69:プラチナの君
「う……」
森を抜けた頃にフィーベルは目を覚ます。
見ればユナの背中に乗っていた。おぶったまま歩き続けていただろうに、彼女は息一つ乱れていない。慌てて下りながら、先程のことを思い出す。指輪を通じてシェラルドと話している時、急に話を中断されたのだった。なぜそうしたのか気になったが、それよりも重要なことに気付く。
――ない。あるはずの指輪がない。
確かに首からかけていたのに。
思わずうろたえ、ユナに聞いた。
「あの、指輪を見ていませんか? もしかしたら落としたかもしれなくて」
「…………」
「ユナさん?」
「時間がありません。後で探すとして、今は進んでいただきたいのですが」
いつものフィーベルであれば、素直にユナの言うことを聞いていた。自分のことなど、後でやればいいのだから。自分の物など、無くなってしまってもあまり気にしないから。
だが。
「少しだけ時間をもらえませんか? 大切な物なんです」
今回は譲れなかった。
ルカからもらったから、高価な物だから、というのもあるが、シェラルドとつながっている証だから、という理由が大きい。あれがあれば、あの光を見れば、何があっても大丈夫だと思わせてくれる。離れていても、側にいてくれているように感じる。今の自分に、必要なのだ。
するとユナは眉を寄せる。
「そこまであの男のことが好きなのですか」
「えっ。……は、はい」
まさかそう聞かれるとは思わなかったが、無意識に答えてしまった。実際好きなのだから仕方ない。
「前から気になっていたのですが、あの男とは一体どのようなご関係ですか」
「えっ……その……は、花嫁です」
言い方は迷ったが、それらしいことを伝える。本来は花嫁であることを伏せてアルトダストに来るつもりだった。だがユギニスはフィーベルの想いを見抜いた。
見抜いた上で、と思い出し、
(…………あれ、私)
なぜか自分の中で違和感を感じた。
ユギニスと話した後、自分はどうしたのだろう。誰と一緒だったのだろう。目を開ければいつの間にか馬車の中にいて。でもいつの間に。
「花嫁……?」
ユナはさらに険しい顔になっている。
声色も低くなっており、少し怖い。
「どういうことですか。あの男と将来の約束をしていると?」
「え、ええと、その」
なぜユナが怒っているのか分からない。それにこの場合、何と言えばいいのか分からない。花嫁なのだから将来を誓った仲ではあるはずだ。だがもし、どこまで進んだ仲なのかと聞かれたらまた答えづらい。
元々花嫁でない体で来たのもあり、変化球にフィーベルはついていけなかった。ユギニスは見抜いた上で提案してくれた。――そうだ、提案してくれたのだ。シェラルドに会えるようにと。
(……私、シェラルド様に会って、)
ぱんっ。と何か弾けるような音が、耳元で聞こえた。それが何かは分からないが、フィーベルは完全に思い出す。馬車に乗る前、シェラルドに会ったこと。再会して、互いに想いを伝え合い、唇を交わしたこと。その後誰かが部屋を訪ねてきて、シェラルドが出た間に眠ってしまったのだ。
なのにどうして。
どうして自分は、ここにいるのだろう。
「私をここまで連れてきて、何をしたいんですか……?」
フィーベルの様子が先程と変わったことに気付いたのか、ユナは顔色を変えた。フィーベルはぎゅっと両手を握り、懇願するように聞く。
「教えてください。フリーティング王国に私を連れて行く意味はなんですか? なんでユナさんと私だけここにいるんですか?」
ユナの願いだから。
クライヴの願いだから。
それは分かったが、わざわざシェラルドと引き離すように連れ出されたことに疑問を持つ。指輪で会話をした時、彼は驚いたような声を出した。どこにいるのか知らなかったからだ。
もしシェラルドのことを思い出さなければ、おそらく気にしていなかったかもしれない。だが思い出してしまった。もしシェラルドへの気持ちがなかったならば、目の前のことを最優先にしていたかもしれない。だが好きになってしまった。
会いたい。
彼が側にいない。なのにこのまま進んでいいのか。心配してくれていた。そんな彼を置いて行っていいのか。そんな迷いが生じた。
「教えてください、ユナさん」
「…………」
「ユナさんっ」
大きく息を吐かれる。
