70:心燃ゆ
「……ふっ、随分な挨拶だな」
ナイフが首元にあるせいでファイは身体を動かさなかったが、その表情は少し歪みながら笑っている。対してユナは顔色を変えない。
「約束を違えることはないように。何のためにフィーベル様を連れてきたとお思いですか」
「連れてきたって……ユナが?」
フィオが驚いたような声を出す。
彼女に対しては、ユナも表情を和らげる。
「フィオ様、お久しぶりです」
「ユナ…………どうして?」
「全てはあなた様のためです」
言いながらユナは改めてナイフを構えた。
再度ファイに警告するように。
「ファイ陛下。約束は守っていただきます」
「…………」
すると彼は指を鳴らす。
途端にどこからか、わらわらと兵達が現れ出した。アンジュが言っていた、姿を見せずに守っていた者達だろうか。温室の外からも足音が聞こえてくる。
異変に気付いたのか、ユナは眉をひそめた。
「……どういうことですか」
「約束などと言われても俺は知らない。勝手に連れてきたのはお前だろう」
「話が違います」
ナイフをより喉元近くに動かす。
ファイは指を動かし、一人の兵士に指示を出す。
すると兵士は、ある物を持ってくる。
トレーの上に積まれているそれを見たフィーベルは思わず「え、」と声を漏らす。そこにあったのはアルトダストが所持しているはずの「魔力を封じ込める宝石」アクロアイト。しかもたくさんある。
「お前が忠誠の証として渡してきたものだ」
「正確には、約束を守ってくれるならばとお渡ししたものです」
「どちらでも構わない」
ファイはちらっとこちらを見た。
「その娘はあの男と同じ魔法を使うらしいな。――その宝石で奪えばいい」
「!?」
フィーベルは少し怯む。
アクロアイト一つでも魔力が減り、気分を悪くさせる。すでにフィーベルは経験済みだ。たくさん使われたらどうなるか……身をもって教えてくれたヴィラのぐったりした姿を思い出す。想像して思わずぞっとした。
するとユナは即座にファイから離れ、守るようにフィーベル達の前に立つ。決して触れさせないよう、ナイフを向けたまま。
「この宝石は我が国にとって重要であり守るべきもの。魔法使いにとって凶器であるこの宝石を、本来であれば容易く他国に渡すことなどしません。……ですが私は、フィオ様を解放してほしかった。言葉では誠意が伝わらないと思い、第一王子であるユギニス殿下から了承を得て持ち出しました」
真剣なユナの声色を、フィオは悲痛な面持ちで聞いている。小声で「ユナ……」と呼んでいた。二人が知り合いであったことに、フィーベルは薄々気付いた。フィーベルがフィオの娘であることを知っているから、ユナはここまで連れてきたのだろう。
ファイは鼻で笑う。
「俺がこうすると予想できなかったのか?」
「この宝石は『魔法使いと人との共存』のために存在しています。一国の王であるフィオ陛下はその意味合いを理解した上で受け取って下さると思いましたが」
アクロアイトの存在理由を知り、フィーベルは目を丸くした。以前シュティと話した時、この宝石に関する文献は残っておらず、なぜ存在しているのか分からない様子だった。だがユナは知っていたようだ。シュティが知らなかった理由は分からないが、どちらにせよ、アルトダストの王族が代々守ろうとしていた物であることに間違いはない。
「フィーベル様を連れてくる代わりにフィオ様を解放し、二人をこの城から出す。――それが私の望んだ約束です」
「俺は承諾していない」
「約束が違います!」
ユナが声を張り上げた。
温室に大きく響く。
ファイは冷ややかな目をしていた。
「……俺は使えるものならどんなものでも使う。この国を守るためなら、どんなものだって」
するとフィオがゆっくり立ち上がった。
「ファイ、私がこの身を売るわ。そうすれば多少は」
「やめろっ!」
「っ、」
口を挟んだ姉にファイは叫ぶ。
本気で嫌がるように、顔を歪ませる。
「またその話か。それが姉上の望みでないことは分かっている」
「私はもう子供ではないわ」
「受け入れようとして精神を壊しただろう」
「昔の話だわ」
「……なのにあの男は」
