10:王族として、友人として

 カインは柔らかい表情でエリノアを見つめる。薄暗い中でも幻想的に光って見える青緑の瞳に、エリノアは思わず見入ってしまった。


 二人とも先程よりも近い距離にいる。


「許してくれてありがとう。俺は怒ってない。そうでなくても嫌わない」

「本当に……?」

「ああ」


 エリノアはやっとほっとした顔になる。

 だが少し慌てた。


「あの、さっきは」


 フィーベルと一緒にカインのことを話していた。素直に感じていたことを。まさか本人に聞かれていたなんて。エリノアは恥ずかしく思っていた。


「俺は、友人以上の関係は望まない」


 遮るように言われてしまい、エリノアは口を閉じる。

 なんだか先程と立場が逆だ。


 だが相手は苦笑した。


「君はこれからもっと成長して、もっと綺麗になって、もっと色んな人に出会っていく。俺はただ、君の力になりたいんだ」


 否定というよりは弁解のように見えた。


 エリノアには分かった。彼が本当に自分のためにこう言ってくれていることを。こうして会うのは初めてだが、手紙のやり取りは何度もしている。いつもこちらのことを心配してくれていた。気遣うような言葉が多かった。


「……だから、友人に?」

「ああ」


 しばらく沈黙が流れた。

 そしてエリノアは、くすっと笑う。


「じゃあ大きくなったらもっと綺麗になって、カインが放っておけないようなレディになるわ」


 するとカインは目を丸くする。

 小さく笑った。


「それは、楽しみだな」


 二人は一緒に立ち上がり、そして握手を交わす。

 それはまるで、久しぶりに会った友人に対して敬意を込めているように見えた。




「――エリノア殿下はまだ幼いけど」


 フィーベルは振り返る。いつの間にかヨヅカがいた。

 カインの側近のクレディも一緒だ。


 ずっと追っていたがどうやらここを見つけたらしい。なんでも、エリノアがよく隠れる場所なのだとか。二人もフィーベルと一緒に茂みに隠れるようにエリノアとカインを見守る。


「王女だから、その責任は十分理解してる」

「カイン殿下もです」


 クレディも頷いていた。


 王族だからといって、なんでも自由というわけではないようだ。最初エリノアも友人になることを拒んでいたし(噂されることを恐れたのと、想像していた人物と違っていたから驚いたのだろう)、カインも国は違えど、互いに協力できることがあれば、という意味で友人に、と言ったのだろう。


 エリノアはカインに対して好意的に見えた。カインもエリノアに対してそうだろう。目線を合わせて花束を渡す姿も、今も、とても優し気な表情をしている。


 エリノアはまだ十四で、恋に恋するお年頃だ。だが王女として、カインの意図を理解した上で握手をしていた。客人に対して大人顔負けの挨拶をした時と同じだ。自分より年下であるのに、すごく立派に見える。


 ヨヅカは微笑んだ。


「俺達の前ではけっこう我儘だけど、どうしても大人が多い世界だから、いつもは気を張ってる。我儘を言えるのは気を許している証拠だよ」

「なるほど」

「フィーベルさんにも、そうだと思うよ」


 確かに最初からけっこう無茶なことを言われた。


 嫌われているのだろうかと少し心配していたが、前と変わらず接してくれたし、エリノアのカインに対する素直な気持ちを聞けた。まだ出会って間もないが、健気に頑張るエリノアが、愛おしく思えた。


