04:ドレスをあなたに

「それではフィーベルさん。今回最初にエリノア様にご挨拶される方は?」

「侯爵家、ヴァンテスシア夫妻です」

「正解。ではエリノア様は今年でおいくつになられますか?」

「十四歳です」

「正解。ではあなたがエリノア様にご挨拶する時はどのように伝えますか?」


 フィーベルはすっと席を立つ。

 そして両手でスカートの裾を持ち、軽くお辞儀した。


「エリノア王女殿下、この度は誠におめでとうございます。私はシェラルド・タチェードの妻、フィーベル・ファクナーです。益々エリノア様に幸福が訪れますようにとお祈り申し上げます」


 本来であればまだ婚約もしていない状態なのだが、一応「妻」と名乗ることになった。重要な式典だが必要最低限の人達しか呼ばないらしいし、なによりシェラルドの両親が花嫁のフリでいいから誰か呼べ、と言ってきたのだ。特に問題はないだろう。


 すると勉学を見てくれている女性の先生がふっと笑う。

 そしてぱんぱん、と手を叩いた。


「お見事。よくできています」

「ありがとうございます」


 ジェラルドから課題を出されて三日目。


 今日は先生にテストを見てもらう日だ。

 どうやら全てクリアしたらしい。


 ほっとしていると、先生は少し苦笑した。


「五日で指導してほしいと言われた時はどうしようかと思いましたが、こんなにも優秀なら、私の出番はないようですね」

「そんな。教えていただいたからすぐに吸収することができました」

「まぁ。ありがとうございます」


 先生は微笑んで喜んでくれた。


 フィーベルは短い日数の中、勉強に勤しんでいた。そして今日は色々とテストをしてもらった。教養は身についているか、礼儀作法に問題はないか、リストの客人の名前は覚えているか、細かく見てもらったのだが、どうやら大丈夫なようだ。


 宣言した通り、フィーベルは三日で全ての内容を暗記した。そして実際に全て答えて見せた。これには先生も予想外だったようだが、褒めてもらえるのが素直に嬉しかった。




 それから二日後。

 今日もフィーベルは勉学に勤しむ。


 シェラルドとはしばらく会っていない。たまに会って挨拶するくらいだ。式典の準備もあるため、忙しいのだろう。ちゃんと三日で暗記できた。テストも大丈夫だった。その報告はできていない。少しでも話す時間があれば伝えたい。


 前のように一言でいいから褒めて欲しい。

 また頭を撫でて欲しい、と思うのは、少し欲張りだろうか。







「次右足出して」

「はい」

「次左」

「はい」

「そこで背中からゆっくり倒れて」


 言われた通り倒れれば、そっと背中に手が添えられる。こうやって支えてもらったりもするのか。ダンス自体初めてなので、全てが新鮮に感じた。


「では少し休憩しましょう」


 汗を拭いながらアンネが言った。


 ダンスの先生はアンネがしてくれている。習ったことがあるらしく、なかなか上手だ。クライヴのお世話係として優秀なのは知っていたが、まさかダンスまでできるとは。これは絶対に男性が放っておかないだろう。感心してそう伝えれば「今そういうの興味ないんで」とあっさり返される。


「それで、どうなんです? 花嫁の方は」

「どうって。まだなったばかりだし、勉強しているだけよ」

「えーつまらない。男女の何か起きてないんですか?」

「だ、男女の何かってなに……!?」


 全然分からないのでむしろ教えてほしいくらいだ。すると反応が案の定だったのか「まぁフィーベル様にはまだ早いですね」とだけ返された。アンネの方がなんだか大人だ。


「それにしてもシェラルド様かー。仕事はできるしかっこいい方ですよね」

「うん。それに優しいし」

「え、優しいんですか? そんな姿見たことないみたいなことを騎士の方からは聞きますけど」

「え、そうなの?」


 教える時も優しかったし、普段もそうじゃないんだろうか。

 だが首を振られる。


「どうやらかなり厳しい方みたいですよ。ほら、最初に出会った時も挨拶ができてないって叱られたじゃないですか。そういうところ、きっちりしてるんでしょうね」

「確かに……」

「ね。シェラルド様のどこが好きなんです?」

「え?」


 きょとんとしていると眉を八の字にされる。


「絶対に誕生祭の時、聞かれますよー。どこが好きかって」

「え、そうなの?」

「だって花嫁になった経緯とかみんな知りたいじゃないですか」

「そ、そうか。……何て言ったらいいんだろう」


 シェラルドの両親に頼まれました、なんて言ったらせっかく花嫁のフリをしているのに意味がない。そういうところもしっかり訓練しておかなければ。


「えっと、優しいところ」

「さっきも言われてましたね」

「うん。あと、すごく面倒見がよくて」

「子供が好きって話は聞いたことがあります」

「……アンネの方が詳しくない?」

「勝手に人の情報をぺらぺらしゃべる人もいるんですよ」


 にやっと笑いながら言われる。


 どうやら城中の噂はそういう人のせいで広まるようだ。

 自分も気を付けなければいけないかもしれない。


「それで、他には?」

「あとは……」


 もうなくなってしまった。


 好きというよりはシェラルドの良いところを言ったようなものだ。大体、出会ってまだ五日ほどしか経ってない。そういえば自分のことはよく話したが、シェラルドの話は聞いていない。知らないことの方が多い。


