34:触れること

「さて、本題に入るわね」


 お腹もいっぱいになったところで、夕食後の紅茶を飲みながらルカが言った。その言葉にフィーベルとシェラルドはきょとんとする。てっきり挨拶をするためだけに来たのかと思えば。


 するとルカは面白そうに微笑む。


「もちろんフィーベルさんに会いたかったし、指輪のことも気になってたわ。でも本題は別なの。先に聞きたいんだけど、二人はいつも行動を共にしてるの?」

「いいえ。シェラルド様がそこまでしなくていいと」


 花嫁を継続してやると決まったが、何かする必要はないと言われてしまった。それでも食い下がってようやく妥協してくれたのが、朝晩のハグである。


 するとルカは呆れた。


「だからかしら。シラには言ったんだけど、世間ではシラは結婚してないことになってるみたいなの。今もお見合い写真が大量に届くのよ」

「え」

「お姫様の誕生祭に出席したことでフィーベルさんのことを噂してる人もいたようだけど、途中で退出したんでしょう? しかも日頃一緒に行動はしていない……。そりゃあみんな信じないわね。その時だけ用意した花嫁だと思うもの」


 途中お酒に酔ってしまったこともあり、フィーベルは短い時間しかシェラルドと一緒にいなかった。襲撃の対応をしたことで名前が広がってると後から聞いたが、それはおそらく「魔法兵フィーベル」としてだろう。シェラルドの花嫁としてはあまり知られていないと思う。


 しかも魔法兵団で仕事を行うようになってからも、周りから何か言われたことがない。指輪はしているので、それに気付いた人から「え、結婚してるの?」とようやく聞かれるくらいだ。


 フィーベルは存在自体が不思議がられている。普通の入団とは違うし、人と違う魔法を使う。だから花嫁であることよりも、フィーベル自身のことを噂されることの方が多い。今や普通に魔法兵団として活動しているものの、そこまで他の人と交流が多いわけではない。それは所属している隊で動くのが基本だからだ。魔法兵同士互いに協力することはあっても、話す頻度は同じ隊のメンバーの方が多い。そして、所属しているヴィラ隊は普通の隊と違って特殊だ。


 ヴィラ隊に入れてもらえたのは、実力に期待してくれたというのもあるだろうが、配慮もあるとフィーベルは最近になって感じていた。


 女性初の隊長であるヴィラがいれば守ってもらえるし、その肩書故に周りも迂闊にフィーベルに手出しができない。魔法兵団も騎士団も、女性よりも男性の数の方が多い。実際に絡まれそうになったときも、ヴィラが中に入ってくれた。ヴィラは入団歴が長いこともあり、他にも色んなことを教えてくれる。クライヴはここまで考えてヴィラ隊に入れてくれたのだと思う。


 ルカは腕を組んで眉を寄せ、弟を見た。


「シラ。あなた、せっかくフィーベルさんが花嫁として奮闘しようとしてくれるのになんでわざわざ邪魔するわけ?」

「……そんなつもりはない」

「どうせ余計なことはしなくていいとか言ったんでしょう。馬鹿ね、結局こんなことになるなら花嫁の意味がないじゃない」


 全くもってその通りなのでシェラルドは眉間に皺を寄せる。いつもより皺が深く見えた。フィーベルは慌てて助け舟を出す。


「私に気を遣ってくれたんだと思います。それに、私がもっと強く言わなかったから」


 ルカが力強く頷いた。


「そうね。今後はフィーベルさんが思うままに行動してちょうだい。全てはシラのためであり私達家族のためでありクライヴ殿下のためなのよ」

「はい……!」


 さらなる使命を与えられた気がして、フィーベルは改めて気合いを入れ直す。シェラルドはそれを半眼で見ながらも黙っていた。


「とにかくこのままでは駄目だと思うの。それが一番に言いたかったのよ。だから二人とも、もっとラブラブしなさい」

「…………」

「らぶらぶ……?」


 あまり聞かない擬音語に復唱してしまう。だがルカはにやっと笑いながら「そうよ」と強い口調で言う。


「二人とも常に一緒にして、仲睦まじい姿を見せつけるの。そうすれば周りの人が勝手に噂を広めてくれるわ。夫婦とまではいかなくても、恋人くらいには思ってくれるでしょう」

「恋人でもいいんですか? 一応花嫁ということにはなってますが」

「元々は恋人をお願いしようと思ったのよ。でも世の女性は強かでね、恋人だったら奪ってやるって考えの人もいるの。だから花嫁にしたのよ。結婚さえしてしまえばシラはもう手に入らない、って思うでしょうから」


