82:伝えること

「アンネ。イズミにちゃんと言ってなかったの?」

「…………」


 稽古が終わり、時間は夜。

 場所はアンネの部屋。


 椅子に座っているヴィラは、窘めるような表情だ。本人は小さく縮こまっていた。そんな姿は珍しい。椅子は二脚しかないので、フィーベルは立っている。二人とも譲ろうとしてくれたのだが、この場はヴィラの方が適任だと思い、このままでいいと伝えた。


 さりげなく今日あったことを話すとアンネはだんまり。本人も分かっているのだろう。ヴィラは少しだけ溜息をつく。


「伝わってないのに相手からしてもらうのを待ってるだけってのもねぇ」

「……ヴィラ様はいいですよね、言わなくても向こうから来てくれるから」

「っ、いや来てほしくないときにも来るけどね!? ていうか私の話にすり替えないっ!」


 アンネはぷいっと顔を横に動かす。


「言ったことに変わりはありません」

「馬車でって? でもイズミはそのときだけかと思ってるかもしれないじゃん」

「そのときだけなわけないじゃないですか。恋人同士になったのに」

「それは確かに……」


 フィーベルは思わず呟く。

 恋人同士なのだから、遠慮する必要はないはずだ。


「こらフィーベルさん。アンネに甘いよ」

「え」


 ヴィラから叱咤されてしまった。


「でもねアンネ。男性って言わないと分からないから」

「……それは、ヴィラ様の経験ですか?」

「恋愛経験じゃなくて人間関係の経験ってところでね。多くの男性と仕事してるのもあって、言わないと分からないんだなって思うことは多い。女性は自然と気付けることが多いけど、男性は言ってあげた方が感謝してくれる人が多いよ」

「…………」


 アンネは不満そうに黙るだけだ。


 それを見たヴィラは少しだけ苦笑する。

 励ますように、言葉を続ける。


「触れていいって。私はもっと触れて欲しいんだって、可愛くお願いすればいいんだよ」

「!?」

「好きな人からのお願いだったら、喜んでイズミは聞いてくれると思うけどな」

「……私は、可愛くありませんから」

「絶世の美少女が何言ってんの?」


 ヴィラは半眼になる。


「っ。中身は可愛くないって、知ってますから」

「中身も可愛いじゃん」

「どこがですか。口は悪いし、意地を張るし、可愛くありません」

「口が悪い自覚はあるのね」

「……分かってますよ」

「ごめん言いすぎた。意地張ってるのが可愛いって思うけどね。それにイズミは、そんなところも含めて好きになってくれたと思うけど」

「…………」


 アンネは微妙そうな顔になる。


 分かってはいるような、でもどうしたらいいか、迷っている様子に見える。フィーベルは少しだけアンネの気持ちが分かるような気がした。自分の言動で相手がどうなるのか、多少の不安と怖さがある。特に普段から自分の気持ちを言えないと、急に言うことは難しいだろう。


 でも。


「……イズミさんから、想いを伝えてもらったんだよね?」


 ぱっとアンネと目が合う。


「その時、どう思った?」

「…………嬉しかったです」

「アンネの今の気持ちを伝えたら、イズミさんも嬉しいかもしれないよ。だってアンネのこと、大切にしてくれるもん」


 フィーベルは安心させるように微笑む。


 イズミはあまり表情が出ないが、アンネのことを大切にしている。アンネのためにすずらん祭に連れて行ってくれたようだし、周りに見せつけているのも彼女の立場を思ってだろう。先程もアンネが重要だと、きちんと口にしてくれた。


「私もシェラルド様に気持ちを伝えてもらえて、とても嬉しかったの。嬉しかったから、今度は私も伝えたいって思ったの」


 アルトダストに行く前に想いを伝えられ、アルトダストに来てくれてからも、先に言ってくれた。気持ちを伝えることはとても勇気がいることだ。だが、相手に本当に思ったことを伝えることは、とても大切だ。


