74:言えた
フィオからの手紙が途絶えても、ユナは希望を捨てなかった。結果国を追われるようになり、ユギニスと共に手を取り、時間をかけて国を取り戻した。
その間に知ったのだ。
フィオに起こったことを。
フィーベルの存在を。
自国の従者にフリーティング王国の偵察を任せた。現状を知り、フィオのために何かしたいと思った。どこにいるか分からないフィーベルの居場所を、突き止めた。だがすでにクライヴが保護している状態だった。
あの時に出会った少年がクライヴであるなど、当時のユナは知らなかった。分からなかった。ユギニスも気付いていなかっただろう。当たり前だ。本人が名乗っていないのだから。だから他国の王子がフィーベルを保護したと秘密裏に知った時は焦った。
フィーベルはフリーティング王国の王族の血を引いている。その素性をクライヴが知っているかどうかも分からず、とにかく各国が集まるという交流の場に赴いた。フィーベルの情報を得るために。
結局フィーベルのことを聞くことができず、クライヴに急に口説かれるという出来事が起きた。ユナは顔には出さなかったが、かなり御立腹だった。主であるユギニスが宥める始末だ。
温厚なようで相手に主導権を握らせない。こちらの質問にははぐらかす。飄々とした態度で相手を翻弄させる。それがクライヴの印象だった。だから好きになれなかった。
だが。
いつの間にか目の前の景色が変わる。庭園にいたはずなのに、広い花畑のような場所にユナはいた。緩やかな風が髪を撫でる。辺りを見渡せば少し先に、とある人物の姿が見える。クライヴだ。
ユナはそっとそちらに向かう。
相も変わらずこれは夢なのか現実なのか、区別がつかなくなる。とりあえず話をしたい。あの時の少年は本当にあなたなのか。何もかも分かった上でこちらに近付いてきたのか。なぜ。なぜ。一目惚れと言ったが、本当にその気持ちは変わってないのか。あの頃よりも手を汚している自分に対して、気持ちが変わらないのかと。
何か伝えようとしてきて、その直後に倒れたのだ。
だから整理できていない。信じ切れていない。
近付けば相手と目が合う。
彼は無表情だった。
(……夢の中だからか?)
ならば表情がないのも仕方ない。
本物の彼ではないのだ。
「ユナ殿」
呼んだ声が優しい。
いつの間にか彼はにこっと笑う。
いつもの笑みだ。
ユナは反応ができなかった。
彼が本物か分からなかった。
夢の中の彼ならば、話したところで。
と、いつの間にか彼の腕の中にいた。
驚くよりも先に、温かかった。人の体温だ。生きている。生きているのだと、分かった途端に目頭が熱くなる。よかった、という思いと同時に、違う胸の痛みも感じる。これはなんだろうか。
「ユナ殿」
「っ。……何か」
我ながら可愛げのない返事だ。
許してほしい。慣れていない。この体勢なのも慣れていない。ぶっ飛ばさずにこの状態でいるだけ褒めてほしい。
「あの頃からずっと、気持ちは変わらないよ」
「…………私の手は汚れています」
「いいや、人を助けた手だ。フィーベルもきっと君のこと、立派に思うよ」
まるで見てきたように。
実際フィーベルにそう言われたので、何も返す言葉がない。フィーベルの優しさに、言葉に救われた。そして今、クライヴの言葉に救われた思いになる。そうだ。彼はなんでも知っている。全て知った上で、言ってくれている。だが戸惑いが勝る。今までこのように言ってくれた人なんて、いなかったのだから。
「好きだ」
心臓が一つ、鳴った。
「君が好きだよ」
身体の重みが消え、互いに見つめる形になる。
真っ直ぐ。真摯に。
自分だけを見つめている。
「やっと言えた」
小さく微笑まれる。
顔が、熱い。
目が、揺れる。
しばらくそのままの形になる。
見つめ合うだけの時間が続く。
何か、何か言わなければ。
そう思うが、何も言葉が出てこない。
だが一つだけ、分かったことはある。
嫌ではない。
何を考えているのか分からないこの人を、自分に興味を持つこの人を、どことなく苦手に思っていたのに。曖昧な言葉ではなく、しっかりと気持ちを伝えてくれた。真っ直ぐに。誠実に。だから何か言わないといけないとは思ったが、嫌だと思わないことに気付いた時、衝撃だった。あんなに毛嫌いしていたのに。そんな態度を、堂々と相手に出してしまっていたのに。なぜ?
するとクライヴはどう思ったのか、そっとユナの頬に手を添える。温かい。と思ったが、それよりも触れられてどぎまぎした。固まって動けない。
クライヴは何も言わず、じっとこちらを見つめている。真摯に向けられる青色の瞳は本当に綺麗で、この人はそうだ王子なんだと、改めて思わされる。そこでユナははっとした。
「あなたは正式な王族で、私は側妃の子です。身分が違います」
一瞬きょとんとされる。
が、すぐにくすっと笑われた。
「それが?」
「……それがって」
「君だって王族の血が入っている」
「それは、でも」
「優秀な魔法使いの血だって入っている。おかげで僕は助かった」
(……夢じゃないのか!?)
