05:我儘なお姫様

 エリノアの誕生祭まであと二日。


 シェラルドはヨヅカと向かい合って書類の確認をしていた。側近としてすべき仕事は山ほどある。準備事項や当日の流れの確認。その他にも隊長、副隊長としての仕事もあるのだから、他の騎士よりも仕事の量が多い。


 エリノアは今回で十四になる。この国の第一王女としてそれなりに勉強などもしているが、まだまだ遊びたいお年頃。そして、まだまだ全てのことを覚えるのは無理がある。当日来る客人のリストも渡してはいるが、頑張って覚えても半分くらいだろう。だからシェラルドとヨヅカが分担して覚えて対応するつもりだ。このように、側近としてエリノアの補佐もしなければならない。


 当日は各国から客人が来る。誕生祭は大事な国同士の交流の場でもある。相手のたった一つの言葉、仕草、行動、贈り物でさえ気は抜けない。どういった思いでこちらと話をするのか、国同士のためか、それとも陰謀か。その思いまではどうやったって計り知れない。だからこそできる範囲で準備しておく必要があるのだ。


「今回は出席率が高いね」

「エリノア殿下が成長したからだろう。今年に入って随分大人っぽくなられた」

「あちこちでその話も飛び交ってるんだろうね」


 誕生祭以外でもエリノアが公務で外に出たり仕事をすることはある。大体付き添いであったり挨拶くらいなものだが、一国の姫を見ようと詰め掛ける者は多い。


 小さい頃はただ可愛らしいと思うだけだが、成長すればぜひうちの息子と、と、縁談に持ち込もうとする輩も多い。良い年頃だ。今のうちにいい関係に持ち込み、そのまま結婚、という流れ。誰でも考えれば分かる。


「立場上どうしても『結婚』からは逃れられないもんねぇ」


 ヨヅカが溜息をつく。


 一年に一度の誕生をお祝いする祭り。城で式典があるだけでなく、国中で祭りを開催しお祝いする。そんな喜ばしい日であるのに、政治的なことに巻き込まれる。この国の姫であるとはいえ、少し哀れだ。せめて政略結婚ではなく、一生守ってくれる優しい人と出会えるといいのだが。


「そういえばさ」

「ん?」

「フィーベルさんのドレス綺麗だった?」


 急な話題の変更に、持っていた書類を握りつぶしそうになる。

 少しだけ握ってしまったので跡が残らないよう急いで直す。


 昨日も今日のようにヨヅカと一緒に仕事をしていた。その途中でいきなりアンネがやってきて、ドレスが届いたから見て欲しいと言われたのだ。急ぎの要件があったものの、ヨヅカは笑顔で「いっておいで」と行かせてくれた。だから聞いてきたのだろう。


 シェラルドは平然と答えた。


「当日に分かる」

「わーあからさまに避けるね~」

「今はそれどころじゃ」

「俺の質問にちゃんと答えてよ。綺麗だった?」


 どうして自分の周りはこういう人が多いのだろう。

 以前もクライヴに似たことを聞かれた気がする。


「評価は人それぞれだからなんとも言えん」

「俺はシェラの評価を聞いてるんだけどなぁ」


 一向に引かないのか、ヨヅカはにこにこしている。

 こういう時の彼は一番苦手だ。


「…………うるさい」

「シェラも素直じゃないねぇ」


 絞り出した言葉にヨヅカはあっさりと引く。

 そしてまたてきぱきと書類に目を向けていた。


 シェラルドも同じように手を動かす。


 綺麗だったか、なんて質問は愚問だ。綺麗に決まっている。似合うに決まっているだろう、彼女の魅力が全面に出ているドレスを着ていたら。


 アンネから聞いた時はただドレスが届いただけだと思っていた。……フィーベルが着ていた。しかもシェラルドが悩んで決めたドレスではなく、針子がこっちの方がいい、と散々おすすめしてきたドレスを。


 髪も結われ、化粧も行い、当日さながらに綺麗に着飾っていた。


 元々綺麗だと思っていただけに、魅力が増した。白い肌には傷一つなくて、胸も強調しすぎない程に膨らみを持たせているドレスだった。少しぎこちなく笑う姿もどこか初々しく、本当に綺麗だと思った。最初見た時は言葉が出てこなかった。それほど見とれていたのだ。


