16:秘密
「心配しないで。その後のことは知らないよ。僕が口出すことでもないしね」
「なにもありません」
思わず口についていた。
本当だ。それ以上ない。それ以上何か言うつもりもなかった。むしろなんと言えばいい。あれはフィーベルのためにしたのだと言えばいいのか。言い訳がましくて自分で呆れる。ていうかなんで知ってるんだ。
心の声が聞こえたのか、微笑んでくる。
「マサキから報告を受けたんだ。会場で二人がいい雰囲気になってるってね」
思わず渋い顔になる。
どうやらマサキはクライヴの言付を伝えようと会場に来たらしい。そして押し倒したところをたまたま見たようだ。空気を察してその場から立ち去ったようだが、部屋の前で待っていた理由が分かった。
平然と、いつもの顔をしていただけに、何も心配していなかった。まさか知っていたなんて。がっくりと項垂れたくなる。溜息も出そうになるが、クライヴの前なので一応抑えた。
だがなぜか嬉しそうに頷かれる。
「僕は嬉しいよ。二人がそういう関係になったなんて」
「なってません」
分かってて言っているだろう。
さすがにこれは抗議した。
それでもクライヴはにこにこしている。
「でも、いいことだと思うんだ。なんなら本当の夫婦に」
「なりません。話は以上ですか」
無理やり話を変える。
わざわざ二人きりにさせたのは理由があるはずだ。こんなくだらない話をするためにマサキを外すわけがない。むしろクライヴのことだ。マサキも呼んで一緒に笑うだろう(マサキは笑わないだろうが)。
すると少しだけ表情を変える。
「フィーは、ちゃんと仕事をやり遂げた?」
「問題ありません。むしろよく動いてくれました」
姿勢を正し、こちらも真面目に答える。
一瞬にして王子に戻った。いや、クライヴはこの国の第一王子だ。王子だが、普通の国民と変わらない態度も見せる。人をよくからかってくるし、いつも物腰が柔らかだ。だからこちらも気が抜けることがある。
それでも、やはり王子なのだ。
一瞬で人を従わせることができる。
フィーベルはクライヴの従者の一人。クライヴの命令で花嫁のフリをした。おそらくその報告も兼ねて呼んだのだろう。本当に彼女はよくやってくれた。それはぜひ評価してほしい。むしろ色々と迷惑をかけてしまったところもあると思う。
シェラルドの報告に、クライヴは嬉しそうに目を細めた。
フィーベルがいいんじゃないかと提案してきたのはクライヴだ。クライヴの目に狂いはなかったということだ。突然花嫁の話を振られた時は焦ったが、今では感謝している。やはりこの国の王子は、見る目がある。
「両親の反応もよかったですし、本当に感謝しています。昨日は俺のために、ありがとうございました。今日からはまた、いつも通り業務を行います」
花嫁は昨日で終わりだ。
だから気持ちも切り替える。
フィーベルとは喧嘩別れのような形になったが、あれでいいと思っていた。今後会うかも分からないし、会うとしても、向こうは魔法兵だ。そんなに頻繁に会うことはないだろう。むしろ嫌ってくれても構わない。今後は他の男性に対しても警戒心を持ってほしい。
クライヴは視線を下にした。
「指輪、まだつけてるんだね」
言われてシェラルドは自分の手を見た。薬指にはプラチナの指輪がはまっている。そういえば、まだつけたままだった。ずっとつけていて忘れていたのだ。丁度いいので返そうと指輪に手をかける。……が、抜けない。
(なんだ……?)
