09:捧げる氷の薔薇
「ね、この後お客さんが来るの。よかったら一緒に会わない?」
挨拶ができたのでそろそろ移動しようと思っていたら、エリノアから提案される。だがそれを聞いてシェラルドとヨヅカが眉を寄せた。
「どなたですか?」
「俺達は聞いてませんが」
「二人はいいの。ね、フィーベル行きましょう?」
無視してフィーベルの腕を引っ張る。
だがそれを聞いてさらに怪訝そうな顔になった。
「殿下、きちんと説明をして下さい」
「勝手なことをされたら他の方も困ります」
「もう、別にいいじゃない。今日招待してるお客様よ。ラレルベア王国の人!」
客人リストに目を通していたので、フィーベルも国の名前を聞いて理解した。ラレルベアは東北にある国だ。一年中寒く、氷に覆われている国だと聞く。こちらとの交流も深く、文化や特産品を交換する仲だ。何かあればすぐに助け合えるよう条約も交わしている。確か今日は代表者が来るとか。
「ラレルベア王国?」
「確か殿下は、面識はないはずでは」
エリノアがお客さん、というくらいだ。会ったことがある人かと思えば、そうではないらしい。さすが側近。エリノアと面識があるのか否かも管理しているらしい。
するとエリノアは面倒くさそうに答えた。
「昨年の誕生祭に手紙と花束を送ってくださったの。それから文通しているのよ」
「誰と?」
「だから、花束をくれた人と」
「なぜそのことを黙っていたのですか」
どうやらシェラルドもヨヅカも文通していることを知らなかったらしい。エリノアは少し膨れるような顔になる。最初はお礼の手紙だけにするつもりだったらしい。だが、くれた人がまた手紙を送ってきたようだ。しかも、返事を書かないといけないような内容だったらしい。
「国の良さとか、好きな物とか、色々聞かれたの。いい交流になるかなと思って。もちろん、勝手に文通していたわけではないわ。ちゃんとお父様に許可はもらったわよ」
すると側近たちは渋い顔になる。
この国の王であるハーネルト・イントリアンスは娘にとても甘い。可愛い娘のお願いならよほどのことでなければ断らないだろう。おそらくエリノアは、シェラルドとヨヅカに言えば却下されると思い、一番優しいハーネルトに頼んだのだ。なかなかに策士。
「その方の名前は。身分は?」
「まさか男性ではないですよね?」
ずいずいと主人に聞く二人に、フィーベルの方がたじたじになる。さすがだ。エリノアのことになるとかなりの心配性だ。
エリノアは慌てた。
「女性よ。名前はカノン。身分は聞いていないけど、とってもいい人よ」
「本当ですか」
「本当よ。ほら、今日届いたの」
すぐに侍女に手紙を持ってこさせる。
薄いブルー色の便箋でシンプルなデザインだ。
三人はその手紙を見た。
『拝啓 エリ お元気ですか。こちらは元気です。もうすぐ誕生日だね。今年はそちらに行けそうです。ぜひ話したい。今年もプレゼントは花束にするよ。君が気に入っていた薔薇の花。楽しみにして下さい。カノン』
ぱっと見ればどこも怪しい部分はなく、確かに女性のようだ。達筆な字が美しく、名前も女性っぽい。どうやら今この時間に来る予定になっているらしい。女性と聞いて側近の二人も少し安心したようだが、それでも首を傾げた。
「ですが身分を明かさないのは怪しいです」
「偽名の可能性もありますし」
「もう、どうして先に疑うの? 大体王族と手紙のやり取りをするには許可がいるわ。許可なくしていたわけじゃないもの」
「ですが側近の俺達にも一言」
「あら、花嫁のことを直前まで言わなかったのは誰かしら?」
シェラルドは言葉に詰まる。
返す言葉がない。これにはヨヅカも笑っていた。
「相手は女性だけど、会うのは今日が初めてだから少し緊張しているの。だからフィーベルに来てもらおうと思って」
同じ女性であるフィーベルと一緒なら安心できると思ったようだ。しかも相手は十九。フィーベルと同い年だ。だから頼ってくれたのだろうが、いつの間にか打ち解けてくれた様子だったので、フィーベルも嬉しく思う。
エリノアの言葉に、シェラルドも渋々頷いた。
「分かりました。ですが、俺達も必ず同伴させてください」
「そんな、シェラルドがいたら怖がるかもしれないわ」
「確かに」
