72:できることを
倒れた音はその場に響いた。
一斉に皆が顔を動かし、人によっては悲鳴が上がる。異変に気付いたシェラルドとフィーベルは、真っ先にクライヴに駆け寄った。
「殿下! クライヴ殿下!!!」
「しっかりなさってください!」
クライヴは青白い顔になって目を閉じている。身体をゆすっても全く起きる様子がない。一番気になったのは体温だ。冷たい。あまりに低すぎる。シェラルドは彼の口元に手を近付ける。
「息はしてる」
それを聞いてフィーベルはほっとした。だがクライヴは倒れて一切動いていない。その間にも周りの人達が忙しなく動く。ファイの計らいで、クライヴを城の中に運ぶように指示してくれる。ヴィラやイズミ、フィオ達もいつの間にかクライヴの周りにおり、心配そうに見つめていた。
と、近くにいるユナの身体が震えていた。間近でクライヴが倒れる姿を見たからだろうか。彼女にしては珍しく、焦っている。
フィーベルは迷わずユナの手を握った。
「大丈夫ですよ」
「……っ、」
少しだけ強張った顔が緩んだ気がした。
そんな彼女の肩を誰かが掴む。
「おい側近! ラウラはどこだっ」
リオが焦ったように声をかけていた。急にラウラの話をされ、ユナもフィーベルも一瞬戸惑う。そんな二人にリオは苛立つように言う。
「王子の魔力が底をついてる。このままだと命が危ない」
「えっ!?」
「あいつがいれば魔力を与えられるだろ。早くここに連れて来い!」
「わ、分かった」
ユナはその場を駆け出す。
その間にリオはヴィラに顔を向ける。
「アルトダストに戻って催眠の魔法使いの状況聞いてくれないか。あいつ医者だろ、いた方がいい」
「そうだね。行ってくる」
「俺も行きます」
ヴィラとイズミは俊敏に動き、ユナについて行く。あれだけ魔法を使ったというのに無限の体力だ。フィーベルも動こうかと迷ったが、隣にいたシェラルドに手を掴まれる。
「ここにいてくれ。あの二人なら大丈夫のはずだ」
「シェラルド様」
「クライヴ殿下の側にも人はいた方がいい」
顔は落ち着いているように見えたが、声色は少し低い。大事な王子の一大事に、色々と背負い込んでいるように感じた。フィーベルはぎゅっと手を握り返す。
「はい。シェラルド様のためにも」
一瞬目を丸くされる。
フィーベルは微笑んでみせる。
安心させるように。
「そうだな、ありがとう」
シェラルドも少しだけ笑ってくれた。
ファイ達のおかげで、クライヴは城の一室に運ばれる。目を閉じたまま、微動だにしない。青い顔のままだ。一応フリーティング王国の医師に診てもらったが、氷のように身体が冷えきっており、医師も困惑していた。リオ曰く、魔力が減り過ぎて命にも影響が出ているようだ。
魔力というのは人によって量が異なるようだが、必要量ないと身体にも影響が出る。アクロアイトの実験時も、ヴィラは触れ過ぎて魔力が減り、体調を崩してしまった。クライヴはあの時のヴィラよりもひどい状態になっている。
この国でも魔法が使える者が少しはいるらしく、クライヴに保護魔法をかけてくれた。これ以上悪くなることを防ぐためだ。対応してくれた魔法使いはあまり魔力がないようで、長時間はもたないと言っていた。だが、ここまでしてくれることをありがたく思う。
「まさか王子が魔法使えたなんて」
リオが腕を組む。
細かく相手の魔法が分かるリオが分からなかったのは意外だ。魔法が使える者は必ず魔力がある。その魔力を感じるから普段は分かるらしい。
「多分、赤髪の側近と特性は同じ。ずっと溜めておいて、一気に放つタイプ。あれだけの魔法使えたんだから、相当魔力溜めてたんだろ。あと、隠すのが上手かった」
「魔力があるか分からないようにできるものなんですか?」
「訓練すればできる。けど、魔力が多い人は勝手に溢れ出るものだからな。子供の頃から訓練してたんじゃないか」
付け足して「赤髪の側近も」と言う。二人とも、そんな小さい頃から制御していたというのか。ここぞという時のために。リオはユナが魔法を使えることも知らなかったらしい。やはり二人の魔法は特性が似ているのかもしれない。
リオは人の魔法や魔力を探知できたり分析できる。誰がどこにいるのかもそれで分かるようだ。おかげでフィーベルも見つけてもらえた。そして、クライヴの魔力の枯渇に気付くことができた。クライヴは魔法を使いながら現れたので、今では魔力がどれくらいなのか分かるらしい。