自分の指が太くなったのかと錯覚するが、一日で太るわけもない。何度も試すが抜けない。しばらく格闘したが、ただ自分の息が上がるだけだ。ちらっとクライヴを見れば、なぜか楽し気な表情になっている。
思わず眉を寄せた。
「殿下?」
「あはは、ごめんね。抜けないでしょ」
ぎょっとする。
「どういうことですか」
「その指輪。どこのものか知ってる?」
「ポシュレと聞きましたが」
アンネが言っていた。確か有名なブランドだと。
かなり高価な物のようだ。よくは知らないが。
「そう。それはね、魔法の指輪なんだよ」
「魔法?」
「あることをしないと、抜けない仕組みになってるんだ」
「は!?」
冗談じゃない。花嫁は終わったはずだ。抜けなかったらいつまでも夫婦だと勘違いされる。しかもそんな仕組みがあるということはつまり、フィーベルの指輪も外れてないことになる。
「どうすれば抜けるんですか」
「そんな怖い顔をしないで」
いつの間にか近付いていたらしい。
クライヴが降参、という風に両手を上げる。
最初の距離に戻るが、相手はのんきだ。
そして人差し指を上に向けて言った。
「お互い相手を『大嫌い』になったら抜けるよ」
「はぁ……?」
思わず素が出てしまう。
なんだそれは。なんて面倒な仕組みだ。
クライヴはあはは、とおかしそうに笑う。
さっきから笑ってばかりだ。
「大嫌いにはならないよね。フィーも人を嫌ったりしない。二人共、その指輪ははめたままになる」
「……殿下、冗談抜きで答えて下さい。どうやったら抜けますか」
「さっき言った方法しかないよ。それにシェラルド。君だってこの指輪のこと、調べたら簡単に分かったはずだよ」
「はい?」
どういう意味だ。こんな指輪知らない。大体男だから宝石関係のことなんて疎いに決まっている。よっぽど関心があるか美意識の高い人しか興味がないだろう。誰かに送る予定だってないし、調べようがない。
「その指輪、誰がデザインしたか知ってる?」
言いながら一枚の紙を渡される。
どうやらこの指輪の広告のようだ。
美しい指輪のイラストが描かれており、どういった経緯で出来上がったのが書かれている。永遠の愛を誓う二人がいつまでも幸せになるように、という思いが込められているようだ。魔法使いとのコラボ商品らしい。
愛し続けていれば指輪は二人の手元で光り続け、互いにその気がなくなれば自然と指輪の方から外れるようだ。よくできている仕組みだと思う。こちらしたら厄介でしかないが。
広告の端に、デザインを担当した人物の名前がある。
――ルカ・タチェード
(嘘だろ)
苦虫を嚙み潰したよう顔になる。
まさかここで姉の名前が出るとは。
「彼女が何の仕事をしているのか、君も知っているだろう?」
「知ってはいますが、指輪をデザインしたなんて聞いてませんっ!」
それらしい仕事をしているのは知ってる。だが、具体的なことは知らない。大体、ルカは仕事の幅が広すぎる。色んなことに手を出しているからこそ、全ては把握しきれない。
「その指輪、ルカから渡してほしいって言われたんだ。新作だし、ぜひ二人にはめて欲しいって」
まんまとやられた。
クライヴの前だと言うのに、シェラルドは思い切り舌打ちをしてしまう。腹が立っているのはクライヴにではない。勝手なことをする姉に対してだ。
思えば花嫁を用意することを望んでいるのは母だけじゃなかった。姉の名もあった。何かするんじゃないかと身構えていたが、式典の当日は何の動きもなかった。会ってもいない。だが、いつの間にか動いていたのか。
しかもこの指輪ははめた瞬間、抜けないらしい。
本当に先程の方法でしか外れないようだ。
恋人や本当の夫婦なら魅力的かもしれない。
だがそうじゃない側からしたら本当に厄介で仕方ない。
「本気でなんとかして下さい。フィーベルはもう花嫁じゃない。彼女にとっても迷惑です」
「迷惑じゃないよ。これからも彼女には花嫁になってもらうから」
「……は?」
花嫁はもう終わったはずだ。
フィーベルがする必要はない。