「おいヨヅカ」
フィーベルはエリノアと並び、来るであろう入口まで移動する。他国の客人用の入口があるようで、そこであれば他の客人にも迷惑をかけずに会えるようだ。
「エリノア殿下はエリ、と呼ばれているんですね」
「カノンがつけてくれたの。そんな風に呼ばれたのは初めてだけど、嬉しいわ」
フィーベル達の後ろにいたシェラルドとヨヅカはこそこそと話す。
「いつの間にか先に友人ができたようだね」
「どうだろうな……まだ怪しい」
「そうだね、それに」
ヨヅカはちらっと客人リストを見直す。
城の者は客人の名前と特徴を頭に入れるようになっている。誘導する必要があったり、もし何かあった場合も対処できるようにするためだ。そのため、事前に客人リストを渡している。が、全ての情報を全ての者に知らせているわけではない。
客人の個人情報でもあるため、重要なことは重要な位置にいる者しか知らない。その情報さえも守れる者のみ、だ。フィーベルとエリノアには最低限の情報しか載ってないリストを渡していた。だが側近であるシェラルドとヨヅカは全ての情報を持っていた。
だからこそ疑問に思ったのだ。他のリストではラレルベア王国から来るのは「代表者」と曖昧になっている。だが全ての情報が載っているリストによれば、「王族」になっていた。
入口に着いたがまだ来ていないようだ。エリノアはそわそわした様子で待つ。すると少し奥から足音が聞こえてきた。来たかもしれないと思ったエリノアは、そちらに顔を向けた。
やってきたのは鼠色の髪を持つ物腰柔らかそうな使用人と、無表情な青年だった。青年は銀髪の短髪に青緑の瞳。丈が長めの銀色の式服を着ており、装飾は金色と青色の二色使いだった。背が高く、勇ましい顔つきで、身体を鍛えているのが服の上からでも分かる。
見た目は男性的であるのに、その髪色と瞳は美しい。見れば両耳に小さい金色のピアスをしている。指にはいくつも銀色のリングをつけていた。
エリノアは口を半開きにして相手を見る。
フィーベルはそっと耳打ちする。
「別のお客様でしょうか」
男性であるし、ラレルベア王国の客人ではないだろう。だがエリノアは黙って近付く。ヨヅカも一緒に傍についた。フィーベルはシェラルドと一緒に、少しだけ距離を取って見守る。
すると使用人の方が口を開いた。
「ラレルベア王国から参りました。こちら第一王子のカイン殿下。私は側近のクレディと申します。エリノア殿下、この度はおめでとうございます」
するとエリノアはほっとするような顔になった。
「ありがとうございます。遠いところからようこそお越しくださいました。広大な土地を持つラレルベア王国より狭いかもしれませんが、どうか楽しんで下さい。……あの、一つよろしいでしょうか」
「なんでしょう」
「カノン、はいますか?」
「カノン? というと」
すると急に第一王子が近付いてくる。
そして膝をつき、エリノアと目線を合わせる。
「エリ、お誕生日おめでとう」
低い落ち着いた声と共に、白い薔薇の花束が出される。
反射的にエリノアは受け取ったが、少し焦る。
「あの、でも」
「
カインが呟いたと思えば、急に薔薇が氷漬けになる。
一気に白い薔薇から氷の薔薇に変わった。
声も出ないエリノアの代わりに、フィーベルが呟く。
「すごく綺麗……!」
まさか花自体を凍らすとは。よく見れば、花びら通りに綺麗に凍らせている。原型を保ったまま凍らすのは魔法の能力が高くなければできないだろう。さすが氷の国の王子。氷魔法が得意のようだ。だがフィーベルが感心している間、他の者は静かに様子を見守っていた。
「君が気に入っていた花束だ」
「……カノン?」
するとカインは頷く。
変わらず無表情だが、瞳はエリノアを見つめていた。
「女性じゃ」
「女とは書いてない」
「でも、書き方が」
「男言葉だときつくなるから女言葉で書くように意識した」
「なんで、偽名を」
「俺と分かったら返事をもらえないと思った」
するとエリノアは気まずそうな顔をする。
確かにエリノアは一国の王女。一国の王子と文通すると知ったら周りは放っておかない。男女の仲と噂されて困るのは本人たちだけではない。
「でも、どうして。どうして手紙を」