「クライヴ殿下の魔法って」
「見ただけじゃ特定できない。多分珍しい魔法だな。けど、使い過ぎたから倒れたんだ。燃えたり壊れたりしたものを直す……いやあれは戻した、が正しいな。それを一度にやったんだから、相当魔力使うよ。そんなことしたら自分の身がどうなるか、あの王子なら分かってそうなものなのに……」
呆れたように悪態をついている。
クライヴのやったことが信じられない、とでもいうような表情だ。話を聞いてると、確かに普段のクライヴならしないかもしれない。ファイに話しかけた時はいつもと変わらない様子で、魔法を使った後も問題ない様子だった。クライヴ自身が予想していたのかしていなかったのか、今となっては眠る本人しか分からない。
「連れてきた」
息を切らしたユナが、ラウラと共に部屋に入ってくる。二人とも急いで来てくれたのが分かる。ラウラは森の中で、魔力が回復するまで休んでいたようだ。クライヴの状況を見て頷く。
「すぐに行いますわ」
「男がいないと発動しないだろ。俺残ろうか?」
相手の魔力を吸い取ったり与えたりすることができる魔法を持つラウラだが、女性には通用しない。だから魔法使いでもあるリオが提案したわけだが、ラウラは「いいえ、大丈夫」と答えた。
「この場合クライヴ殿下に魔力を与えるわけだけど、クライヴ殿下を介して主の魔力を吸うようにするから」
どうやら男性を介してなら、女性の魔力を吸ったり与えたりできるらしい。男性にしか通用しないと思っていたので、目を丸くしてしまう。以前ラウラが自身の魔法について説明してくれたが、それは聞いていなかった。
ラウラは艶っぽくウインクする。
「全て話してしまうのはつまらないですわ」
どうやらあえて言わなかったらしい。
リオはどうでもよさそうに息を吐く。
彼はラウラの魔法を把握していたようだ。
「まぁ必要になったら呼んで」
「ええ。……ふふ」
「なんだよ」
「随分丸くなったと思って。イントリックスの方々との出会いがリオを変えたのかしら?」
「はっ? それ今関係ないだろっ」
「姫様にももっと優しくね」
「うるせぇっ!」
何やら二人で言い争っていた。
「私も手伝います」
フィーベルがラウラの側に行こうとする。
魔力が必要なら役に立てるはず、と思ったのだが、ラウラはにこっと笑った後に首を振る。その行動にきょとんとすると、ユナが小さく微笑む。
「私だけで大丈夫です」
「でも」
「先程魔法を使ってもそんなに減りませんでした。元々魔力は多いのです。アクロアイトも効きませんし」
「主の魔力の多さはかなり稀ですわ。クライヴ殿下に与えるだけの魔力は十分あるかと」
「でも、ユナさんにとって負担ではないですか?」
心配になって聞いてしまう。
魔力を人に与えるということはつまり自分の分は減る。例え魔力が多いといっても、必要以上の魔力を渡したら危険だ。一人でより、複数で魔力を与える方がいいと思ったのだが。
ユナは優しい表情をする。
「ご心配ありがとうございます。私は大丈夫です」
「……本当に?」
「何かあったらすぐに声をかけます。……それに私は、何度もクライヴ殿下に助けられました」
「!」
「恩を返す機会が欲しいのです」
真摯に見つめられる。
彼女なりの意志の固さを感じた。
するとシェラルドが近付いてくる。フィーベルの隣に並び、じっとユナを見つめた。しばらく黙ったままだったので、フィーベルは思わず彼の腕に手を添える。
ゆっくり口を開く。
「クライヴ殿下を、お願いします」
丁寧に頭を下げていた。
ユナは少しだけ目を見開く。
すぐに力強く頷いた。
「それでは皆様、一旦部屋に出ていただけますか?」
ラウラが指示する。
大勢に見られるのは緊張するから、ということらしい。どんな風に行うか分からないが、クライヴの手に吸血すると説明してくれた。王族だから必要最低限触れないように気をつけると。
言われて皆が別室に移動する。
ファイやフィオも心配そうに見つめていたのだが、ラウラ達に任せてくれるようだ。ベルガモットも残ろうかとラウラに聞いていたが「何かあった時はお願いします」とにこやかに返されていた。
全員が出ると、ラウラが一礼した後にドアを閉める。静かに閉ざされたドアを、思わず見つめてしまう。
リオは半眼をシェラルドに向ける。
