73:昔々のお話

 幼いユナは何も言わない。

 口を開く必要もないと思っていた。


 様子や格好から、裕福で立場を大切にされているであろう少年。相手が向けてくる感情は同情か、それとも興味か。分からないが、声をかけられる理由が分からなかった。


 黙ったままだと、クライヴも静かになる。じっと瞳を見つめてくる。幼いユナは思わず睨む。見られることは好きではなかった。


「まぁ……!」


 急に別の方向から小さい悲鳴のような声を上げられる。顔を動かせば、薄水色のドレスに身を包んだ、プラチナの髪を持つ少女。


(…………フィオ様)


 そこにいたのは若きフィオだ。彼女もこの国のパーティーに招待されていた。城の中は広い。歩きながら道に迷い、こちらに来てしまったのだろう。


 おそらく今のフィーベルと同じくらいの年齢。こう見ると、やはり親子。若かりしフィオは今のフィーベルと顔立ちがよく似ている。まるで姉妹のようだ。


 フィオは慌てて近付く。


「どうして女の子が檻の中にいるの? こんなことをしたのは誰? すぐに出してあげるわね」


 檻に手をかけ、引っ張る。鍵がかかっているので開くわけがないのだが、本気でなんとかしようという気持ちが伝わってきた。


「僕も手伝います」


 クライヴも一緒に檻の扉を開けようとする。二人で唸るような声を出すが、びくともしない。ユナはそれをぼんやり見ていた。少し信じられなかったのだ。助けようとする人物が目の前にいることに。見ず知らずの他人なのに、思いやろうとするその行動に。


「待ってくださいっ!」


 慌てて叫びながら近付いてくる人物。ユギニスだ。

おそらく今日も心配で見に来たのだろう。彼は定期的にやってくる。


 体調を気にしたり、欲しいものがないか聞いたり。それは同情に近いが、境遇が似ているのもある。ユギニスは長男でいつか王になるが、今の国王は自身の立場ばかり考えている。本当に欲しいものは得られていない。


「今のままでは開きません。それに、彼女が出たと分かれば、国王に何をされるか」

「だからってこんなに小さい子を閉じこめたままになんてできないわ。どうして彼女はこんなところに? 何か悪いことをしたの?」

「そういうわけではないですが……」

「だったら尚更出してあげないと」


 再度檻に手をかけようとする。


「待ってくださいっ。俺はいつか彼女が出られるようにしたいと思っています。まだその時じゃないんです。お願いします、少し待ってください」


 するとようやくフィオの動きが止まる。ユギニスは必死に説明した。自身がこの国の第一王子であること。ユナの存在。檻の中にいる理由。国王の考え。自分にはまだ力がないこと。ユナが大切な妹であること。内部に味方も少しはいること。


 フィオはそれを真摯に聞いた。途中、国王の考え方に理解できないのか、眉を寄せていたところもあった。その上で伝えてくる。


「私も働きかけるわ。互いの国に利益があると分かれば、国王もこちらの言い分を聞いてくれるかも」

「ありがとうございます」

「僕も、自分にできることを行います」


 この時のクライヴは自分の一つ上だろうから九歳。そんな幼い年齢であるのに、彼は落ち着いて大人びていた。それは成長した今と変わらない。むしろ落ち着きすぎて、この頃は印象に残ってなかったのかもしれない。


 ありがとう、とユギニスが答えようとすると「王子! どこですか!」と声が聞こえてくる。慌てて皆が見つからないよう、さっと隠れた。


「僕の従者のようです」


 どうやらクライヴと一緒に来た従者らしい。この場に他の人が来たらそれはそれでややこしいことになる。クライヴが「すみません、僕は行きます」とその場を離れようとした。


 ちらっとユナを見て。


「いつか君を、ここから出してあげるから」


 それだけ言い残して行ってしまう。

 幼いユナは興味がなさそうに、その背中を見送る。


「あ、名前を聞いていない」


 ユギニスがはっとする。ユナの話をするのに夢中で、自己紹介をする暇もなかった。フィオはあまり心配せずに微笑む。


「大丈夫。きっとまた会えると思うから。だってこの子を助けたいって、みんな思ってるもの」


 三人共が自分のために動こうとしてくれている。幼いユナは不思議そうな顔になっていた。おそらく、本当にここから出られるんだろうか、と、信じたくなった。けど、まだ信じきれていない自分もいた。


