28:ひとまず決着
シェラルドは寝台から身体を起こし、椅子にかけていた上着を羽織った。
まだ眠るフィーベルを見ながら、そっとその額に触れる。熱が引いていることが分かり、ほっとした。すやすやと眠るその姿はまるで赤子のようで、思わず微笑が出た。軽く手の甲で頬を撫でた後、その場を後にする。
ドアを開ければ、すぐ傍に長い椅子が用意されており、そこにはイズミがいた。聞けばアンネは仮眠を取っているようだ。その他のメンバーは片付けや報告のため、先に戻ったとのこと。フィーベルを頼むと伝えれば、彼は無表情のままだがしっかり頷いてくれた。
外に出ればまだ日が昇ってないせいか暗かった。早朝は少し冷えるのか、容赦なく風が当たる。だが、身体はまだ温かいままだった。
夜の街はその名の通り、夜にたくさんの灯りと共に賑わっていたが、朝になるとかなり静かで人通りもほとんどない。深夜に帰宅した者もいれば、そのまま朝まで楽しんでいる者もいるのだろう。シェラルドは真っ直ぐ城に向かって進んだ。
「あ、シェラルド!」
寝静まっている者もいるというのに遠慮なく大声で名前を呼んだのは同期のハリー・メインドだ。思わずシェラルドは眉を寄せてしまう。
彼は主に城の警護をしている騎士で、しかも夜勤が多い。だから日中はほぼ会わないのだが、まさかここで会ってしまうとは。正直あまり会いたくない人物でもあった。
というのも。
「お前、朝帰りか? 夜の街にいたんだろ?」
この通り不躾が過ぎるのだ。
ていうか何で知ってる。
シェラルドは無視して通り過ぎようとした。
「あ、おい待て待て待て!」
わざわざ横に並んで話しかけてくる。
目線は前にしながらも「なんだ」と答えた。
「なぁ詳しく聞かせてくれよ。俺夜勤ばっかだから全然そこ行けねぇんだって」
「知るか」
「ちなみにどんな娘選んだんだ?」
「俺は仕事で行っただけだ」
「えー嘘だろ? だってなんか匂い違うぞ」
思わず足が止まった。
追い打ちのように言われる。
「なんだかミルクみたいな、ちょっと甘い匂いがする。何か食べたのか? それとも残り香?」
シェラルドは少しだけ焦った。
まさか、フィーベルの香りなんだろうか。抱きしめたときはそんな香りはしなかった。それに、ミズノの雨の魔法でずぶ濡れになっていたのだ。香りがあったとしても消えるだろう。それとも、彼女自身が本来持っている香りなのだろうか。
するといつまでも何も言わないからか、ハリーがちらっとこちらを見てくる。心なしか、口元がにやけていた。それを手で隠すようにしながら、そっと聞いてくる。
「……え、やっぱり寝たの?」
手が反射的に動き、ハリーの頭を引っぱたいていた。「いてええっ!」と悶絶している間、シェラルドは足を早めた。
執務部屋に入り、やっと息を吐く。
情報が多すぎてくたびれた。昨日だってほぼ眠れてない。いや目を開けたら横になっていた。隣にはフィーベルがいた。驚きながらもいつの間にかあの格好のまま倒れていたことを知る。身体を横にしても寝れた心地がしない。今だって頭が重い。
「あ、おかえりシェラ」
「っ、いたのか」
ヨヅカがいたことにやっと気付く。
なんとか落ち着かせて椅子に座ろうとした。
「早い帰りだったね。フィーベルさんは大丈夫?」
「ああ熱も下がってた」
「そっか。看病ご苦労様」
「そっちこそ。色々と助かった」
「どういたしまして。ガラク隊長が指揮してくれたよ。人を動かすのが上手いよね、あの人」
「……ああ」
本来であれば自分がすべきだと思ったが。するとヨヅカが「人に頼るのはいいことだよ」とさりげなくフォローしてくる。シェラルドは苦笑した。
「それにしても早いな。寝てないのか?」
「仮眠は取ったよ。ほら、例の男。目が覚めたみたいだから、直々にクライヴ殿下が話を聞いたみたいなんだ。何の話をしたのか、気になって」
「! 殿下が直接?」
「話してみたかったんだって」
信じられない。自身の評判を落とすようなことをした人物に直々に会うとは。一応この国の第一王子だ。捕まえてからすぐに話を聞きに行こうとする精神はさすがクライヴというべきか、早急過ぎる対応か。アンダルシアや他の者から彼の様子を伺うことだってできるのに。
「それで、相手は何て?」
