18:立場と現実

「ヴィラ! 敬礼!」


 大声で名前が呼ばれ、彼女は反射的に手を動かす。

 習慣なのか綺麗に敬礼を決めた後、ヴィラは「あ」と声を漏らした。


 だがエダンにとってはその一瞬で事足りた。

 すぐに彼女に近付き、目を合わせる。


聖霊の瞼アイリッズ・ホーリー・スピリット


 ヴィラとエダンの周りに、紫色のふわふわした雲のようなものが生み出された。その中には先程の小さい光の粒も混じっている。


 徐々にヴィラはゆっくりと目を閉じ、背中から倒れそうになる。それをエダンが支えた。いつの間にか風も止み、やっと静かになる。エダンはヴィラを横抱きにし、こちらに近付いた。


「悪いシェラルド。騒がせたな」

「いえ、いつもお疲れ様です」


 シェラルドは慣れた様子で答える。


 よくあることなのだというのは分かったものの、それにしてはすごい喧嘩(?)だった。あんなにも激しい喧嘩が毎回行われていると思うと、こちらは心臓が持たないかもしれない。


 シェラルドとエダンはどうやら顔見知りのようだ。シェラルドがヴィラのことをよく知っているからこそ、扱い方を相談されることもあるとか。


 エダンはこちらに顔を向ける。


「初めまして。俺はエダン」

「フィーベルです」

「シェラルドの花嫁だよね。話は聞いてるよ」


 にこっと爽やかな笑みを浮かべる。

 最初の印象の通り、優しそうだ。


 シェラルドによってエダンがヴィラより年上だと知ったが、なるほど。確かにこうして間近で見ると、ヴィラやシェラルドよりも大人びている。落ち着いているのも年の功という奴だろうか。


「先程の『敬礼』というのは」

「ああ」


 苦笑された。


 エダンは新人時代のヴィラの教育係で、その当時からヴィラはかなりの問題児だったらしい。それなりに魔法が使えることで優秀だったようだが、てんで筆記や事務的な仕事は駄目だったようだ。いつもサボっては逃げていたとか。成長した今も、それは変わっていないらしい。


「せめて魔法兵らしく、敬礼だけでも上手くなれって指導したんだ」

「魔法兵も敬礼あるんですね」

「ああ。騎士団と共通だ」


 フィーベルはシェラルドを見る。

 すると彼は分かりやすく目を逸らした。


 前に敬礼をすれば、しなくていいと言われた。

 が、魔法兵団にもあるんじゃないか。


 すると小声で弁解される。


「制服の時ならいいが、ドレス姿でされてもな」

「え、あれはあれでかっこよくありません?」

「どこがだ」


 半眼で叱られた。

 エダンがそれを見てくすくす笑う。


 話を戻せば、そんなヴィラだったからこそ、エダンはその当時からかなり根気強く付き合ってあげているようだ。精神論で語っても相手が応えてくれないので、身体で覚えさせるようにしたらしい。そのおかげで、敬礼だけは瞬時に反応できるまでになった。確かにあの瞬間、すごく姿勢が綺麗だと思った。


「そういえば、エダン様の魔法って」

「ああ。眠りに関するものだよ。状態魔法だね」


 魔法にもいくつか種類がある。


 相手を攻撃するものなら攻撃魔法、守るものなら防御魔法。他にも色々と種類に分かれるが、エダンは相手を眠らせるもの。状態魔法のようだ。個性魔法が「眠り」に関係するため、病院や施設を巡って不眠症の人の治療のお手伝いもしているらしい。


