29:二度目の温もり

 フィーベルは目を覚ました。


 どうやら一日半寝ていたようだ。診療所の女医であるロマから説明を受ける。熱も下がり、身体も元気になっていた。回復力と体力を褒められた。最近よく眠れていなかったせいか、久しぶりにぐっすり眠れた気がする。が、倒れたことを思い出して思わず突っ伏す。またしてもやってしまったのでは、と思いつつ、お見舞いに来てくれたアンネが慰めてくれた。


 念の為もう一日だけ入院するように伝えられ、アンネからあの後のことを聞く。みんな心配してくれたこと。無事にルミエールを捕まえられたこと。エダンがクライヴの側近に決まったこと。そして、シェラルドが付きっきりで看病してくれたことも聞いた。かなり心配してくれたらしい。またしても花嫁として不足なのでは、と落ち込んだが、アンネはよしよし、と背中を撫でてくれた。


 夕方にはヴィラがお見舞いに来てくれた。


 これからも期待している、と色んな人から言われたらしい。過去に色々あったとはいえど、上官たちはヴィラを評価する人が多いようだ。「おめでとうございます」と伝えれば、肩をすくめられた。本人曰く、ここからが勝負とのこと。だけど悩んでいたときから進んだのだ。それは喜ばしいことだと思う。


 エダンのことを聞けば、なぜがむっとされる。そして「今はあの人の話をしたくない」と言われてしまった。あの後何かあったのだろうか。


「元気そうで安心した。今日は伝えたいことがあって」

「なんでしょう」

「ほら、式典の時に偉い人達と会食するって言ったでしょう? あの後得られた情報もあったんだ。だけどなかなか伝える暇がなくて」


 そういえばそうだった。無事に式典が終わったと思えば、今回の任務を任されてしまい、思いのほか忙しかった。ヴィラも気にしてくれていたようだ。


「わざわざ時間を作って下さり、ありがとうございます」


 すると苦い顔をされる。


「こちらこそだよ。うちの隊に入ってすぐに大仕事してもらったもん。ほんとお疲れ様」

「ヴィラさんもお疲れ様です。それで、得られた情報というのは」

「うん。フィーベルさんは個性魔法しか使えないんだよね」

「はい」

「どうやら他にもそういう魔法使いがいるらしいんだ」

「! ほんとですか」


 この国ではフィーベルしかいなかったが、他にも存在していることを聞いて少し希望が持てた。一応魔法は使えているものの、手探りでやっていることも多い。制御が難しい時もあるのだ。他の魔法使いは、どのように魔法を使っているんだろうか。


「別の国になるけどね、そこでは『個性魔法』って名称ではないみたい。一つの魔法に特化している魔法使いになるんだって」


 一つの魔法しか使えないからこそ、その魔法を自在に操ることができるという。フィーベルの魔法とよく似ている。そして、魔法使いというのは色んな種類があることを知る。


「一つの魔法だけを使って暮らしている民族もいるんだって。教えてくれた学者さんは出会ったことないらしいんだけど、旅人の中には会った人もいるって」

「へぇ……」


 少人数で暮らしている人達もいるのか。自国を出たものの、すぐにクライヴに出会った。それからはこの国でしか暮らしたことがない。未知の世界なのもあり、どこか実感が湧かない。


「それくらいしか情報は得られなかったかな。ごめんね」

「いいえ、他にもいると知れて嬉しいです」

「今後も他国の人と会う機会はある。色々調べたり聞いたりするつもりだよ」

「ありがとうございます」


 フィーベルは微笑んでお礼を伝える。


 今まで何も分からなかったのだ。

 分かったことが一つでもあるのは大きい。


 するとヴィラも少し笑ってくれた。


「なんだ。ヴィラも来てたのか」

「シェラルド」


 いつの間にか部屋にシェラルドが入ってくる。


 フィーベルは少しだけ慌てた。まさかお見舞いに来てくれるとは思わなかったのだ。それに、色々とやらかしてしまっている。まずは謝罪しなければ、と思って口を開けるが、手を出して止められた。


