75:手を繋ぐ

 クライヴは馬車の中から、外の景色を眺めている。


 行き先は自国、イントリックス王国。生還した次の日には、自国に帰るとクライヴが言い出したのだ。それぞれが抱えていた問題は解決し、改めて三国、共に助け合う条約を結ぶこともできた。そろそろ帰らないとマサキも耐えられない。仕事は日に日に増えているはずだ。彼の胃が壊れる前に帰ってあげたいと。


 ちなみにフィーベルとシェラルドは、まだフリーティング王国にいる。フィオからの願いで、少しだけじっくり話す時間が欲しいと言われたのだ。クライヴはそれを承諾した。二人には、帰るタイミングは気にしなくていいと伝えている。


「楽しかったね」


 クライヴは呑気にそう言う。


 同じ馬車、そして隣に座るエダンは思わず「はぁ……」と微妙な反応になった。色々あった。クライヴ自身も色々あった。ユナを助けるために一度しか使えないという魔法を使い、生死をさまよっていたというのに、本人はこれだ。全然危機感がない。


 無事に生還したと思えばユナを堂々と口説いていたらしい。それをエダンは後で知る。その場に居合わせていた者達はぽかんとしていたらしい。そりゃそうだろう。彼はあまりにも怖いもの知らずだ。


「本当によろしかったのですか?」

「何が?」

「ユナ殿のことです」

「ああ、返事をもらわなかったこと?」


 アルトダストに戻り、一旦身支度を整えた。自国へ帰ろうとした際、王族の三人が見送ってくれたのだ。ユギニスはユナのことで何やらずっとぐちぐち言っていたが、シュティは『また遊びにいらしてください』と微笑んでいた。


 一方ユナは、クライヴと目が合わせられないのか、ずっと下を向いていた。燃えるような赤色の髪に負けじと、頬が朱に染まっていた気がする。


 そんな彼女に対し、クライヴはこう伝えたのだ。


『今度はユギニス殿と一緒に来てほしいな。側近じゃなくて、妹として』

『それは……』

『言われずともそうする。だが調子に乗るなよ。ユナはまだ渡さないからな』

『手厳しいですね。まだということはいずれ?』

『俺に聞くな。一番大事なのはユナの気持ちだ』

『そうですね。じゃあユナ殿』

『っ!』


 少しだけ身体がびくついたのは、返事をしないといけないのでは、と恐れたからだろう。昨日の今日。時間はそんなに経っていない。ここで返事を求めるのはユナには酷な話では、と誰もが思ったはずだ。


 だがクライヴはあっさり言い放った。


『返事は遊びに来た時でいいからね』

『え……』

『それでは。大変お世話になりました。また皆さんにお会いできることを楽しみにしております』


 そう一礼して、その場を後にしたのだ。


 返事を先延ばしにしたからか、ユナは少しだけ唖然としていた。あっさり引くとは思っていなかったのだろう。


「ああ。別に、彼女を困らせたいわけじゃないからね」

「もう困っているのでは……?」

「ははっ。エダンも言うようになったね」

「も、申し訳ありません」

「いいんだよ、本当のことだから。時間が欲しいと言っていたからね、じっくり考えてほしいと思って。それに、僕はエダンより片思い歴が長いんだよ?」


 子供の頃からの初恋だったようだ。

 しかも一目惚れという。


「十六年も待ったら、あと何年待って、って言われても待てるよね。それに唇だってもらってる。彼女は今まで異性に全く興味がなかった。少しでも僕を意識してもらえてるなら、進展している証拠だ」

「もらったのではなく奪ったのでは……」

「予定はなかったけど、思わずしちゃったんだ。可愛かったなぁ。あんなに取り乱すなんて思わなかった。僕に惚れてくれるのも時間の問題かな」

「…………策士ですね」

「欲しい物はとことん欲しいからね」


 王子に相応しいきらきらした笑顔を向けてくる。

 この人に敵う人なんていないんじゃないだろうか。


「……それよりも、本当に申し訳ありませんでした。殿下が倒れている間、俺は何も役に立てず」

「またその話? 謝罪はすでに聞いているよ。それに、君はアルトダストの王族を助けた。それはアルトダスト側が感謝している。それを誇るべきだ」

「しかし……」

「それに、謝るべきは僕じゃなくてこっちじゃない?」


 言いながらクライヴは前を向く。

 自然とエダンも同じ方向に顔を動かした。


 目の前に座っているのは、そっぽを向いている紫髪の女性。髪が伸びてより女性らしくなっているヴィラだが、ずっと怖い顔のまま会話に入ろうとしない。


「…………クライヴ殿下、なぜこちらの馬車にヴィラを乗せたんですか」

「え? 面白そうだから」


(こいつっ)


