33:好みと大事と美味しい時間

 隠れ家をモチーフにしているようで、店内は静かでゆったりしていた。淡い色の灯りが天井から吊り下がっており、その色合いでさらに心がほっとする。ルカはこの店の常連らしく、店員は慣れた様子で個室に案内してくれた。シェラルドとフィーベルは隣同士、ルカはこちらに向かい合わせるようにして椅子に座る。


 お肉や魚介類を豊富に使っているお店のようだ。メニューを見ながら、どの料理も美味しそうだと視線があっちこっちに移動してしまう。各々が注文し、後は料理が来るのを待つばかりである。


 店員がいなくなると、三人はしばし無言になった。


 静かになったことで、フィーベルは二人をちらっと見る。ルカは壁に飾られている絵画を見ており、シェラルドは店員から受け取った水の入ったコップに口をつけていた。……どことなくよそよそしい。


 もしや、さっきのことを気にしているのでは、とフィーベルは気付く。実際気にはしているが、それよりもシェラルドの好みである。とはいえいきなり本人に聞く勇気は出なかったので、思い切って姉に声をかけた。


「あの、ルカ様」

「なに?」

「シェラルド様の女性の好みはご存知ですか?」


 ぶっ、とシェラルドは飲みかけていた水を噴き出す。


 ルカは慌てて持っていたハンカチを渡してあげた。シェラルドは気管に入ったのかごぼごほと咳き込み、フィーベルも背中をさすってあげる。やっと落ち着いた頃には涙目になっており、こちらを睨んだ。


「お前、なんてこと聞くんだ」

「え。……だめでした?」

「いや、ていうかなんで今更」

「あらいいじゃない。シラは素直な子が好きよ」

「おいっ!」

「素直な人……」


 フィーベルは参考がてら、一番身近にいる女性たちを思い浮かべる。アンネもヴィラも、どちらも素直だと思う。二人共自分の考えをはっきりと伝えることができる。


 他の女性といえば、フィーベルがよく知っているのは魔法兵くらいだ。とはいえ、彼女たちとは隊が違うこともあって、少ししか会話できてない。それでも、同じく素直な人が多いイメージがあった。これだけではまだ材料が足りない。


「他には?」

「まだ聞くのかっ」

「そうねぇ……。シラ、答えてあげて」

「なんで俺がっ!」

「だってあなたのことだもの。答えられないの? 花嫁さんが聞いてくれてるのに? あなたに興味持ってくれてるのに?」

「っ、別に、こいつは」

「よかったら教えてほしいです……!」


 フィーベルは両手を組み、懇願するようにシェラルドを見つめた。むしろここで聞かなければ答えてくれないような気がしたのだ。これはシェラルドのためでもある。今は少しだけ我慢してほしい。


 じっとシェラルドの瞳を見る。シェラルドも負けじとこちらに目を合わせてきた。しばらく経っても両者譲らず、しばらく見つめ合うだけの時間が続く。シェラルドは怖い顔になっていた。いつもなら怯むフィーベルだが、今回はシェラルドのためという気持ちが強いおかげか、真剣な眼差しのままだ。


 するとくっ、とシェラルドは歯を食い縛った。

 根負けしたのか、小さく呟いた。


「……い」

「え?」

「ない。好みなんてない」


 そっぽをむかれてしまう。

 フィーベルは目をぱちくりさせる。


「女性なら誰でもいいんですか?」

「なんっでそうなるんだっ!」

「シラ、ここお店の中よ」


 ルカが大人の対応で静かに嗜める。するとシェラルドも声が大きかったことに気付き、口を閉じた。


 予想はしていたものの、思ったよりシェラルドの反応がよくない。自分のことでもあるのに。そんなに聞かれたくなかったのだろうか。彼のためでもあるというのに、少しだけしょんぼりしてしまう。


 するとルカが優しく声をかける。


「もしかして、さっきの会話を聞いたからかしら」


 はっとして顔を向ければ、ルカは少し眉を下げて微笑んだ。シェラルドもちらっとこちらを見た後、また視線を下にする。


 フィーベルはぎこちなくも答えた。


「好みを先に聞いておけば、すぐに身を引くことができると思って」

「……待ってフィーベルさん。あなた、シラと別れる気なの?」

「はい。シェラルド様に好きな方ができたら、そうしようかと」


 最初は花嫁として、シェラルドのために何をすれば役に立つだろうかと考えた。だが、好きじゃないと言われ、本来なら好き同士が結婚するものでは、と当たり前のことを思った。