するとヨヅカは首を横に振る。
「内容は教えてもらえなかった」
「は?」
「アンダルシア殿から言われたんだ。この件に関しては全て殿下が引き受けるって。だから彼に関して何かする必要も言う必要もないって」
「…………重要な内容なんだな」
「おそらくね」
第一王子が動くということはそういうことだ。
シェラルドは最初この任務を聞いたとき、少しくだらないと思っていた。クライヴに似た人物がいたからといって、何か騒ぎを起こしたわけではない。似た人物なら世界に何人かいるだろう。だからいてもおかしくない。
それなのにこうしてわざわざ多くの者を使って事に当たらせた。それはクライヴが関係していたからなのもあるが……もしかしてクライヴは彼のことを知っていたのだろうか。
「彼はどうなる」
「それも分からない。でもしばらくは城で管理するんじゃないかな」
何かしら重要な話の中心になるのならそれが妥当の対応か。しかしこの件はすでにシェラルドたちから離れた。何かあったら連絡が入るくらいだろう。
「あ、そういえばエダン殿なんだけど」
「?」
「辞令が出たよ」
「……私が、ですか」
エダンは驚いたように目を見開く。
クライヴは微笑んで頷いた。
「そう。君を見込んでの決定だよ。彼をちゃんと捕まえてくれたしね」
「……それは、私だけの力ではありません。イズミや、ヴィラ隊長も」
「今回の仕事を成功させたら、君を僕の『側近』にすると前から決めていたんだ」
エダンは思わず喉が鳴った。
無事に目的の人物を捕獲することができた。倒れたフィーベルの看病はシェラルドに任せ、四人で後片付けを行った。ガラクが他の騎士や魔法兵を呼んでくれたおかげで、そこまで時間はかからなかった。
その後は、報告のため城に戻った。ヴィラとは仲違いしていたこともあり、少しだけ気まずく、互いに無言で報告書を作っていた。珍しく席に座って仕事をするヴィラに少し驚いたが、今回の任務を無事終わらせたことを副隊長として、元教育係として、少し誇らしかった。
そんな中、急にマサキが来た。
クライヴが呼んでいる、と。
今回の任務が成功したのは参加したメンバーのおかげだ。自身の力だけでない。だがクライヴは、仕事自体を成功させたから側近にしたいと言ってきた。
第一王子の傍にいればより羨望の眼差しを向けられる。魔法兵としても誇りが高い。……と同時に戸惑いが隠せない。普通側近は騎士がなることが多い。エリノアには二人の側近がついており、どちらも騎士だ。魔法兵が側近になるのはあまり聞かない。
「なぜ、私なのですか」
「あれ、あんまり嬉しくない?」
「そんなことは。ですが、自分はそこまでできた人間だとは思っていません」
「噂に聞く謙虚ぶりだねぇ。そこがみんなに好かれる人柄かな」
朗らかに微笑む。
クライヴは式典で見かけており、顔はよく知っている。だが直接話したことがないため、人物があまり掴めなかった。彼が一方的に知ってくれていたのだとは思うが、側近になるだなんて実感が湧かない。
戸惑う表情に何を思ったか、クライヴは少しだけ真面目な顔になる。
「僕が側近を今までつけてなかったのはなんでか分かるかな?」
「!」
そういえば、確かにいない。王女であるエリノアは早々につけられていた。だがクライヴの傍にはマサキしかいない。マサキは文官だ。「護衛」は誰もついていない。一応部屋の前に警備をしている者はいるが、あれも交代制だ。
「それは、殿下が必要ないと判断されたのでは」
「そうだね。でもこれからは必要なんだ」
「……これから?」
「側近になる君だから言うけど、他国との交流をもっと図りたいと思っていてね。身軽という意味では一人でもいいんだけど、国によっては魔法使いが多いところもある。そして、どの国も全て安全とは言い難い。何が起こるか分からないしね。武術や剣術では負ける気がないけど、さすがに魔法では太刀打ちできない」
「だから、魔法兵である私を?」
「君が扱える魔法は『催眠』。相手を傷つけるものじゃない。あと、医師でもあるからね。傷ついたときに処置をしてもらえると助かる」
「……光栄です」
ちゃんと選んでくれているというのは分かった。
すんなり出た言葉に、クライヴはにっこりと笑う。
