11:余裕があるようで
「……ね、ねぇアンネ」
「なんですか」
「なんだか周りの人にすごく見られてる気がする……」
「そりゃあ私の後ろにずっといるんですから、そうでしょう」
アンネが呆れたような声を出した。
その通り、今フィーベルはアンネの後ろに引っ付いて歩いている。歩きながら会場に向かっていた。アンネの両肩を掴み、自分の格好が見えないようにしている。だがその歩き方は逆に目立ち、周りから物珍しい顔で見られる。アンネはこの状況に半眼になる。
「フィーベル様、いい加減横で歩いて下さい」
「無理!」
「なんでですか。以前もそのドレス着たでしょう?」
そう、今フィーベルは以前シェラルドに見せたベージュ色のドレスを着ていた。あの時と同じように、フィーベルは綺麗に髪を再度結われ、横髪を垂らしている。胸元がほどよく強調され、白い肌が露わになっており、前はアンネに隠れているものの、背中は丸見えだ。
「以前は平気で着ていたじゃないですか。どうして恥ずかしがるんです?」
「だ、だってけっこう胸元開いてるし……」
「え、今更」
「あの時は気付かなかったのっ!」
ドレスがどういうものか知らなかったからこそ、あの時は平気だったのだ。だが前回シェラルドから怒られるように言われて、今回着るのを躊躇した。アンネに早くしろと脅されて着たものの、やっぱり恥ずかしい。
「それに、俺以外に見せるなって言われたし……」
「え」
呟いたつもりが、アンネの耳にはばっちり聞こえていたらしい。急に足が止まる。ずっと引っ付き虫のようにいるフィーベルに面倒くさそうな顔をしていたが、今はきらきら輝いている。
「どういうことです? 進展あったんですか?」
「え、いや進展とかそういうんじゃ」
「俺以外に見せるなってそんなの、嫉妬じゃないですか! やだ妬けるー!」
「ち、ちがっ。それに、シェラルド様だなんて一言も」
「シェラルド様の名前、出してませんけど?」
「アンネ~!」
まんまとのせられた。
フィーベルはアンネの両肩を揺らす。
確かにシェラルドに言われた時は驚いた。だがその後は普段と変わらない態度だ。だから特に意味はないのだと思う。ただ心配して言っただけで。
そう説明するが、相手はにやにやするだけだ。
「心配しただけじゃそんなこと言いませんよ。なんだ、意外と進んでるんですね」
思わず顔が熱くなってしまう。
そういうのじゃないのに。
するといつの間にか数人の男性に囲まれる。
いつの間に。立ち止まっている間に来たようだ。
全員それなりに着飾っており、気品を感じる。
貴族だろうか。にこっと笑いかけてくる。
「君、名前は?」
「とても美しいね。よければ僕と一曲ダンスでも」
「いや、私が先だ」
フィーベルとアンネはぽかんとする。
特にアンネは、こんな状態でよく話しかけられるな、と眉を寄せていた。一方のフィーベルは、誰にダンスを申し込んでいるのだろうと思った。自分なのか、それとも先頭にいるアンネなのか。どう見てもアンネの方が誘われている気がする。今アンネの両肩に手を置いているのだが、離した方がいいのか迷った。
「誰にダンスを申し込んでいるのでしょうか」
アンネが聞けば、彼らは顔を合わせる。
「どちらでも」
「二人とも可愛らしいと思っていたんだ」
「ぜひ一緒に」
にっこりとアンネは笑った。
「お断りいたします」
はっきりと言いきり、ずんずんとその場を歩き出す。
「ア、アンネ」
「なにあれ。あんなの誰でもいいって言ってるのと同じですよ。信じらんない」
どうやらご立腹のようだ。人の色恋沙汰には色々言うのに、自分のことになると嫌悪感が出るらしい。付き合いは長いが、男女関係のことは聞いたことがない。アンネが話したがらないのもあるのだが、過去に何かあったんだろうか。
ひとまずフィーベルは、ダンスを断ることができてほっとした。シェラルドから誰も見るな、ダンスも断れ、と言われていたのだ。一曲踊ったら別に後はいい、とは言われたが、今日はシェラルドの花嫁として来ている。旦那さんの傍にいない花嫁なんて花嫁じゃない。約束は守らなくては。
「そういえばフィーベル様」
「? なに?」
「さっきからいい香りがするんですが、香水つけてます?」
「うん。百合の」