 シェラルドはあまり女性が得意ではない、というのはなんとなく分かるのだが、それでもいつか来る時のために備えておいた方がいい。その方が、きっとシェラルドにとってもいいだろう、という結論に至ったのだ。だが。


「はぁ?」


 低いドスの利いた声が聞こえてきた。


 シェラルドが言ったのかと思えば、方向は前だ。先程まで和やかな様子だったルカが、むっとしている。なかなかに鋭い眼光。背後に黒いものが見えた気がした。怒ったシェラルドとよく似ており、やはり姉弟であることを感じさせる。


 フィーベルは目をぱちくりさせてしまう。シェラルドはぎょっとしたように「おい」と声をかけたが、彼女の耳に届いてないのか、ルカは真っ直ぐにフィーベルを見つめた。


「なんで私があなたたちに指輪を渡したか分かる?」

「……ええと」

「お祝いに送ったからよ。それなのに別れるですって? さっきこの指輪は互いに大嫌いにならないと抜けないと言ったでしょう? それにこの指輪いくらだと思ってるの?」


 そんなことを聞かれても、指輪の相場なんて知らない。なにより、高価なものを買ったことがない。困惑してるとルカがすっと指を立てる。


「三……」

「さん……?」


 シェラルドが呟き、フィーベルも復唱する。

 するとルカはふう、と息を吐いた。


「これ以上はやめておくわ。多分聞いたら卒倒してしまうと思うから」

「「…………」」


 前にアンネが教えてくれた金額を思い出す。あれよりも上なんだろうか。ルカの指は三つ立っていた。むしろ正確な金額を聞かなくてよかったかもしれない。指輪を受け取った時は震えながら受け取ったが、今やすっかり自分の指に収まっている。改めてこれを受け取るべきではないのでは、と思ってしまった。


 すると補足説明される。


「これはオーダーメイドだからかなりお高いの。高すぎると普通の人は買えないでしょ。お客様に提供するときはもう少し抑えてるわ」

「……なんでそんな高いやつ送ってくるんだ」


 シェラルドが最もなことを言う。

 ルカはあっけらかんと答えた。


「そんなの可愛い弟とその花嫁さんのために豪華にしたいっていう姉心に決まってるじゃない。全くそういうところにも疎いんだから」

「……いや、そんなにかけなくても」


 シェラルドの言葉にフィーベルも同意するように何度も頷く。仮の夫婦に渡す代物ではない。むしろもったいない気がする。するとくすっと笑われた。


「二人の指輪は効果も増やしてるの。その分魔力も必要になるから、どうしても高くなってしまってね。でもかなり硬いわよ。壊れにくいし、ずっと美しいままだわ。どうせシラは仕事であちこち身体を酷使するだろうし、指輪も壊しちゃうんじゃないかって心配もしてたの」

「…………」


 黙ったということは図星なのかもしれない。フィーベルもけっこう動き回る方なので、素直にありがたいと思った。気を付けてはいるものの、戦闘になると割と我を忘れてしまうことがある。


 するとルカが両手を軽くたたきながら「話を戻すわね」と言った。さっきまでの黒い雰囲気はどこへやら、また優し気な眼差しでこちらを見る。


「フィーベルさんがシラのことを思ってくれるのは嬉しいわ。でもね、この子に好きな人ができるなら、とっくにできてるはずなの。全くその様子がないままに二十五年も生きてきたんだから、私たち家族もクライヴ殿下も心配してたってわけ。だから花嫁を探したのよ。で、あなたが選ばれた。この意味が分かるかしら」