「あとは経験かな。指導の立場も経験しているし、実践の経験もある。個別で仕事頼まれたりしたでしょ。あれも僕からの提案」
まさか単独の仕事もクライヴに関係があったとは。最近数が多いと思っていたのはそういうことだったのか。
「君がやり遂げられるか試した。事後報告で申し訳ない」
「滅相もありません。鍛えられました」
「どれもあっさりこなしたって聞いたけどね。君を評価する者は多いよ。今の位置ではもったいないという声も大きかった」
「……ですが、私は」
「ヴィラのことかな」
「はい」
ふっと笑われる。
「君にとってヴィラはすごく大切な存在なんだね」
一瞬言葉が詰まり、エダンは答えられなかった。
おそらくそうなのだとは思う。自分の中で曖昧なのは、自身でもよく分からないからだ。最初に教育係を任されたときは、あまりに手がかかる後輩に匙を投げたくなったこともある。早々に匙を投げていたシェラルドの判断は正しい。正しいが、それでも目が離せなかった。めきめきと実力が伸びる姿に、よりこの国を引っ張れる者になれるという期待があった。
魔法兵の中でも最年少で入団し、他の者とは違う強い魔法が使えることで、逆に遠巻きで見られているところもあった。本人は気にしていなかったが、エダン自身はその環境が、その様子が、少し痛々しく見えた。そして、このまま一人にはさせたくない、と思った。
「だけどヴィラはもう手のかかる子供じゃないよ」
「……はい」
分かっている。
最近また逃げ回るようになったのも、何か理由があるのは気付いていた。ずっと一緒にいれば分かる。昔より報告書を書くのが上手くなった。決してエダンの前では見せなかったが、イズミからこっそり教えてもらったことがある。
今回の任務の動きを見ても、ヴィラなりに隊長として動く意志が伝わってきた。昔は散々逃げ出しフォローしていたが、自然と彼女は彼女で成長していたのだ。もう自分はいらない、ということも、エダンは薄々気付いていた。気付いていたが、それを認めたくなかった。
自分の手から離れる姿を、見たくなかったのかもしれない。
「側近になってもらうのは僕の願いだけど、ヴィラの願いでもある」
「はい。……え」
自然と下になった視線を戻す。
なぜそこに彼女の名前が出てくるのだ。
クライヴはドアの前にいたマサキに目配せをする。すると彼は頷き、ドアを開けた。そこにはヴィラがいた。引き締めた表情で姿勢を正しながら入ってくる。
まず片足をつき、恭しくクライヴに挨拶する。
「ヴィラ・ブルーリア。この場に参席できることを感謝いたします」
「楽な格好でいいよ。丁度君の話をしていた」
ヴィラは立ち上がりながら言う。
「エダン殿は承諾されたのでしょうか」
「っ……!」
この話を知っていたのか。
「先程アンダルシア殿から聞きました。私は賛成です。魔法兵から殿下の側近になる者が出てくるのは、魔法兵団からしても喜ばしいことだと思います」
丁寧でありながら抑揚のない言い回し。いつの間にかこんな話し方もできるようになっていた。
「私は何年もエダン殿にお世話になりました。これから隊は私が引っ張ります。教えていただいたことは、これから活かしていきます。だから安心して下さい」
最後はちらっとこちらを見る。その表情は、彼女にしては少し大人っぽいものだった。
落ち着いている。
ずっと子供だと思っていた人物は、今や立派な大人になり、立派な女性になっていた。それを一番近くにいながら、エダンは気付いていなかった。……気付かないふりをしていただけかもしれない。
エダンは右手を自分の胸に置く。
自然と言葉にしていた。
「エダン・ルーシー。クライヴ殿下の側近という大役、有難く頂戴いたします」
しばらくその場が静寂に包まれる。
クライヴがぱん、と一度手を叩いた。
「じゃあこれからよろしくね、エダン。副隊長の引継ぎもあるだろうから、実際に側近になってもらうのは一週間後でいいよ。あと、君は常に僕の傍にいてもらうから、今まで以上に女性たちに黄色い歓声を浴びることになるだろう」
「……は?」
先程までの固い雰囲気はどこへやら。砕けた感じになり、後半の言葉に目が点になる。
だがヴィラはなぜか目を輝かせた。
「それは本当ですか。遂にエダン殿も結婚という道が……!」
「え、いや」