「謝るな。怒るぞ」

「え。怒るんですか……」


 新手の脅し文句に感じられた。フィーベルは怯み、毛布を自分の顔まで上げようとする。するとシェラルドは慌てた。


「いや、怒らない。大丈夫だ。だから謝るな」

「……娼婦館に行ったこと怒ってますか」

「仕事で行ったんだろう。男装したと聞いた。一瞬だけ見たが似合ってたな」

「! シェラルド様の方がかっこいいですよ!」


 似合うと言ってもらえるのはありがたいものの、男性の方が当たり前だが筋肉や身体のつくりが違う。燕尾服を着ながらあまりにもぺらぺらな身体に、フィーベルは鏡を見ながら少し違和感を感じたのだ。それに比べて式典時に白い礼服をしっかり着こなしていたシェラルドを思えば、かっこよさは段違いだ。


 それを力説すると、ヴィラはなぜか爆笑する。対してシェラルドは少し微妙そうな顔をしつつ「……どうも」とだけ返した。


「じゃあ私は帰るね。シェラルド、あとよろしく」

「ああ」


 手を振りながらヴィラは部屋を出て行く。

 シェラルドは先程ヴィラが座っていた椅子に腰かけた。


「体調はどうだ」

「すっかり元気です」

「そうか。それならよかった」


 安心するような表情になる。

 それを見てフィーベルも顔が緩んだ。


「シェラルド様が看病して下さったと聞きました。ありがとうございます」


 しっかり頭を下げてお礼を言う。すると一瞬相手は顔をしかめた。何故だろうと思っていると、恐る恐る聞かれる。


「もしかして、覚えてないか」

「え? ……まさか私、また失態を」


 式典の時に酔って寝てしまったのを思い出す。あの時も覚えていなかった。思わず顔が青くなるが、シェラルドが全力で首を横に振る。


「いや、そんなことはない。大丈夫だ。何もない」

「でも、」

「何もなかったから。そういえば、ヴィラから聞いたか」

「?」

「ヴィラ隊の新しい副隊長はイズミになったと」 

「イズミ様が?」


 話題を変えられたが、その話に思わず食い付いてしまう。エダンがクライヴの側近になるのなら、新しく副隊長になる者がいることは容易に想像できた。


 ヴィラと話していたものの、主にフィーベルの魔法のことを話してくれたので、新しい副隊長のことは聞いていなかった。イズミは優秀であるし、ヴィラのこともよく分かっている。適任でありつつ、まだ若い彼が副隊長の位置につくことに感心してしまう。


 するとシェラルドは平然と「ヴィラは十九の時に隊長になったぞ」と驚く情報をくれた。聞けば同期であるものの、シェラルドよりもヴィラの方が二つ若いらしい。ますますすごい。フィーベルは今十九だ。その歳に隊長になったなんて。


「エダン殿のサポートがあってこそだけどな」

「これからはヴィラさんが隊を引っ張りますね」

「ああ。エダン殿からしたら嬉しいだろう」


 シェラルドが目を細める。ヴィラのことは対応が面倒だと言っていたものの、同期の成長を喜んでいるようにも感じた。


「先程ロマ殿から聞いた。あと一日入院か」

「はい。私は元気なんですけど……」


 すっかり完治した。身体を動かしたくて仕方ない。だけどロマからは安静に、と強く言われてしまった。するとシェラルドも苦笑する。


「せっかくだ。ゆっくりするといい」

「はい」

「顔が見れてよかった。じゃあ」

「もう帰るんですか?」


 思わず出た言葉に、シェラルドが目を丸くする。

 するとフィーベルもはっとした。


 シェラルドは隊長の一人であり、エリノアの側近だ。今日だって忙しいのにわざわざ時間を作って来てくれたに決まっている。フィーベルはすぐに自分の口を手で塞いだ。余計な言葉は相手を困らせるだけだ。