「でもシェラルド様は、何人も恋人がいたのでは」

「だからいないって何度言わせれば……これ前も言ったぞ!?」


 以前も似たような会話をしたからか、少し怒った口調で言われる。フィーベルは少し萎縮しつつもすみません、と頭を下げた。というのも。


「だって、こんなにもかっこよくて素敵な方に、恋人が一人もいないってなんだか信じられなくて……」


 シェラルドは一見強面だが、目鼻立ちはよく整っている。


 ルマンダが「私に似て容姿はいいし」と言ったように、あの綺麗な女性の息子なのだから、普段から真顔でなければ、通り過ぎる人から二度見くらいはされると思う。そうでなくても自ら率先して仕事を行っているし、人から頼られている姿も見る。式典では多くの令嬢から言い寄られていた。過去に一人や二人や三人いた、と言われた方が信じるくらいだ。


「…………」

「あら、まぁ」


 フィーベルが思ったままのことを伝えれば、シェラルドは黙ってしまった。ルカは口元を緩ませ、嬉しそうに自分の頬に手を当てる。


「あらあら。フィーベルさんはシラのことをそう思ってるの?」

「はい。いつも助けてくださいますし、お優しい方ですから」

「どういうところが優しいなって思ったの?」

「式典の時にお酒に酔ってしまったんですが、そのまま寝かせてくれたんです。あと、熱を出したときは看病をしてくれて」

「うんうん」

「……もういいだろ」

「シラは黙ってて。それで?」


 渋い顔になったシェラルドにルカは容赦なく冷たい言葉を浴びせる。その様子に迷ったが、ルカに話を促されたのでフィーベルは続けた。


「毎日ハグをしてるんですけど、最近はシェラルド様からしてくれるようになったんです。それが嬉しくて」


 思い出してしまい、少し照れたようにフィーベルは少しだけ頬を染めた。前までは必要ないだのしなくていいだの何かしら言われることの方が多かったが、看病の後からシェラルドは少し変わった。


 会えば分かっているのか進んで抱きしめてくれたり、こちらが向かえば受け止めてくれる。それは大きな進歩であり、フィーベル自身も少しだけ楽しみにしている時間だったりする。


「「…………」」


 じーっと弟を見るルカに、シェラルドは居心地が悪そうに視線を逸らす。何も言うつもりはないらしい。ルカは苦笑した。


「なんだ。大丈夫なんじゃない」

「?」

「フィーベルさん。これからもあなたに花嫁でいてほしいわ」

「……でも」


 自分で本当にいいんだろうか。


 シェラルドがこの先好きと思う女性が現れない可能性もない。シェラルドは優しい。今までも色々とやらかしているが、フォローしてくれている。だからこそ彼のためになることをしたいと思ったのだ。


 するとルカは少し強い口調になる。


「これは誰からの命令?」


 はっとする。

 そうだ、忘れてはいけない。


「クライヴ殿下です」

「そうよ。私のお母様とお父様、兄のシャウル、そして私の願いでもある。あなたはこれだけ多くの人に願われているのよ。それなのにやらないの?」

「やります!」

「……まるで恐怖政治だな」

「シラは黙ってなさい」


 またしてもぴしゃりと言われてしまう。


 シェラルドは不貞腐れるようにして口を閉じる。その様子が珍しいのと可愛らしく映り、フィーベルは少しだけ含み笑いをしてしまった。シェラルドは色んな人にいじられてはいるものの、それでも言い返している姿をよく目にする。こんなにも素直に従うのはルカの前だけじゃないだろうか。


 ルカはこちらを見てにこっと笑う。


「いい夫婦になれると思うの。指輪も証明しているし」


 今度は困ったような顔になる。


「シラは女性にあまり優しくないのよ。心配したり看病したり、自らあなたを抱きしめてるだなんて」


 最後はとびきりの笑みを浮かべて言い切る。


「そんなの、あなたを大事に思ってるからだわ」


 フィーベルはちらっとシェラルドを見る。すると彼はこちらの視線には気付いているだろうが、微妙に顔を逸らしていた。耳元が若干赤くなっている。


 否定の言葉もないので、ルカは遠慮なく弟をいじった。


「この通り照れ屋なのよね」

「うるさい」

「……誰に向かってうるさいですって?」


 若干声が低くなり、姉弟でぎゃあぎゃあ言い合いが始まった。フィーベルはそんな二人を見つつも、ルカの言葉を心の中でもう一度唱えた。


 ――大事に思っている。


 だから優しくしてくれて、だからいつも助けてくれるんだろうか。シェラルドは優しい。「ただ優しい」だけでなく、こちらのことも考えてくれているのだと知る。今まで人と深く関わったことがない。特に異性ということもあり、分からないことも多々ある。だが、それでも、そんな自分でも、シェラルドは受け入れてくれている。……大事に、思ってくれている。


