22:夜の街

「……な、」


 会いに行こうとしていたが、まさかそんな格好になっているとは思わなかった。口ごもっていると、後ろにいるヨヅカが少し噴き出す。うろたえたのが分かったのだろう。後でしめる。


 急いで来たからか、フィーベルは少し息が上がっていた。


「あの、ずっと会えなくてすみません。ハグも……全然できてなくて」

「いや……」


 確かに気にはしていた。だが、こう素直に謝られると、どうでもよくなる。フィーベルも気にしてくれたのだと分かった。それよりもなんだその格好は。


 するといつの間に背後にいたのか、アンネがひょっこり顔を出す。


「私のドレスです。せっかくですからフィーベル様に着てもらおうと思って」

「なにをして……今は仕事中だろう」

「夜にも仕事があるので休憩みたいなものです。あ、ご心配なく。この姿はシェラルド様にだけですよ。麗しい姿を他の人に見せたくないですものね」


 くすっと笑われる。


 見ればアンネは黒いローブのようなものを持っている。頭まですっぽり隠れてしまうほどの大きさだ。直前までフィーベルはこのローブを着ていたようだ。用意がいいといえばいいのだが、そうはっきりと言われてしまうと少し苦い顔になる。


 だがアンネは気にせず言葉を続けた。


「シェラルド様に会ってなさすぎて、ずっとフィーベル様心配してたんですよ。身体は大丈夫なのか、とか、怒ってないか、とか」

「ア、アンネっ……!」


 後半の言葉にしー! と人差し指を自分の唇に当てる。怒られると思ったのか。フィーベルらしい。だがその姿が少し可愛らしく映って、ふっと笑ってしまう。


 すると全員から注目された。

 慌てて顔を戻す。


「気にするな、別に怒ってない。ヴィラの隊になって忙しいんだろう。俺は大丈夫だ」

「嘘ばっかり。さっき会いに行こうとしてたくせに」

「うるさい」


 呆れた物言いをしたヨヅカの言葉に、真顔で返す。少しくらい強がってなにが悪い。大体、ヴィラの隊だから忙しくしているだろうと思っていたのは本当だ。


「あの……」


 フィーベルがそっと近付いてくる。

 そして両手を広げてきた。


「できなかった分したいんですけど、いいですか?」


 いつもはもっと強引な感じなのに、今日は控えめだった。


 やっぱり怒っていると思っているのだろうか。だが、それはそれで、少し新鮮に見えた。目は逸らさず、こちらをしっかり見てくれる。元々容姿はいい方だと思っていたが、化粧とドレスの効果か、別人になったようで少し緊張してしまう。口紅も濃い赤だからか、どうしても注目してしまう。


 それに。


「……いつもと違うな」

「え」


 雰囲気が。


 なんだか妖艶に見えてしまうのは気のせいだろうか。いつものフィーベルは髪を一つにまとめているだけで、いい意味で素朴だ。それが急に……まるで夜に咲く蝶になったみたいで、少し胸がざわざわする。


「あ、分かります?」


 アンネが嬉しそうに両手をぱんっ、と叩く。

 対してシェラルドは眉を寄せた。


「これ、夜の街をイメージしたんです。綺麗でしょう?」


 ぎょっとする。


「なにして」

「ああ、だからいつもより色っぽいんだね? すごく似合うよ」

「ヨヅカっ! お前ものるなっ!」

「よかった~! ほら、フィーベル様はこんな格好するわけないですし、この先もきっとすることはないでしょうし、やってみたら面白いんじゃなかなって思って」

「だから今は仕事中だろうがっ!」


 すぐにアンネが持っているローブを掴み、フィーベルに着せる。


「あ! もー! せっかく綺麗にしたのに」

「いいからとっとと戻れっ!」

「戻っていいんですか? 久しぶりなのに」


 思わず言葉が詰まりそうになる。

 ヨヅカ同様、アンネも口が達者だ。


 動じてない顔をしながら答えた。


「一瞬だけでも見れたらもう十分だ。それに、俺はいつもの方がいい」

「ええ? 針子が選んだドレス着たとき、見惚れてませんでした?」

「……そういうのはたまにだからいいんだろ」

「あ、いいって認めましたね」

「別に認めてなかったわけじゃないっ!」


 何の話だ。どんどん論点がずれている気がする。

 それにアンネも、遠慮なくからかってくるようになった。


 ヨヅカはそれを見ながらくすくす笑う。


「シェラ、俺先に行くよ。お姫様待たせたら怒られそうだし」

「悪い。俺もすぐに」

「いや、ゆっくりでいいよ。フィーベルさんと久々に会ったって言えば分かってくれるしね」

「………頼んだ」


 エリノアもフィーベルがシェラルドの花嫁であることは知っている。そして、長いキスをする間柄であると思っている(実際は未遂だが)。ヨヅカはにこっと笑ってその場を去った。いいやつではあるんだが、どうにも全面的に感謝はできない。複雑な気持ちだ。