「一度この国に来たことがある。だから君のことは知っていた」
聞けばカインは挨拶と交流を目的に来たことがあるようだ。その時にエリノアの存在を知ったらしい。花束と手紙を送ったのも、誕生祭に行けないことへの詫びもあるが、どういう反応をするのか気になったようだ。
「俺と知らずに無邪気に返事をくれる君に会ってみたかった。俺は君と同じ王族だから、友人も選ばないといけない。だが、身分のことを抜きにして仲良くなりたかった」
するとエリノアはゆっくり首を振る。
「無理よ。仲良くなんてできないわ。ましてや王子だなんて。周りに何を言われるか」
「俺はただ友人になりたいだけだ。それ以上は望まない」
「あなたはそうかもしれないけど、周りはそういう目で見てくれない。それに」
受け取った氷の薔薇の花束をぎゅっと抱きしめる。
エリノアはカインを批判するように見た。
「私を騙したわ」
そしてその場から駆け出した。
フィーベルは自分の横を通り過ぎるエリノアの顔を見た。右手で顔を隠すように走っていたが、どことなく頬が朱に染まっているようにも見えた。
(……もしかして)
その間、ヨヅカがエリノアの後を追う。
フィーベルは取り残されたカインを見つめる。
彼は視線を下にしていた。
どことなく、寂しそうに見える。
「あの」
いつの間にか声が出ていた。
目が合えば、必死に伝えた。
「追って下さい」
「…………?」
「エリノア殿下を追って下さい!」
「しかし、」
「お願いします! 早くっ!」
責め立てるように言えば、慌ててカインも走り出す。クレディも一緒に追う。急に指示を出したフィーベルに、シェラウドは「おい」と言うが、フィーベルはすぐにシェラウドの口元に人差し指を押し当て、「しっ!」と伝える。
一瞬相手は唖然とする。
だがすぐにむっとしてその指を噛んできた。
「いっ!? なにするんですか!」
容赦なく噛まれ、かなり痛い。
手を振った後で見れば、歯型がついていた。
「どういうことだ。なんで追わせた」
「知りたいですか?」
ふふふ、と自信満々な顔になる。
そして今度は相手に人差し指を見せながら言う。
「女の勘です!」
「……は?」
半信半疑な顔をされる。
「追えば分かります。とにかく皆さんより先にエリノア殿下に会わないと」
「俺達が一番最後だぞ。どうやって」
「ここで私の魔法が出てきます」
「?」
「霧になれば移動は早いです」
「まさか、」
「そのまさかです」
笑顔で伝える。
霧の魔法は色々と使える。例えば霧の姿になることも可能だ。個性魔法だからこそできる技だろう。霧になれば誰よりも早くエリノアに追いつくことができる。それにフィーベルは、エリノアに確認しておきたいことがあった。
「魔法を使うので、手を握ってもらっていいですか」
一人ではなく複数の人に魔法を使う場合は、触れあっていないといけない。あっさりと手を差し出せば、シェラルドは苦々しい顔になる。触れないまま、聞いてきた。
「お前、ああいうこと他の人にもしてるのか」
「ああいうこと?」
「さっきのこれだこれ」
自ら実践してくれる。人差し指を口に当てたことだ。フィーベルは「ああ」と言いながら苦笑する。あれは無意識にやった。何かとシェラルドは口で言い返してくるので、そうした方が静かになるかなと思ったのだ。
すると眉を寄せられる。
どことなく嫌そうだった。
「え、すみません……」
本気で嫌だったのかと思い、首がすくむ。
すると溜息と一緒に乱暴に手を握られた。
シェラルドは顎を動かす。どうやら魔法を使え、と言っているようだ。これ以上何か言われるのが少し怖くなり、すぐにフィーベルは「
「お前、もう少し自覚しろ」
急に言われた。
「なにがですか……?」
人を怒らせている、ということだろうか。
分からなかったので一応聞く。
すると顔がこちらに向く。
「人の唇に触れるってことは」
「?」
「キスしていいって言ってるようなもんだ」
「…………え」
思わずシェラルドの手を離してしまう。
すると次の瞬間、フィーベルだけが霧になった。
エリノアは走っていた。
もらった氷の花束と共に。
顔は赤くなっている。走って熱くなったと思いたい。
色んな感情が渦巻いていた。
