24:ルミエール

(大丈夫かな……)


 次々来る客人たちを見つつ、フィーベルはアンネのことを考えていた。今のところ何も連絡はない。叫び声や暴れたような音もない。ならきっと大丈夫なのだろうが、それでも不安はある。自分がここにいるのはアンネを守るためでもある。もし守れなかったら何のためにここにいるというのだろう。


「あら」


 リナルディが弾んだ声を出した。

 はっとして見れば、一人の人物が手を挙げながら入ってきた。


 彼はシンプルな格好をしていた。白いシャツに麻素材のパンツ。黒い上着を軽く引っ掛けている。ここは高級娼婦館だ。それなのにあまりにもラフ過ぎる。どことなく場違いにも見えた。


 だがその人物は亜麻色の髪をしていた。リナルディが明るい声で話しかけている様子を見ながら、彼女が左手で自分の耳に触れる。


「!」


 合図だ。


 ということは、彼がそうなのだろう。

 フィーベルは短くヴィラに報告する。


お客様・・・がお見えです」


 周囲から変に思われないよう、元々決めていた言葉を伝える。


 だが、ヴィラからの応答がなかった。先程までは普通に会話を聞いていたはずだが。そっと魔法具に触れるが、壊れた様子もない。もしかしてヴィラがつけている魔法具が壊れてしまったのだろうか。それとももしかして、何かあったのか。


 だがヴィラの近くにはガラクがいるはずだ。サポートとしてこの仕事に参加している。もし何かあっても対処してくれるだろう。フィーベルはすぐに気持ちを切り替えた。


「ベル」


 リナルディに呼ばれ、そちらを向かう。


「彼が私たちのお得意様よ」

「新しい子?」


 程よい中音。落ち着いた声色をしている。

 フィーベルは性別がバレないよう気を付けつつ、声を低くした。


「ベルです。最近護衛として入りました」

「へぇ、かっこいい子だね」


 言いながらじろじろ見られる。


 顔が分からないのにそう評価されてもどう反応していいのか困る。だが、姿勢でそう判断してもらったのなら、一応男性には見えるということだろう。口元に笑みを作っておいた。


「顔が分からないのが残念だな」

「ふふふ、とても綺麗なのよ」

「そう。よかったら彼も一緒に食事したいんだけど、いいかな?」

「え」


 どうやら興味を持ってくれたらしい。

 ただの護衛に興味を持ってくれることもあるのか。


「あらもちろん。どこで食事をなさる?」

「そうだな。広い部屋を貸し切りしたい。できる?」

「あなたの望みなら喜んで。ベルもいいわよね?」


 にこっとリナルディから笑いかけられる。

 フィーベルはすぐに頷いて「はい」と答えた。


 本来はアンネに興味を持ってもらう作戦だったが、好都合だ。フィーベルはリナルディと共に、彼のために用意された場所へ移動した。




 広い部屋を貸し切りに、と言った通り、かなり広い部屋で食事を取ることになった。真ん中に長いテーブルがあり、部屋の端にはピアノも置かれている。それでも身体を大きく動かしても全く壁には当たらない。本来ここは大勢の人が食事を取るための場所だ。ここを三人だけで、というのは贅沢過ぎる。


 目的の人物は正面に座る。

 フィーベルは、リナルディと共に並んで座った。


「ねぇ君、ベルって言った?」

「は、はい」


 急に話しかけられたので焦った。

 するとおかしそうに笑われる。


「そんなに緊張しなくていいよ。僕のことは知ってた?」

「お噂は、少しだけ」

「そう。ねぇ君、魔法は使える?」

「え」


 急に魔法の話になり、困惑する。

 まさかそんな話になるとは。


 この国は魔法を使える者、そうでない者が上手く助け合いながら生きている。なので魔法が使えること自体は秘密にしなくてもいい。が、フィーベルの場合はその魔法が特殊なので、説明が難しい。逆に興味を持たれたら厄介であるし、クライヴやマサキから人に伝えるときは気を付けろ、と言われている。今だにその言葉はフィーベルの中に大きく残っていた。