 その後は色々あり、自分でも余計なことを言ってしまったかもしれない、とフィーベルの顔が見られなかった。六つも下の少女の顔が見られないなんて、男としてはだいぶ恥ずかしい。もう少し余裕があったはずなのに。


 しかも針子に聞けば、注文していたドレスは作っていたようだ。反応が見たくてわざわざ二着作り、しかもあのドレスをフィーベルに着せたらしい。ドヤ顔で言われた時はまんまとハメられたと思った。


「でも大丈夫かなぁ」

「? なにがだ」


 言葉に反応が遅れた。

 すると苦笑される。


「だってシェラに花嫁がつくって決まったの五日前でしょ? エリノア殿下は知ってるの?」

「…………あ」


 忙しすぎて忘れていた。


「だが、クライヴ殿下が」

「俺には言ってくれたけど、エリノア殿下には言ってないと思うな。だってこういうことは当事者であるシェラの口から聞きたいと思うし」

「……確かに」


 彼女の性格上、誰かから聞いた、よりも本人から聞きたいタイプだ。そうであることをすっかり忘れていた。まずい。あと二日で誕生祭だ。いつのタイミングで言うのが良いだろうか。早い方がいいと思うが、タイミングが掴めない。ここでごねられでもしたら、誕生祭自体なくなる可能性もある。


 シェラルドは少し項垂れる。


「やばいな……」

「うん。やばいね」


 あっさり言われる。


 するといきなりドアが開く。

 入ってきた人物に、二人とも驚いた顔になった。







「わぁすごい。まだ勉強されてるんですか?」


 フィーベルは一室を借りて勉学を続けていた。大きな机の上には本や書類がたくさん並んでいる。休憩がてら遊びに来たアンネが感嘆してくれ、フィーベルは少し笑った。


「うん。覚えるものはもう覚えたんだけど、ついでに勉強しておこうと思って」


 テストはクリアし、先生からも太鼓判を押された。なので残りの日数は自習をしている。ダンスは形になってきたもののまだまだなので、変わらずアンネに見てもらっている。空いた時間を見つけて勉強しているのだが、意外と知らなかったことも多かったため、全てが新鮮で楽しい。


「あ、そういえばあの時大丈夫でした?」

「え?」

「ほら、駄目だってシェラルド様に言われて飛び出したじゃないですか。なんとなく二人ともぎこちなかったから、大丈夫だったのかなって」


 あの後シェラルドは、針子と少し話をしてすぐ仕事に戻ってしまった。


「う、うん。大丈夫」

「そうですか。よかった」


 アンネはほっとしたような顔をしてくれる。


「でもシェラルド様ひどいです。すごく可愛かったのに」

「い、いいの。その…………」


 言葉を続けようとするが止まる。

 なんと言えば自分でも分からなかったのだ。


 あの時のシェラルドの言葉を思い出すと、頬が赤くなってしまう。


「? フィーベル様、顔……」

「えっ」


 慌てて手で頬をさする。

 そんなにも分かりやすかっただろうか。


 バンッ!


 すると急にドアが開く。

 フィーベルとアンネは、入ってきた人物に目を丸くした。


 くるくるの金髪の巻髪に大きい青い瞳。身長は低いが、それなりに質の良いドレスを着ている。姿勢も良く、立ち方や振舞い方はどこかできちんと教養を受けたのだろうということはフィーベルにも分かった。少女はすました顔でこちらを見る。フィーベルを見つければ、こちらに近付いてきた。


 近付いてくる少女に唖然としていれば、アンネはすっと姿勢を正した。


「エリノア殿下。いかがいたしましたか」

「えっ」


 どこかで見たことがある顔だなと思えば、まさかのエリノアだったとは。この国の第一王女であり、クライヴの妹姫。名前を聞いたことはあるし式典などで遠くから見たことはあるものの、こんなにも間近で見たことはなかった。なるほどさすが兄妹。とても美しい顔立ちをしている。


 フィーベルも慌てて挨拶をした。


「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。クライヴ殿下の元で働いております、フィーベル・ファクナーと申します」

「…………あなた」

「は、はい」


 思わず姿勢がよくなる。

 エリノアはじろっと睨んで叫んだ。


「この、泥棒猫っ!」

「…………え?」

「よくも私のシェラルドに手を出したわね!? どんな手を使ったのか知らないけど、花嫁になるだなんて許せないっ! 万死に値するわっ!」

「え」


 早口で言われてしまって思考が追い付かない。だがフィーベルは必死に頭を動かす。エリノアの言い分を聞くと、自分はどうやら悪女のような立場になっているようだ。しかも万死に値すると。だがそれよりなにより。