 フィオがこちらに微笑む。


「これからあなたに手紙を書くわ」

「……こちらからは何も渡せません」


 この時初めて言葉を交わした。


 ユナの存在は基本、他国に知られていない。

 勝手なことはできない。


 その意味も込めて言ったのだが、フィオは「いいの。私が送りたいだけだから」と再度笑みを向けてくる。


「あなたとお話をしたいの。世界には美しいものがたくさんあるのよ。それをあなたに伝えたいの」

「…………」

「ねぇ、ユナ」


 名前を呼ばれる。


「手紙、毎日書くからね」


 優しく笑ってくれた。




 それ以来、本当にフィオから毎日手紙が届いた。内容はささやかなものだ。庭の花が綺麗に咲いたこと、近くに森があり、自然が綺麗であること。今日はお菓子作りに挑戦したなど、普段どのように過ごしているのか分かるものばかりだった。


 このように取り止めのない内容なのは、国王に怪しまれないためだろう。だが肝心の国王は、ユナ宛てに他国から手紙が来ても何の反応もなかった。興味がないのか、どうでもいいのか。勝手にしろと言うように、無視されていた。


 だが幼いユナにとってはこの手紙が光となった。自分だけに向けられた愛情と言葉。嬉しくないわけがない。ユナにとって毎日の楽しみになっていた。頑張ろうと思えた。


 結局、何年経ってもユナの処遇は変わらなかった。それでもフィオの手紙とユギニスの努力に、ユナは少しだけ希望を持つことができた。


 だがある日、急にフィオから手紙が届かなくなった。その日を境に手紙が来なくなったのだ。唯一の希望が、消えつつあった。




「縁談の話が出て、ユナに手紙を送れなくなったの」


 一つの広い部屋に、フィーベル達は集まっていた。クライヴのことはユナ達に任せている。待つことしかできないため、フィオの昔話を聞いていたのだ。ユナとの出会いを最初に聞き、状況が変わった話に移った。


 毎日手紙を書いていたフィオは縁談の準備に追われるようになり、手紙を書く時間が取れなくなったらしい。


「前王から言われたのですか?」


 シェラルドが聞く。

 フィオは小さく頷いた。


「前々から言われていたんだけど、上手く誤魔化して逃げていたの。だけど本格的に動き出して」


 縁談をするのは財政難になったため。国を救うためにも、と言われていたが、そうなったのは前王のせいである。しかも援助すると言った貴族は歳がかなり上で、怪しげな様子だった。


 早くに亡くなった両親は愛し合っていた。相手を愛し慈しむ様子を見て育ったのだから、フィオは好きでもない相手に嫁ぐことに抵抗を覚えた。それでもそうとは言えない状況になった。


「そうなる数年前に、俺とフィオは会った」


 ベルガモットが話し出す。


 自然と戯れることが好きであったフィオは、十六の頃に森でベルガモットと出会った。彼は季節に合わせて移動して暮らす霧の民でもあり、その頃は森にいたようだ。そこで二人は出会ったわけだが、会った瞬間に惹かれあったらしい。


「フリーティング王国のことは知っていた。フィオに縁談の話があることも、なんとなく小耳に挟んでいた」

「王女でもあるから、最初から彼は私に対して遠慮していたわ」


 当時を思い出してか、フィオがふふ、と笑う。するとベルガモットは眉の間に皺を作る。王族に対して遠慮するのは当たり前だろうと言わんばかりに。


「私のために遠慮してくれていたのも分かっていたのよ。彼は会った時から優しかったわ」


 ベルガモットはその当時、まだ力があまりない青年だったようだ。当時のフリーティング王国の現状を変えることも叶わず、自分と一緒にいてもフィオのためにならないのではと考えていた。定期的に森で会っていたが、徐々に距離を置こうと考えていたらしい。


「その気配を感じたから、私から彼にお願いしたの。一夜だけ一緒にいてほしいって」


 その場にいた者達は目を丸くする。ちらっと皆がフィーベルに顔を向けた。当の本人はきょとんとしていた。


 フィオが微笑む。


「その時にフィーベルを授かったの」


 フィーベルは思わず息を呑んだ。

 その前の言葉の意味も理解する。


「でも彼には言わなかったわ。責任を感じてしまうと思っていたから」

「……知らなかった」


 ベルガモットは小さい声になる。

 それが申し訳なさを表現していた。


「フィーベルを隠しながら育てていたの。侍女に任せて、ほとんど会うことができなかったけど」


 会えばフィーベルのことを知られてしまうリスクが高くなる。だからできるだけ会わないようにしていたようだ。本当は会いたくてたまらなかったと、少しだけ辛そうな表情になっていた。