「よく赤髪の側近に任せたね。会った時はバチバチだったらしいのに」
「え。そうなんですか?」
「あの時はフィーベルが関係してたからな」
「私ですか」
「それ以外に理由ないでしょ」
思わずツッコミされ、今までのことを思い出すと納得する。シェラルドと引き剥がされるようなこともされた。だがユナも、自分の願いを叶えるためというより、フィーベル達親子のことを思っての行動だった。今なら分かる。
「ユナ殿は前より雰囲気が柔らかくなった。それはクライヴ殿下の影響だろう」
あっさりシェラルドが言う。
「それに、クライヴ殿下に助けられたというのなら、義理を果たす。ユナ殿はそういう方だ」
「よく分かるね」
「俺と似てる部分だと思っただけだ」
「なるほどね。ま、何かあったら魔力の波動で俺も分かる。今は回復するのを待つしかない。……そういえば風の魔法使い達は?」
「まだ到着してない」
リオは顔をしかめる。
「まじか」
「ここだと距離がある上、エダン殿の状況も分からない。時間がかかるのも仕方ないだろう。一応先に手紙は届けさせたが」
何かあった時のためにと、アルダルシアから魔法具を持たされていた。「伝書鳩」という名の魔法具は、手紙を書けばそれが鳥の形になり、相手のところまで運んでくれる。
伝書鳩、と言う名前ではあるが、人が届けるより圧倒的に速く届けてくれる。ヴィラ達が着くよりも先に、アルトダストにいるアンネに届いているはずだ。彼女なら的確に判断してくれるだろう。
「じゃあ今俺達にできるのは待つことだな」
リオの言葉に、二人は頷いた。
「…………」
ユナは静かだった。
眠るクライヴにばかり目を向けている。
「ご自分のせいだと思われませんよう」
ラウラに指摘され、はっとする。
準備をしていた彼女は、大きめの器に入った水に手を浸す。使用人にお願いして用意してもらったものだ。相手の魔法を取り込む際、手ではあるがクライヴに触れる。衛生上の理由と、クライヴのために手を綺麗にしていた。
「魔法が暴走したのは仕方ありませんわ。それに、主を助けたのはクライヴ殿下の意志です。主が責任を持つ必要はありません」
ここに来るまでに簡単な経緯は説明していた。その上で言ってくれる。それでもユナは、浮かない顔のままだ。
「だが、」
「主の魔力はいただきますが、必要な量までとします。よろしいですわね?」
自然と話を逸らされる。
それなら、とユナは伝えた。
「全部使ってくれ」
「主の命が危なくなりますわ」
「いい。元からいらない命だ」
「主」
ラウラが優しく諫めるような声を出す。
「いらない命などどこにもありませんわ。人がこの世に生を受けるのは、いつだって奇跡です」
「……私自身も魔法も、いつだって人を不幸にする」
場が静かになる。
「生まれたことが間違いだったんだ。私がいなければ、何も起こらなかった」
何度思ったことだろう。
自分が生まれたことで国が壊れた。ユギニスやシュティが裏切り者に追われてしまった。そもそも母が死ぬこともなかった。自分の生により得た幸福などない。周りに不幸ばかりを与えている。
なぜ自分は生まれたのか。
そもそもなぜ自分はまだ生きているのか。
命を絶とうと思ったことはない。ないが、その分自分にできることをしようと動いた。裏切り者に手を下した。国を奪還できた。今はユギニスやシュティのために、国をよくするために動いている。
だが、果たして役に立っているのか。
今のユナには分からなかった。
とにかく汚れ仕事をする。とにかく周りが嫌がる仕事をする。そうすれば生まれた罪が軽くなるような気がした。あくまで
だが他国の王子であるクライヴを危険な状態にさせてしまった。これはあまりに大きな罪だろう。周りに対しても、なによりクライヴに対しても。
彼はずっと、覚えてくれていたのに。
助けようとしてくれたのに。
なのに。
自分が原因で。
魔法が原因で、死にかけている。
ラウラはタオルで手を拭く。
「私は主に出会えてよかったですわ」
いつもと変わらぬ声色で。
「生きる道を示してくれました。今私がここにいるのも、主のおかげ。それにクライヴ殿下だって、主に会えて嬉しかったのでは?」
「…………」
彼の笑顔が浮かぶ。
本当に嬉しそうにしてくれた。
会いたかったと。
会えて嬉しかったと。