 思わず言ってしまいそうになるのをぐっと堪える。これが後輩であったり同じ魔法兵ならどついてやるが、さすがに主人にはそんなこと言えない。エダンは咳払いした。


「どう考えてもここはイズミでしょう。別の馬車に乗っているアンネ殿も、イズミと一緒で気まずい思いをしているはずです」

「一番気まずいのはエダンだろうけどね」


 あはは、と楽しそうに笑っている。

 こちらの気も知らないで。


「まぁ冗談は置いておいて、二人でちゃんと話しなよ。あの一件の後、まともに話してないんでしょう?」

「…………」


 あの一件とは、結局フリーティング王国に来たのに惚れ薬の効力が切れず、ずっとヴィラがつきっきりで傍にいてくれた件だ。エダンも意識はあったので、あの後何が起こったのは覚えている。覚えてはいるが、口で説明しづらい内容だ。


 それを正気な時に持ち出して二人で話すのも気まずく、結局回復してからは一切会話していない。ヴィラもヴィラで、やはり話しづらいのか、全くこちらを見てくれない。


「……さすがに、主の前でその話は」

「あ、大丈夫。内容はさすがに聞かないよ。ほらこれ。ユギニス殿下がくれたんだ。魔法具の耳栓」


 手のひらに乗せて向けられる。

 見た目はただの耳栓だった。


「これを耳につけたら、周りの音が聞こえないんだって。もちろん人の話し声も」

「本当ですか?」

「うん。つけてみる?」


 返事をする前に勝手に耳に入れられた。

 すると、確かに無音に近い感じがする。


 目の前のクライヴが何か話しかけてくる。ぱくぱく口を動かしていた。だが、音が全く入らない。何を言っているかも分からない。


 エダンは耳栓を外す。


「なんて言ったか聞こえた?」

「いえ全く」

「エダン、聞こえてるー? って言ったんだよ。にしてもすごいよねこれ」

「すごいですね。こんな魔法具があるとは」

「ユギニス殿下は幼少期から周りから色々とよくないことを言われていたらしくてね。心配した魔法使いが、ユギニス殿下のために作ってくれたんだって。今は普通にお店でも売られているらしいよ。少しでも嫌な思いをする人が減るようにって」


 思ったより重い内容だった。


 革命を行ったくらいだ。苦労は人より倍以上だろう。だがその苦労があったからこそ、あんなにも堂々とした王になれたのかもしれない。こちらの国の魔法具「伝書鳩」に興味を持ってくれ、その流れで魔法具をくれたらしい。イントリックス王国に来た際は、他の魔法具も見たいと言ったようだ。


「これならいいでしょう? 話の内容は聞かないし、茶々は入れないから、じっくり話しなよ。自国に着くまでまだまだ時間もあるしね」

「ですが……」


 ちらっとヴィラを見るが、ずっと無視だ。

 何の反応もしてくれない。


「じゃ、僕は景色を楽しむから」

「え」


 言いながらクライヴは耳栓をする。

 そして景色に目を戻した。


 もう何の音も入っていないのだろう。今回の出来事に色々と思いを馳せているのか、景色に集中してしまう。エダンは盛大に溜息を吐きたくなる。まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。


 ……だが、話さなければヴィラとの関係もこのままだ。それは、さすが困る。エダンは膝に乗せている握り拳を再度握り直し、ヴィラに身体を向けた。


「……ヴィラ」

「なに」


 思ったより返事が早い。

 返事をしてくれることに感動する。


「その……すまなかった」

「なにが」

「…………なにがって」


(それを俺に言わせるのか……?)