「彼は何も知らないの。フィーベルのことだって知らない。私が何も言わなかったの。だから」
「だからってあの男には何の責任もないのか? この国がこうなったのは、あの男のせいでもあるのに?」
するとフィオはむっとする。
「違うわ。彼は巻き込まれただけで」
「どうして姉上はあんな男を庇うんだ」
「あなたが彼のことを知らないからよ。彼は優しくて、」
「やめろっ。あんな男の話をするなっ!」
「――――あの」
一斉に顔がフィーベルに向く。
「私だけ、何も知りません。よければ教えてくれませんか。私が受けるべき罪は、受けるつもりです」
「フィーベル……!?」
「フィーベル様っ」
フィオとユナが止めるように名前を呼ぶか、フィーベルはフィオを見つめた。話を聞いていると、彼はフィオの弟。ということは自身の叔父。父に対して何かしら思うところがあるようだ。自身が直接何かしてしまったわけではないが、それでも、罪があるのなら償いたい。「家族」のことなら尚更。
何より知りたい。
自分のことも。家族のことも。
「…………な」
「え?」
「あいつと同じ目で嘘をつくなっ!」
ファイは隙を見てユナの腕を払う。その勢いのままアクロアイトを手で掴み、思い切り投げてきた。フィーベルは頭を守るように下にし、目を瞑る。当たらないように身を隠そうとすると、フィオとアンジュが再度抱きしめてくれる。
「なっ……」
すると、ファイの焦るような声。
アクロアイトには当たっていない。感触がなく、床に散らばる音だけ聞いた。おそるおそる顔を上げれば、ファイの視線の先はユナだった。フィーベルもそちらに顔を向け、目を見開く。
彼女が伸ばした手の上に、炎が舞っている。それが魔法であることはすぐに分かった。ゆらりと蠢く赤の炎と、ファイを見つめる彼女の姿。
「お前……魔法が使えたのか」
「ええ。そして、私には宝石が効きません」
「なに……!?」
「私の魔力は一定の量を溜めることができます」
ユナは魔法使いの中でも「爆発型」なのだという。日常から魔法を使わない代わりにその魔力を溜め続け、大きい魔法を放つことができるようだ。魔法が使える素振りが一切なかったとはいえ、魔力さえも感じなかった。
ユナの放つ魔法が「炎」と知り、納得する。彼女の髪色と同じ、綺麗な赤。彼女が持ち続ける強い信念を感じさせる熱情の色。
ファイは舌打ちをする。
「――だから簡単に宝石を渡してきたのか」
「渡したところで、私には脅威にならないので」
「小賢しいやつめ」
ユナは真顔のままだ。
「どうしますか。このまま魔法を発動しても、」
と、言いかけたところで。
急に手のひらの炎の威力が上がる。
「「「!?」」」
一気に炎が、その場を包み込んだ。
「なにあれ……!?」
森から抜けてフリーティング王国が見えるところまで近付いたヴィラ達は、城のとある部分から溢れる炎に目を見張っていた。箒で空を飛びながらその光景を見ているのだが、火がどんどん燃え広がっている。人々が騒ぎながら城から逃げていく姿も見えた。
シェラルドはすぐにでもあの場に行きたい衝動に駆られる。もし本当にフィーベルがあそこにいるなら、いくら彼女と言えど危険だ。握りしめているフィーベルの指輪をさらに強く握る。これがあれば、どこにいるのかすぐに分かったのに。
「落ち着いて」
クライヴが声を発する。
それにはっとさせられた。
クライヴのおかげでシェラルドは冷静さを取り戻す。だがよく見れば、クライヴはいつもより緊張感のある顔をしていた。仕事の時でさえもう少し余裕がある。
「リオ。魔力の波動は分かる?」
「なんとなくは」
「この魔法、誰が使ってるかは?」
「……そこまでは分からない。波動を察知するので限界だ」
「そう」
すぐにクライヴは言葉を続けた。
「リオ。僕とベルガモット殿の位置を交換して」
「は?」
「君の魔法ならできるよね」
「できるけど……なにするんだ?」
「これから指示をする。ベルガモット殿も、協力していただけますか?」
「もちろんだ」
間髪入れずに返事をした。
クライヴは少し微笑む。
「みんな助けるよ。僕も――僕の姫を助けてくる」