あんな風に言ってもらえたのは、初めてかもしれない。戸惑いの方が強かったが、初めて人に必要とされた気がした。ここにいていいと、生きていいと、言ってくれたような気がした。
「主の魔力できっとクライヴ殿下は助かります。恩を返すのでしょう?」
「……そうだな」
悲観的になってる場合でも、自分のことだけを考えている場合ではない。ごちゃごちゃ考え過ぎていた。ラウラの言葉で、本来の目的を思い出す。少しだけ冷静になれた。
ユナの表情が変わり、ラウラはふっと笑う。すぐに用意した洋服に着替えるように伝える。渡されたのはこの国の軽装。ユナは衝立の向こう側で着替えた。
終わればラウラが指示する。
「クライヴ殿下の横に並んでください」
「? ああ」
言われるままに、寝ている彼のベッドの中に入る。頭では疑問に思いながら。クライヴには心の中で謝っておく。こんな者が隣に並ぶことを申し訳なく思った。
「今回はたくさんの魔力が必要になります。できるだけクライヴ殿下に引っ付いていただけますか。触れる範囲が広い方がいいのです。その方が与えられる魔力が増えますから」
納得するが、絵面的に気になる。
が、今は仕方ない。ユナは結んでいた髪留めを取り、髪を下ろす。長い赤髪が揺れた。そして寝ているクライヴの左肩や腕に引っ付くようにする。あまりの冷たさに動揺したが、より気合いを入れて密着した。
「クライヴ殿下の手に吸血します。主の手もお借りしますわね」
ラウラは二人の手を掴む。
互いの手に吸血して、魔力を動かしてくれるようだ。ラウラの魔法については知っていたが、実際見るのはこれが初めてだ。どうするのだろうと、握ってくれる彼女の手を見つめる。
「目を閉じていただけますか。できるだけリラックスしてくださいな」
「あ、ああ」
こんな状態でリラックスできないのだがと思いながらも、目を固く閉じる。ラウラが呪文を唱えた。
『
急に彼女の周りに紅い煙のようなものが広がる。ユナを、クライヴを、覆い尽くす。ユナは目を閉じながら、何か柔らかいものに触れている感覚になった。まるで包まれているような。
自然と気が緩んでいると、急に手に噛みつかれたような痛みを感じる。声を上げはしなかったが、驚きで身体がびくっとなる。そして手先から、魔力がどんどん外に流れていくのを感じた。
ラウラが歌うように唱えた。
『
フィーベルにもかけたことがある魔法だ。確か、夢を見せる魔法。少しでも身体の負担を減らすためだろうか。それとも、考えすぎるユナに対しての施しだろうか。
ユナはどんどん意識を手放す。
彼が助かってほしい。
それだけ願いながら。
はっとして目が覚めると、ユナはいつもの制服を着ており、立っていた。場所が違う。ここはどこだ、と辺りを見渡せば、すぐに理解した。
薄暗く、だが丁寧に手入れされた庭園がある場所。その場の雰囲気に合っていないほどに大きい、黒い檻の姿。……幽閉されていた場所だ。
そして檻の中に、小さい女の子がいる。
じっと何かに耐えるように、一点を見つめている。決して出られないと分かっていても、その瞳には光があった。
(…………私だ)
どうやらここは夢の中らしい。あの時の自分を、客観的に見ている。ラウラの魔法の影響だろうか。それとも自分の過去の記憶が見せているのか。分からないが、まさかこの場所を思い出すとは。それだけ自分の記憶に根強く残っているのだ。
と、誰かが走ってきた。
「どこを見ているの?」
幼い声。
「僕と話さない?」
急に現れた、金髪の少年。
少しだけ息が上がっている。汗で前髪が額に少しついていた。彼は普通に話しかけてきた。まるで友人に話しかけるように。
(……クライヴ殿下)
彼と出会った記憶はあまり覚えがない。出会ったことはなんとなく分かるが、どんな会話をしたのか覚えていなかった。
彼はおそらく、アルトダストが主催していたパーティーに招待されていたのだろう。しっかりした礼服を身に纏っている。汚れ一つない、真っ新で子供ながらに豪華さがあった。クライヴは幼い頃から整った顔立ちをしていた。大きい青の瞳に長いまつ毛。元々整えられ容姿がさらによく見えるよう、セットされている。
その時の自分とは、真逆な姿。
相手はとても気さくに声をかけてくれた。
だが幼いユナは、訝しげな目をしていた。
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