 未知の世界すぎて目を丸くしてしまう。


 まさか人の恋人を奪うような人がいるとは。とはいえ、城の警護をしていた時に王子や王女は私のものだ、とわめいてる人が侵入してきたこともあった。それと同じような感じだろうか。


 愛や恋をよく分からない身だが、一人の人に対してそこまで深い情が生まれるのかと、感心してしまう。するとルカは「本来はそうならないのがいいんだけどね」と苦笑しながら付け足した。


「それで。らぶらぶとは、具体的にどうしたらいいんですか?」


 ルカは少しだけ考える素振りを見せる。


「そうねぇ。色んな方法があるわよ。腕を組んで歩くとか、一緒にデートするとか。あなたたち、ハグはしてるんでしょう? 人前ではしてないの?」


 そう言われ、二人は顔を見合わせた。


 ハグ自体は互いに慣れたと思う。だが、人前ではしていない。いつもやるのが二人きりというのもあるが、人前でやるのは自然に避けていた。照れもある。アンネの前ではしたことあるものの、彼女はこちらに配慮して目を隠してくれていた。なのであれは回数に入らないだろう。


 するとルカは嘆いた。


「少しは人前でしていたら効果もあるでしょうに……」

「す、すみません」

「フィーベルが謝ることじゃない」


 すかさずシェラルドがそう言ってくれる。

 するとルカは半眼になる。


「シラが奥手なせいもあるんじゃないの?」


 ばっさり切っていた。

 これにはシェラルドはう、と渋い顔になる。


「人前ですることじゃない」

普通・・は、ね。でもあなたたちはそうじゃない。でしょう?」

「………」


 正論であり完敗だ。


 フィーベルは何も言い返せなかった。むしろ花嫁のフリをしている身なのだから、しっかりやらなくてはこんなにも周りに影響があるのかと今更思い知る。


 ルカは真顔で腕を組む。


「練習しておきましょうか。私の前でしてくれる?」

「え」

「できないの?」

「ええと……」


 言葉を濁らせながらシェラルドを見てしまう。すると彼も「ルカ、」と名前を呼んで抗議しようとしていた。だが姉はあっさりまた正論をぶち込んでくる。


「私の前でできないなら人前なんて絶対無理よ?」

「「…………」」


 またしても完敗だった。




 フィーベルとシェラルドは互いに身体を正面にする。先程まで並んで座っていたのだが、ルカからハグをしろと言われ、とりあえずそうしたのだ。


 だが問題はここからだ。どちらともなく無言でただ見つめ合う。とりあえず身体を向けたままで、この後どうしたらいいのか分からず、互いに立ち往生しているような感じである。時折目は合うものの、互いに逸らしてしまう。いつもならフィーベルが声をかけるか、互いに自然にそういう風になるのだが。


 ちなみにちらっとルカに顔を向ければ、彼女は真顔のままじーっとこちらを見ていた。早くしろと言ってきた割には、待ってくれている。むしろここからは二人のペースに合わせる、といったようなものだろうか。むしろこんな間近でガン見される方がやりづらいのだが。


 シェラルドはずっと苦虫を嚙み潰したような表情だった。身内の前だと余計やりづらいのだろう。ここはやはり自分がやらねば、とフィーベルは使命感に燃える。


(今日はまだ夜の分をしてないし、丁度いいかも)


 むしろ考えている時間がもったない。ならばとっととしてしまった方がいいのでは、とフィーベルは思った。なのでもうルカの方を見ることも、シェラルドの方を見ることもやめ、すぐに身体を動かす。抱き着きに行くというよりはむしろ突進するような感じでぶつかりにいけば、シェラルドの胸元に額が当たった。そしてそのままそっと背中に腕を回す。


 すると突進の勢い故か、シェラルドの身体が一瞬びくついた。驚かせてしまったかもしれない。それでも彼もぎこちなくも抱きしめ返してくれた。なんだか最初にハグをした時を思い出す。


 ようやく二人が事を起こしたことで、ルカもふう、と息を吐く。まるで今まで息を止めていたかのように。実際呼吸の音も聞こえていなかったのでそう思わずにはいられない。ルカは真顔のままだったが、しばらくして先程よりは穏やかな表情になった。


「何だ二人共。やればできるじゃない」

「「……」」

「なかなか初々しいわね」

「「…………」」


 一応お墨付きはもらえたようだ。


「あ、もういいわよ」


 言われるまで抱きしめ合っていたことにようやく気付き、二人ははっとして身体から離れた。回数は重ねているというのに、フィーベルは心臓が早く鼓動していることに焦る。顔も熱い。こんな気持ちになるのもなんだか久しぶりだ。慣れたと思っていたのに。