「へぇ、便利な魔法ですね……!」

「俺としては、かっこいい魔法がよかったんだけどね」


 苦笑して言われる。


 状態魔法は、攻撃魔法や防御魔法より控えめな魔法だ。そのため、男性からしたら物足りないのかもしれない。聞けば医師免許も持っているらしい。


「そのままお医者さんになったのでよかったのでは……?」


 なぜわざわざ魔法兵になったのだろう。


「医師の仕事だけじゃ足りないと思ったんだ。魔法兵になれば、国のこともよく知れる。それに、怪我をした仲間に処置することもできるしね」

「すごい……!」


 なんて志が高いのだろう。

 フィーベルは素直に感心した。


 するとシェラルドもふっと笑う。


「エダン殿の指揮は的確だ。騎士団と魔法兵団、両方を上手く取りまとめてくれる」

「シェラルド、買いかぶり過ぎだ」

「いえ、みんながそう言っています」


 どうやら魔法兵のみならず、騎士からの信頼も厚いようだ。

 ますます尊敬してしまう。


 フィーベルが羨望の眼差しを向けていると、シェラルドはちらっとヴィラを見る。寝息を立てながらすやすや眠っていた。


「ヴィラ、前よりも逃げ癖がつきましたか?」


 シェラルドの言葉にエダンは溜息をつく。

 小さく頷いた。


「最近特にひどい。前は嫌々ながらもしてたんだ。だがまたやらなくなって……何が原因なのかさっぱりでな」

「……やはり、隊長は別の人に」

「それじゃ駄目だ」


 きっぱりと答える。


「これからこの国に必要なのは若い優秀な人材だ。早いうちに育てる必要がある。平和な世なのはいいことだが、その分緊張感がない」

「ですが、自らの意志で立派に成長している者も多くいます」

「それは分かる。だが、それなりの実力がないと任せられない」

「――おっしゃることは正論ですが」


 急に別の声が入り、一斉に顔をそちらに向ける。

 そこにはマサキがいた。手には複数の本と書類を抱えている。


 先程まで強風が吹いていたこと、ヴィラとエダンが言い合っていることを使用人に聞いたようだ。だから見に来たらしい。あまり動じていないのはマサキだからなのか、それともこの光景を見慣れているからか。


 眼鏡をかけた瞳はまずフィーベルを捉える。


「ああフィーベル様。いたんですか」

「いますけど」


 思わずむっとして言い返してしまう。

 相変わらず皮肉が趣味らしい。


「先日はお疲れ様でした。まさかお酒に酔って寝てしまうとは、かなり間抜けですね」

「…………」


 さすがにこれは何も言えない。


 あのまま時間も忘れてよく寝てました、としか言いようがない。渋い顔をしていると、そっとシェラルドが前に出てくる。マサキから隠すように手を出した。


「悪口なら俺が聞きますが」


 マサキはちらっとシェラルドを見る。


「庇いますか」

「俺の花嫁なので」


 フィーベルはその一言に思わず感動してしまう。


 式典の時にも散々花嫁と言われたが、今シェラルドはマサキに言っている。マサキはフィーベルが花嫁のフリをしていることを知っている。それなのにわざわざ「花嫁」と表現してくれた。


 なんとなくだが、本気で庇ってくれたのが分かった。

 思わず頬が緩んでしまう。


 するとマサキは特に表情を変えずに言う。


「自他共に厳しいお方が嫁には甘いのですね」

「……何か問題ありますか」


 シェラルドは若干眉を寄せ、低い声で聞いた。

 すると相手はふっと笑う。


「いいえ? 庇うのは大いに結構ですが、仕事中にいちゃつくのはやめて下さいね」

「誰がっ!」


 シェラルドが少し顔を赤らめて大声を出す。


「エダン殿」


 それを無視し、マサキは彼に目を向ける。


「そろそろ決断を求めます」

「! その話は、今すぐではないと」

「ん……」


 エダンの胸元でヴィラが声を上げる。

 いつの間にか目が覚めたらしい。


 ヴィラはエダンに抱えられていることを知り、すぐに距離を取る。次にマサキの姿を捉えた。少しだけはっとするような表情になった後、何も言わずに呪文を唱える。風がヴィラの周りを纏った。