「それから一年後、俺は民のこともあってその場を離れた」


 一年の間、霧の民は色んなところを転々とする。フィーベルの存在を知らなかったベルガモットは、フィオに別れを告げたそうだ。互いに募る気持ちは抑えて。


「……というのは建前で、本当は、一緒にいてはいけないのではと思っていたんだ」


 その頃のベルガモットはなかなか魔法が上手く使えなかったらしい。自信もなく、今よりも少し気弱だったようだ。だから理由をつけて、強制的に離れた。


「フィオを傷つけてしまった。……すまない」


 彼女に大きく頭を下げる。

 フィオは笑って首を振る。


「悲しかったけど、理由はよく分かっていたから。それに、フィーベルを授かることができた。私は一人じゃないって思えたわ。でも本格的に縁談しろと言われてからは、フィーベルを守るために、他国に出すことに決めたの」


 フィオに対して荒れた態度を出す前王に、このままではフィーベルにも危害が加えられるのではと怯えた。だから国から出すことを決めた。迷いはなかった。この子の幸せのためにも、と。


 結果フィーベルは幼い頃から場所を転々とし、最終的に侍女の親戚の家に行ったようだ。その親戚の家がどうにも魔法使いに嫌悪を抱いていたため、居心地はよくなかった。だが周りに身分がバレないように生きるためには仕方なかったのかもしれない。


 だがフィオは大丈夫だと信じていた。

 クライヴにフィーベルのことを頼んでいたのだ。




 ユナを助けようとした後のこと。

 フィオの元にクライヴから手紙が来た。


 国王からも国同士の助け合いを大切にしたいという申し出であり、なんでも頼ってほしいと書かれてあった。フィオは自身よりも幼いクライヴの行動に驚いた。その後も手紙でのやり取りが続く。そしてフィーベルのことを相談することにした。


 フリーティング王国は小さい国であり、周りに頼れる国がいなかった。国の中でも徐々に力をつけていたイントリアンスの力を借りることにしたのだ。


 クライヴからはすぐに了承が得られた。

 フィーベルを国で保護することを約束してくれた。


 すぐにでもお願いしたかったが、前王にフィーベルのことがバレてしまい、議論が重ねられた。前王に責められ、縁談のことも強引に進められ、フィオは精神を病んでしまう。そのせいで何年もフィーベルのことについて伝えることができなかった。それでもクライヴは部下を派遣し、自身も他国に向かい、フィーベルを探してくれた。時間はかかったが、見つけ、保護してくれた。


「だからクライヴ殿下は……」

「たまたま見つけたというよりは、全部知った上で見つけてくれたってことですね」

「ええ、そう。私が精神を病んでからは、クライヴからの手紙も読めなくなってしまって……でも彼なら大丈夫って信じていたから」

「姉上が精神を病んでからは俺が根回しし、前王の罪に名前をつけ、罰した。それから俺が王位についた」


 ファイがあっさりと言う。


 姉に対する国王からの理不尽な行いに、若いながらも我慢ならなかったらしい。協力者となる部下達と共に、証拠を出し、前王の名前を消したという。縁談に行かなくて済んだのも、ファイの手回しのおかげのようだ。


「とはいえ傷はすぐに癒えない。だから温室を作った。森に行けなくても、自然と共に過ごせるように」


 それを聞いてベルガモットは身を縮こませる。何も知らず、結果何もできなかった立場だからこそ、耳が痛いのだろう。ファイは鼻で笑う。


「ベルガモット殿が悲観に思うことはない。貴殿は貴殿で努力していた。結果、長にまで登り詰めただろ」

「まぁ。さっきと言っていることがちがうわね」


 ちゃっかりフィオが突いている。

 彼は少しだけバツが悪そうな顔になった。


 久しぶりに再会を果たした際、ファイは激怒していた。元々ベルガモットのことは知っていたようで、昔から信頼していたのだろう。フィオと共にいてほしかったと本音で語ったくらいなのだから。それを裏切られるような形になったため、許さなかったのだ。


 和解してからは今までのことはもういいのか、フォローするまでになっている。ベルガモットが真摯にファイに向かい合った結果だ。


 フィーベルは話を聞きながら、改めて両親のこと、クライヴのこと、自分のことを知る。知ってからもなんだかふわふわした心地だ。知れて嬉しかったわけだが、どこか実感が湧かない。


