14:危機感
フィーベルは駆け足で会場に向かう。
行く途中誰にも会わない。
式典は終わったので当たり前だが、やっぱり終わってしまったのか、と心が落ち込んでしまう。会場の扉も完全に閉まっており、そっと開けて中を覗いた。
すると白い式服の青年がいた。
恐る恐る近付く。
「シェ、シェラルド様」
すると彼が振り返る。
何か言われる前に、フィーベルはぎょっとした。
「ど、どうしたんですか!?」
「は?」
「目が赤いです……!」
見ればシェラルドの目が充血していた。
しかも顔もどことなく赤い。まさか体調が悪いのだろうか。慌てて誰か呼びに行こうとするが、すぐに「まてまてまて」と落ち着いた様子で腕を掴まれる。
「これは酒を大量に飲まされただけだ」
「え……?」
「俺は顔に出やすいんだ。すぐ目も赤くなる。だが意識はあるし大丈夫だ」
「ほ、本当ですか……?」
フィーベルはお酒を飲んだことがない。
今回お酒と知らずに飲んですぐに倒れてしまった。少し不思議な味だなと思っていたが、それがお酒だったなんて。そして、お酒を飲むことでそんな症状が出る人もいるのだと知り、驚いてしまう。
すると相手は頷く。
確かにいつも通りの様子だった。
だがすぐふっと笑われる。
「よく寝てたな、眠り姫」
フィーベルはすぐに深々と頭を下げる。
「本当に申し訳ありませんでした……!」
花嫁として式典に参加したのに、まさか酒と知らずに飲んで寝てしまうだなんて。これでは花嫁失格だ。これは仕事で、だからこそきちんとやらないといけないのに。反省しかない。
しばらくフィーベルは頭を下げたままだった。
だが、相手からの反応がない。いいか悪いか、すぐ言ってくれそうなのに。
そっと顔を上げれば、シェラルドは両手で顔を隠していた。
「あ、あの……」
「頭下げるなって言っただろ」
「あ、う」
胸元を手で隠す。
そういえばそんなことを言われていた。わざわざ言ってもらったのに忘れて同じことを繰り返すなんて。先程から失態ばかりでなんだか少し泣きたくなる。
「もうこのドレスいやです……」
思わず呟いてしまう。
するとシェラルドは離した手をフィーベルの頭に軽く置く。結ってもらった髪型が崩れないように気を遣いながら、ぽんぽん、と撫でてくれた。
「そう言うな。似合ってるんだから」
「それでも動きづらいですっ!」
頭を撫でられ褒められ、心の中では喜んだ。
が、ままならないことの方が少し悔しかった。
このドレスになった途端に色んなことが起きた。周りの視線を気にしないといけないわ、勝手に横抱きにされるわ、客人に色々触られるわ、お酒と知らずに飲んで寝てしまうわ(これはドレスと関係ないが)、散々だ。
フィーベルは計画的に物事を行うことが好きで、突拍子もないことに対しての対処はまだうまくできない。それこそシェラルドと初めて会って魔法を使ってしまった時も、どうしたらいいか分からずに逃げてしまった。
頬を膨らませていると、シェラルドが眉を寄せる。
「だったら着替えてくればよかっただろ」
確かに式典はもう終わった。
だからこのドレスでいる必要はない。
いつもの制服に着替えたらいいんじゃないか、とアンネにも言われた。最初はそうしようと思った。だが、あえてこのドレスでここまで来た。
「だって、ダンスできなかったから」
本番は踊ろう、とシェラルドが言ってくれた。ちゃんと誘ってくれた。練習した成果を見て欲しいと思った。シェラルドはどんな風に手を取ってくれるんだろうと、密かに楽しみにしているところもあった。
すると相手は会場に目を移した。
フィーベルも同じ方向を見る。
先程までの煌びやかな様子は一切なく、何もないただの会場と化していた。今や灯りも最低限にしかついていない。
今回式典に参加するのは初めてだ。当日中に片付けをしてしまうとは思わなかった。飾りつけをした前日よりも、質素な状態になっている。
フィーベルは小さく笑ってしまう。
「なんて、こんな状態じゃ、踊れないですよね」
ダンスを彩る音楽もない。飾りもない。
どうやったって踊るなんて無理だ。
「――踊るか」
ぽつりとシェラルドが言った。
「……え?」
「呼吸さえ合わせればできるだろ」
言いながらすっと近付いてくる。
そして恭しく会釈しながら手を出され、微笑む。
「踊っていただけますか?」