「ヴィラ!」


 エダンが慌てて追おうとする。

 その肩を、マサキが力強く掴む。


「エダン殿、決断を求めます」


 先程と同じ言葉だ。


 その間にヴィラは風と共に姿を消す。

 エダンは顔を歪ませてマサキに向き直った。


「上からも散々言われているのです。ヴィラ殿の行動はだいぶ問題視されています。確かに実力はありますが、人の上に立つ人間ではない」

「待って下さいっ! ヴィラは確かに素行に問題はありますが、それでも隊長としての実績は出しています。その報告はしています」

「それは認めましょう。ですが、所詮人は実力よりも人柄を取るのです。人を導くことができないのなら、隊長の座は降りてもらいます。あなたも最近感じていたのでしょう?」

「っ……!」


 エダンはさらに顔を険しくする。


 話を聞いた様子では、ヴィラの行動は前よりもひどくなったようだ。そして、それはエダンのみならず、周りも感じている。確かにただの隊員ならまだしも、隊長がそれでは誰もついてこない。


 厳しい話だがヴィラの様子を見ると、どうにも心配が先に来てしまう。


「俺がサポートします。これからも、俺が副隊長で」

「あなたほど優れた人が副隊長の位にいること自体、宝の持ち腐れです。本来ならもっと上の立場にいてもおかしくない。あなたを慕っている者は多くいます。その者たちのためにも」

「ヴィラを慕っている隊員も大勢います。ただ素行に問題があるだけで」

「その素行を直すと宣言して何年経ったのですか。殿下も首を長くして待っています」

「! まさか、殿下がそう言ったのですか」


 エダンが目を見開く。

 これにはフィーベルも反応してしまう。


 クライヴはこの国の王子だ。王子としての責務を果たす為、時に厳しい発言をすることもある。が、いつも笑顔でこちらと同じ目線に立ってくれる。優しくて温情深い。そんなクライヴが、その決断を出したのか。


 するとマサキは首を振る。


「いいえ。殿下はエダン殿を、そしてヴィラ殿を信頼し、期待しておりますから。あくまであなたたちに判断を任せる、とおっしゃっています」

「…………」


 つまり、クライヴ自身は信じてくれているのだろう。ただ、周りが放っておかない。王子の命令であれば誰もが従うが、共に戦い、共に仕事をしているのは、それよりも下の者だ。


 身に余る言動はどうしても目立ってしまう。だからクライヴも動かざるを得ないのだろう。


 エダンは迷うような表情になった。

 何か言おうとしながらも、言葉が出ない様子だ。


 自身で色々と感じていただけに、マサキのはっきりした物言いにより、今は何も言えないのかもしれない。フィーベルは自分のことではないものの、痛々しい気持ちになる。


「あと、アンダルシア殿が呼んでいます。仕事の件で相談したいことがあると」

「ですが、ヴィラを追わないと」

「問題ありません。フィーベル様に頼みますので」

「え!?」


 急に名前を呼ばれてぎょっとする。

 エダンも目を丸くした。


 マサキは綺麗に首だけこちらに向ける。


「あなた、これからヴィラ殿の隊に配属ですから」

「はい!?」


 なんだそれは。

 聞いていない。


「殿下からのご命令です。今後は魔法兵団で働いて下さい。今までの仕事は別の者に任せます」

「え、そんな急に」

「先日の式典に参加したことにより、あなたのことはかなり広まっています。急な襲撃の対処もしたから余計ですね。その力は存分に魔法兵団で使ってほしいとのことです」


 本当はクライヴが直接伝えようとしてくれたようだ。が、今日も朝から来客があるということで、マサキが代わりに伝えてくれた。式典でしっかり仕事をしていたと褒めてくれたのは嬉しかった(マサキの言葉で聞いたので実際は嬉しさが半減したが)。


 あまりに急な話だが、元々フィーベルは魔法兵団に所属していることになっている(そこで仕事をしたことはないが)。花嫁に決まってからというもの、クライヴはてきぱきとフィーベルに指示を与えるようになった気がする。


 今までずっと同じ仕事しかしなかったが、むしろどんどん色んなことをしろ、ということだろうか。親鳥から巣立つ小鳥に似た、少し寂しい気持ちと、これからどんな世界が広がるのだろうとわくわくする気持ちもある。クライヴのことだ。きっと何かしら意図があるのだろう。