 すると相手は少し戸惑いながら口にする。


「俺がいない方が、休めると思ったんだが」

「そんな。一人で寂しかったです」


 顔をまじまじ見られる。


 フィーベルはまたはっとする。

 今度は毛布を頭から被った。


「……フィーベル」

「すみません」

「謝るな」

「だって、困らせることを言って、すみません」

「別に困ってない」

「でも、シェラルド様は忙しいのに」

「俺は……旦那だ。花嫁の見舞いに来るのは、当然だ」


 フィーベルはゆっくりと毛布から顔を出す。

 じっとシェラルドを見れば「なんだ」と聞かれる。


「そう、言われると思わなくて」


 すると少しむっとされた。


「来なかったら俺から会いに行く、と言っただろ」


 確かに言われた。言われるまで忘れていた。けど、シェラルドは覚えていたのだろう。フィーベルの心に、温かいものがじわじわと広がる。


 すると何も言わないからか、怪訝そうな顔をされた。


「おかしいか」

「ち、違います。……嬉しいです」

「…………そうか」

「「…………」」


 互いに黙ってしまう。


 なんだかむずがゆい。こうやってゆっくり話すのも久しぶりな気がする。前はどのように話していただろう。確かシェラルドは、花嫁だからって何もしなくていいと言ってきた。だけど今は、旦那として、見舞いに来たと言ってくれた。


 そういえば、アンネに言われて夜の街風ドレスを身に着けた時のシェラルドも、少し違った。いつもハグは三十秒ぴったりで終わるのに、長い間抱きしめてくれた。なんだか、気恥ずかしい。どうしたらいいのだろう。


 するとシェラルドの方が耐えきれなくなったのか「仕事があるから、そろそろ戻る」と言ってきた。フィーベルも「お気をつけて」と今度は止めなかった。


「じゃあまた」


 言いながら軽く頭を撫でてくれる。優しくて大きい。部屋を出ようとする背中に、フィーベルは思い出したように「シェラルド様」と呼んだ。


「どうした」

「あの、はい」


 両手を広げて見せる。

 確か久しぶりのはずだ。


「…………」


 シェラルドは少しだけ突っ立ったままになる。


 その表情は読めなかった。こんな時にすべきじゃなかっただろうか、とフィーベルは少し不安になる。そのまま広げた手を縮めようとした。


 すると。


「上着を着ろ」


 と言われた。


「え?」


 思わず自分の服装を見てしまう。


 今フィーベルが着ているのは真っ白なネグリジェ。思ったより可愛らしい形なので見舞客にも失礼にはならないはず。腕の辺りが少し透けている素材なのだが、それは見た目だけだ。機能性ばっちりで、この一枚だけなのにけっこう温かい。ならば別にこのままでもいいのでは、と首を傾げた。


 だがシェラルドは真顔で再度言う。


「上着を着ろ」

「え、でも別に」

「いいから」

「どうして」

「フィーベル」


 少し声に棘が入った。

 思わず背筋が伸びる。


「着ないならしない」

「……着ます」


 なんだか上司に怒られる部下、という図になった。


 フィーベルは診療所に置かれている分厚いニットの上着を羽織る。ボタンまでしっかり留めて、シェラルドの前に立った。なんとなく空気を呼んで敬礼してみれば「しなくていい」と額を小突かれる。小突かれて目を閉じている間に、フィーベルはシェラルドの腕の中にいた。


 おずおずとフィーベルもシェラルドの背中に手を回す。すると下ろしている髪に触れられた。撫でるように上から下に手が動く。その動きが優しくて、だが予想しない動きに、少し緊張してしまう。


「フィーベル」

「は、はい」


 少し声が上擦ったからだろう。「どうした」と言われてしまう。それはこっちのセリフだ。上着を着ないとしないとか言っておきながら、こんなに優しく触れてくるなんて。


「……なんでもないです」

「そうか」


 しばらくシェラルドはフィーベルを離さなかった。フィーベルも離さなかった。無言になった時間が居たたまれないと思っていたのに、この時間はどうやら二人共平気らしい。


 静かな中、でも抱きしめる腕の強さは変わらず、いつの間にか時間だけが過ぎていく。慣れない行為だったことが、いつの間にか当たり前になる。シェラルドが帰る頃には、二人とも身体が温かくなっていた。







 無事に退院したフィーベルは、魔法兵団に向かっていた。


 多くの魔法兵が行き来する場に到着し、そこでヴィラを見つける。ヴィラの後ろにはエダンもいた。挨拶をしようと声をかけようとしたが、それよりも先にあることが起きる。


 エダンがヴィラの腕を取ろうとした瞬間、ヴィラが手を払ったのだ。


 これには見ていたフィーベルだけでなく、他の魔法兵からも困惑の声が上がる。ただでさえ魔法兵団の中だとヴィラとエダンは目立った存在である。そんなことが起きれば周りも驚くだろう。