 これから共に歩むためにも。

 これからより良い関係性を築くためにも。


「だからアンネも、伝えてみて。もしイズミさんがアンネの気持ちを受けとめてくれないなら、私がぶっ飛ばすから」


 笑顔で拳を作って素早く動かす。

 小さく風が舞った。


「フィーベル様……」

「……フィーベルさんが言うと本当にぶっ飛ばせそうなんだよなぁ」


 ヴィラが真顔で言う。


 アンネはふっと、笑みが漏れた。

 しばらくして、真っ直ぐこちらに目を合わせてくれる。


「……分かりました。何が言えるか分からないですが、伝える努力、してみます」

「じゃあ、はい」


 ヴィラはさっと、イズミに渡したのと同じ魔法具をアンネに渡す。アンダルシアに借りたのだろう。準備がいい。アンネも使い方は分かるはずだ。


 すると彼女は眉をひそめた。


「え。なんですかこれは」

「魔法具。イズミも持ってるよ。これで話しな」

「!? これ仕事で使うものですよね。私用は禁じられているはずでは」

「大丈夫。アンダルシア殿から許可もらったから」

「どういう理由で借りたんですか。後でバレたら怒られますよ」

「ちゃんと言ったから」

「……はい?」


 ふざけることもなくヴィラはあっさりと言う。

 随分と落ち着いている様子だ。


「だから、イズミとアンネのためですって言ったから」

「な……なにしてくれてるんですかっ」


 アンダルシアから予備の魔法具を借りに行った時。

 二人のために使いたいと正直に伝えた。


 アンダルシアは魔法兵団隊長の一人。イズミが周りから期待されていることも、女性に興味がないのにモテるということもしっかり知っている。


 ヴィラの頼みに、アンダルシアは「大事な魔法兵のためならいいだろう」と小言もなく貸してくれた。ついでに「同期に影響を受け過ぎたのかもな」と嬉しそうにしていた。おそらく人の恋路を応援するガラクのことを指していたと思う。美しい造形の笑み。ガラクと同期であることは知っているが、本当に美しい人だ。ヴィラとフィーベルは心の中で同じことを思った。


「二人のことを応援しているのは私達だけじゃないってことだよ」

「だからって……!」

「上官達が気にかけるのも当然でしょ。普段見せつけるようなことしてるんだから」


 それを言われたら敵わないのか、アンネは参ったような表情になる。上官達にも伝わっていることは、予想していなかったのかもしれない。周りは何も言わないだけで、意外と知っていることは多いものだ。


 ヴィラはにっと笑い、アンネに魔法具を渡した。


 わざわざ魔法具を二人に渡したのは、相手の姿が見えない分、冷静に話せるのでは、と思ったからだ。話の内容を聞くつもりはないが、側で見守ろうとも考えていた。何かあったとき、フォローがしやすい。


 アンネはしばらく渋っていたが、やがて諦めたのか、そっと耳に魔法具をはめる。深呼吸をした後、名前を呼んだ。


「……イズミ?」

『アンネ』


 声が聞こえ、少しだけ驚く。

 すぐに返ってくるとは思わなかった。


『どうした』


 咄嗟に言葉が出てこない。


『ヴィラ隊長とベルが心配していた。何があった』


 そう聞かれても、どう伝えればいいのだろう。


『言いたいことがあれば、直接言ってもらって構わない。俺は何を言われても、受けとめるから』


 早い段階で、欲しい言葉をくれた。


 今目の前にイズミはいない。

 存在が分かるのは、声だけ。


 いつもと変わらない声色のように感じるが、心配してくれている。きっと、アンネの連絡を待ってくれていたのだろう。だからすぐに取ってくれたのだ。このチャンスを、無駄にしてはいけない。


 この流れで、伝えなければ。


「……あ、の」

『うん』

「前に……接触は過剰って話があったと思うけど」

『ああ。アンネに負担をかけたくない』

「…………負担、なんかじゃない」

『そうか。でも俺は、それ以上は望まない。一緒にいられるだけで嬉しいんだ』


 少しだけむっとしてしまう。


「……なにそれ」


 思わず言葉に出していた。


『恋人になれて嬉しい。だが俺は、アンネを守れたらいい。余計な接触はしなくていい』

「――イズミは、本当に私のこと好きなの?」


 思わずそんなことを聞いてしまう。

 少しだけ息を吞むような音が聞こえた。


『当たり前だろう』

「……嘘。私ばっかり。私ばっかりじゃない」

『アンネ?』

「私ばっかり、イズミともっと、恋人らしいことしたいって思ってるんじゃない」

『…………』


 静かになった。


 これは、初めて伝えた。恋人になってから、周りに見せつけるような行動を取ってからも、イズミとの関係は特に変わらなかった。いや、前より話す機会は増えたかもしれない。だけど、それだけで。恋人になったというなら、二人で手をつないだり、出かけたり、もっと触れ合うことだってできると思っていたのに。


「周りには行動でたくさんの愛情を伝える人達がいる。そんな人に愛されている人達を見ると、たまに羨ましくなる」


 アンネの様子を見守っていたヴィラとフィーベルは反応してしまう。名前は出ていないが内容的に、自分達のことを言われているのでは? と、ヴィラは少し驚いた。フィーベルは「アンネがんばって……」と手を組んで応援していた。


「クライヴ殿下だって、すごい一途で、行動的で……。そんな人に愛されたら、絶対幸せになると思う」


 クライヴはずっとユナのことを想っていた。その年数はかなり長い。ユナのことを溺愛しているし、それを周囲に隠さない。たとえ遠く離れていても、クライヴの愛は空よりも広く、海よりも深い。二日に一度は手紙を送っているらしい。毎日じゃないが多い、と、マサキは不満を口にしていた。


『アン』

「分かってるの。イズミはそういう人じゃないって。……ええと、そういうことを日頃からするタイプじゃないってことは分かってる。好きでいてくれているのも分かってる。でも…………私何言ってるのかしら。羨ましいなんて、ただの我儘だった。イズミはちゃんと、私のこと分かってくれているのに」