 今まで彼の指示通りに動いて後悔したことはない。

 むしろありがたい話だ。


「そして、ヴィラ殿をなんとかしてください」

「は?」

「隊長を退くのか続けるのか。続けるならとっととその素行を直せと言ってやってください」

「わ、私がですか!?」


 まだ出会って間もない、しかも今初めてヴィラの隊に配属が決まった身なのに、そんな大役を任されていいのか。あの根気強いエダンでさえ苦戦しているのに。


「いいんじゃないか」


 意外にもシェラルドが同意する。


「同じ女性で魔法兵同士だ。気持ちが分かるところもあるだろ」

「で、でも、私よりエダン様やシェラルド様の方が、ヴィラさんのことをよく知っているし」

「いや、なんでも知っている仲だからこそ、隠したいこともある」


 少し苦い顔になっている。

 もしやシェラルドも何か知られたくないことがあるんだろうか。


 エダンも眉を八の字にしながら微笑んだ。


「そう、だな。フィーベルさんの方が話しやすいかもしれない」

「それに、フィーベルは霧の魔法が使える。ヴィラを捕まえるのもそう難しくないはずだ」

「! そう、ですね」


 エリノアの時も霧になってすぐ追うことができた。それに、女の勘も当たった。エリノアのことをそんなに分かっていなかったが、それでも勝手に身体が動いた。ヴィラにも通用するかもしれない。


 フィーベルはすぐに呪文を唱える。


 霧の姿になりかけていると、エダンがこちらを見て大きく頷く。その瞳が力強く、思わずフィーベルも頷き返した。







 フィーベルの姿が消えた後、すぐにエダンがその場を離れる。同じ魔法兵であるアンダルシアの元へ行くようだ。シェラルドはマサキと二人きりになる。それが若干気まずかった。


 さて、どうやってこの場を去るか。

 と、考えていると、あっさり言われた。


「フィーベル様の扱い方が分かってきたようですね」

「……一緒にいる時間が長いので」


 一週間、ほぼ一緒だった。一緒にいる時間が長いとそれだけ相手のことは見えてくる。とはいえ、全部ではない。知らないことの方がきっと多い。現に、危機感を感じてほしいと行った言動にまんまとやり返された。


 マサキは口元を緩める。


「私の方が彼女のことをよく分かっていますよ」

「!」


 相手の顔を凝視してしまう。


 確かにそうだ。マサキはフィーベルがここに初めて来た時から知っている。だからこそあんなにも憎まれ口を叩けるのだろう。わりと誰に対してもだが、フィーベルだけ明らかに口が悪い。


 それ以上に何かあるのだろうかと、思わず探ってしまう。わざわざそんなことを言ってきたこと自体、マサキからすると珍しいことだ。


 するとおかしそうにふふっと笑われた。


「こう言えばきっと嫉妬するだろうと殿下に言われたので、試したのですが」

「っ!」

「当たっているようですね。さすが殿下です」

「……まさか、わざと」

「シェラルド殿のことを知るためです」


 悪びれていない顔だ。

 いっそ清々しい。


 だがシェラルドは顔が熱くなる。

 嫉妬してないと言えば嘘になるからだ。


「心配しなくても私は殿下の傍にいただけです。フィーベル様のことをよく知っているのは殿下ですよ」

「……知ってます」


 フィーベルを見つけ、保護し、ここに連れて来たのはクライヴだ。だからクライヴが一番フィーベルのことを知っている。フィーベルがマサキと二人きりで話すことはないし、見たこともない。マサキも、フィーベルと話すのはクライヴからの伝言がある時だけだと追加で言ってきた。


 考えれば分かることなのに、まんまと引っかかってしまったのが地味に悔しい。だがここで声を荒げるのも大人げない。しばらく無言でいれば、マサキがぽつりと言った。


「本当の意味でフィーベル様のことを知るのはあなたなのでしょうね」

「……?」


 言っている意味が分からず、眉を寄せる。


 だがマサキは持っている懐中時計を見て「ではそろそろ」と歩き始めた。シェラルドがそれを見送っていると、思い出したように振り返り、小声で伝えてくる。


「押し倒すなら人目のないところがいいですよ」


 わざわざ口元を手で隠しながら言ってきた。


 シェラルドは思わず唸る。

 勢いのまま叫んだ。


「余計な世話ですっ!」

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