「あ、もしかして、聞いたらいけなかったかな」

「い、いえ……」

「いきなり深い質問はやめて差し上げて。ベルはここに来てまだ浅いのよ?」


 リナルディが窘めるような言い方をする。

 すると相手は苦笑しながら「ごめんね」と謝った。


「そういえば僕の名前を伝えていなかったね。まぁ、別にないけど」

「ない……?」

「うん、名前ないんだよ。でもこの国の王子に似てるから殿下って呼ばれてさ。それはそれで気持ちいいけど」

「名前でお呼びしてはだめなんですか?」

「うん?」


 言った後に失言かと思い、口を閉じる。

 だが相手は別に怒ってなかった。


「名前で呼びたいの?」

「名前があった方が、お呼びしやすいと思って」


 単純に「殿下」と呼びたくない。

 そんな気持ちもあった。


 するとくすっと笑われる。


「そっか。じゃあ君が決めてよ」

「え」

「また無茶ぶりを……」


 リナルディが呆れたような物言いになる。

 どうやらこういうことはよくあるらしい。


「だってこんなにもかっこいい子と一緒だもの。君に決めて欲しいな」

「ですって。ベル、決めてあげたらどう?」

「で、でも」

「なんでもいいよ」


(そんなこと言われても……)


 出会ってまだ数分くらいしか経ってないのになんて無茶ぶりだ。しかも相手は一応客人。何も言わないわけにはいかない。そして、変な名前をつけてもいけない。そこそこいい意味で相手も満足してくれそうな名前。最近読んだ文献にヒントがないか、唸りながら考える。


 と、ひらめいた。


「ルミエール」

「「え?」」

「光、という意味です。いかがですか?」


 最近読んだ本に出てきた名前だ。自身が持つ光の力を相手にあげてしまう少し悲しい少年のお話。だが自分の物さえも躊躇せず与えてしまうその健気さと優しさに惹かれるものがあった。


「光……ね」

「いいわね、とても希望を持てる名前。いかがかしら、ルミエール様」


 すると相手は口元を緩ませる。

 仮面に隠されているため、それくらいの表情しか読み取れなかった。


「いいね。じゃあここではその名前で呼んで」

「は、はい」


 どうやら採用されたらしい。

 殿下と呼ばなくて済んだのはよかった。


「さっきの話に戻るけど、ベルは魔法が使える人をどう思う?」

「え?」

「僕はすごいと思ってるよ。他の人にはない能力を持っているからね」

「確かにすごいですわね。私も魔法が使えたらもっと便利に生きられたかしら、と思うわ」


 リナルディがさっと相手の話に合わせる。


 こんなにも自然に合わせられるのはすごい。さすが娼婦館で一番の人気を誇っている。フィーベルはどう答えれば正解なのか迷い、口ごもってしまった。


 相手はふふ、と笑う。


「でも人は、自分にはないもの・・を持っていると、同時に恐怖を感じる」

「恐怖……?」

「そうだよ。得体の知れない『魔法』という力を持っている人を攻撃してしまう。自分よりも強いから。自分とは違うから」

「…………」


 フィーベルは少し昔を思い出した。


 生まれ住んだ地域でも同じことがあった。魔法が使えるからと遠巻きにされ、傷ついたことも泣いたことも数知れない。だから必死だった。必死に力を身につけて国を出た。そんな矢先にクライヴに出会ったのだから、幸運だったと思う。おそらく、フィーベルと同じく辛い目に遭った人は他にもいることだろう。


 だからルミエールの話は、分かる。


「でもこの国は平等ですわよ。優しい方も多いし。ねぇ、ベル」

「え、は、はい」


 大きく頷いた。


 そう、ここは優しい人が多い。クライヴはもちろんのこと、マサキやアンネ、シェラルドなど多くの人がいる。騎士団と魔法兵団と、別の組織で互いに助け合っている。真っ直ぐ手を差し出してくれたクライヴとの出会いで、優しい人もいるのだと知ったし、今では一緒にいて心地よいと思う存在はたくさんいる。


「そうだね」


 ルミエールは到着したワインを楽しんでいた。順番に料理も運ばれてきて、目の前にお皿が置かれる。高級牛が使われているのだろう。お肉と共にそっと添えられている花や緑がとてもおしゃれだ。料理名などはよく分からないものの、リナルディに促されてフィーベルも口をつける。美味しい。


「そういえば、僕も魔法が使えるんだよ」

「あら、そんな話は初耳ですわ」


 リナルディが身を乗り出すように言う。


「言うタイミングがなかったからね」

「せっかく教えて下さったんですから、見せて下さるのよね?」


 ちゃっかり魔法を見せて欲しいと頼んでいた。しかも首と少し傾けた上で可愛らしくお願いしている。相手に甘える術もさすが分かっているということなのだろうか。フィーベルは感心しながらそれを見てしまう。