 手を払われたエデンも目を見開いて口を半開きにしていた。だがヴィラは冷静な顔のまま、すっとエダンの前に立つ。背はエダンの方が高いため、首を少し上げて口を開いた。


「何か御用でしょうか、エダン殿」

「!」


 またもや周りから色んな声が漏れる。

 だがヴィラは一切気にしていなかった。


「あなたはクライヴ殿下の側近のはず。常に主の傍にいるべきでは?」

「……発表はされたがまだ正式じゃない。あと数日ある」

「副隊長の引継ぎはすでに終わっているとイズミから聞いております。ならばここにいる必要はないかと」

「っ、ヴィラ」

「自身の責任を果たしてください」


 そう言い残すとその場を歩き出してしまう。


 フィーベルは茫然とそれを見てしまった。

 他の者も立ち止まって二人を遠巻きに見ている。


「え、なにあれ」

「ヴィラってあんなだったか?」

「彼女がエダン殿に気があるのかと思ってたが……」

「まさか逆?」

「なんだかエダン殿が不憫だな……」


 同情の声も上がっている。

 フィーベルも同情したくなった。


 立ち止まって背中を見つめるエダンに、おそらく同期と思われる二人の魔法兵が近付く。そして肩を組んで背中をばんばんと叩いていた。


「気にすんなよエダン。むしろ良かったじゃん。やっとお守りから解放だぞ?」

「側近まであと数日あるならぱーっと遊ぼうよ。他にも人を呼ぼう。どんな子がいい?」

「……ヴィラじゃないと意味がない」


 ぼそっと呟いたつもりだったのだろうが、周りが静かにしていたせいか、その言葉は割と多くの者に広まった。二人の魔法兵も「おおっ」と声を上げる。


「え、お前本気でホの字なの?」

「まじか。どこがいいんだ? まぁ顔は悪くないけど、がさつじゃん」

「っ、お前らには分からないだろうっ!」


 エダンは二人の腕を払い、怒ったような声を出す。


「あいつが影で努力していることも、実は何度も泣いたことがあるのも知らないだろ。ああ見えて意外と繊細なところがあるし、周りをよく見てる。俺のおかげで仕事を成功させたと言われることもあったが、あいつが動いたおかげで」

「こっ恥ずかしいことを言うなっ!」


 エダンの大声が耳に届いたのか、ヴィラが戻って声を上げる。顔が赤くなっていた。確かに公衆の面前で言う話ではないかもしれない。するとエダンが「ヴィラ」と名前を呼びながら彼女に近付いた。だがすぐにヴィラは顔を背け、早足で進んでしまう。「ヴィラ、待て。おい、ヴィラ!」とエダンの声だけが響き渡る。


 周りで見ていた者たちはしばらくしてからまた歩き始める。止まっていた流れが元に戻るように、人々が行き来し始めた。これはまた、ヴィラとエダンのことで色々と噂が流れそうだ。


「ベル」

「イズミ様」


 いつの間にかイズミが傍にいた。


 いつもの無表情だが「様付けはいらない」と返される。さすがに呼び捨てにはできないので「イズミさん」と言えば、頷かれた。ちなみにイズミからは「ベル」と呼ばれている。彼曰く「フィーベル」だと名前が長いらしい。かなり縮められた。


「あの、あの二人は……」


 事情を知っているかと思い聞けば、息を吐かれる。


「何かあったらしい。けど、俺も知らない」

「いつからああなんですか?」

「側近が決まった日から」

「……どうしたんでしょう」

「さぁ。いつものことだ」


 どうやらイズミはあんまり気にしていないらしい。元々よく言い争うことがあったようで、慣れているようだ。シェラルドのような態度で、フィーベルは苦笑してしまう。


 エダンはこれからクライヴに付きっきりになる。魔法兵団の方にはあまり来れなくなるだろう。せめて仲直りだけでもしてくれたら……とフィーベルは願ってしまった。

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