 それに彼女は、おそらくカインを諦めないだろう。宣言通り、聡明で綺麗な女性として成長していくような気がする。シェラルドの時も最初は諦めていなかった。


「カイン殿下も同じです。上に立つ者としていつも気を張り、あまり笑顔を見せません。ですが唯一エリノア殿下と文通をしている時は、優しい顔をされていました」


 フレディが目尻に皺を寄せる。

 確かにエリノアの言葉に、カインは嬉しそうだった。


「お互い、苦労しますね」

「本当に」


 側近同士、気持ちは一緒なのか、笑い合う。

 フィーベルも思わず笑ってしまう。


 と、その時、突然少し先で爆発するような音が聞こえる。


「「「「!?」」」」


 一斉にそちらに顔を向けた。


 かなりの人数の足音が聞こえ、止んだと思えば、全身黒い格好で顔も見えない人影がいくつも茂みから現れた。エリノアとカインも驚いてそちらに顔を向ける。


 黒い人影の一人が声を上げた。


「王女だ。捕まえろ!」


 カインはすぐにエリノアを隠すように抱き寄せた。

 その間、魔法の呪文が次々に聞こえてくる。


黒い棘ブラック・スティング!」


 彼らの頭上に大きな黒い棘のようなものが現れた。


 矢のようにエリノアとカインに先が向く。

 魔法がこちらに向かってくる瞬間、カインは叫んだ。


氷の壁アイス・ウォール!」


 二人の目の前に大きな氷の壁が現れた。


 壁のおかげでやってくる矢に対抗できていた。しかし何人もいるせいか魔法の数も多く、矢は永遠に降り続ける。そのせいで壁にどんどん亀裂が入り始めていた。


 辺り一面、矢が刺さる音と氷が砕ける音が響く。壁のおかげで矢は跳ね返されるが、そのせいで別の場所に突き刺さっていく。そして巻き起こる煙で視界が見えづらくなっていた。


 周りの音に負けないくらい、フィーベルも叫ぶ。


「あれは!?」


 ヨヅカも声を大きくする。


「反社会的組織。王族をあまりよく思ってない連中だよ。最近大人しくなったと思っていたら、今日を狙ってたのか」


 どうやら前々から攻撃や嫌がらせを頻繁に行ってくる組織のようだ。最近は特に被害がなかったようだが、嵐の前の静けさという奴だったらしい。


 それを聞き、フィーベルはすぐに魔法を使った。


ミスト!」


 辺り一面に霧を発生させる。


 視界が見えなくなったことで、相手の組織も少し困惑するような声を出していた。霧の中でも目が利くフィーベルはすぐにエリノアとカインの傍にいき、逃げるように伝える。フレディに誘導を頼み、隣にいるヨヅカに声をかけた。


「行ってください。ここは私が」

「人数が多いよ。俺も戦う」

「でも、エリノア殿下が」

「カイン殿下が守ってくれる。それに、異変に気付いた仲間がやってくる。もう一人側近がいないのはちょっと痛いけどね」

「あ……すみませんそれ私のせいです……」


 言われてシェラルドを置いてきてしまったことへの罪悪感が増した。本当ならこの場にいるはずだったのに。


 だがヨヅカは笑った。


「大丈夫だよ。どっちから行く?」

「左から。魔法の波動を感じたので、そちらから行きます」

「了解。じゃあ俺は右ね」

「どのくらいやります?」


 これでも城への襲撃者に対しての対処は慣れている。


 人によってはそれなりの制裁を与えてきたつもりだ。もちろん全てが襲撃だったわけではないので、全員そうしたわけではない。だが、相手によってやり方は変えた。


 クライブからはそれでいいと言われた。だが今回はヨヅカもいる。いつもはどのようにしているのか、これを機に聞いておこうと思ったのだ。


 するとふっと笑われる。

 どことなく楽しそうだ。


「いいね。情報は欲しい。口さえ動くなら後は好きにしていいよ」

「分かりました」


 二人は同時に動き出した。


 フィーベルは左側へ周り、何度も呪文を唱えて霧の魔法を繰り出す。最初は一面に霧が広がるようにしていたが、そうするとヨヅカが戦いにくいだろうと思い、相手の目元に霧を発生させる。視界が見えづらくこちらが分からない相手に対し、武術を使って倒していった。


 ヨヅカは腰に下げていた剣を握って、相手の急所を狙う。相手が痛がる箇所はよく分かっているようで、手際よく手を動かしていた。人数は多かったが、収束するのに時間はかからなかった。あっという間に大半はその場に伸びてしまう。何人か逃げられたりもしたが、そこそこの人数だ。上出来だろう。


 その間、警備担当の騎士や魔法兵団の人がやってくる。後の処理は担当してくれることになった。見ればいつの間にかアンネも来ていた。フィーベルがここにいると聞いて心配で来てくれたようだ。


