32:すれちがい

 仕事が終わった後、フィーベルはシェラルドに会う。傍には見知らぬ女性がいたのだが、きょとんとしている間に両手を掴まれ、きらきらの眼差しを向けながら自己紹介を受けた。


 長い茶の髪にたれ目がちな二重の瞳を持つ彼女はシェラルドの姉のルカ。シェラルドと並んでみるとあまり顔が似ていなかったのだが、おそらくルカは父似なのだろう。優し気な顔立ちをしている。


 フィーベルも挨拶しようとするが、顔の前に手が出された。大体は知っているが色々質問したいから後から答えて欲しい、と言われる。


「あ。ちゃんと指輪つけてるのね」


 ルカが目を細める。聞けばこの指輪、魔法の指輪らしく、一度はめると抜けないようだ。フィーベルは気にせず毎日つけていたので外したことがなかった。試してみるが、確かに抜けない。


「お互いが大嫌いになったら自然に抜けるの」

「え」


 さらっとすごいことを言われ、固まってしまう。

 するとおかしそうに笑われる。


「大丈夫。だって夫婦は永遠に一緒だもの。お互い愛し合っているなら、どんなことがあっても乗り越えられるわ。だから指輪も一緒に幸せになってほしいなと思って。安心したわ、どうやらシラは花嫁さんに見限られてないようね」


 面白がるようにしてシェラルドに顔を向けている。シェラルドは少しだけ半眼になって姉を睨んだ。ルカもシラと呼んでいるようだ。家族全員そうなんだろうか。なんとなくだが、互いの力関係を理解した。


 フィーベルは恐縮しながら弁解する。


「そんな、見限られるのは私の方です。いつも迷惑をかけてますし……」

「かけてない」


 シェラルドが強い口調で即座に言う。


「でも、式典とか、この前の仕事でも」

「怒ってないって言っただろ。もういい加減に気にするな」

「……怒ってます?」

「だから怒ってないって」

「だってなんだか言い方に棘が」

「ふふふっ」


 ルカがおかしそうに肩を揺らした。


 それを見て二人は静かになる。第三者の反応はどうやら言い合いを抑える効果があるらしい。少し気まずくなったが、ルカは気にせず口を開いた。


「実はこの指輪、色々な効果があるのよ」

「そんなの聞いてないぞ」


 シェラルドが訝しげな顔になる。

 だがルカは得意げに両手に腰を置く。


「どんな効果があるか、全部はカタログに載せてないの。それは二人の目で確かめてちょうだい」


 シェラルドはさらに嫌そうな顔になった。


 ルカ曰く、情報を公開し過ぎても面白くないからあえて秘密にしているらしい。客との駆け引きも楽しんでいるようだ。そして、秘密にしているからこそ気になって買ってくれるお客もいるのだとか。


「そんなにたくさん効果があるんですか?」

「ええ。二人がどんな様子なのか、指輪が証明してくれるってわけ。今の二人は……」


 ルカはシェラルドとフィーベルの手を、自分の左右の手に載せる。プラチナの指輪が、いつもと変わらず二人の指で光っている。


「あら」


 ルカが嬉しそうな声を出す。


「え?」

「ほら。淡い光が出ているの、分からない?」


 二人は自分の手と相手の手を凝視する。


 すると確かに、どちらの指輪も微かだが淡い光を生み出していた。色は橙色。温かい色合いだ。魔法の指輪でもあるので、おそらく魔力によって光を出しているのだろう。よくできている。


 だがかなり近くで見ないといけない。少しでも離れると、その光はすぐさま分からなくなった。だが、指輪をつけた者だけが分かる、という点も、お客から支持されているらしい。ロマンチックなのだという。


「暖色系の色合いだと仲良しの証拠なの。色が濃い方が関係が深いってことよ。寒色系の色合いになっていると互いの気持ちが冷めてるってことだから、気をつけてね」


 早々に指輪の秘密を教えてもらったわけだが、良好な関係を築けているのなら、フィーベルは素直に嬉しく思った。自分の左手に光る指輪をじっくり見てしまう。淡い光があると分かると、なんだか心まで温かい気持ちになる。


「よかった。少しは関係が進んでいるのね」


 しばらく眺めている間にルカに言われる。


 と、視線があることに気付き、フィーベルはそちらを見た。するとシェラルドと目が合った。はっとしたように視線を逸らされる。


「さて。立ち話もなんだし、一緒にご飯でも食べましょう。おすすめのお店があるの」

「あ、じゃあ着替えてきます」

「別に制服のままでもいいぞ」


 店は城下町にあるらしい。気軽に立ち寄れるお店らしく、制服のままでもいいようだ。現にシェラルドも制服のままである。気を遣って言ってくれたのは分かったのだが、フィーベルは苦笑する。