すると真っ青の美しい瞳がこちらを見つめる。
「どうして僕がフィーを傍に置いているか、分かる?」
思わず目を見開く。
空気が変わったのが分かった。
「…………」
疑問には思っていた。
ただの少女を傍に置くはずがない。
例えそれなりに実力があると見込まれ、人とは違う魔法を持っているからといって、第一王子の傍に置く必要はない。だったら魔法兵団で管理すればいいだけだ。
それなのにクライヴは、フィーベルを傍に置いていた。
そして、ずっと隠していた。
しばらく無言で相手の言葉を待つ。
「フィーはね、国同士の大事な架け橋なんだ」
思ったより柔らかい言い方だった。
「架け橋?」
「そう。この国はまだ平和だけど、戦争を行っている国もある。そして、貧富の差が激しい国もある。自国だけが幸せになればいい話じゃない。同じ世界で生きているからね。僕は助け合いたいと思っている」
つまり、どこかの国とフィーベルは何かしらの関係があるということか。今までそんな話は聞いたことがない。そんな人物がいること自体初めて知る。それに、「架け橋」とはどういう意味なのだろう。クライヴの話は、どこか抽象的だ。
「だから国に来るように伝えたんだ。最も、これはトップシークレットだよ。フィーにも話してない」
「つまり、」
「フィーも自分の立場がよく分かってない、ってことだね」
にっこりと笑われる。
だがあまりにもさらっと言われた内容に、頭がついていくのに必死だった。つまり、フィーベルが背負っているものは、思っていた以上に大きいということか。トップシークレットというだけあって、このことは一部の人しか知らないようだ。つまりそれは、本当に国の重要な位置にいる人たちしか知らないということだ。
シェラルドは唾を飲み込む。
一介の騎士が知るにはあまりにも大きい秘密だ。
知らぬ間に鼓動が早くなる。
「……なぜ、俺に」
「君ならフィーを守ってくれると思ったから」
「俺よりもっと適任が」
「君しかいないよ。ほら、騎士団ってけっこう飢えてる人多いでしょ?」
「…………」
それに関しては同意せざるを得ない。
厳しい場所でもあるため、日夜、街に出歩く者もいる。
癒しを求めに行く理由も分からなくはないが、自分の欲に忠実過ぎるのでは、と少し思っていた。そういえば今回の式典で従姉妹の双子も誰かと会う約束をしていた。……やはり、飢えてる奴は多いかもしれない。
「フィーも普段は素朴なだけで、着飾ると可愛いしね」
「…………」
それも同意せざるを得ない。
実際狙われていたし。
「でも彼女は自分の魅力に気付いていないんだ。無頓着過ぎる。本人はずっと身体を鍛えていたこともあって、戦闘能力は高い。自分の身くらいは自分で守れると思う。でもそうじゃないんだ。彼女は狙われる。女性だから。そして、魔法が使えるから」
「……なら、魔法兵の方がいいのでは」
魔法を使える者同士の方が、きっと分かり合えると思う。苦労も、気持ちも、きっと分かる。魔法のことまではさすがに分からない。フィーベルを守れと言われたら守るが、それでも、限度はある。
だがクライヴはあっさりと首を振る。
「僕は別の立場同士の方が助け合えると思ってる。夫婦だってそうでしょう?」
「…………」
違うから助け合えるというやつか。確かに男女だって全然違う。考え方も、役割も。だから夫婦になるだろう。だがシェラルドはまだ、決断ができなかった。
かなりの大役だ。それなりの責任もある。だがきっと、クライヴは信頼してくれている。だから任せてくれている。それはとても嬉しい。クライヴに認めてもらえるのは嬉しいことだ。そう分かっているのに、すぐに返事ができない。本当に、その役目を引き受けていいのか、自分でいいのか、と迷う自分がいた。
するとどう思ったか、クライヴが腕を組む。
「シェラルドが無理なら、フィーの相手は別の人に」
「やります」
思わず口は出ていた。
出たことに自分でも驚いた。
だが相手はにっこりと笑った。
「よかった。君なら引き受けてくれると思っていた」