 

 言葉が詰まってしまう。

 ヴィラはそっぽを向いたまま言う。


「いいよ。エダンくんが悪いんじゃないし」

「だが。……怒ってるだろう」

「怒ってない」

「怒ってる」


 するとむっとされた。


「私が怒ってるのは、やめてって言ったのにいつまでも口付けをやめてくれなかったことだよ」

「なっ、」


 まさか具体的に言われるとは思わなかった。


「大体、最初の方が薬の効果強いはずでしょ? 少しはましになってるはずに、なんであの後の方が、なんか……こう、ああなるの」


 途中で言いづらくなったのか、曖昧な表現に変わる。エダンはうろたえた。返答に困るが、ここで嘘をついても仕方ない。


「それはっ……好きな女には、そうなるだろう」

「途中息が続かなくて、涙目になってもやめてくれなくて」

「…………泣き顔にそそられて思わず……」


 エダンはだんだん声が小さくなる。

 正直に白状すると、ヴィラは絶句した。


 と同時に自分と同じように真っ赤な顔になっている。おそらく、羞恥が八割を占め、残りの二割は……想像に難くない。


 ヴィラは口調を荒げた。


「大体エダンくんは最初から距離感おかしいんだよっ」

「なんだそれ。いつの話だ」

「最初からだよ。出会った頃から!」

「それは今関係ないだろうっ」

「関係あるから言ってるんでしょ!」


 ぎゃあぎゃあ言い争いが始まった。


 クライヴの耳には内容は入ってこない。だが二人の動きを見ていればなんとなく察する。やっと腹を割って話せたならむしろよかった話だ。そして。


(二人の会話はただの痴話喧嘩なんだよね)


 と、心の中で呟いていた。







「…………」


 アンネはちらっと目の前の人物を見る。

 その人物はさっきからこちらを見つめ続けている。


(……き、気まずい)


 アンネは人生で一番きついかもしれない時間を過ごしていた。事の発端は、アンネがヴィラと一緒に馬車に乗ろうとした時だ。クライヴから「あ、ヴィラはこっちね。で、イズミはアンネと一緒に乗って」と言われたのだ。二人は同時に「え?」と言ったのだが、あっという間にヴィラが連れていかれ、ものの数秒でイズミが乗った。


(……クライヴ殿下は一体どうして……。まぁあの二人のことをなんとかしたかったんだろうけど)


 何が起こったのか、アンネは大体知っている。そして、イズミも大体知っている。アルトダストまで迎えに来てくれたヴィラとイズミがエダンの部屋に向かえば、ふらつきながらエダンが出てきた。だいぶ薬が抜けたかと思えば、ヴィラを見つけてそのまま長いこと口付けしたのだ。


 さすがにアンネは自分の顔を両手で隠した。イズミも顔を背けて見ていないフリをした。一応二人は両思いであるので大丈夫といえば大丈夫なのだが、あまりに展開が早すぎる。ヴィラは唸りつつも、最後まで面倒を見てあげていた。


 が、エダンが回復して以来、二人は会話をしていない。薬のせいとはいえ気まずいはずだ。そんな雰囲気をクライヴは壊そうとしたのだろう。かなりの荒療治だが。


(……問題はこっちよ)


 まさかイズミと二人きりになる時間ができるとは思わなかった。それに、ヴィラとエダンのことはクライヴのおかげでおそらく解決するだろう。いうことはつまり、以前約束したことが決行されるというわけで。


 確かに気持ちを知りたいとは言ったものの、聞く方も心構えがないと、どう反応していいか分からなくなる。自国に帰ってからになるだろうと気を緩めていたせいで、予想外のことが起きた。馬車の中二人きり。絶対イズミは言うだろう。どうしよう。どう答えれば正しいのだろうか。


「アンネ殿」

「! は、はい」

「そんなに百面相しなくても、聞きたくないなら今は言わない」


(そんなに私、変な顔してた……?)


 そう言われるのは少し癪なのだが。

 これでも周りから美貌を認められている。


 だがそれだけ緊張が伝わっていたのだろう。

 ありがたく、その言葉に乗ろうと思った。


 が、なんだか言葉が出てこない。


 そう言ってもらえて安心しているはずなのに、いざ言われると、なんだか釈然としないのだ。まるで、待っていたかのように。だが言ってもいいと言ってしまえば、自分は困る。


 少しだけ無言が続いた後。

 イズミは口を開いた。


「少しだけ、昔話をしていいか」

「……え、ええ」


 急だなと思いつつ、頷いた。


「俺が新人魔法兵として入団した時のことだ。休憩時間に中庭を散歩していると、あるメイドが先輩らしき人物に叱られていた」


 今はあまりないが、昔の先輩方はかなり厳しかった。作法がなっていないという理由だけでなく、気に入らない子にはいじめのようなことをすることもあったのだ。アンネも経験がある。