薄々気付いてはいたが、彼の言葉で確信する。
目の前のクライヴは本物のクライヴなのだと。
「血筋ってそんなに大事かな」
「大事です。余計な血を入れるから争うことだってあるんです。私の母のように」
「僕はそう思わない。本当に大事なのは、お互いに愛し合うことじゃない?」
「それは」
確かに両親の間に愛はなかった。
母も、父に対して何も言わなかった。
「それより僕気付いたんだけど」
「?」
「僕からの告白、別の言葉で逸らしてるよね?」
どきっとする。
「お元気になったんですよね? ならそろそろ戻らないと。皆、心配しています」
「あ、また話を逸らした」
「違います、本当に皆心配してるんです。早く安心させてあげて下さい。別に今じゃなくてもいいでしょう」
「じゃあ戻ったら、返事してくれる?」
「…………」
「返事してくれるまでこのままでいようかな」
「……じ、時間を下さい」
する相手の顔が緩んだ。
「分かった」
ユナは小さく息を吐く。
自然な流れで目線も下になる。
やっと解放された。
そう思った。
「ユナ殿」
目を上げれば。
端正な顔が近くにあり。
一瞬の間に、唇を奪われた。
ユナは勢いよく飛び起きる。
慌てて周りを見渡せば、そこはフリーティング王国が用意してくれた部屋だった。窓に顔を移せば、少しだけ開いているカーテンの間から、日差しが漏れている。いつの間にか朝になっていたらしい。
隣にはクライヴがいた。気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる。そっと頬に触れてみるば、温かい。ユナの魔力が、クライヴに届いたのだ。それを知り、ほっとする。
「主」
小声で名を呼んできたラウラに、ユナは小さく頷く。彼女は嬉しそうな顔をする。そっと席から離れ、部屋を出た。皆を呼んでくれるのだろう。その間にクライヴを起こすべきか否か、ユナは少し迷った。だがそれは本人に聞いてみるのが早いかもしれない。
ユナはそっと、クライヴの肩を揺らす。
「クライヴ殿下」
「……ん」
「お身体は大丈夫ですか」
するとゆっくり、クライヴの眼が開く。
「……ユナ殿?」
「私を助けるために魔法を使って下さり、本当にありがとうございました。それよりも今はお身体のことです。どこかお辛いところはありませんか。何かほしいものとか」
してほしいことはないか、と続けて聞くつもりが、いつの間にか彼の腕がユナを捉える。一瞬反応に遅れ、ユナはそのままクライヴの胸の中に飛び込むような形になった
「!?」
「……本物のユナ殿だ」
「…………あの、起きてください」
動揺していると思われたくない。
声が平坦になるように努めた。
「ユナ殿……」
「なんですか」
「いい香りがする」
ぎょっとして無理やり胸を押す。
二人の間に距離ができた。
「起きてください。もうお元気なんでしょう」
「……こんな状況、もう二度とないかもしれないし」
起きてるんじゃないか。
「二度となくて結構です。ご自分の身体を大事にできない人とご一緒したくありません」
するとぱっちりクライヴの目が開く。
「そうだ。返事」
「は?」
「戻ってきたら返事するって言ってくれたよね」
「……。言ってません」
「嘘つき」
真顔で言われてしまった。
ユナは思わずむっとする。
「時間を下さいと言ったんです」
「あ、やっぱり覚えてるんだ」
「!?」
藪蛇だった。
「よかった。じゃあ僕の気持ちもちゃんと聞いてくれたよね」
「…………」
「僕の気持ち、なかったことにされる?」
少しだけ悲しそうに眉が下がる。
慌てて首を左右に振る。
「よかった」
今度は嬉しそうな顔になる。
「…………あの」
「なに?」
「……最後、私に余計なことしませんでしたか?」
「キスのこと?」
「ばっ。言わないでくださいっ」
「ユナ殿から言ったのに」
「でもあれは夢で」
「僕はちゃんと唇の感触残ってるけど」
「嘘だっ!?」
と言いつつ、ユナは自分の口に触れる。
確かに何か、当たったような。いや、だが。
「抱きしめた感触も残ってる。ユナ殿本当に身体鍛えてるんだね」
「わざわざ言わなくていいです」
実際でもしたということだろうか。ということは、ずっと傍にいたラウラには全部見られたということで。羞恥を通り越して穴があったら入りたい。
「急にキスしたことは謝るよ。可愛くて、思わずしたくなったんだ」
「…………あれは事故です」
「事故じゃない。僕が勝手にしたことだ。だから、」
嫌な予感がした。
「僕が責任を取るよ」
「結構です」
間髪入れずに答える。
「そんな。女性の唇はとても大切なものだし」
「結構です」
「じゃあもう一回していい?」
「話通じてますか」
「返事をすぐにしないってことは、少しは僕に絆されてるよね?」
「…………」
「前だったらすぐに嫌そうな顔をしていたのに。今なんてほら、赤い顔になってる。可愛い」
「……じ、時間を下さいと言いました」
「じゃあもう一回していいよね?」
「話聞いてますか!?」