「もしかしてエリノア殿下は、シェラルド様のことがお好きなのですか……?」

「ちょ、フィーベル様っ!?」


 ぎょっとしてアンネが腕を引っ張る。

 するとみるみるうちにエリノアは泣きそうな顔になった。


「そうよっ! 小さい頃からずっと傍にいて、いつかシェラルドと結婚するって決めていたのに……! 急に出てきたあなたがどうしてシェラルドの花嫁なの!? 私の方が可愛いのに!」


 容姿で言えばごもっともだ。

 そこに反論はできない。


「も、申し訳ありません。ですが私は」

「あなたなんてそこら辺の人と変わらないじゃないっ! アンネが選ばれるなら分かるわよっ!」


 それもごもっともだ。

 彼女も可愛い。


 アンネが慌てて口を挟む。


「お言葉ですがエリノア殿下。これはクライヴ殿下とシェラルド様自身が決めたことです」

「お兄様が……? しかもシェラルドが決めたの? どうして? 私は何も聞いていないのに……!」

「「え」」


 アンネと声が合わさる。

 主人であるエリノアの耳には届いていなかったのか。




 急にドアが開き、人が入ってくる。

 見ればシェラルドとヨヅカだ。


「エリノア殿下っ!」


 シェラルドは息を切らしながらすぐに片足を床につけ、エリノアと視線を合わせる。いつものむっとした怖い顔ではなく、子供をあやす優し気な表情で声をかけた。


「お伝えするのが遅くなって申し訳ありません。彼女は俺の花嫁です」

「なんで……? いつか私と結婚してくれるって、約束したじゃない……!」

「それは、」


 フィーベルとアンネが見守っていれば、静かにヨヅカが近寄ってくる。今日も穏やかに微笑んでいるが、どこか困った顔のようにも見えた。


 経緯を聞けば、どうやらシェラルドはエリノアに花嫁の話をするのを忘れていたらしい。そしてエリノアはうっかり知っていたメイドから聞いたらしい。先程までシェラルドとヨヅカがいる部屋に入ってどういうことだと詰め寄り、その勢いのままここに来てしまったようだ。


「シェラは幼い頃からエリノア殿下の側近でね。どうせ忘れるだろうってエリノア殿下の約束にうん、って言っちゃったみたいなんだ」

「だからですか。それにしても、本当にシェラルド様が大好きなんですね。噂では知っていましたが、あそこまでとは」


 フィーベルはまだ話している二人を見つめた。幼い頃から一緒なら、それなりに情も出るだろう。シェラルドはずっと穏やかに話し続けている。長年一緒にいるからこそ出る表情なのだと、すぐに分かった。


「とてもお似合いに見えます」


 思わず呟いた。

 互いに大事に思っているのが伝わってくる。


「うん。でもどっちも、ちょっと違うから」

「え?」

「シェラはエリノア殿下のこと何とも思ってないよ。妹みたいな感じかな。エリノア殿下も、あまり男性と関わったことがないからね。あれは、男女の意味で好きというより、憧れの好きだよ」

「憧れの好き、ですか」


 あまり分からない。

 声色で分かったのか、苦笑される。


「難しい?」

「はい」

「そっか。いつか分かる日が来るよ。さ、そろそろなんとかしないとね。このままじゃ仕事にならないから」


 そう言いつつヨヅカは二人に近付く。

 にこっと笑ってエリノアに目線を合わせた。


「エリノア殿下、二人はとても愛し合っているんです。ここは引いていただけませんか?」


 あまりに直球な言葉に、シェラルドはぎょっとした。


「お前その言い方は」

「愛し合ってる……? 私だってシェラルドを愛しているわ」

「エリノア殿下のは愛というより恋です。以前私が話したことを覚えていますか? 人は生まれた時に自分の相手が決まっていると」

「ええ覚えているわ。だから私の相手は」

「エリノア殿下の相手はシェラじゃありません。現にシェラは、エリノア殿下のことを妹以上に見れないんですから」

「……!」


 はっとしてエリノアはシェラルドを見る。

 シェラルドは少し迷ったが、小さく頷いた。


 すると少しだけ顔を歪めたが、口調をきつくする。


「じゃあ二人が愛し合っている姿を見せてよっ! キスして!」

「「え」」

「わぁそれは名案ですね」


 固まるフィーベルとシェラルドに対し、ヨヅカは笑う。

 シェラルドは小声で抗議した。


「お前他人事だと思って……!」

「でも要求される場面はありそうじゃない?」


 誕生祭当日のことを言っているのだろうか。好きなところはどこか、と聞かれたら答えられるように対策はしているが、まさかそこまで要求されるとは思わなかった。未知の世界に、頭の中がぐるぐるする。