「この際ですからお伝えします。あなたとあの男が結ばれることなど、決してあり得ません」
「え……」
「なぜならあなたは」
「――ユナ様!?」
少し先から別の声が割り込み、二人はそちらに顔を向ける。薄青色のクラシカルな給仕服に身を包む女性がいた。品のあるその格好はどこかこの場所では不釣り合いだ。相手はロングスカートだからか、足がもつれそうになりながらも駆けてくる。
「アンジュ殿」
「ユナ様、お久しぶりです。もしかして、この方が?」
フィーベルに顔が向けられる。
年齢は三十代ほどのようだが、可愛らしいそばかすがあり、瞳は綺麗な金色だ。その輝く瞳が、眩しそうにこちらを見ている。ユナが「そうです」と答えると、さらに顔に笑みが広がった。
「やっぱり……! フィーベル様……ご無事でよかった……!」
言い終わらないうちに抱きしめられてしまう。フィーベルは戸惑いながらもされるがままだ。自分より背の低い彼女は、すぐに両手で頬に触れてきた。
「大きくなられたのですね」
「あ、あの……」
何が何だかさっぱり分からず、説明が欲しいとユナに顔を向ける。だがユナが何か言う前に、アンジュと呼ばれた女性が言葉を続けた。
「フィオ様にとてもよく似ています。やはり母と子なのですね」
「…………え?」
その言葉に、思わず放心してしまった。
「さぁこちらから」
アンジュに急かされるように、フリーティング王国の城に着く。フィーベルは先程までシェラルドのことを考えていたというのに、今は別のことで頭がいっぱいになる。
フィオと呼ばれる人物が自分の母である。そんな事実を告げられたわけだが、正直混乱している。親という存在が自分にもいたのかと、驚いている。その存在がいたとして、どうして今まで会うことができなかったのか、今何をしているのか、気になった。
フリーティング王国の城はとてもこじんまりとしていたが、昔ながらの建造物だからか、風情を感じられた。この国は建造物が一つの観光名所となっている。確かにずっと見ていたくなるほど美しい。
案内されたのは、城の内部から少し離れた場所。庭園が続く道を歩きつつ、思ったより静かなのに気が付いた。フィオと呼ばれる女性はこの国の王女なのだという。王族が住んでいるのなら、見張りの兵もあちこちいるはず。それなのに、誰にも会わないし誰もいない。
「他の方々は……」
「姿を見せないようにしております。本当は守ってくれているのですよ。
「……フィオ様、は、どんな方なんですか?」
前を歩くアンジュは嬉しそうに微笑む。
「お会いすればすぐに分かります」
しばらくすれば、温室のような場所に着く。
フィーベルはアンジュと一緒に入ろうとするが、ユナは「私はここで待っております」と足を止めた。フィーベルは戸惑うが、アンジュは予想していたのか頷いた。
中に入れば、爽やかな木々や草木の香りがした。
見れば背の高い木々や美しい花々が多く存在している。
「フィオ様のお気に入りの場所です」
「自然がお好きなんですか?」
「ええ。城の中よりここにいることが多いです」
「近くに森もありますが」
森を抜けたらフリーティング王国は案外近かった。歩けば距離はあったものの、森から城を見ることも、城から森を見ることもできる。視覚だけでいえば近い場所にあると感じたのだ。
すると少しだけアンジュの顔が曇る。
「行けないのです。行くことは禁止されております」
「どうして……」
と、アンジュの足が止まった。
フィーベルは視線を前にする。するとそこには、大きい木に寄り添っている一人の女性の姿があった。真っ白い絹でできた白い服に、腰まである、長いうねりのあるプラチナの髪。
女性は寝ていたように見えたが、こちらに気が付いたのか目を開ける。長いプラチナのまつ毛。瞳の色は、プラチナと青のグラデーションに見える。
「綺麗……」
フィーベルは思わず呟いた。
もし精霊だと言われても納得してしまうほど、「綺麗」という言葉が似合う女性だった。彼女は寝ぼけ眼をこする。ゆっくり身体を起こした。
目が合う。
と思えば、そっと彼女が近付いてくる。ふわっとまるで舞うように、飛んだように。身軽な身体はいつの間にか目の前に来ていて。まるで美術館の真ん中に飾られる像のように美しい彼女に見つめられると、緊張してしまう。
そっと頬に触れられた。
「――フィーベル?」
柔らかい声色だった。