フィーベルは真っ直ぐ相手の瞳を見つめる。
自分でも知らないうちに口元が緩んだ。
「はい」
シェラルドが合図を出し、そのタイミングに合わせて動き出す。音楽がないため、互いに呼吸を合わせながら踊る。無音の中で、誰もいない会場で踊るのは、客観的に見ればおかしいかもしれない。
だがフィーベルの頭では音楽が流れ、この会場がどこかきらきら光って見えた。
思えば男性と踊るのは初めてだ。ずっとアンネが練習相手だった。男性の踊り方もできるから相手になってくれたのだが、やはり全然違う。身長も、体格も、手の大きさも。全てが初めてのことだらけで、フィーベルは少し緊張した。
するとシェラルドがおかしそうに笑う。
「そんなに緊張しなくていい。誰も見てない」
「でも、ちゃんと練習したので」
真剣な様子で足元に集中する。
相手は少し呆れた様子だった。
男女ではやはり足の幅や動きが微妙に違う。
練習したことを意識しながら身体を動かす。
「上手いな」
「シェラルド様の方がお上手です」
こちらに合わせてくれているのが分かった。
おかげでとても踊りやすい。
「今日はありがとう」
「え?」
見上げれば顔が近いことに気付き、少し戸惑う。
ずっと足元ばかり見ていた。
「花嫁のことだ。本当に助かった」
「でも私、なにもできなくて」
「そんなことない。母さんも喜んでた」
「あの後お会いになったんですか?」
式典が始まるからと、結局忙しない挨拶になってしまった。あの後ルマンダには会っていない。だがどうやらシェラルドは会ったらしい。聞けば父であるサクセスとも話したようだ。
「相変わらず不愛想だったけどな」
「笑った表情はシェラルド様とよく似てましたよ」
「笑ったのか? 嘘だろ?」
本気で信じがたい顔をしている。
フィーベルは逆に目をぱちくりさせた。
「本当です。すごく素敵に笑っていて」
「見たことないぞ」
「ええ……?」
でも本当に笑っていた。
元々無表情なのでそこまで豪快に笑っていたわけでも、何度も笑っていたわけじゃない。小さく微笑む程度だろうか。それでも、母として子供を思いやる優し気な表情になっていた。とシェラルドに伝えるが、彼はしきりに眉を寄せるだけだ。
(……もしかして、不器用な人なのかな)
フィーベルは内心そんなことを思う。
でないとこんなにもシェラルドが疑問を感じるわけがない。
「にしても今日で終わりだな。本当に早い」
「あ……」
急に終わりの話をされる。
一瞬、反応できなかった。
本当のことを言いたい。
花嫁は今後も続ける、と。
だが言えない。
これはクライヴが直接シェラルドに伝えるはずだ。
彼は二回、念押しをするように自分が伝える、と言った。二回繰り返したということは、強い意志の表れ。フィーベルはそんな風に感じた。それに、フィーベルが言うよりも、クライヴが言った方が説得力がある。しかも命令だ。
クライヴは嘘を言わない。クライヴがそうする、と言ったのなら、必ずそうなる。それはフィーベルも分かっていた。……分かっているのに、なぜか虚しい気持ちになる。
気持ちを誤魔化したくなり、別の話題を出す。
「そ、そういえば私、酔った時どんな感じだったんですか?」
あえて笑いながら聞く。
楽しい話をしたかった。
しかも酔った時のことは覚えていない。今後お酒を飲む機会があるかは分からないが、同じ失態は勘弁だ。この国では十八歳以上がお酒を飲むことを許されている。年齢的には大丈夫だが、アンネ曰く、あのお酒はそこまでアルコール度数が高くないとのこと。つまり、お酒を飲むのは控えた方がいいと知る。
「酔った時か? そうだな」
シェラルドが思い出すように黙り込む。
話題を変えられて少しだけほっとした。
が、笑われてしまう。
「子供みたいだった」
「……こ、子供?」
「甘えてきたからな」
「え!?」
そんなことをしていたなんて恥ずかしい。
横抱きにされた時さえ恥ずかしいと思って真っ先に下ろしてほしいと思っていたのに。まさか自分から甘えるだなんて。むしろそんな自分を想像したくもない。覚えてないだけよかったと思いつつ、やっぱり聞かなきゃよかったと、少し後悔した。
ダンスが終わると、シェラルドは会場の端に移動する。どうしたのだろうと思い見ていれば、手招きされた。