なぜこんなことになったのか。
自身の魔法が制御できず、どんどん炎が大きくなる様子を、ユナはぼんやりと眺めることしかできない。力が抜けたのか、両手と膝が床についたままでいる。動けないのだ。初めて魔法を使ったからだろうか。今まで使わなかった分、魔力は最大限まで溜まっている。大丈夫だと思っていた。知識は入れていた。自分ならきっと使えると、そう思っていたのに。
周りには誰もいない。いたはずのフィオ、フィーベル、アンジュ、ファイの姿もない。この場から逃げることができたなら幸いだ。ここにいるべきではない。守るために魔法を使ったはずなのに、逆に危険な目に遭わせてしまった。
自分の魔法は、人を不幸にする。
そんなの分かりきっていたはずなのに。
踊り子であった母は、大きな力を持つ魔法使いでもあった。公には秘密にしていたようだが、どこで知ったのか、当時の国王が母に近付いたのだ。
『魔法使いを制すれば国を制することができる』
そんな風に思っていたらしい。つまり、大きな力を持てばより国を思い通りにできると思っていたのだろう。国王自身、正妃は、魔力がなかった。魔力を封じ込める宝石である「アクロアイト」が存在する裏の理由は「魔法使いの侵略から国を守るため」。これは幽閉されていた時に読んだ文献で知った。その文献も、国が奪われた際に燃やされたようだが。
裏の理由があるということは表向きの理由もある。「魔法使いと人との共存」。互いに力を持つことでバランスを取るため。だがアルトダストは魔法使いが多く暮らす国。そして母は、魔力が強いせいかアクロアイトが効かない魔法使いだった。
そんな魔法使いが存在するということは、アクロアイトがあっても意味がない。母のように力がある魔法使いが、いずれ国を乗っ取る可能性が出てくる。それを国王は恐れた。力を得るために母を自分の物にしたのだ。そこに愛があったかどうかは分からない。幽閉された後、国王は様子を見に来ることはなかった。
ユナは母の力を受け継ぎ、他の魔法使いよりも強い魔力を持って生まれてきた。それは母によって隠された。それに世間は王妃に同情する声が多かったため、母と共に幽閉されてしまった。
母はすぐにユナに魔力のことを教えてくれた。その上で言った。「決して魔法が使えることを言ってはいけない」と。それはユナを守るためだったのだろう。母はすぐに亡くなったが、ユナは幼いながら、魔法は使わないと決めていた。
母は、味方になる存在を残してくれた。侍女長のマリアだ。読み書きや勉強、ユナの魔法についても教えてくれた。亡き母とマリアは出会った頃から協力し合っていたらしい。
『ユナ様。もし今後大切な人ができて、その人を守りたいと思った時、魔法を使ってください』
『魔法は使ってはいけないとお母様が』
『使ってはいけないとおっしゃったのではありません。魔法が使えることを言ってはいけないのです』
『……でも私、大切な人なんて』
いない、と言えばマリアは苦笑する。
『今はいなくても、未来は分かりません。どうか忘れないで下さい。あなたには、大切な人を守る力があるのです』
当時まだ幼かったこともあり、その時はマリアの言っていることがよく分からなかった。だが、それが分かる時が来た。初めてフィオに会った日だ。
その日はアルトダストでパーティーが開かれており、他国の客人が大勢来ていた。当時のアルトダストは交流が盛んだったのだ。王族であるユギニスとシュティはパーティーに参加していた、ユナは、当たり前だが幽閉されたままだった。綺麗なドレスを身にまとうこともなく、じっと檻の中にいた。
だが、普段と違う明るい声が各地で聞こえてくると、子供心に気になって。そっと、外の檻でその声を聞いた。楽しそうな老若男女の声に、まるで自分も、そこに参加しているような気持ちになった。
――そこでフィオに出会った。
彼女は客人として招かれていたようだが、道に迷ったのか、こちらの庭園まで来てしまったのだ。そしてユナの姿を見つける。子供がどうして檻の中に、とでも言うように、そっと声をかけてきたのだ。
『どこを見ているの? 僕と話さない?』
(…………え?)