「は、はい」
反射的に返事をすれば、彼女の瞳が大きく見開かれ、揺れた。顔が強張る。今にも泣き出しそうだった。
「……あの。大丈夫ですか?」
必死に泣くのを堪えているように見えた。咄嗟にハンカチを持っていないだろうかと自分の服に手を当てるが、どこにもない。あればもし涙を流しても、拭いてあげることができるのに。
フィオは何度も首を横に振る。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「そんな、大丈夫ですよ。謝る必要なんて」
「いいえ、いいえ。ごめんなさいフィーベル。私はあなたにひどいことをしたわ」
「そんなこと、」
「許してくれなんて言わない。……だけど一つだけ、どうしてもあなたに聞きたいの」
いつの間にか両腕にフィオの手が添えられていた。軽く触れているだけなのに、ぎゅっと握られたような感覚を得る。その手に、少しだけ力が入った。
「あなたは今、幸せ? 大切な人は、側にいる?」
思わず目を丸くしてしまう。
どんなことを聞かれるのだろうと思いきや。フィオの瞳は揺れたままだが、逸らさない。それだけは確認したいのだと、強い思いが伝わってきた。
フィーベルは自然に微笑む。
「……はい。幸せですし、大好きな人達がいます」
生まれは恵まれていなかったかもしれない。自身の魔法を疎まれた時期もあった。でも、そんな過去がどうでもよくなるほどに今は、素敵な人達に出会った。大好きな人に出会った。
場所を与えてくれたクライヴ。側で支えてくれているアンネやマサキ、同じ隊のヴィラやイズミ、仲間であり先輩であるエダンやヨヅカ、ガラクやアンダルシア。今や立派な王女として勉学に励むエリノア。
そして、いつも守ってくれるシェラルド。彼らのことを語れと言われたらおそらく時間が足りない。一人一人が大切で、出会えてよかった人達なのだ。
するとフィオも同じように微笑む。
「……そう、そうなのね。よかった」
大きく安堵していた。
と思えば、すぐに顔を引き締める。
「――なら早く帰りなさい」
「え……」
「フィオ様……!」
アンジュが悲痛の声を上げる。
そんな彼女をフィオは睨んだ。
「アンジュ、どうしてフィーベルがここにいるの。あなたの力だけではないわね。一体誰に協力してもらったの?」
「それは……でもフィオ様、私は一目だけでも会って欲しくて」
「彼女には彼女の幸せがある。早く帰らせて。本来なら私達は会うべきじゃない」
「ですが、」
「アンジュ!」
(……どうして?)
二人の会話を聞きながら、フィーベルは何も言えなかった。自分の正面に母と呼ばれる人がいる。よくよく見れば確かに似ていた。同じ髪色。同じ顔立ち。纏う雰囲気や瞳の色は違うが、似ている、と周りに言われるわけだ。
会うのは初めてで、正直実感はない。母なのだと言われても、そうなのか、と納得するのに精一杯で。でもなんとなく、求めていたものが目の前にある、と感じた。今まで「家族」と呼ばれるものなど、自分にはないと思っていた。自分は一人で生きていくのだと、決意してここまで来た。
だが今、揺らぎそうになる。欲しかった存在が目の前にあるなら、縋りたくなるのは当然かもしれない。自身が娘だというのなら尚更。
だから。
「――どうしてそんなこと言うんですか?」
「……フィーベル?」
「せっかく会えたのに」
少しだけ、声が震えた。
するとフィオの顔が再度強張った。
今度は怯えるように。恐れるように。
彼女は、迷いながらも口を開く。
「……ごめんなさいフィーベル。ああ違うの。私はあなたに会えてとても嬉しいのよ。だけど会う資格なんてないわ。私はあなたにひどいことをした」
「ひどいことってなんですか。私の記憶にはそんなものありません」
「…………私は」
告げられる。
そう、直感した。
「あなたを捨てたわ」
喉の奥が鳴った気がした。
思ったより心が痛い。
同時に喉も痛くなり、咄嗟に声が出なかった。
直接言葉にされるとこんなにも痛くなるのか。薄々そうじゃないかと思っていたこともあり、改めて言葉にされると厳しい。呼吸が止まってしまったかのような息苦しさを感じる。求めていたものが今目の前にあるのに、完全に拒否されたように感じ、自分の存在自体も否定したくなった。
――だが。
フィーベルは目を丸くする。