見ればテーブルの上に数種類のパンとクリームが乗っているスコーン、そして果物の盛り合わせがある。そのテーブル以外はすでに片付いている。そこだけ食べ物や飲み物がたくさんあった。
「わぁ……!」
「余ってるからどうぞってもらったんだ」
本来もっと料理の数は多いのだが、それはすでに片付けられたらしい。そして軽くつまめるものを用意してくれたようだ。確かに会場に入ってから何も食べてない。緊張から喉を通らなかったのもある。
目を輝かせていたフィーベルのお腹が丁度よく鳴る。二人は顔を見合わせて少し笑った。
「美味しい……!」
「ん、旨いな」
さすが式典で用意されたものだけあって、パンは上品で優しい味だ。スコーンもまだ温かく、クリームととても相性がいい。果物は採れたて新鮮なものだけが用意されていたようで、どれも果汁たっぷりで美味しかった。
フィーベルは次から次へと手を動かす。
だがシェラルドは少ししか食べていなかった。
「お腹空いてないんですか?」
「けっこう飲まされたからな」
苦笑される。
お酒の飲みすぎはお腹にくるようだ。いつもお酒を断るからと周りにかなり飲まされたらしい。話しながら若干機嫌が悪そうに「あのおっさん何杯も注ぎやがって……」と愚痴を吐いていた。おそらくガラクのことだろう。
と、フィーベルはシェラルドの口元にクリームがついていることに気付く。本人は気付いていないのか、拭うこともしていなかった。
手を伸ばし、そっと人差し指で唇に触れる。
「っ!」
「あ、すみません。クリームが」
拭って相手に見せる。
「ああ……」
シェラルドはテーブルの上にあったナプキンを手に取る。指についたクリームを拭いてくれた。お礼を伝えれば、「フィーベル」と呼ばれた。
「はい」
「お前馬鹿なのか」
「……え?」
素で聞き返してしまう。
急に何の話なのだろうか。
だがシェラルドは真剣な表情だった。
「人の唇に触れる意味は言ったはずだろ」
「…………え、でも、今のは」
言われて気付く。意味があることを。
だが、今のは違う。今のはちゃんと理由がある。
「わざわざ拭わなくても、言えば済む話だった」
「か、身体が、勝手に」
視線を下にしてしまう。
なぜかシェラルドが近付いてくる。
思わず一歩ずつ下がる。
じりじりと迫られている。
一体急にどうしたというのだろう。
顔を上げられずただただ距離を取る。
「――お前は」
低い声が響く。
「危機感が足りない」
一瞬のうちに腕を取られた。
「あっ」
前に引っ張られると思い、少し踏ん張る。
だが逆だ。相手の方が力を抜き、フィーベルは背中から倒れる。倒れる前に背中に手が添えられる。起き上がらせてくれるんだろうかと思えば、違った。手が添えられたまま倒れ、いつの間にか背中は、冷たい床についた。
目の前にはシェラルドの真顔があった。
フィーベルに覆いかぶさるような形になっている。
何が起きたのか分からず立ち上がろうとするが、背中と床が離れない。見れば両手は拘束されていた。顔の横にシェラルドの腕がある。押さえられているのだと分かった。
すぐに離れようと腕に力を入れる。だが離れない。手首を掴まれている。力が強く、先程から握り潰されるくらいの力で掴まれている。痛い。
「んっ……!」
フィーベルは声を出しながら力を込めた。
だがびくともしない。男の腕力はこんなにも違うのかと愕然とする。そうしている間にもシェラルドが近付いてきた。顔色は変わらない。最低限の灯りしかない中、シェラルドの金色の瞳がきらりと光った。フィーベルは思わず唾を飲み込む。
(怖い)
本能的に感じた。
だが同時に、目が逸らせなかった。
怖いのに逸らせないその瞳が、なぜか綺麗に見える。その瞳はフィーベルを捉えて離さない。相手の顔がフィーベルに近付いてくる。小さい吐息が頬にかかり、思わず目を閉じて顔を逸らした。
すると顔が右耳の傍に寄る。
そして。
「馬鹿野郎!」
――大声で叫ばれた。
「……え」
耳が少しキンキンした。
急に拘束が解かれ、手が楽になる。
すぐにシェラルドは離れて、大きく溜息をついた。
「お前は馬鹿か」
「な、な」
フィーベルはゆっくり上半身を起こす。
相手も座ったままこちらを思い切り睨んでくる。
「ああいう場合はすぐに大声を出すか急所を狙え! なんでされるがままになってんだ!」
「……え、ええと」
思考が追い付かない。
「襲われても文句言えないぞ」