 アンネはそっと自分の目を隠して背中を向ける。


「あ、アンネ……?」

「見てないですし聞いてもないのでどうぞ」

「え?」

「久しぶりの再会ですしハグもしたいでしょう?」

「で、でも」

「ここから離れたいのは山々ですが、フィーベル様をここまで連れてきて連れ帰るのも私の仕事なので」


 どういう意味なのだろうと思っていると、フィーベルは少し唸るような声を出す。どうやらアンネの言う通りらしい。夜も仕事があると言っていたが、もしやアンネも一緒なのだろうか。


 すぐにこちらにまた向き直り、再度両手を広げる。


「い、いいですか?」


 どうやら本気でこのままするつもりらしい。


「フィーベル」

「はい」

「ん」

「……え?」


 ぽかんとされる。無理もない。

 なぜならシェラルドも両手を広げたのだから。


「いつも俺からだろう。今日はお前から来い」

「え……で、でも」

「いいから」

「……いいんですか?」


 なんだその聞き方は。

 可愛いと思ってしまうだろうが。


 再度シェラルドは頷いた。


「来い」


 するとフィーベルは、恐る恐る近付いて、勢いよくシェラルドの胸に納まった。シェラルドはぎゅっと抱きしめる。久しぶりの感触と香りに(ローブ超しではあるが)、思わず息を吐いた。


 柔らかくて、温かい。

 確かにそこに存在している。


 シェラルドは無意識に腕に力が入った。

 躊躇していない自分に驚く。


「シェラルド様」

「なんだ」

「今日は数えないんですか?」


 いつも三十秒数えているやつか。

 そういえば忘れていた。


「私が数えましょうか?」


 数えるつもりなのか。

 少しだけ笑ってしまう。


「別にいい」

「え?」


 ぽかんとした声色で言われる。

 なんとなく気恥ずかしくなり、シェラルドは黙った。


 さっきまで迷惑じゃないかと心配していたくせに、すっぽりと胸に来てくれた彼女のことを愛おしく思っている。あれか。久しぶりだからこの瞬間を逃してしまうのは惜しいと思ってしまったのか。シェラルド自身もよく分かっていなかった。


 抱きしめること自体、最初はあんなにも拒んでいたのに。

 今はすんなり受け入れている。




 どのくらい経ったか分からないが、それなりに長くそのままでいたと思う。三十秒は確実に過ぎていた。急にフィーベルは離れる。いや、背中から引っ張られたのだ。


「そろそろ時間なので連れて行きますね」

「アンネ殿」

「私のこと忘れてました?」

「…………」


 忘れていた、とは言えなかった。

 だが察したのだろう。ふふふと笑う。


「いいんですよ。お二人が仲良しなのが分かってよかったです。さぁフィーベル様、行きますよ」


 背中を押されながら、フィーベルはアンネと共にその場を駆けだす。シェラルドは何と言っていいか分からず、それを見送っていた。だがフィーベルがちらっとこちらを見る。


「ま、また来ます」


 見れば少し目の縁が赤くなっていた。

 少し強く抱きしめ過ぎただろうか。


 だがその言葉にふっと笑う。


「来なかったら、俺から会いに行く」


 するとフィーベルは、なんともいいようのない顔をしていた。

 だが口元は緩んでいるので、肯定的に捉える。


 シェラルドは穏やか顔でいた。

 思っていたより、花嫁の存在に癒えていた自分がいたらしい。







「随分長いことしてましたね」

「ア、アンネ……」


 フィーベルは自分の頬を何度も手で触れる。赤みがなかなか取れない。そんな中で追い打ちをかけるようなことを言われると、元に戻らなくなってしまう。


 今日のシェラルドはなんだかいつもより雰囲気が柔らかかった。もっと怒られると思っていたのに。もっと怖い顔になっていると思っていたのに。


 そもそもハグは、シェラルドが少しでも元気になるかなと思って始めたことだ。それなのに、今回はそっちから来いと言われた。これも珍しいことだ。いつもより躊躇なく、いつもの三十秒も数えずに、しばらくそのままでいた。ローブを被っていてよかったかもしれない。いつもより身体が熱い。ついでに顔も熱い。


 それに対し、アンネはにやにやする。


「ほら、やっぱりこの格好で行って正解だったでしょう?」

「別に、いつもの格好でもよかったと思うけど……」


 会えない間、フィーベルはシェラルドのことが気になって仕方がなかった。毎日しようと決意したハグもできず、だけど今日の仕事に向けて入念に準備をする必要もあって。ヴィラの隊に所属して間もないのに、割と大きい仕事だ。慣れない準備や勉強、配置の話し合いなどでそちらばかりになった。


 だがその間でも、シェラルドのことを忘れたことはない。罪悪感を抱えながらうんうん唸っていたせいか、打ち合わせに参加していたアンネから直接会いに行けばいいのでは、と提案された。今日のことをうっかり口を滑らせないよう、見張ってもらうことを条件として。