「フィーベル様、大丈夫ですか!?」

「うん、大丈夫」


 動き回ったり相手も刃物を使ってきたりと、ドレスや髪型がぼろぼろにはなったが、それ以外は特に怪我もない。見ればヨヅカも無傷のようだった。


 アンネによれば、シェラルドがエリノアたちと合流したようだ。それを聞いてほっとする。ずっと探し回っていたらどうしようと思っていた。


 そして今、会場がどんな様子なのかも伝えてくれる。


「今、国王と王妃がご挨拶されています」


 エリノアの誕生祭が無事に行われていること、そして来てくれた客人へのお礼も込めての挨拶のはずだ。当の本人のエリノアが危ない目に遭ってしまったが、上手く場を和ませているのかもしれない。


「俺、先行くね。このことも報告してくるよ」


 エリノアの傍にシェラルドはいるが、国王と王妃がいるのなら傍につかないといけないのだろう。ヨヅカは走って行ってしまう。側近の仕事はやはり大変だ。


 見送った後、フィーベルは自分が着ているドレスを見た。ところどころほつれていたり切れていたり、とてもじゃないがこの姿で会場まで戻るのは無理そうだ。


「せっかくシェラルド様が用意してくれたのに、残念ですね」

「…………はぁ」


 思わず溜息が出る。


 ドレスのことじゃない。シェラルドのことだ。この後また合流することになるだろう。その時、なにを言われるだろうか。ドレスを汚したことも何か言われてしまうのだろうか。気が重い。


「どうしたんですか?」


 アンネが心配そうにこちらを見る。

 フィーベルは素直に答えた。


「実は……」




 一緒に移動しながら、経緯を話す。

 アンネは目をぱちくりさせていた。


「フィーベル様いつの間にそんなことを……」

「違うの。まさかそんな意味だって知らなくて」

「でもそれ、女性が男性にキスしてほしい時の常套句ですよ?」

「だから知らなかったの……!」


 あの時はそんなことよりも、エリノアの気持ちに気付けたことが単純に嬉しかったのだ。あの場で女性は自分だけだったし、女の勘というやつはよく当たると聞いたことがあった。だからシェラルドに何か言われる前に、自分の考えを述べたかったのだ。


 結果あのやり方をしてしまったのだが、今考えても顔から火が出る。まさかそんな意味があっただなんて。決して意図的ではないと力強く抗議しても、アンネは肩をすくめるだけだ。


「知らなかったとしても、やられた方はびっくりしちゃいますよ。相手がシェラルド様でまだ救われましたね」

「うん……でも、なんだか顔を合わせづらいし……」


 あの時のシェラルドは少し怒っているように見えた。噛まれた指にあった歯型はなくなっているものの、あの時の痛みの感触はしばらく忘れられないかもしれない。


 男に慣れていないくせに、誘惑するような行為をしてしまったのだ。シェラルドも驚くだろう。恥ずかしくて穴があったら入りたい。


 だがアンネはにっこり笑う。


「大丈夫ですよフィーベル様」

「え?」

「これでシェラルド様にぎゃふんと言いましょう!」


 移動した部屋で渡されたものを見る。

 フィーベルは顔が引きつった。


「……え、これってまさか」







 シェラルドは、ヨヅカと一緒にハーネルトの前にいた。先程会場で挨拶を終え、今は別室にいる。今回はエリノアが主役なので、出番は先程だけのようだ。


 合流したヨヅカが色々と報告する。


「そうか。迅速な対応、ご苦労だった」


 ハーネルトは真面目な顔で頷く。


 この国の王であるハーネルトは今年で五十後半。焦げ茶の瞳を持っており、見た目は若いが長い髭をこしらえており、王としての威厳を持っていた。とてもしっかりしているが、お茶目で楽しいことが好きな王様だ。側近である自分たちの話も、よく聞いてくれる。


 隣に座っているのは王妃であるキャサリン。長い金髪に真っ青な瞳。歳を取っても相変わらず綺麗なままだ。子供達は両方ともこの容姿を受け継いだのだろう。キャサリンはとてもおおらかで優しい人柄を持っている。ハーネルトと同様、しっかり報告を聞いていた。