「君がまだ独り身と知れば姫君や令嬢たちは黙ってないよ。好青年であり実力もあり第一王子の側近になる。そして三十代。男は三十からって考えの女性もいるらしいし。周りに色々言われたくないなら、早く結婚した方がいいと思う」
「確かに今まではヴィラ殿のお守りがありましたらかね」
「マサキ殿、それはエダン殿のせいでもあります」
マサキがぼそっと言った言葉に対しヴィラが返す。
あまりにもがらっと変わり過ぎた空気に焦る。
「お待ちください。俺は別に」
「エダン、君散々結婚話断ってるんでしょ? みんな嘆いてたよ。それなりにいいお嬢さんもいたらしいのに、会いもしないなんて」
「それは別に関係ないと」
「僕の傍にいるということは、周りからそれなりに見られるんだよ。つまり僕の言うことを聞かないと、僕の顔にも泥を塗ることになる」
「…………」
それはその通りなので何も言い返せなかった。でもだからといって、なぜ急に結婚話なのだろう。そしてクライヴもまだ結婚していない。自身はどうなのか。
エダンは少し困った顔になる。するとそれを見たクライヴはマサキを自分の傍に呼んだ。そっと耳打ちする。
「エダンってけっこう人気があるんでしょう?」
「ええ。ご本人はあまり気にされてないようですが」
「周りのことばかりに目が行くんだね。どこかの誰かさんと一緒だな」
少しだけ嬉しそうにクライヴが笑う。
マサキは少し眉を寄せる。誰のことかなんとなく察したからだ。
「まぁ、彼の場合はそれだけじゃないだろうね」
「ずっと目で追っていた相手がいますから」
これにはマサキも同意した。
そして二人は同時にある人物を見る。
当の本人であるヴィラはにこにこと笑っていた。
「これでようやく私も安心できます」
「なんでヴィラが安心するんだ」
本気で安堵するような顔に、エダンはむっとした。
するとヴィラは少し焦りつつも視線を逸らした。
「だって……いつも噂されるのは、エダン殿からしても不服だろうし」
「勝手に決めるな。あと今更敬語にしなくていい」
「はぁ!? こっちだって敬語なしにしろって言われたときすごい苦労しながら直したんだけどっ!」
「あ、やっぱりヴィラの方がいい?」
「「はい?」」
声を揃えてクライヴを見てしまう。
あまりにも眩しい微笑みをしていた。
「結婚相手」
「え、」
「お断りしますっ!」
大音量の声に、右耳が壊れそうになる。思わず顔を凝視した。こちらも声を張り上げてしまう。
「そこまで嫌がるかっ?」
「あり得ませんっ! 大体私が相手なんてエダン殿の評判を落とすようなものです! それは避けたいです。私は素行が悪いってずっと言われてるし、エダン殿がいなくなってからが勝負だと思ってます。私自身がもっと立派にならないと……ってちょっと何してんの」
エダンは思わず両手で自分の顔を隠してしまう。するとヴィラにツッコまれた。
だが今の言葉を聞いたら顔が見せられない。今まで散々その手の話を避けられた。即答で拒否されてきた。てっきり嫌われているとばかり思っていたのだが。しばらくしてからようやく顔から手を離す。小さく問いた。
「じゃあ、立派になったら相手になってくれるのか」
すると口を開けてヴィラが固まる。そしてたっぷり息を吸い真顔で「馬鹿じゃないの」と返してきた。
「馬鹿ってなんだ」
「もう関わってほしくないの。十分過ぎるくらいもらったから。もう人生で関わり過ぎたくらいに関わったからもういいの。自分だけを大切にして。早く幸せになって。美人か可愛いか分からないけど素敵なお嫁さんをもらって!」
「勝手に決めるな。それになんで俺の幸せにお前の名前がないんだ」
「はぁあ!?」
ヴィラは叫んで地団駄を踏む。
心底分からない、と言った顔になった。
「そういうところがほんと嫌なの!!」
「な、」
「あのー」
途中でクライヴの言葉が入る。
二人は同時に顔を向ける。
クライヴは笑いながら首を傾げた。
「痴話喧嘩もういいかな? さすがにお腹いっぱいなんだけど」
「「痴話喧嘩じゃないですっ!」」
まだ早朝だというのに、二人の大声で起こされた城の者は多かったと聞く。
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