「そうだねぇ。じゃあベルも見せて欲しいな」

「……え?」

「君、魔法使えるよね。僕、そういうの分かるから」


 少しだけ空気が冷えたような気がした。

 いつの間に。どうやって。


「僕の魔法は少し特殊でね。相手が魔法を使えるか、見れば分かる。君、けっこう魔力強いね」

「…………」

「ねぇ、僕と勝負しない? 最近身体が鈍ってるんだ。君、城から来た人でしょ。リナルディも、ちゃんと伝えてくれたんだね」


 リナルディは黙っていた。

 顔が少し強張っている。


 無理もない。彼女の仕事は相手を楽しませること。穏やかな雰囲気を作ることだ。こんないきなり殺伐とした中で普通でいろという方が無理な話だ。和やかに時間が過ぎると思っていたのに、急に相手が壊してきた。


 フィーベルは立ち上がり、リナルディを守るように彼女の前に手を出す。彼女に危害が及ばないように。ついでに仮面も外す。こんな状況なら、隠したって無駄だ。


 すると相手は「ああ」と感嘆の声を出す。


「君もしかして女の子? 男性には見えなくもないけど、やっぱり綺麗な顔してるね」

「彼女はこの件に関係ありません。勝負はお受けしますが、彼女をこの部屋から出してもいいですか」


 ルミエールは口を広げて笑う。


「そんなこと気にしてたの? すごいね、自分のことよりも周りのこと優先するんだ。君なんだかほんとに騎士みたい。いいよそんなの。だって僕は見つけて欲しかったから」

「なぜ」

「ここの生活にはもう満足したから。そろそろ次に行きたかったんだよね」

「……?」


 思わず眉を寄せてしまう。


「怒った顔もそれなりにそそられるね」


 より眉間の皺が深くなる。

 さっきから軽口が耳につく。


 するとルミエールは仮面を外す。


「ごめんって。さ、勝負しようよ」


 蒼い瞳に亜麻色のさらさらとした髪。

 穏やかに微笑む優雅な様子。


 確かに彼は、クライヴとよく似ていた。







「「…………」」


 フィーベルとアンネからの通信を受けている真っ最中、ヴィラの耳には二人の声が届いていなかった。無理もない。こんな場所で出会うと思わなかった人物と出会ったのだから。


「なに、して、るんですか……」


 エダンの唖然とした声を聞きながら、ヴィラは顔を顔を引きつらせていた。相手の言葉はたどたどしいのは、おそらく驚きのあまり敬語が外れそうになったからだろう。エダンの方が年上なので敬語を使う必要はないのだが、一応ヴィラが隊長なので、隊長になってからは敬語を使うようになった。やめてくれと伝えても、隊長としての自覚を持ての一点張り。今では普通に慣れた。


 そんなことより、誰が夜の街にエダンがいると思う。女性に興味がなく結婚の話も普通に蹴り、こういう場所に縁遠そうな人物がここにいるなんて、誰が思う。


「しかもその格好……」


 じっと下を見られる。

 ヴィラは慌てて自分の足元を隠した。


 とはいえ手は足を全て隠してくれるわけもない。座った状態なので、かろうじてスカートからはみ出た足をささっと隠すくらいだ。


 ヴィラはいつもの制服姿ではなく、黒いドレスを身に着けていた。今回アンネが着たものによく似ている。が、スカートはアンネよりも少し短めで、ストレートタイプだ。足に密着しており、身体のラインがよく見える。


(だから制服でいいって言ったのに……!)


 ここにはいないアンネに愚痴を言いたくなる。

 元々制服で来ようとしていたが、アンネにドレスを着ろと言われたのだ。




『なんでドレス? 私は指揮を取るだけだし、制服でいいんじゃ……』

『確かに男性なら制服姿がかっこいいですが、女性だと逆に何かあるんじゃないかって周りが警戒しますよ』

『なるほど。じゃあ私も男装して』

『普通に似合いそうですけど逆に女性から言い寄られそうなのでやめて下さい』


 それはそれでむしろ嬉しいのだが。

 ヴィラはしかめっ面になる。


『えー。でもドレスじゃなくたって……』


 女性らしい格好は昔から苦手だ。


 なんであんなひらひらした動きにくいい格好をしないといけないのだろう。しかも足を開いてはいけない。好きで足を開くわけじゃないが、男共と一緒にいるとむしろその格好になってしまうのだ。エダンからは「はしたない!」とこっぴどく叱られたことがある。