「なんならもっと手っ取り早い方法もあるわよ。みんなの前でキスするとか」


 さらりと言われた提案に、思わずシェラルドは「ばっ!」と声を荒げた。フィーベルは目が点になる。何度か瞬きをしてしまった。


「き、キスですか」

「そうよ。恋人か夫婦しかできない行為でしょう?」

「な、なるほど確かに……」

「待てフィーベル。確かにじゃない」


 ごくりと唾を飲み込みつつフィーベルは納得する。

 だがシェラルドが冷静にツッコミしてきた。


「で、でも前もそういうことありましたし……」


 エリノアからほんとに花嫁ならキスして証明して見せろと言われた。王族、しかも姫の願いであるならばそれは聞かなければ、とフィーベルは目を閉じて促したことがある。結果的にヨヅカによってそれは回避されたわけだが、またああいう場面に出くわす可能性はある。


 するとシェラルドは唖然とした表情でこちらを見る。まるでそれを言うか、と言わんばかりに。ルカは物珍しそうに交互に顔を動かす。


「なんだもう経験済み? なら話は早いじゃない」

「未遂だっ!」

「じゃあ丁度いいじゃない。今練習すれば」

「そういう問題じゃないっ!」


 二人がぎゃあぎゃあと言い合いを始める。

 一方フィーベルは、静かに頭を動かしていた。


 ハグ如きでここまでぎこちないと逆に不審がられるかもしれない。これはタチェード家からの願いでありクライヴからの命令だ。つまり、仕事。いちいち緊張している場合ではない。もしハグだけでなくキスも自然とできる関係になれば、色んな意味で皆の役に立てるのでは、と考える。


 フィーベルは表情がきりっとなる。

 これは仕事だ。ならば必ず成し遂げなくては。


 まるで重要な任務を与えられたかのように顔色が変わり、フィーベルはすぐにシェラルドの袖を引っ張る。そして真剣に伝えた。


「シェラルド様、やりましょう」

「…………一応聞くが何が」

「キスです」

「しない」


 即答された。

 フィーベルはむっとして言い返す。


「でもここでやれば、何があっても大丈夫ですよ」

「馬鹿かっ! そこまでする必要はない!」

「でもあの時はやろうとしたじゃないですか!」


 するとぎょっとされる。


「あれは、あの時は仕方ないだろうっ! それに避ける方法はいくらでもあった!」


 雰囲気に流されたということだろうか。


 フィーベルは顔色を変えない。

 真っ直ぐ相手の瞳を見つめる。


「私は、シェラルド様の花嫁です。自分の役割は果たしたいです」

「……お前はほんとに」


 怒っているのか呆れているのか分からないような表情をされる。だが怖くはない。これはみんなのためであり、シェラルドのためなのだから。それならば怖いとは思わない。するとシェラルドはしばらくしてから乱暴に手を取る。


 え、と言う前に手のひらに柔らかいものに触れる。視線を向ければ、シェラルドの黄金の瞳と目が合う。そしてさっさと手を離し「これでいいんだろ」とルカを睨んだ。


 すると彼女はにっこりと笑った。


「さすがシラ。手のひらのキスはお姫様で慣れているわね」


 フィーベルは呆気に取られる。

 一瞬過ぎてよく分からなかった。


 だがとりあえず理解したのは、シェラルドが実践してくれたということだ。本当に一瞬だったにも関わらず、フィーベルは顔がどんどん熱を帯びていく。


 というのも。


(……口に、すると思ってた)


 シェラルドもルカも、キスなら場所はどこでもいい様子だった。なのにフィーベルは、勝手に口にするとばかり思っていたのだ。一人だけ勘違いをして恥ずかしい。口には出していないのでバレてはないだろうが、それでも勘違いをしていたことに、穴があったら入りたくなった。




(……危なかった)


 シェラルドは内心かなり冷や冷やしていた。

 ルカの爆弾発言も、フィーベルからの提案も。


 最初は口でやらないといけないのかと焦っていたのだが、冷静に考えるとルカは「口で」とは言っていない。つまり、場所は問わない。咄嗟の判断で行った行為に、ルカはあっさりと合格、とでも言うように微笑んでいた。……分かっててやったんじゃないだろうか。


 幸いにも儀礼でエリノアの手のひらに口付けたことがある。高貴な身分の者に口付けすることは、敬意を示しているようなものだ。とはいえ一応姫なので、直接肌にはしていない。儀礼中のエリノアは白い手袋をしていて、あくまでその上でだ。ちなみにヨヅカもしたことがある。