「ど、どういうことですかっ!?」
思わず叫んでしまう。
するとシェラルドは簡潔に説明する。
「男は単純で、自分に気があると思った女を自分の物にしようとする。お前の場合は狙われやすい。身の危険を感じたらすぐに」
「わ、わざとそうしたってことですか……!?」
自分の心臓の音がうるさい。
いつの間にか鳴り続けていたようだ。これは緊張からなのか、安堵からなのか、よく分からない。フィーベルは息が上がっていた。
「言ってもお前気を付けないだろうが」
「気を付けるって」
「クリームついてたからって口に触るなっ!」
「な、そ、それくらいで」
すると眉を寄せられる。
「それくらい? お前がそういうつもりじゃなくても、相手は簡単に勘違いする」
「……シェラルド様も勘違いするんですか?」
少し沈黙が流れる。
だがすぐに相手は口を開いた。
「やっぱり誰にでもそういうことするのか」
「!? し、しません」
「ならなんで俺に」
「シェラルド様はずっと一緒にいますし、知ってる人ですし」
「知ってる奴なら誰でもいいのか。ヨヅカにもするのか」
「し、しません」
「じゃあなんで俺にはするんだよっ!」
シェラルドの口調が荒い。
怒っている。激しく怒っている。
思わず耳を塞ぎたくなる。
それほどに今のシェラルドは怖い。
だがなんでそんなに怒られるのか分からない。
「か、身体が勝手に動いたんです」
「じゃあ俺に何されてもいいっていうのか」
そう言われ、だんだん顔が熱くなる。
先程まで何かされると思った。怖かった。振りほどけなかった。……だが同時に、見惚れてしまった。その眼差しに、呼吸に、力強さに。
思わずさっと目を逸らす。
この感情をどう表現したらいいのか、分からない。
「今日で花嫁は終わりだ。俺も傍にはいない。もう少し自覚しろ。頼むから」
後半から懇願するような言い方になっていた。
心配して言ってくれているのは分かった。分かったが……さっきからなんだ。まるで全部こちらが悪いみたいな言い方をしてくる。ただクリームを取っただけで、深い意味などない。ちゃんと説明だってした。シェラルドなら分かってくれると思ったのに。
フィーベルはだんだん腹が立ってきた。
怖い思いをした。それに動けなかった。だがそれよりもその力強さに見惚れてしまった。かっこいいと思ってしまった。そして相手の小言がうるさい。
「……意味とかキスとか」
「は」
すぐに身体が動いた。
素早くシェラルドの胸倉を掴む。
「そんなの知らないんですよっ!」
そして思い切りシェラルドの頬に口付ける。
「っ!」
この時のフィーベルはやけになっていた。
嫌がらせのつもりでしばらく口付けたままにする。まるで押し付けるように。これでもかというほどに。その間シェラルドは固まっていた。
離した時には、二人とも息が荒くなっていた。
シェラルドは唖然とした表情で頬を押さえている。
フィーベルはむすっとしたまま立ち上がった。
「これで意味合ってますよね」
早足でその場を去ろうとしたが、一回振り返る。
「シェラルド様の馬鹿っ!」
思い切り叫び、会場に声が響き渡る。
フィーベルはその場から走り出した。
取り残されたシェラルドは茫然とする。
「……違うだろ」
ぽつりと呟いた。
唇に触れるのはキスをしてほしいという女性が男性に求める行為だ。だがフィーベルは自ら行った。だから違う。合ってない。だが今はそうじゃない。そういうことじゃない。
シェラルドはがっくりと項垂れる。
唇の柔らかさが残っている。傍に来た時の香りが、肌に馴染んだ百合の香水の匂いが、しばらく鼻から離れない。勘違いするのか、という問いに答えられなかった。
勘違いをしたくもなる。
例え相手はそうじゃなかったとしても。
酒を飲んでも意識はある。だが今日は飲み過ぎた。飲まされた。今もだ。呑まれた。雰囲気に。まんまとフィーベルの纏う色香に呑まれた。
触れたい。
思わず背中から倒れ込む。
ひんやりとした床が心地いい。
今の自分は頭が正常じゃない。だからこんなことになったのだ。だがもう会うことはない。花嫁ではなくなったのだから。だがこれでいい。理性を保つには少し限界だった。
シェラルドはゆっくり目を閉じた。
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