「さぁ早く。二人は愛し合ってるんだからできるでしょ?」


 なぜかヨヅカの方が煽ってくる。

 どちらの味方なのだろう。


「「…………」」


 フィーベルもシェラルドも顔を背けたままだ。

 昨日あんなことがあったばかりだというのに。


「してくれないとエリノア殿下も諦められないですよ」

「そうよ! しなさいよ!」


 腕組みをしながらエリノアが言ってくる。どことなく期待しているようにも見えた。わくわくしているというかなんというか、瞳が輝いている。


 アンネがそっと耳打ちする。


「多分ヨヅカ様の言った通り、エリノア殿下の好きは憧れに近いです。でなかったら普通止めると思いますから……」

「そ、そう」


 フィーベルには好きの違いが分からない。

 だがアンネが言うなら間違いないだろう。


 とにかくこの状況をなんとかしなければ。

 シェラルドに近付き、真っ直ぐ目を見る。


「いつでもどうぞ」

「えっ」


 相手の方がどきまぎする。

 予想外の反応だが、小声で伝えた。


「私より付き合った人の数が多いんじゃないんですか。さっさとして下さい」

「誰がだっ! お前俺の過去知らないだろうがっ!」

「ど、どっちでもいいから早く!」


 今はここでわちゃわちゃしている場合ではない。手っ取り早く目を閉じて顎を上げる。シェラルドは背が高いため、その方がやりやすいかなと思ったのだ。




 シェラルドはフィーベルの行動にぎょっとする。

 よくもまぁそんな無防備なことができるものだ。


 ちらっと横を見れば、ヨヅカはより笑みを濃くしていた。

 本当に他人事だ。後で叱りつけてやりたい。


 仕方ないのでシェラルドも動いた。

 むしろここまでしてくれているのに何もしないのは男がすたる。


 そっとフィーベルの頬に手を添えた。柔らかい肌だった。触れたら壊れてしまいそうにすら感じる。すると分かりやすく相手の身体が震えた。緊張しているのだろう。無理もない。できればさっさと終わらせてあげたい。


 血色のいい桃色の唇は厚く、肌よりさらに柔らかく見える。

 シェラルドはゆっくりと唇を彼女のそれに近付けた。


 あと少し、というところで「きゃあっ!」と声が聞こえる。

 驚いてフィーベルもそちらを見た。


 ヨヅカがエリノアの目を両手で隠していた。


「ちょっとヨヅカっ! 見えないわっ!」

「エリノア殿下はまだお子様ですから、この場面は早いですよ」

「なによそれっ!」

「あーお二人のキスは長いんだなぁ」

「ええっ!? 私も、私も見たいっ!」

「はいはい。この誕生祭できっと素敵な殿方に出会えますよ。それまで取っておきましょう」


 言いながら引きずるようにエリノアを連れて行く。

 しかも彼女の目を隠したまま。


 はははは、と笑うヨヅカの声と、離してよー! とごねるエリノアの声は、部屋を出てからも少し続いた。


 残された三人は唖然とする。


「……ひょっとして、助けて下さったんでしょうか」

「そう、だな」


 思わず顔を見合わせて苦笑する。

 そしてはっとして、顔を逸らした。


「悪い」

「いえ」


 未遂で済んだので悪いも何もないのかもしれないが、反射的に謝ってしまう。居心地が悪いとはこのことだ。しばらく二人の様子をじっと見つめていたアンネはにやっとする。そしてシェラルドに声をかけた。


「そういえばダンスなんですが」

「?」

「形はできているので、最後にシェラルド様が練習相手をして下さいませんか?」

「え?」

「だって当日も踊りますよね? 一度は踊った方がいいかと」

「あ、ああ」


 それもそうか、とシェラルドは頷いた。

 フィーベルも納得して「お願いします」と頭を下げてきた。

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