「あ、ルカさん。今日も来て下さったんですか?」

「あらアメリ! 久しぶりね」


 どうやら店のオーナーが挨拶に来てくれたようで、ルカは少しだけ話をしに個室から出て行ってしまう。シェラルドはやっと大きく息を吐いた。さっきから無茶なことばかりされて疲れていたのだ。無事にルカからの試練(?)を乗り越えたのでほっとする。


 そのまま隣に目を向ければ今度はぎょっとした。なぜかフィーベルは険しい表情になっていたのだ。若干顔が赤い。唇も噛んでおり、なんとなく怒っているのは分かった。


「ど、どうした」

「……シェラルド様は慣れているんですね」

「は?」


 するときっ、と睨まれる。


「エリノア殿下に何度もキスしたことあるんじゃないですか」

「待てお前。その言い方は語弊がある」

「なのになんであんなに拒んだんですか」

「っ!」


 すぐに返答できなかった。


 そんなの、口でしないといけないのかと思って焦ったからに決まっている。それなのにやろうと真剣な顔で提案されて、どうすればいいんだとさらに悩んだのだ。


「……なんですか。余裕な顔して」


 さっきまで眉を吊り上げていたと言うのに、今度は下がっていた。泣きそうな顔になっており、シェラルドは慌てる。


 フィーベルは俯き、顔を見せない。

 だがぼそっと呟いた。


「……口にするかと思ったもん」

「え」


 するとはっとしたフィーベルと目が合う。

 自分の口に手を当てていた。


「……今の」

「……聞こえた」


 さすがに弁解できる自信もなく、答えた。するとさらにフィーベルは悶絶するように自分の顔を隠す。


「フィ」

「忘れて下さいっ! 今の!」

「いやさすがに」

「もう、忘れてってば!」

「うっ」


 思い切り拳が腕に入る。


 なかなかの速さと威力だった。力は強いと思っていたものの、想像以上だ。いつもは穏やかな様子だが、やはり戦闘になると違う。今回は腕なのでまだマシだ。腹に来なかったのは不幸中の幸いだと思った。


 するとフィーベルが慌てて「ごめんなさいっ!」と謝ってくる。気にしないように苦笑しながら手の平を見せた。すると相手は項垂れて小さくなった。


「……ごめんなさい。無知で」

「? いや」

「口でしないといけないのかと思ったんです」

「…………」


 俺も思った、とは言えなかった。


「だけど……私だけが勘違いして、恥ずかしくなって」


 一呼吸置く。

 フィーベルはむすっとした顔になった。


「腹が立ちました」

「……ふっ」

「今笑いました!?」

「いや笑うだろ」


 だからあんな言動になったのか。

 するとフィーベルは頬を膨らませる。


 ぶつぶつと何やら言い訳をしていた。キスの場所を言わなかったルカに対する愚痴であったり、拒否する前にさっさと手の平にすればよかったのに、というシェラルドへの小言もある。だが言いたいことが終われば、素直にすみませんでした、と頭を下げてきた。


 シェラルドも頭を下げる。


「悪かった。フィーベルの考えも一理ある」


 すると口をすぼめて少しだけ頷く。

 素直過ぎる態度に、思わず額を小突いた。


 すると小さく笑い出す。

 少しは機嫌が良くなったらしい。


「さすがシェラルド様ですね。すごく自然でした。さすが慣れてらっしゃる」

「慣れるものか。いつも緊張する」

「確かにエリノア殿下やクライヴ殿下の前は緊張しそうです」


 フィーベルはさらに笑みを深くして頷いた。

 その言葉に、口が先に出た。


「違う」

「え?」

「さっきも、そうだ」


 さっき……、とフィーベルが呟く。

 だが目をぱちくりさせる。


「でも、私ですよ?」

「だからだろ」

「……?」


 首を傾げられた。


 おそらくフィーベルは、王族などの高貴の身分の前だから緊張すると思ったのだろう。確かにそれはある。だが、それだけじゃない。と言いたいのだが、どうやら遠回しに言っても駄目のようだ。


 シェラルドは、もうここまできたら言わなくていいかと思った。……だが、言いたくなった。伝えたくなった。フィーベルはただの花嫁じゃないと。


「俺は、お前に触れる度に緊張してる」


 すると彼女は文字通り固まった。


 少しは意味が伝わっただろうか。言った後で、やっぱり言わない方がよかったかもしれないと、シェラルドは視線を逸らしてしまう。若干きまりが悪かった。

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