 それが分かって、フィーベルは胸に温かいものが広がり出す。今までも温かい気持ちは何度ももらった。だが、なんだか、今までにない感情が沸きあがるようにも感じた。それがなんなのかまでは分からないが、今思い浮かんだ言葉を素直に伝える。


「私も、大事にしたいです」


 すると二人の動きが止まった。




 フィーベルは今までにない程に優しい表情になっていた。


 シェラルドはしばらくその顔を見つめる。笑った顔も、穏やかな様子も、今まで見たことがあった。だが、本当に慈しむように、大事にしたいと言葉にしてくれる。しばらく視線が逸らせなかった。


「こほん」


 わざとらしくルカが咳払いをする。はっとして見れば、口元を緩ませながらこちらを見ていた。


「双方同じ気持ちなら、やっぱり花嫁は継続ね。フィーベルさん、シラを頼むわ」

「はい。一生大事にします!」

「……いや待てそれ俺の台詞だろ」

「え?」

「なんでもない」


 いつものようにツッコミをしてしまったが、思わず口走った言葉にシェラルドの方が焦った。フィーベルがそういう意味で言ったわけではないことは分かっている。自身がそう返したのも、深い意味はない。と、分かっているがやはり動揺してしまった。


(……そこは俺、じゃなくて男、だろ)


 言い間違えたことにどこか悔しさを感じた。


 だがフィーベルは「でもほら、なんだかかっこよくありません? むしろ言ってみたかったんです」と訳の分からないことを言っていた。普段から小説をよく読むらしく、そこにも出ていた台詞らしい。「その台詞言ったの男の方だろ」と断言すれば「なんで分かったんですか!?」と目を丸くされた。


 ルカはさっきから輝くような笑顔を向けてくる。

 若干シェラルドはそれが鬱陶しく映った。


「お待たせいたしました」


 するとタイミングよく料理が運ばれてくる。


 ルカは一口サイズにカットされた牛肉のステーキ、シェラルドは店こだわりのソースがかかったデミグラスハンバーグ、フィーベルは鶏肉の赤ワイン煮を注文していた。セットで玉ねぎのスープとバゲットもついてくる。


 各々が嬉しそうに受け取りながら、シェラルドはフィーベルの手元の皿を覗く。


「それだけで足りるか?」


 三人の中で一番量が少なく見えた。ルカだって一口サイズではあるが牛肉を頼んでいる。鶏肉も美味しいが、カロリーは低めだ。フィーベルは腕が細い。身体も細く、どこに力を温存しているのか、と疑問に感じることがある。


 すると店員から付け足すように言われた。


「そちらのお客様からは追加で注文を受けております。お食事が終わる頃にお持ちしますね」

「はい、お願いします」


 フィーベルがにこにこしながら答えていた。


「フィーベルさん、何を頼んだの?」

「ええと、魚介たっぷりパエリアと牛フィレ肉のステーキも頼みました」


 二人して唖然とする。

 するとはっとされた。


「す、すみません。訓練後なのでお腹すいてて……。待たせることはしませんから、それは安心してください!」

「……え、ええそこは別に心配してないけど……」


 ルカも言葉を濁していた。


 フィーベルは早速鶏肉を口の中に入れていた。美味しいのか自然に笑顔になっている。それにしても、あの細さでその量を食べるとは。食べない方なのかと思えばがっつり食べるときは食べるらしい。フィーベルの新たな一面を知った。


 シェラルドも自分の料理に口をつける。肉厚で肉汁が溢れるハンバーグは絶品で、ソースに絡めるとさらに美味しい。ルカも美味しそうに口を動かしていた。


 フィーベルは宣言通り、一瞬で追加の料理も平らげてしまった。満足そうに微笑む姿に、シェラルドもルカも思わず笑みをこぼした。

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