「え? 柑橘の香りがしますけど」
「ああそれは多分、」
言いかけて口を閉じる。
ハグをしたからかもしれない、なんて言えば、またアンネにきゃあきゃあ言われるだけだ。さすがにこれ以上は勘弁したい。シェラルドが少しは楽になるようにとハグをしたのだが、まさか香りが移ったなんて。
だがアンネの瞳がきらっと光る。
「何か、あったんですね?」
「ち、違う違う。そうじゃなくて」
「どこまで進んだんですか。さぁ白状して下さい」
「だ、だから何も」
「まさかキスしました?」
「キ!? も、もうっ!」
さっきのことを思い出してしまったじゃないか。恥ずかしさが勝り、思わずアンネの背中を思い切り叩いてしまう。すると容赦なく「いたっ!」と悲鳴を上げられてしまった。慌てて謝る。
すると少し先から黄色い歓声が聞こえてくる。
そちらに顔を向ければ、シェラルドが歩いてくるのが見えた。
フィーベルは慌ててアンネの背中に隠れる。
そしてそっと見た。
白い式服なのでやはり遠くからでもよく見えた。歩きながら知り合いが多いのか、騎士であったり客人と軽く挨拶をしている。そしてなにより彼の傍にぞろぞろと令嬢たちが集まっていた。
みんな色とりどりの綺麗なドレスで、フィーベルよりもさらに肌を出している人もいる。年代はばらばらだ。エリノアと同じくらいの人もいれば、フィーベルよりもずっと年上の人もいる。可愛らしい人もいれば綺麗な人、大人の色気がただ漏れの人もいた。
みんな、それぞれ美しさが違うが、とても魅力的だ。彼女たちはシェラルドに近付きつつ、それでいて色っぽく見つめている。
「シェラルド様、モテるんですね」
「うん……」
あんなにも女性に囲まれている姿を見るのは初めてだ。そういえばルマンダが言っていた。いつも狙われているのだと。騎士として認められているからこそ惹かれる人もいるんだろうが、それでもやっぱりかっこいいと思う。
容姿もだが、佇まいが。男らしさが出ている。
周りが放っておかないはずだ。
そっとシェラルドの腕や式服に触れている女性もいた。
それを見た瞬間、心が少しもやっとする。
(…………?)
フィーベルは自分の胸に手を当てる。
なんでそういう気持ちになるのか、分からなかった。
すぐに気持ちを切り替え、目立たないようにずっとシェラルドを見つめる。たくさんの女性に声をかけられてもシェラルドは冷静なままで、特に笑うこともなかった。触れられて控えめに手を払いのけている。
「対応がクールですねぇ」
アンネがちらっとこちらを見る。
「やっぱりフィーベル様一筋なんですね」
「だから違うって……!」
「――フィーベル」
「っ!」
声が頭から降ってくる。
いつの間にかシェラルドが傍に来ていた。
フィーベルは慌ててアンネの後ろに隠れる。なんだか最初に出会った時と同じだ。あの時もシェラルドを避けてこのように隠れていた。前は怖かったから。今は反射的に、だ。
顔まで完全に隠れる。
そのままでいると、シェラルドも黙る。
しばしの間、二人には微妙な空気が流れていた。
「あの、私を挟んでそういう空気になるの、やめていただけます?」
しびれを切らしたのかアンネがそう声をかける。
どことなく不服そうな顔になっていた。
「あ、ああ。すまない」
シェラルドが素直に謝る。
するとアンネはきっぱりと言った。
「いいえ? 私もシェラルド様の望みに反することをしてしまいましたから」
言いながらアンネは自分の肩に乗っている手を払いのけ、フィーベルを前にする。さっきと逆で、今アンネがフィーベルの後ろにいる状態だ。いつの間にこんな瞬間的なことができるようになったのか。一瞬過ぎて反応できないまま、フィーベルはシェラルドに向き合うような形になる。
シェラルドの目が一瞬大きくなった。
フィーベルは慌てて胸元を隠そうとしたものの、そうすると少し変になるので、行き場の失った手を横に置く。前かがみになるとあまり姿勢がよくないので、背筋を伸ばし、相手を見た。
アンネがにっこり笑いながら補足する。
「先程エリノア殿下を守るために奮闘した結果、このドレスを着ることになりました。でもご安心ください。シェラルド様以外には見せてませんから」
(もうアンネったら……!)