『ヴィラ様は足も綺麗だし着飾れば夜の街の女帝になれると思います。その方が自然に溶け込みますよ』

『じょ、女帝……?』

『もし男性に声をかけられても軽くあしらって下さい。そしたら離れていくと思うので』

『いやでも面倒くさいからやっぱり制服で……』

『私の言うこと、聞いていただけますね?』




 にこっと女神のような微笑みを向けられたが、あれはどう考えても背後に鬼がいた気がする。こちらが色々言っても聞いてくれなかったので、言われるままに黒いドレスを着た。


 店の近くでベンチに座り、状況を見守っていた。ドレス姿なら色々誤魔化しが利く。店に入ることだってできるし、咄嗟の判断もできる。先程から何度も男性には声をかけられたが、冷たくあしらったらほんとに去っていく。アンネの言い分は当たっていると感心していたときに、エダンに会った。


「……で、なぜここに?」


 半眼で言われる。なんだか怖い。


「……ええと」


 亀のように首をすくめる。

 お説教されている気分だ。


「こんな場所でその格好でしかも一人だなんて、誘っているようなものじゃないですか!」


 思わず頬が紅潮する。


 エダンの言葉は的を得ている。

 だが、こっちだって好きでこの格好ではない。


「そ、そういうつもりじゃないもん! 大体なにさエダンくんだって! やっぱりそれなりにこういう世界に憧れてたってこと!?」

「!?」


 今度はエダンが動じる番だ。


 ヴィラは勢いのまま口にしてしまったが、だがどう考えてもここにエダンがいるのはおかしい。それに、責められるはエダンだって一緒だ。


「俺は仕事で」

「へー仕事ねぇ? 男性ってこういうときも仕事だって嘘つけるもんね」


 するとぎょっとされる。


「ちがっ、俺は」


 だがヴィラは冷めた目でエダンを見る。

 手を振ってそっぽを向いた。


「いいのいいの、私に気にせず行って行って。むしろ安心した。エダンくんも健全な男性と一緒だったんだねって」

「それはどういう……ヴィラっ」


 名前を呼ばれるが、知らない。


 安心は本当にした。全然結婚の話になびかず、女性にも目を向けない。一時、もしかして男色なのか? と疑ったが、そうじゃないことも分かった。身を固めなくても、こうやってひと時を楽しんでいる人もいる。エダンもそうだったということだ。それが分かって、よかった。


 ……はずなのに、どこか釈然としない。

 心の中にもやもやが募る。理由はなんとなく分かるが、認めたくない。


「ヴィラ!」


 顔を逸らしていたはずなのに、真正面に来られる。


 曇った顔を見られると思って焦り、立ち上がる。

 小走りでその場を去ろうとした。


 が、腕を掴まれる。


「待て」

「離して」

「お願いだ、話を聞いてくれ」

「いやっ! もういいから行ってよ! 可愛い子も綺麗な子も選り取り見取りなんだよっ!? 仕事で来たんだったらついでに遊べば」

「俺はヴィラ以外どうでもいい!」

「……え?」

「え? ……あ、いや、その、いや、嘘じゃない」


 言い訳が下手くそなのか。

 むしろ真面目に答えてどうする。


 ヴィラはまた頬が熱くなるのを感じる。

 まだ薄暗くてよかった。こんな顔見せられない。


 エダンに掴まれた腕が痛い。

 さっきよりも力が強くなっているように感じる。


「ヴィラ」


 名前を呼ばれ、思わずびくつく。

 見ればなぜか真剣な顔になっている。


「俺は――」


 思わず唾を飲み込んだ。


「エダン殿、どうかしました?」


 急に別の声が入り、二人ともそちらに顔が向く。

 ヴィラは唖然としたまま名前を呼ぶ。


「……ヨヅカ?」

「あれ、ヴィラ? なんでヴィラがここにいるの? ていうかドレス着てるの珍しいね。似合ってるよ」

「あ、ありがとう……いや、ていうかなんでここに」

「おいヨヅカ。俺を置いて先に行くなっ!」


 奥から別の声が聞こえ、顔を動かす。

 ヴィラは目を丸くする。


「え、なんでシェラルドまで……?」


 頑なにここの世界に来なさそうな人物がいることに、先程までの熱い気持ちが一気に冷める。むしろ冷や汗が出そうだった。まさかこの二人、いや、特にシェラルドに会うなんて。


「? 仕事だ。俺は来たくなかったが、頼まれたら断れないだろ」


 仕事人間のシェラルドらしい回答。

 しかもむすっとした顔をしている。嫌々ながら来たのが丸わかりだ。


 ヴィラは固まる。

 とりあえず心の中で、


(フィーベルさん、ごめん……!)


 詫びを入れておいた。

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