 可愛いからという理由で、周りのメイドの中でも目を引くから、という理由で、クライヴ殿下のお世話係に選ばれたという理由で、かなりやっかみがあった。だからその子の気持ちがなんとなく分かった。


「そのメイドは一人になった後、中庭の中に身を隠した。誰にも見つからないように」


 少しだけ頭に疑問符が浮かぶ。


「そして、一人で泣いていた」

「…………」

「だがしばらくすれば、平気な顔をして出てきた。さっきまで泣いていたとは思えないほど、気丈に振舞っていた。彼女はいつも、堂々としていた」


 思わず、自分の唇を噛んでしまう。


「それを見てから、俺は彼女を守りたくなった」


 自然と目線が下になる。


 本当はそんなことしたくなかった。

 だってバレてしまう。


 はずなのに、真っ直ぐな瞳に耐えられなかった。


「弱さを見せない強さ。だが脆さもある弱さ。俺はどちらも守りたいと思った」

「…………そう、ですか」


 ずっと無言なのも怪しいと思って口を開いたが、自分でも驚くほど小声だった。顔が熱い。そんなに何年も前から知られていたなんて。自分だけしか知らないはずの秘密を知られていたなんて。ずっと見ていただなんて。


「それが、アンネ殿を好きになった理由だ」


 顔を上げる。


 ラピスラズリ色の瞳が光っている。

 何度見ても綺麗だと思える、彼の瞳。


「なんで、今」

「言ってほしそうに見えた」

「それは、」


 否定できない。

 だがそれを言うのは癪で。


「返事はいらない」

「…………えっ?」


 急に予想外のことを言われて、素で返す。


「伝えたかっただけだ。返事はいらない。応えてほしいわけじゃない。だから気にしなくていい」

「え……な、」

「ただ俺の気持ちを知ってほしかっただけだ。安心してくれ」


(安心してくれじゃないんだけど)


「本当は伝えるつもりはなかった。困らせると思ったから。だがアンネ殿が教えろと言った。だから言っただけだ。縛るつもりはない。何かする必要もない。だから」

「ふざけないで」


 思ったよりドスの利いた声になってしまう。

 イズミは何度か瞬きした。


「返事はいらない応えなくていい気にするなですって? 何言ってるの?」

「アンネ殿?」

「そんなの全部、イズミ様の勝手な考えだわ。私、迷惑だって言った? 嫌だって言った?」

「それは」

「祭りの時も思ったけど、イズミ様って本当に自分のこと考えてない」

「? あれはアンネ殿が楽しむために連れて行っただけだ」

「そうそれ! 私だけ楽しいなんてそれで楽しいと本当に思っているわけ?」


 敬語も外れてかなり尖った言い方になってしまう。だが別にいいだろう。イズミはアンネのことをよく知っている。


「俺も楽しかった。そう言ったはずだ」

「私が聞いたから答えてくれたんでしょう。……馬鹿。ほんと馬鹿!」


 怒鳴ってしまう。


「アンネ殿。どうした」

「どうしたじゃないっ! なんで私のことばっかりなの? もっとイズミ様の気持ち聞かせてよ。私と、」


 途中で言葉が切れる。


 これは言おうか少し躊躇した。

 だがもう言わせてもらう。


「恋人になりたいとか思わないの!?」

「なれるならなりたいが」

「……は、はぁ?」


 今度は力が抜けてしまう。


「なれるなら恋人になりたい。だがアンネ殿は男が嫌いだろう。俺のことも、嫌いではないかもしれないが、好きではないだろう。俺はアンネ殿の幸せを願っている。俺はアンネ殿を守れるならそれでいい。無理に一緒にいたいわけじゃない」


 なんだそれは。


「もし私に好きな人ができたらどうするの」

「応援する」

「もし私が結婚したらどうするの」

「そうなったら俺はお役目御免だ」

「それまで守るって?」

「ああ」

「…………」


 呆れて物も言えない。


 簡単に言えば、守りたいが別に恋人になりたいわけじゃない。いや、なれるならなりたいらしいが、それはアンネ次第のようだ。


 ……本当に、今まで出会ったことがないタイプだ。だから予想ができない。今まで男性から色んな目に遭ったアンネだが、こう言われるとは思っていなかった。


 男性は結局支配したいだけ。

 自分の好きなようにしたいだけ。


 ちっともこちらの気持ちなんて考えてくれない。と思っていたが、イズミの場合は少し違う。彼は考えてくれている。むしろ考え過ぎてくれている。彼がやろうとすること全て、迷惑ではないというのに。嫌ではないというのに。アンネにとって負担じゃないか、迷惑じゃないかと考えてくれる。