余計なことまで言わなくていいのに。
シェラルドは黙ってこちらを見ていた。その顔の表情は読み取れない。怒っているようにも、何も考えていないようにも見える。その目は、ルマンダに似ていた。鉄仮面のところが似たんだろうか。
フィーベルにはこの時間が耐えられなかった。
なので先手を打つ。
「すみませんでしたっ!」
「!?」
シェラルドのみならず、周りにいた人たちも驚いた顔になる。急に大きな声で謝るのだ。一体何があったのかと思うだろう。だがフィーベルは周りのことなど微塵も気にしていなかった。
「あれは、本当に、知らなかったんです。深い意味はなくて」
「……あ、ああ」
「それにドレスだって、着るつもりは全然なくて。だから、すみません……!」
フィーベルは深く頭を下げようとした。だが完全に頭が下がり切る前に、顔が何かにぶつかる。見ればシェラルドが真正面に立っている。今二人の距離は三センチも離れていない。近い。
相手はぎこちない表情で目を逸らしている。
「頭を下げるな」
小声で言われる。
「でも、」
「胸元が見える」
「っ!」
フィーベルは慌てて自分を抱きしめるようにして隠した。確かにこのドレスで頭を下げればより露わになってしまう。そこまで考えていなかった。顔が赤くなるのを感じつつ、慌てて小声で伝えた。
「お、お見苦しいところを、すみません」
「見苦しくはない。露出が激しいだけだ」
「いやそれが恥ずかしいんですけど……」
「前は平然と着てたのに、今回は恥ずかしがるんだな」
「……シェラルド様に言われましたから」
あんな風に言われたらさすがに恥ずかしくなる。
元々こういうドレスは着慣れていない。
「そのドレスになったのはお前のせいじゃないし、似合ってはいる」
どことなく配慮したような言い方だ。
確かに前も褒めてくれた。改めて言われると、少し嬉しい。
「エリノア殿下のために動いてくれたこと、感謝する。ヨヅカが褒めてた。俺もどんな風に動いたか、見たかったな」
相手の声色が優しくなる。
表情も柔らかい。ずっとこの距離でいるのはなぜだろうと思いつつ、嬉しいことを続けて言われて、フィーベルも頬が緩んでしまう。怒られるのではと心配していただけに、喜びが大きかった。
するとぼそっと呟かれる。
「このままじゃ目立つな」
「え?」
「人が集まってきた」
「?」
フィーベルも同じように辺りを見渡せば、先程よりも人が増えていてぎょっとする。フィーベルとシェラルドの関係に勝手に予想している夫人たちもいれば、知っている騎士団の人も物珍し気にこちらを見ていた。
突然大声で謝ってそして近い距離でひそひそ話をしているのだ。しかもシェラルドは目立つ式服を着ているし、知っている人も多い。そりゃあ周りも何をしているんだろうと気になるだろう。
しかもいつの間にかアンネがいない。もしかして仕事に戻ったんだろうか。フィーベルのドレスを用意してくれ、しかもここまで連れて来てくれた。そのお礼も言いたかったのだが。
人が増えたことで、身動きが取れにくくなってきた。
「ど、どうしましょう」
せっかくシェラルドの花嫁として存在しているのに、このままじゃ悪い噂まで広がりそうだ。するとシェラルドは「そうだな」と言った後、腰を曲げた。
「えっ」
急に足が宙に浮く。慌てて何かに掴まろうとすると、すぐ傍にシェラルドの顔がある。いつの間にか横抱きになっていることを知る。口笛の音やざわめきが聞こえてきた。
