぽかんとした顔になった。
耳に届いたヴィラが思いきり振り返る。
「ちょっとアンネ!?」
「ほら。殿方の好みも聞いておかないと」
「聞かなくていいでしょ!!!」
「……そういった類は、あまり知らなくてだな……」
「逆に知ってたらドン引きしてるんだけど」
「えっ。まぁ、そうだよな……。その……ヴィラなら、なんでも似合うと思う」
照れ気味に、だが本心で言っているのだろう、優しい笑みを浮かべながら答えていた。その様子にアンネとフィーベルは思わず感嘆の声が出たが、ヴィラは「なに真面目に答えてんのっ!?」とツッコむ。
「そこスルーしてよ!!!」
「え。聞かれたから答えただけなんだが……」
「もう、ほんと、ほんとそういうとこ。……お昼、食堂でいい?」
「! ああ」
エダンの顔がぱぁっと明るくなった。
ヴィラは気恥ずかしいのか、顔を逸らしている。
「入り口で待ってるから。……ごめんフィーベルさん、アンネ。この後上の人に呼ばれてるから、先に行くね」
「はい」
「分かりました」
ヴィラはちらっと皆を一瞥した後、そのまま駆け足で行ってしまう。エダンはその背中を優しく見送っていた。大切な仲間としてだけではなく、愛する人に向けた表情だ。微笑ましい。
「フィーベル」
シェラルドが近寄ってくる。
どうやら元々用事があったらしい。
途中でエダンと一緒になったようだ。
「うちの両親に会ってもらう日時が決まったんだが……いいか?」
「!」
いよいよ、挨拶をする日が来た。
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