自分の記憶に、ユナは戸惑った。
違う。そんな言葉じゃない。彼女は自身を僕、なんて言わない。それにこの時、少年と会った記憶などない。確かフィオが来たタイミングで、こちらを気にかけてくれていたユギニスが来てくれたのだ。だから。
「どこを見ているの? 僕と話さない?」
同じ言葉が耳に届く。
大人びた穏やかな声で。
顔を上げれば、クライヴが目の前にいる。
彼はにこっと、微笑んでいた。
「…………どうして」
「迎えに来たよ」
「は……?」
「『君をここから、出してあげる』」
手を差し出してくる。
意味が分からない。なぜ。なぜここにいる。追ってくるだろうとは思っていたが、どうして炎の中なのにやってくる。危険であるのに。王子であるならば自身の身を大切にしなければならないのに。なぜ。
と思っていれば、辺りが先程と違うことに気付いた。炎の魔法で辺りが燃えかけ、人々が逃げ惑う声色。色んな音が響いているはずなのに、それが全て消えている。いや、違う。
まるで時が止まったかのように、動きが止まっているのだ。炎も、人も。だが、クライヴとユナだけ動いている。世界に二人だけ取り残されたような空間になっている。信じられなかった。
「……時間が」
「止めたんだ」
「……まさか、魔法を?」
「うん。イントリックス王国に伝わる『時』を操る魔法。最も、身体にかなり負担がかかるし、一生に一度しか使えない。歴代の王族みんなね」
イントリックス王国の王族が魔法を使えるなんて聞いたことがない。「時を止めてるんだから誰も気付かないよね」と、朗らかに笑いかけてくる。それもそうか。悪用されないよう、臣下にも民にも、誰にも言わないようにしているようだ。まさに王族のみの秘密。
「本当はこの魔法で、君をあの場からすぐ出してあげたかった。幼かったから、魔力が溜まってなくて難しかったんだ」
「…………」
「君は覚えてないかもしれないけど」
思い出した。
檻の中でじっと周りの声に耳を傾けていれば、いつの間にか少年が近くに来ていた。まるで友人に話しかけるよう、声をかけてきたのだ。そしてその後、フィオとユギニスが同時にやってきた。
「もう大丈夫だよ」
安心させるように微笑む。
「……でも、炎が」
「大丈夫。僕も手伝うから」
言いながらそっとユナの腕に触れてくる。そのままゆっくり立ち上がらせてくれた。クライヴはユナの目を真っ直ぐ見つめる。
「君はこれをどうすればいいか分かっている。ゆっくり気持ちを落ち着かせて。頭の中に、炎を小さくするイメージをするんだ。そうすれば自然に、火は消えるよ」
「……でも」
「大丈夫。僕を信じて」
黙るユナに「ああ」とクライヴは気付いた。
「僕は信じられないか。じゃあ一番信じる人達を思い出して。その人達を助けるためにも」
「……じ……ます」
「うん?」
「あなたを、信じます」
クライヴは目を丸くする。
意外だったのだろう。それはユナ自身もそう思った。散々嫌がるような、避けるような態度を取っていたのだ。信じると言われても信じてくれないかもしれない。
――けれど。
「……ここまでしてくれるから。私のことを、助けてくれたから」
あの時も。今も。
そこまでは言えなかったが、クライヴには伝わったのか、少し嬉しそうな表情をする。自然と向き合い、両手を繋ぐ。互いに深呼吸をした後、クライヴは言った。
「じゃあ、行くよ」
「……はい」
『
クライヴの手から光が溢れる。
その光が、二人を包み込む。
ユナは祈るように目を閉じた。
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