その考えは、すぐに改めることになったのだ。
そっと、問いかける。
「…………本当に?」
「……なに、言っているの。そうよ。だから私はあなたに会う資格などないの。あなたにひどいことをしたのだから、母だと名乗る資格もないわ」
「……何か、理由があったんじゃないんですか?」
途端にフィオは静かになる。
いや。正確には、彼女は話す余裕すらなかった。必死に声を出さないようにしながらも、綺麗なプラチナの瞳には大粒の涙が溢れ出し、頬を濡らしている。悲しそうに、申し訳なさそうに。だけど必死でそれを隠しているかのように。全く隠せていないその表情に、自身は気付いていないのだろう。
フィーベルはそれを見て小さく微笑む。
まるで彼女を、慰めるかのように。
「あなたは優しい人です」
「…………そんな、こと、ないわ」
「ひどい人ならすぐに私を追い出します。……でも、違う。あなたは私の幸せを願ってくれている。守ろうとしてくれてますよね?」
「……そんな、そんな、こと」
「理由を聞かせてください。どうして私を遠ざけるんですか?」
フィーベルの問いに、フィオは声を詰まらせる。何も言えないということは肯定しているようなものだ。つい責めるような言い方になってしまったと思いながらも、フィーベルは素直な気持ちを伝える。
「私、嬉しいんです。あなたの娘だって知れて。……お母さんに、会えて」
「あっ……あああ」
フィオはまるで崩れるかのように、その場に座り込む。慌ててフィーベルとアンジュが近付いた。彼女は顔を両手で隠しながら、何度も首を振り続ける。
「……う、駄目っ。駄目なの」
「お、落ち着いて下さい」
「だめなのっ! お願いフィーベル、早く逃げて……」
「――何をしている?」
はっとして振り向く。
足音が全く聞こえなかった。
いや、気付かなかった。
こちらに近付いてきたのはフィオより少し背の高い男性。同じプラチナの髪に瞳。フィオと顔立ちが似ており、少し若い。フィオと同じ王族だろうか。シンプルではあるが品のある服装をしていた。だがその瞳は冷たい。
フィーベル達はフィオと共に地面に座っている。立っている彼の視線がさらにきつく感じた。思わず緊張感が走る。
「ファ、ファイ陛下……」
アンジュが声を震わせながら名を呼んだ。
ということはつまり、この国の王か。
「……これはどういうことだアンジュ。客人が来ているなどと俺は聞いていないぞ」
「も、申し訳ありません。ですがこの方は」
「――なるほど。それが姉上の子か」
一層冷えたような声。
「っ! お、おやめくださいっ!」
アンジュはフィーベルを隠すように前に出る。
するとファイは方眉を動かした。
「なんだアンジュ。俺はまだ何も言っていないが」
「……この方を代わりになさるのでしょう」
「やめてっ!」
今度はフィオが叫んだ。
途端にフィーベルを力強く抱きしめる。
まるで守るかのように。
眉を寄せ、彼を睨んだ。
「お願いファイ、やめて。私はどうなってもいいわ。だけどこの子は」
「そいつのせいで……いや、そいつの父親のせいで姉上は今日まで苦しんできた」
「苦しんでないわ。それに私が悪いの。彼は」
「いい加減にしてくれっ!」
「っ……!」
怒鳴り声にフィーベルも思わずびくつく。
ファイは顔を歪めていた。
憎しみを込めた目で見てくる。
「……あいつと同じ赤い目なんて見たくもない」
「やめて、」
「絶対に許さない」
「やめてっ!!!」
ファイの足が動いた。
フィオとアンジュはフィーベルを抱きしめる。指一本触れられないよう、隠すように抱きしめてくる。二人は顔を伏せたが、フィーベルは目が逸らさなかった。こんなにも憎悪に満ちた目を向けられることなど、今までなかった。固まって動けない。……どうしたらいいのだろう。自分は、何をすればいいのか。
考えるが答えはすぐに出てくれない。
どうしたら。どうしたら……。
すると急に、ファイの足が止まった。
「――私との約束はお忘れですか」
「……っく」
ファイの首元にナイフが向けられている。
背後に、赤い髪をなびかせた女性。
「ユナ……!?」
フィオが驚いたような声を出す。
ユナは、冷静な表情のままそこにいた。
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