今ヨヅカに追われているが、誰とも会いたくなかった。一人にしてほしかった。足の速さだけでは絶対に負けるので、他の部屋に行ったり、隠れたりしながら今も走っている。
「エリノア殿下!」
声が聞こえると思って右上を見れば、ぱっとそこからフィーベルが出てきた。一瞬のことで驚くが思いだす。そういえば彼女は霧の魔法が使えた。
「早く手を!」
言われて掴めばふわっと身体が浮く。
フィーベルは優しく微笑んだ。
「女同士で話しましょう」
エリノアはゆっくり頷いた。
少しほっとするような表情になった。
場所は会場の外の庭だ。静かであるし隠れ場所もたくさんある。ひとまず茂みを背もたれにして、フィーベルはエリノアと並んで座っていた。見ればエリノアはさっきよりも落ち着いていた。
「大丈夫ですか?」
小さく頷かれる。
「突然のことで驚きますよね」
「……まさか、男の人だったなんて」
「悲しかったですか」
「少し。でも、それよりも」
「嬉しかった、とか?」
エリノアがはっとするようにこちらを見る。誕生祭自体は朝から始まっているが、式典が始まったのは夕方ごろだ。だいぶ日が落ち、少し暗くなっている。だが、エリノアの頬が赤く染まっているのは分かった。
フィーベルは微笑んだ。
「嬉しかったんですね」
エリノアは顔を隠すように下を向く。フィーベルはそれ以上何も聞かなかった。これを聞けただけで十分だと思ったのだ。あとはエリノアが、素直になるだけで。
しばらくすると、口を開いてくれる。
「そりゃあ、嬉しかったわ。だって私も会いたいと思っていたし。真っ直ぐ私だけを見てくれたし、綺麗な花束だってくれたし」
ずっと握っていた花束がエリノアの隣にある。
走っている間に氷は少し溶けてしまっていた。
聞けば前の誕生祭の時も氷の花束をくれたようだ。それを気に入ったことも手紙で書いたらしい。だからカインは今回も花束をくれたようだ。
「それに、」
次の言葉だけ、小声だった。
「かっこよかったわ」
「はい。とてもかっこいい方でした」
武術も習得しているフィーベルから見ても、カインは相当身体を鍛えている。背も高く、エリノアと比べると頭二つ分あった気がした。でもわざわざ膝をついて視線を合わせ、お祝いの言葉を述べていた。そしてずっと、エリノアだけを見ていた。
今のエリノアは気まずそうだった。というか、恥ずかしそうだ。今までシェラルドに向けて持っていた恋心は、やはり憧れだったのだろう。そして今、本当の恋を知ったのかもしれない。
シェラルドを思ったことで先程の言葉を思い出し、フィーベルははっとして顔が熱くなる。今は、今は気にしなくていい。今大事なのはエリノアだ。
フィーベルは話を進めた。
「相手が王子では友人になれないのですか?」
「そうじゃないわ。けど、だめ。私が緊張しちゃうもの」
どうやら別に友人になってはいけないわけではないらしい。王族同士の交流はよく聞くし、二人きりでなければきっと会うことも許されるだろう。だがエリノアが気にしていることは、そういうことではないようだ。
「かっこよすぎて目を見れないわ。とっても綺麗でまるで宝石みたい。ああどうしよう。私、彼にひどいこと言ってしまったわ」
カインを褒めるエリノアは可愛らしい。まだ十四歳だ。子供らしい方が彼女にはよく似合う。だがすぐに泣き出しそうな声でフィーベルの腕を掴む。どうやら先程の自分の発言を反省しているらしい。
「恥ずかしいからってあんな言い方、ひどかったわ。カインに嫌われたらどうしよう……」
「エリノア殿下、それは」
「――嫌わない」
茂みの音と共に、カインが姿を見せてくる。
エリノアは慌てて逃げようとしたが、フィーベルが逃げないようにそっと両肩を掴んだ。カインは警戒させないよう、少しだけ距離を取って膝をつく。
「話を聞いていた。俺のこと、許してくれるのか?」
「っ、許すも何も、私が悪かったもの。……ごめんなさい」
しっかり頭を下げる。下げ続けていた。
するとカインはそっと近付いてくる。フィーベルはすぐに察し、カインと入れ替わるように移動した。エリノアが顔を上げた時には、カインが目の前にいるような状態になっていた。
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