フィーベルは思わず固まってしまう。
すると耳元で呟かれた。
「掴まれ。隠すから」
「な、な、な、なにを」
動揺で呂律が回らなくなり、何度も聞いてしまう。するとふっと笑われる。どうやらフィーベルの反応を面白がっているようだ。なんでそんなに余裕な顔をしているのだろう。周りの目もあるというのに。
だがシェラルドははにかんだままだ。
「俺だけに見せてくれるんだろ?」
どうやらドレスを隠すため横抱きにしたらしい。近い距離で話したのも、周りに見せないようにするためだったのか。わざわざそんなことしなくてもいいのに、と思いつつ、フィーベルは口をぱくぱくさせる。急にされたお姫様抱っこに、動揺が隠せなかった。
シェラルドがその状態のまま歩き出す。
何も掴まっていないのもバランスが悪くなるので、フィーベルは慌ててシェラルドの胸に掴まる。歩いたことで周りも察したのか、道を開けてくれた。シェラルドはその道を進んでいく。周りから好奇な目で見られても、全く気にしていない様子だった。
フィーベルは逆に落ち着かない気持ちになる。謝った時は周りなんて気にも留めていなかったが、今やあまりにも見られ過ぎて恥ずかしい。しかもこのドレスでこの状態で。余計目立っているような気がする。
「わっ」
するとシェラルドは少し手の位置を変えた。
先程よりも近く、密着するような形になる。
「な、なんですか!」
こんなに近付く必要なんてないはずだ。
だが平然とした顔をされる。
「あんまり見えない方がいいだろ」
どうやらそのために位置を変えたらしい。
今、完全にシェラルドに身体を向けていた。
先程よりも抱きしめられているような感覚だ。
「べ、別に、そこまでしなくても」
「一応夫婦だ。こうしていた方が逆に怪しまれない」
どうやら周りに、仲の良い夫婦姿を見せつける意味もあったらしい。そういえば先程の令嬢たちも、少し悔しそうにこちらを見ていた。どうやらフィーベルがいることで効果はあったらしい。花嫁の仕事を全うできて嬉しいはずなのに、フィーベルはなんだか面白くなかった。
ハグする時はすごく躊躇していたくせに。
それなのに今のシェラルドは、大人の余裕がある。
ぼそっと言ってしまう。
「……やっぱりシェラルド様、女性の扱いに慣れてる」
「急にどうした」
呆れたような物言いをされる。
「だって余裕なんですもん」
すると一度息を吐かれる。
「余裕なんてあったら、指を噛んでない」
「あ! あれ痛かったんですよ!?」
ここぞとばかりに抗議する。
あの時は申し訳なさが大きかったが、かなり遠慮なく噛まれた。ほんとに痛かった。まるで狂暴な犬に噛まれたような気分だ。するとシェラルドはうっと唸る。ばつが悪そうな顔になっていた。
「悪かったって。俺だって唇を触られると思わなかった」
「!」
追い打ちのように言われる。
さっき謝ったのに。
「だからそれはっ」
「いい勉強になっただろ。本当にしてほしい時はやればいい」
「えっ、シェラルド様に……?」
思わず聞いてしまう。
するとぎょっとされた。
「ばっ、一般論の話だっ!」
「あっ……」
フィーベルも慌てる。
なんてことを聞いてしまったんだろう。普通に考えてもそうなのに。なんでシェラルドにやる前提になっていたのか。思わず下を向いてしまう。
しばらく二人は無言になってしまった。
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