「先程まで訓練だったので、汗をかいていて……。すぐ戻りますね」


 小走りで部屋へと向かった。




 待っている間、ルカからじろっと睨み付けられる。


「ちょっと。デリカシーないんじゃないの?」

「……悪かったと思ってる。着替える方が手間かと思って」

「フィーベルさんの仕事の状況とか知らないの? なんで把握してないの。あと、お店に行くのに制服で行きたい女性なんているわけないでしょう。ちょっとでもおしゃれしたいのが女心ってもので」

「分かった。分かったから一旦止めてくれ」


 ルカはお説教モードに入ると口調がきつくなるだけでなく、話が長くなる。くどくどと何度言われ続けたことか。このままでは一生話が終わらない。


 降参、という風に両手を上げておけば、ルカはようやくふう、と息を吐いた。あっさりと聞いてくる。


「フィーベルさんの最初の印象言ってもいい?」

「……ああ」


 どうせ断っても言うんだろうなと思いつつ促す。


「いい意味で素直。悪い意味では進展が難しそう」

「…………」

「さっきの指輪の光、『友達以上恋人未満』の関係の時に出るものよ」

「…………」

「ああ、でも色が少し薄かったわね。友達くらいの関係かしら。……私の言いたいこと分かる?」


 シェラルドは黙っていた。


 むしろ分かったところでどうしたらいいのかまでは分からない。フィーベルは花嫁だが本物ではない。今、少しでも関係が良いのならそれで問題ないはずだ。これ以上の関係を望むのは、むしろ本物の夫婦の話だろう。今の関係をルカが知っているかどうかにもよる。丁度周りに人もいないし、いっそ言ってしまおうと思った。


「あいつは」

「シラはそれでいいの?」

「……何がだ」

「お父様とお母様から事情は聞いているわ。二人の関係もね。でも、シラはそれでいいの?」


 あっさり暴露してきた。開いた口が塞がらない。最初は知らないふりをしていたくせに。シェラルドは少しだけ眉を寄せながら、簡単に事情を説明した。


「理由があって今の関係にいる。命令なんだ。俺の意志でも、あいつの意志でもない」

「別に好きになっちゃいけないわけじゃないんでしょう?」

「……なんでそんな話になるんだ」


 するとルカは打って変わって真面目な表情になる。


「あのクライヴ殿下が探してくれた相手よ。どうでもいい人なんか選ばないわ。それに殿下はシラのこと大好きだもの。聞けば、フィーベルさんは殿下の秘蔵っ子らしいじゃない。そんな大切な子をシラに任せてくれるなんて、よっぽどの信頼がないと無理だわ」

「……秘蔵っ子って誰に聞いたんだ」

「ヨヅカよ。あなた達に会う前に教えてくれたの」

「…………」


 またあいつは余計なことを、と、シェラルドは内心舌打ちを打つ。だがそれは当たっている。そして、それなりに信用してくれてるから任せてもらっていることも、自身で感じていた。だから引き受けたのだ。クライヴが断れないようにしたようにも見えるが、フィーベルの複雑な立場も関係しているが、任されたのならそれを貫きたい思いもあった。


「まだ出会って間もないけど、いい子だと思ったわ。艶やかな髪に美味しそうに熟したベリーのような綺麗な瞳。お母様が綺麗って言っていた意味が分かった。あの子、外見だけじゃなくて中身も綺麗ね」

「…………」

「あんないい子、そうそういないわよ。あなたはよくモテるけど、大体はあなたの外側しか見ない人達ばかりなんだから」

「……分かってる」

「私達のお母様は貴族の娘でもあるのよ。どうしても注目されてしまう。だからこそ家柄にとらわれずに素敵な人と結婚してほしいの。私もシルもそう。お互いこの人、と思った人と結婚した。あの子、いい子じゃない。シラの強面の顔にも動じないし」

「いや最初は怯えられたが」

「あらそう」


 ルカは自分の口元に手を持っていった。


 シェラルドは容姿がいいとはよく言われるものの、割と目元はきつい印象を受けるようで、初対面から怖がられることが多い。母のルマンダもそうだ。特に彼女は不愛想なので、若い頃から「美人だけど近寄りがたい」という印象を持たれていたらしい。親子で同じ道を辿っている。


「でも、今は全然平気でしょ? 私は賛成。妹が欲しかったのよね。だからこのまま」

「――駄目だ」


 さすがにこれ以上は言わせない。


「……どうして?」

「全部俺達の立場で口にしてる。確かにあいつは……素直で人思いだ。だが、あいつの相手を決めるのはあいつ自身だろう」


 まだ出会って浅い。だがだいぶ濃い日々を過ごしていることもあり、フィーベルの性格はなんとなく理解している。いつもこちらのことを思って行動してくれることも。提案をすれば、むしろシェラルドのためならと、そんな理由で頷く気がする。


 少しでも互いに良い関係を築けていることを、指輪を通して知った。フィーベルも嬉しそうにしていた。それに関しては悪くないと思っている。だが、それ以上になることはおそらくない。