 言いながら途中で冷静になってくる。


 イズミは、おそらくアンネに対して謙虚だ。

 遠慮、してくれているのだと思う。


 それはきっと、アンネのために。彼は彼なりの愛し方をしてくれているだけだ。それなのに、それだけでは足りないと思っている自分がいる。周りと比べてしまっている自分がいる。彼は、いつもこちらのことを考えて動いてくれているはずなのに。


 それなのに、自分は。

 アンネは下を向いて顔を歪めてしまう。


「ごめんなさい。そうしてほしいってわけじゃないの。……私の願いを聞いてほしいとかじゃないの。イズミも、私と同じ気持ちだったら嬉しいって、そういう話で」

『…………』

「イズミはそのままでいいの。そんなイズミを好きになったから。……ごめんなさい、余計なこと言ったわ」

『今、どこにいる』

「え?」

『会いたい』


 予想外の言葉に、目を見開く。


「……でも」

『会いたい』


 先程より強い口調で言われた。

 アンネは、なんとか頭を動かす。


「……じゃあ、庭園に」

『すぐに行く』


 音が遮断された。

 魔法具の通信を切ったのだろう。


 アンネは少し混乱していた。


 どうして急に会いたいと言ったのだろう。

 こちらの話を聞いて、何を思ったのだろう。


 そわそわしながら見ていたフィーベルとヴィラに経緯を伝えると、慌てて部屋から連れ出された。アンネは何も考えられないまま、庭園に向かった。




 夜なのもあって辺りは少し薄暗い。


 庭園、というのは、王城の中でもかなり端にある小ぶりの庭園のことだ。以前寝ているシェラルドにフィーベルがハグをしていた場所でもある。あまり人が来ない場所なので、アンネもイズミと二人でよく会っていた。


 一応庭園に光は設けられているが、それでも暗い。


「アンネ」

「!」

 

 イズミの方が先に到着していた。

 急いで来たからだろう、髪が少し乱れている。


「あ、あの」


 アンネは下を向いてしまった。

 彼の顔を見るのが怖い。


 すると勢いよく抱きしめられる。

 急だったので、少しびくついた。


「すまなかった」

「…………イズミが、謝ることなんてないわ」


 これはただの我儘なのだから。


「いいや」


 ぐっとイズミの抱きしめる手に力が入る。


 こんな風に抱きしめられたのは初めてだ。

 いつもはもっと優しいのに。


 壊れないように、いつでも逃げられるように、してくれる。馬車の中でしてくれたように。……ああ思えば、抱きしめてくれたのはあの時だけだ。今は人前でしか、してくれない。その時も軽くしか、してくれない。


 だからより、戸惑った。


「あの。無理、しなくていいから」


 どういうつもりでこんなことをしているのか、分からなかった。言ってしまったことをわざわざ行動に移してくれたのなら、それはありがたいが、同時に申し訳ない。相手に気持ちがなかったら、それはとても虚しい。そっと離れようとするが、イズミは放してくれない。


「ちょっと、イズミ」

「アンネは、俺にとっても高嶺の花だった」

「……え?」

「俺みたいな人間が、手に取っていい花じゃないと思っていた」

「……なに、言ってるの?」


 顔を見たいのに、自分の肩に置かれていて、見えない。まさかイズミの口からそんな言葉が飛び出すとは思わなかった。そういう表現を周りからされたことはあるものの、彼がそんな風に思っていたなんて。


「ただ守れたらいいという気持ちに嘘はない。周りから羨望の眼差しを向けられる存在であることは知っていた。誰からも注目を集める人だと。そのせいで辛い目にも遭っていたと」

「…………」

「俺は眼中にない、男は眼中にないと思っていた。ずっと。最初から。だからまさか恋人になれるなんて、思わなかった。夢物語のようだと」


 今日はいつもより口数が多い。

 と思っていると、イズミは一呼吸置いた。


「俺は……どう触れていいか、分からなかったんだと思う」


 アンネは目を見開いた。

 イズミの本音が、垣間見えた気がした。


 そっと手が緩み、互いに顔を合わせる。


 イズミにしては珍しく、少しだけ眉を寄せている。迷っているような、恐れているような。少しだけ、苦しそうにも見えた。いつもの落ち着いた様子の彼からは想像もつかない。


「人前なら、理由があれば、アンネにとっても悪い話じゃないと思った」


 ラピスラズリの瞳が揺れている。


「思うままに触れたら、壊してしまうんじゃないかと」

「……壊れないわよ」

「男が苦手だろう。男は女性より力が強い。それに、怖がらせたくない」

「イズミは怖くないわ」

「だが」


 アンネはすっと顔を上げる。

 無防備な相手の唇に、自分のそれと合わせる。


「……っ!」


 すぐに離れて、相手を見つめる。

 今度はイズミの方が戸惑っていた。

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