 それはまだ出会って間もないからだろう。分かってくれているのか、両親は優しい眼差しを向けてくれる。


 ベルガモットは今後ファイに仕えるようだし、これから二人は共にいられるはすだ。長年それぞれが離れた状態で暮らしていたわけだが、やっと一つになれる。こうなれたのも、クライヴのおかげもあるだろう。


 クライヴが助けてくれたのは、フィーベルだけではない。関係する者みんなを助けてくれたようなものだ。本当に感謝でしかない。


「……気になったんだが」


 ベルガモットが急に口を開く。

 少し言葉を濁したような感じで。


「彼とは、どういう関係だ?」


 フィーベルの隣にいるシェラルドに目を移す。先程互いに自己紹介はしたものの、話が途中だった。フィーベルとシェラルドは思わず顔を合わせる。


 するとフィオが楽しげに笑う。


「まぁ野暮だわ。そんなの分かるでしょう?」

「ちゃんと言葉にしてくれないと分からない」


 ベルガモットは仏頂面だ。


「あら、私への気持ちもちゃんと言ってくれたかしら?」

「っ、それは、」

「戻ってきたなら真っ先に言ってほしいのに」

「……段階があるだろう」

「自分はできてないのに先にフィーベル達にお願いするの?」

「…………」

「二人にこの場で言ってもらうということは、もちろん私にも後で言ってくれるのよね?」

「………………」


 フィオは始終にこにこしている。


 だが言葉ではかなり攻めている。

 周りの方が冷や汗が出ていた。


 ベルガモットは少しだけ苦しげな顔をする。

 しばらくしてから、がくっと首を下げた。


「……後で、後で必ず言う」

「まぁ! この場で?」

「これ以上抉らないでくれ……」


 どうやら完敗のようだ。


「元々俺達のことは伝えたいと思っていました」


 シェラルドは堂々とした口ぶりだ。

 そっとフィーベルの手を握る。


 その姿に周りは感心するような声を出す。フィーベルの手に触れた瞬間ベルガモットが若干顔を引き攣らせていたが、シェラルドは見なかったふりをした。


「最初はクライヴ殿下の計らいで、俺の花嫁のふりをしてもらっていたんです」

「それも言うんですか?」


 フィーベルは少しだけ驚く。


「今となっては過去の話だし言っても問題ない。あと俺の家族はみんな知ってたみたいだ」

「え」


 いつの間に。


「それはなんだか面白そうなお話ね」


 フィオは顔をきらきらさせている。対してベルガモットは渋い顔になっている。何やら言いたげだが、とりあえず聞くと決めたようだ。


 今までのことを手短に説明し、今の関係も伝える。すると周囲は嬉しそうに拍手してくれた。唯一ベルガモットだけ顔を両手で覆っている。娘に会えたのに、隣に相思相愛の相手がいた。色々思うところがあるのだろう。


「二人はお互いのどんなところが好きなのかしら」


 フィオは顔をより輝かせて聞いている。

 隣のベルガモットは「ぐっ……」と声を漏らした。


「ちょっと。霧の魔法使いの心、かなり抉られてるけど」とぼそっとリオがツッコミする。「自業自得じゃないか」とファイは気にしていない様子だった。


 コンコン。


 部屋のドアがノックされる。


「失礼します」

「アンネ!」


 やっと国に到着したのか、少しだけくたびれた顔のアンネの姿があった。フィーベルがいると確認できたのか、ほっとするような表情に変わる。


「フィーベル様、ご無事でよかった」


 会うのがなんだか懐かしい。

 二人は自然と抱き合った。


 後ろにはイズミの姿がある。アルトダストとフリーティング王国は距離がある。イズミとヴィラのことだからかなり飛ばしてくれたことだろう。


 と、ヴィラがいないことに気付く。


「ヴィラさんは?」

「……ええと」

「エダン様は? 来るの難しかった?」


 よく見ればエダンもいない。


 彼は媚薬のせいで倒れ、身体を休ませていた。もしやまだ薬が抜けきっていなかったか、と思ったのだが、そういうわけではないらしい。


「身体の調子はよくなってます。ただその、エダン様とヴィラ様の中でちょっと」

「……喧嘩?」

「逆ですね」

「逆? ……仲良し?」


 苦笑される。


「ええと……その中間、でしょうか……」

「?」

 

 フィーベルは首を傾けた。

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