と言いながらもぐいぐいこちらに近付いてくる。
ユナはどうにか逃げようとするが、腕を掴まれたままだ。しかも互いにベッドに横になっている状態のまま。隙を見て逃げればよかったのに、油断した。クライヴはいい笑顔のまま言ってくる。
「僕ね、真っ先にユナ殿に会いたかったけど、絶対門前払いでしょう? だからユナ殿が喜ぶことってなんだろうって、出会った時からずっと考えていた。フィーベルはいい子だし、今じゃ彼女には守ってくれる騎士がいる。フィオ殿にも今はベルガモット殿がいる。もう大丈夫だよ。他には何か気になることある? 僕は君の憂いを取り除きたい」
「憂いなんてありません。というか、あの側近のことはまだ認めていません。大体二人は身分が」
「また身分の話? 大丈夫だよ、今の時代身分でああだこうだ言う人はだいぶ減っている。それにシェラルドは由緒正しき貴族の血が流れている。これなら納得するよね?」
「そんなのフリーティング王国が許すわけ」
「そこは話し合いが必要だろうけど、多分大丈夫だろう。それよりユナ殿のことだよ」
「だ、だから時間を下さい」
「うん、もちろん。でもね」
ぐいっとクライヴはユナの腕を引っ張り、再度自分の腕の中に閉じ込める。ユナは目を見開いた。自分は力がある方だ。日頃から鍛えているから。それにクライヴは見た目が細い。側近も常にいる。だからそんなに力があるように見えなかった。だが、引っ張られた力は強かった。
抱きしめられつつも、そこまで強くはない。むしろいつでも逃げられるように、抑えているのを感じる。優しく、壊さないように抱きしめられている。
「僕はもう、君から離れたくないんだ。ずっと傍にいたい。傍にいて、君を支えたいんだ」
「…………」
「それだけ気持ちが強いってことは、知ってほしいな」
ゆっくりと腕が緩む。
優しくクライヴは微笑んだ。
ユナは黙り込む。
小さく、頷いた。
「ありがとう」
そっとユナの額にクライヴが口付けた。
ぎょっとして自分の額に手を当てる。
「な、」
「額だからセーフだよね?」
「そんなわけないでしょう!」
「こほん」
わざとらしい咳払いが一つ聞こえる。
二人は一緒に首を動かす。
いつの間に部屋に入ってきたのか、皆が勢ぞろいしている。しかもユギニスとシュティまでいた。
シュティは身体が弱く外に出ることが叶わないはずだが、アルトダスト特有の一瞬で移動できる魔法陣を使ってこちらの国に来たようだ。便利な魔法だが、かなり準備に時間がかかる代物らしい。クライヴ、そしてユナを心配し、わざわざ来てくれたのだ。
ユギニスは目の前の光景を少しだけ唖然と見ており、シュティは口元に手を添えている。ちょっとだけ照れている様子だった。
「……お前達、いつの間にそんなに仲良く」
「まさかお二人まで来て下さるなんて。ご迷惑をおかけしました」
「待てクライヴ。話を逸らすな」
「この話は、ユナ殿から返事をいただいた時でも」
「待て。お前うちの妹に何したんだ」
ユナはユギニスの側近で、妹であることは外部に公表していない。のだが、そんなことどうでもいいようだ。クライヴに対して目の敵、とでもいうように睨んでいる。気さくでクライヴのことを弟のように可愛がっていたはずなのだが、どうやらそれはそれ。これはこれらしい。
「ユギニス殿下、落ち着いてください。私のことなど」
「いずれまたご挨拶をさせていただきます」
「ふざけるなまだうちの妹は渡さんぞっ!!!」
「お兄様、落ち着いて……」
シュティが慌ててユギニスの袖を引っ張る。
「ものすごいシスコン……」
リオが思わず呟いた。
傍で見ていた者達も目を丸くしている。
フィーベルはふふ、と笑みをこぼす。
「なんだかお二人とも、お似合いです」
隣にいるシェラルドは少しだけ苦笑した。
「そうだな。ユナ殿の方がどうやら押されているようだ」
そこはさすがのクライヴだろう。
クライヴの生還に喜ぶはずが、それ以上の衝撃を周りにもたらした。しばらくユギニスのお小言が続く。だがクライヴにはあまりダメージがないのか、ずっとにこにこしていた。傍で聞いていたユナはちょっと耐えるような表情になっている。周りも苦笑しつつ、ひとまずよかったと、安堵していた。
ちなみにヴィラとエダンだが、だいぶ後でクライヴと合流することになる。フリーティング王国には早めに到着したもののエダンは媚薬が抜けきっておらず、ヴィラがずっと対応していたらしい。その間のことは聞いていないのだが、二人が気まずそうな様子だったので、大変だったのだろうというのは予想できた。
クライヴの様子は自国であるイントリックス王国にも手紙で知らされた。クライヴの命の危機にマサキが「はぁ!?」と発狂したそうだが、「あっさり生還」という言葉に今度は静かになったらしい。ともあれ、ヨヅカも含めて城の者達は胸を撫で下ろした。と同時に、あの王子なら大丈夫な気がする、と思っていた者も多いことだろう。
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