 ルカは眉を寄せた。


「じゃあシラは? シラはどうなの? さっきから自分の気持ちを一向に言わないじゃない」

「俺は別に」

「花嫁が気に入らないならあなたはすぐに言うはずだわ。だって意見がはっきりしてるもの。それなのに相手の立場ばかり気にしてる。それって、自分はいいけど相手はそうじゃないかもしれない、ってただ怯えているだけじゃない」

「違うっ」

「違わないわ。それなりに気になってるんでしょう? シラの周りにはいないタイプだものね、あんないい子」

「っ。もういいだろ。この話は終わりにして」

「好きなんじゃないの?」


 息が詰まりそうになった。


「別に好きじゃない」


 口から勝手に言葉が出た。


「…………あ」


 ルカが固まってシェラルドの後ろに視線を動かす。それを見てはっとして振り返った。すると制服姿のままのフィーベルがいた。


 何度か瞬きをしつつ、へらっと笑う。


「すみません、お待たせしました」

「え、でもフィーベルさん。あなた制服のまま……」

「替えの制服に着替えたんです」

「私服じゃないの?」

「私、寝間着以外洋服を持ってなくて……」

「え。どうして?」

「その、あまり外に出ないようにしていたので。部屋にこもるか、仕事をするか、どちらかだったんです」

「……そう。今度お洋服あげるわ」

「えっ、いえいえそんな」

「いいから。ほら、行きましょう」


 自分の腕とフィーベルの腕を絡ませ、二人は先に行ってしまう。ルカなりの気遣いだろう。シェラルドは少し距離を取りながらその後を追う。


 先程の発言に嘘はないはずだ。好きかと聞かれても、分からない。むしろどこからが恋情になる。そこまでの気持ちではないはずだ。間違ったことは言ってないはずなのに、フィーベルに聞かれたことで、シェラルドは息苦しさを覚えた。







(……どうしよう)


 ルカに腕を組まれて店まで目指している間、フィーベルは心の中で唸っていた。


 ほんとはもう少し早く戻ろうとしていた。だが二人が口論していたので、柱の端っこで終わるのを待っていたのだ。距離は取っていたので内容は薄らしか聞こえなかった。だがなんとなく自分のことを話していることは分かった。それにルカはこちらの関係を知っていたようだ。


 最後の言葉ははっきり聞こえた。シェラルドの「別に好きじゃない」という言葉に、一瞬胸が痛くなった。だがその痛みはすぐに消えた。考えてみれば、今のシェラルドとの関係は偽の関係だ。本物ではない。


 本物ではないということは、シェラルドがフィーベルを好きになるわけがないというわけで。そう考えると普通のことであり、フィーベルは「好き」がよく分からない。以前ヨヅカからは「いつか分かる」と言われたが、本当に分かる日が来るんだろうか。


 いやそれよりも。


(私がこのまま花嫁を続けたら、いつかシェラルド様に好きな人ができた時、困るんじゃ……)


 仕事人間のシェラルドだが、いつかはそんな日が来るかもしれない。だが、フィーベルがこのまま花嫁を続ければ、シェラルドはその人と添い遂げることができない。ならばいっそ花嫁を辞めたらいいのだろうかと思いつつ、それだとクライヴとルマンダの約束を破ってしまうことになる。


 と、フィーベルはひらめいた。


(先にシェラルド様の好みを聞いておけばいいのかも。もし好きな人ができたら、花嫁は辞めるってことも伝えておいたらいいかな)


 クライヴとルマンダに相談しないといけなくなるが、ようはシェラルドに好きな人ができてその人と無事に結婚したら万々歳だ。フィーベルのお役目も御免である。きっとこれが、誰もが望むハッピーエンドになるだろう。


 我ながら名案だとフィーベルは少し微笑む。一方、黙ってにこにこしだしたフィーベルに、ルカは少し戸惑いながら見ていた。







「ここよ」


 案内されたお店は城下の路地裏の端にある、こじんまりとしたものだった。赤い屋根が特徴的で、店の前には開いていることを示す小さい看板しかない。


 フィーベルが中に入ろうとするが、急にルカはシェラルドに言い放った。


「シラ、私気が変わったわ。今日はフィーベルさんと二人きりで話してもいい?」

「え」


 ここまで一緒に来たのに。


 驚いて足が止まるフィーベルに対し、シェラルドはあまり動じていなかった。何度か視線を左右に動かす。


「そう、だな。俺は戻る」

「そんな。一緒がいいです」

「「え?」」


 フィーベルのはっきりした物言いに、二人して少し目を丸くされる。


「だってせっかく一緒に来ましたし……」


 この機会にシェラルドの好みも知っておきたい。姉のルカの方が詳しいかもしれないが、好みは本人が一番分かっているだろう。むしろルカに一緒にいてもらった方が話してくれるかもしれない。そんな思いもあった。


「…………」


 シェラルドはルカを見る。

 すると彼女は息を吐いた。


「可愛い花嫁さんのお願いは断れないわね。シラも一緒に食べましょ」


 許可が出て、やっとシェラルドも頷いた。

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