そう言われてしまっては、敵わない。
少し視線を逸らしてしまう。
「それじゃあこれからも引き続き、フィーは花嫁ということで」
「待って下さい。わざわざ花嫁にする必要はないかと。普通に守りますし」
言うなればフィーベルは大事な立場だ。
守るに十分値する。
だがあっさりと言われる。
「なんで守ってるのって聞かれたら、シェラルド答えられる?」
「あ……」
確かに。大事なことが抜けていた。
「花嫁であれば、周りも疑わない。それに、シェラルドの花嫁と聞けばみんな遠慮する。硬派で今まで全然噂もなかったしね。みんな祝福してくれると思うよ」
「…………」
嬉しいような、嬉しくないような。
「それに、もうフィーからは許可を得てるんだ」
「は!?」
どうやら昨日のうちに話したようだ。
しかも「シェラルドのために花嫁を続けてくれないか」と伝えれば即答でOKしたと。……なんでそれ即答なんだ。大事なことだろう。自分にも関わってくるだろう。どうしてそう簡単に決断できる。
思わず頭を抱えたくなる。
どうやらクライヴに口止めされていたようだ。だからダンスでお礼を伝えたら微妙な反応になっていたのか。押し倒した時に伝えた言葉も、無意味だったということなのか。つくづく頭が痛くなる。
「さっきも言ったけど、フィーには何も伝えてない。その時が来るまで伝えるつもりもない。だからシェラルド。これからもフィーをよろしくね」
「その時、というのは」
「その時が来たら教えるよ」
にっこりと笑われる。
この笑みの時は決して口を割らない時だ。
クライヴはとても物腰が柔らかくて優し気だが、意志が強い。どんなに周りが言おうが、決めたことを必ず実行する。その意志の強さと実行力についていく臣下も多い。
「よろしくね?」
再度聞かれる。
「……はい」
声を絞り出して答える。
大役だ。与えられたことに喜びを感じた。
信頼して任せてもらえたのなら、それを実行するのみ。
だが内心厄介なことになった、と思った。
これからも花嫁は続く。だが喧嘩したように別れてしまった。
しかもあのフィーベルから馬鹿、と言われた。実は少し響いている。あのフィーベルにそれを言われるのはけっこうやばいんじゃないかすら思っている。そんな中で花嫁を続けることになるなんて。
「話は以上。下がっていいよ」
そう言われては長居は無用だ。
シェラルドは頭を下げ、部屋を出る。
出た瞬間、マサキがいた。びっくりして喉から叫び声が出そうだったが、慌てて押さえる。マサキは一度会釈をして部屋に入っていく。彼が入っていく姿を見た後、ようやくシェラルドは息ができた気がした。
「殿下」
扉が閉まってからマサキはクライヴに声をかける。
「ありがとうマサキ。二人きりにしてくれて」
「それは構いません。例の件は、伝えたのですか」
「うん。ちゃんと引き受けてくれたよ」
「そうですか」
マサキは一度口を閉じたが、気になって聞く。
「あの件も話したのですか」
「ううん」
即答したクライヴに、マサキは少し神妙な顔つきになった。
「早めに伝えた方がいいと思います」
「でもそうしたら二人はいつまでも他人行儀だよ」
「いつかは他人になるでしょう。本当の夫婦ではありません」
「でもあの二人、お似合いだと思わない?」
クライヴは窓の外を眺めていた。
顔をこちらに向けることもしない。
その横顔は、何かを望んでいるように見えた。
マサキは静かに口にする。
「後で辛くなるのは二人なのですよ」
するとゆっくり顔をこちらに向ける。
青色の瞳はまるで海のように美しい。
だがその色は、少しだけ暗く見えた。
「人は強い結びつきがあれば離れないよ。例えどこにいても」
「……殿下はどうしたいのですか」
クライヴの願いは分かっていた。
分かってはいたが、それが必ずしも叶う保証はなかった。
だから問うた。
すると口元が横に広がる。
彼のいつもの優しい笑みだ。
問いの答えはなかった。
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