 急な襲撃があったものの、エリノアが無事でしかも穏便に対処できたことを、ハーネルトはとても喜んでいた。特にカインのことを褒めており、また交流の場を設けたいと話す。


 ハーネルトが楽し気にシェラルドに顔を向ける。


「お前の花嫁は勇敢なようだな」

「……ええ」


(なんで知ってんだ)


 すました顔を保ちながらも、急に言われて心の中でツッコんでしまう。フィーベルも対処したことはヨヅカが報告していた。クライヴの従者でもあるため、国王も王妃もフィーベルの存在は知っているだろう。だがなぜ自分の花嫁であることも知っているのかは謎だ。


 フィーベルが花嫁なのは今日だけの話だ。それにこの話を持ち出した両親、クライヴ、隊長クラスのメンバーしか知らないはず。むしろ国王が知ったところで何の利益になるのだろう。


 キャサリンが優し気に微笑む。


「シェラルド。あなたまだ他の方に挨拶してないのでしょう? エリノアの護衛はヨヅカに任せます。花嫁と合流して、会場に戻ったらどうかしら」

「しかし、」


 途中で護衛を代わると約束していた。エリノアのためにもその方がいいと思っていた。それに、ヨヅカに任せきりなのも申し訳ない。彼も彼で、多くの者と挨拶をしたいだろうに。


「俺は構いませんよ」


 ヨヅカはあっさりと答える。

 追い打ちをかけるようにキャサリンが続けた。


「私からの命令です。よろしいですね?」

「…………はい」


 キャサリンが命令をすることはあまりない。だがあえて言うことを聞くよう、「命令」したのだろう。こちらが断れないのを分かった上で。シェラルドは苦渋の表情になる。


 ひとまずヨヅカと共に部屋を出た。

 並びながら会場まで歩く。


「そういえば戦闘中のフィーベルさん、すごくかっこよかったよ」

「そうなのか?」

「うん。相手の数が多かったけど、機敏に動き回ってた。戦い慣れてたね。あれは魔法兵団に入っても戦力になると思う」


 ヨヅカが素直に褒める。彼は大体人のことを褒めるが、ここまで言うということは、それなりの実力なのだろう。見れなくて少し残念だ。


 だがシェラルドは、フィーベルに会うのを少しためらっていた。


 まさか純情無垢なフィーベルがあんなことをするとは思いもよらなかった。うっかりどきっとしたのはここだけの話だ。反応からおそらく知らずにやったんだろうが、だからといって男の唇に気安く触れる馬鹿がどこにいる。


 するとヨヅカが「ははは」と笑う。


「また百面相だ。フィーベルさんと何かあった?」


 さすが察しがいい。


 いつもならなんでもないと突っぱねるのだが、今回ばかりは頼りたくなった。シェラルドは軽く説明する。自分を黙らせようと人差し指を口に当ててきたこと、こちらの言葉に動揺されて置いて行かれたこと。フィーベルはどう思っているのだろうと、客観的な意見がほしかった。


 置いて行かれたことを話せば爆笑されたが、これは自分に非がある。笑われても仕方ない。こちらは笑いたくもないが。話が終わってもヨヅカは引き笑いをしていた。


「い、いくらなんでも、普通、指を噛む? あっはははははっ」


 指を噛んだのは反射的だ。


 いきなりされたことに驚いたし、もしかして誰にでもしているのでは、という焦りの気持ちが先に出てしまった。そんな動揺と怒りで招いた行動だ。


(……犬か、俺は)


 今なら冷静にツッコミできる。


 ヨヅカの瞳には涙がたまっていた。

 そこまで面白かったのか。


「まぁフィーベルさんのことだから怒るよりも驚いてるだろうね。まずはそれを伝えてあげなよ。もしかしたらまた怯えてるかもしれないし」


 顔が怖いのは元からだ。だから今更怖がられても何も思わない。が、この顔のせいでさらに勘違いされるのは少し困る。こちらはそういう意味で言ったわけじゃないのに。


 ちらっと見れば、ヨヅカはにやにやと笑っていた。

 この状況を面白がっているようにも見える。完全に他人事だ。


 シェラルドは人知れず小さく溜息をついた。

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