 そしてなぜかこんな格好になった。

 仕事ではこの格好にならないので、せっかくだからやればいいと。


「この格好なら娼婦館でもそれなりに人気出ると思います」

「い、いいよ」

「そうですよね。全てはシェラルド様のためですものね」

「……アンネ」


 少々怒った口調になってしまう。

 これ以上のからかいは自分の手に負えない。


 すると「はいはい」とあっさり引き下がった。


「じゃあ変身しましょうか。きっと似合いますよ、あの格好・・・・も」

「そ、そうかな……?」


 むしろ大丈夫だろうか、とフィーベルは心配した。







「あら、いらっしゃい」


 フィーベルとアンネを出迎えたのは、今回お世話になる娼婦館で指名を一番獲得している娼婦、リナルディだ。長くて光に綺麗に反射する金の髪に、淡い桃色の瞳を持っている。垂れている瞳の近くには泣きぼくろがあり、そこが少し妖艶さを感じさせていた。ふっくらした自然な赤の唇を持ち、胸の豊かさを強調するように少し胸元が開いたドレスを着ている。さすが一番人気。女性でもうっかり惚れそうなほどに魅惑的な雰囲気を持っている。


「初めまして、アンと申します。よろしくお願いいたします」

「ベルです。よろしくお願いします」


 もし娼婦館で知り合い(騎士や魔法兵など)に会っても対処できるよう、二人は偽名を使う。偽名と言っても本名から取っているのでこれで隠しようがあるのかと思いつつ、むしろ分かりやすいのでこれが採用された。


 リナルディはにこっと笑う。


「二人共随分可愛らしいわね」


 アンネは先程フィーベルが着ていたドレスを身にまとっている。


 フィーベルより小柄なため、スカートの長さは膝ほど。いつもふんわりした髪をしているが、今回はより巻いていつもよりくるくるになっている。横髪を耳にかけ、顔をよく見せていた。いつもより念入りに、濃い目に化粧をしており、目元はキラキラのラメでより華やかさを演出している。いつも以上に美人だ。


 そしてフィーベルは――。


「ベルさん。もっと声を低めにしないと、男性には見えないわよ」

「え。ん、んんっ。こ、こうですか」


 灰色の燕尾服を身に着けていた。


 長い髪は低めの位置で一つにし、肩に垂らしている。男性に見えるよう、眉は太く、瞳もきりっとなるようにアンネが化粧を施してくれた。今回フィーベルは「男装」をすることになった。シェラルドの花嫁ということもあり、やはり娼婦は駄目だろうと配慮してくれたらしい。


 一番の理由はこの仕事で期待されているアンネのためだ。アンネの傍にいつでもいられるように、「護衛」という立場で潜入することになった。フィーベルもこの方が守りやすい。どうやら娼婦館にも、迷惑な客に対応できるよう、護衛を置いているようだ。


 フィーベル自身は男に見えるか不安だったのだが、アンネもヴィラも「見える!」「美形!」とお墨付きをくれた。他のメイドたちにも誉め言葉をもらえたので、おそらく問題はないように思う。


 リナルディも頷く。


「確かに男性に見えるわね。背が高いしスタイルもいいし。せっかくのお胸をさらしで巻くのは少し残念だけれど」


 そう言ってもらえてほっとした。


 言われた通り、今フィーベルはさらしを巻いている。胸のことはあまり気にしていなかったのだが、案外巻いていると少し苦しい。そう言えばヴィラとアンネには微妙な顔をされる。何か地雷を踏んだような気がしたが、できるだけ手短に仕事を終わらせるよう頑張ろうと思った。


「ここでは娼婦もお客様もスタッフも全員、目元だけ仮面をつけるようになっているの。顔を見せるのは指名されたお客様と部屋に入ってから。ベルさんは護衛だから、お客様に顔を見せることはないわ。きっと大丈夫よ」

「お気遣い、ありがとうございます」

「いいえ。そういえば、シェラルド様の花嫁なんでしょう?」


 ふふふ、と優雅に笑われる。


 彼女は昔から城や騎士団、魔法兵団と関係を持っている。どうしてつながっているのか詳しいことは秘密のようだが、貴重な存在なのだろう。しかもちゃっかりシェラルドとフィーベルのことも知っている。職業柄、人の顔と名前を覚えるのが得意なようだ。


「ヨヅカ様は挨拶に来てくれたことがあったわ。シェラルド様は頑なに来て下さらないけれど。その頑なところがうちで働く子たちから人気があるの。いつかお会いしてみたいわね」


 フィーベルは苦笑した。


 ここでもシェラルドはモテているらしい。会ったことがないというのに、シェラルドの話だけで盛り上がるのだから、むしろすごい。色んな人物が来る分、それなりに武勇伝も伝わっているようだ。


「でもこんなに可愛らしい花嫁さんがいるなら、絶対来ないわね」


 微笑んだまま、器用に片目を閉じて言われる。

 思わずフィーベルは顔が赤くなった。

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