 本当にこの人は、何なんだ。


 ただ。

 一つだけ言えるのは。


(……こんなにも私のことを考えてくれるのは、この人だけ)


 こんなに大事にされたことはない。こんなにも想ってもらえたことはない。気遣って、でも芯は強くて。ああこの人は、まるで星だ。触れると強い。だけど、温かい。瞳の色も、前から何かに似ていると思った。星かもしれない。輝きながら、光をくれる。まるで、星のように美しい。


「……イズミ様。目を閉じてもらえますか」

「? ああ」


 彼はすぐ目を閉じる。


(いやなんですぐ言うこと聞くのよ)


 聞いておいてなんだが、そこはなぜ、と疑うべきでは。むしろ何かされるのではと警戒するべきではないのだろうか。……おそらくアンネが言ったからだ。だから素直に応じてくれた。


(……私も)


 自分を誤魔化すことはしない。

 彼の真っ直ぐな姿勢を、見習いたい。


 目を閉じたイズミに、アンネは顔を近付けた。

 そっと、唇を合わせる。


 するとイズミが少し身を引く。

 同時に、目が開いた。


 目を見開いて、驚いている。

 あまり見たことがない表情。


 アンネは少しだけ口元が緩んだ。


「これが、私の答えです」


 イズミは何度か瞬きを繰り返し、息を吐く。


「……本当に?」

「はい」

「恋人になってくれるのか?」

「はい」

「……アンネ殿」

「はい?」

「好きだ」

「…………さっきも、聞いたわ」


 なんだか恥ずかしい。

 相手の顔が見られない。


 顔を背けるが、両頬に手が添えられる。

 そのまま目を合わせられた。


「もう一度、してもいいか」


 そこは聞かなくても、と思ったが、頷く。

 するとイズミの顔が近付く。目を閉じる。


 二回目も、そっと、優しいものだった。


 しばらくその場が静かになる。

 イズミが遠慮気味に口を開いた。


「……このまま、二人きりなのは困る」

「えっ?」


 ぎょっとして聞き返す。


「ずっと触れたくなる」

「……!」


 イズミにもそういう思いはあったのだと知る。

 全く興味がなさそうなのに。


「……別に、触れていいわよ」


 するとぱぁっとイズミの顔が明るくなる。アンネは自分で言ったことに羞恥し、下を向いてしまう。すると、イズミがアンナの手に触れてきた。


 ゆっくり、握られる。


 思わず顔を見れば、彼はほんの少しだけ、微笑んでいた。愛おしそうに、嬉しそうに。いつも表情が変わらないが、今日は変化が見られた。久しぶりに見た、彼の笑顔。心臓が鳴ってしまう。


「怖がらせたいわけじゃない。これだけで、俺は幸せだ」


 だから手だけなのだろうか。


 恋人になっても、どうやらイズミはイズミのままで。すぐに変わるわけがないのは分かっていたが、謙虚なのか、消極的なのか。


 だから、アンネは動いた。

 寄りかかるように、胸に飛び込む。


 それをイズミは、受け止めてくれた。背中に手を回せば、同じように抱きしめてくれる。動じることもなく、優しい力で。


 頭を寄せ、耳元で呟く。


「一人で泣いていたアンネ殿を、こうして抱きしめたかった」

「……もう泣かないわ。今はイズミ様がいるもの」

「そうだな」


 くすっと笑われる。


 しばらくしてから身体を離す。

 自然と唇が合わさる。


 相変わらず、そっとだ。

 それが終われば、イズミは。


「好きだ」


 と言う。


「……分かったから」

「アンネ殿からは言ってくれないのか?」

「…………」


 あえて言わなかったのに。


 だが聞きたいのだろう。

 イズミがじっと見つめてくる。


 しばらくして、根負けした。


「…………す、好きよ」

「俺もだ」


 先程よりも表情が緩んでいる。

 こんなに表情に変化がつくなんて。


 少しだけ、可愛いと思ってしまう。


 二人はまた、手を繋ぐ。

 ずっと繋がっていると誓うように、ぎゅっと。

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