「あとは?」


 促され、どうにか頭を捻る。

 そしてひらめいた。


「力強い、ところ、とか」

「……力強い?」


 眉をひそめられた。


 手を繋いだ時、頭を撫でてくれた時、そう感じたのだ。男性のごつごつした手の感触を知り、その温かさを知り、優しさを知った。自分とは違う男性本来の力強さなのだろう。


 するとアンネは首を傾げる。

 思っていた反応と違った。


 しばらくしてからなにか気付いたように小声で聞いてきた。


「え、もう抱かれたんですか?」

「はっ!? ち、違う!」

「あ、やっぱり違うんだ」


 見当違いのことを言われて思わずアンネから離れてしまう。

 すると相手はおかしそうに笑った。


「すみません。だってそれくらいしか思いつかなくて」

「手、手を握られたからそう感じただけで」

「ああそれで」

「でも、」

「でも、なんです?」

「本当に私でいいのかなぁって……」

「え?」


 勉強をするために昼間も城の中を移動することが増えた。できるだけ人目につかないようにしつつも、やはり色んな人を目にする。誕生祭に向けて客人が早めに挨拶をしに来ることもある。男性もいるがもちろん女性もいる。……全員、美人なのだ。


「私なんかより綺麗な人が並んだ方がシェラルド様も嬉しいんじゃ……」


 花嫁のフリを頼まれた時はそんなことまで気が回らなかった。頼まれたからやると言っただけだ。あまり人前に出たことがないからこそ、周りに綺麗な人が多いことを今知る。


 そして、鏡の自分を見ると、全然違うのだ。どう見ても彼女達の方が美しい。容姿は生まれもったものなので自分は気にしないが、シェラルドの横に並ぶと考えると申し訳ない気持ちになる。シェラルドは整った顔をしている。自分で大丈夫なんだろうか。どう考えても綺麗な人の方がいいに決まっている。


 するとアンネは眉を寄せる。


「えー? 女性はみんな着飾ればそれなりに綺麗になりますよ」

「アンネは元々可愛いから……」

「あーそれ爆弾発言。私だってそれなりに努力してるんですよ? むしろフィーベル様は何もしてないじゃないですか。化粧もしてないとか信じられない」

「うっ」


 正論が突き刺さりぐうの音も出ない。


 今まで全然気にしていなかったが、やはり花嫁を意識すると美意識も高まるようだ。自分よりも数倍綺麗な人を見ると、やはり横に並んでいいんだろうか、という不安しかない。


「失礼します。フィーベル様はいらっしゃいますか?」


 ノックと共に入ってきたのはメイドだ。


「はい」

「仮のドレスができたと針子の方が持ってきてくださったんですが、いかがいたしましょう。ここに運びますか?」


 ドレスというのは誕生祭で着るドレスだ。


 採寸をした時はシェラルドも一緒だった。忙しいだろうに時間をわざわざ作って来てくれた。デザインについて色々と吟味し、針子と何度も話し合いをしていた。フィーベルも参加したかったが、なぜか白熱していてその輪には入れなかった。


 アンネはひらめいたような顔をする。


「フィーベル様、ドレスを着てシェラルド様に見せましょう」

「え」

「ほら、綺麗な格好は普段の三割増しってよく言いますし」

「どこで覚えてくるのそういうの……」

「だから、綺麗な格好をすればシェラルド様も褒めて下さいますって! そしたら少しは自信になるでしょう?」


 確かに、シェラルドに褒めてもらえたら自信になるかもしれない。まだあまり会話をしたことはないが、シェラルドは正直な人だと思う。きっと似合わないなら似合わない、と言ってくれるだろう。そうしたらその時はやっぱり別の人を花嫁にした方がいいのでは、と相談もできる。


「だってデザインだってすごい選んだんですよね? 普通そこまでしませんよ。プロに任せて終わりですもん。そんなに着飾ってほしいんですね」

「そ、それは……」


 にやにやしながら言われたので、顔が熱くなる。


 確かにすごく話し込んでいた。そこまでするのかと思う程に。フィーベルからすればなんでもいいのではと思ったのだが。もしかして、それほど気にかけてくれているんだろうか。


「わ、分かった。着てみる」

「よし、そうと決まったら呼んできますね」


 言い終わるとすぐにアンネは部屋を出る。行動が早い。

 フィーベルも準備を始めた。


 メイドにドレスを持ってきてもらっていると、針子も到着した。

 着方を教わりながら、ドレスに腕を通していく。







「ほらほら、早く」

「そんなに急がなくてもいいだろ」

「絶対可愛いですよ。早く見ていただきたくて」

「押すなって」


 アンネとシェラルドの声が聞こえてくる。

 どきどきしながらフィーベルは背筋を伸ばした。


 入ってくると、二人とも目を見開く。


 フィーベルが着ていたのは、肩紐がなく、肩とデコルテを大胆に見せるデザインだった。しかも胸元はハートカットになっており、女性らしく可愛らしい。ドレス自体はAラインだ。フィーベルはスタイルはいいが小柄なので、ドレスのラインのおかげで背が高く見える。色は全体的に淡いベージュ色だった。


 髪もいつもは下ろしているが、当日に合わせて結ってもらっていた。横髪だけ少し垂らしている状態で、肩や胸元の肌がよく見える。薄っすらと化粧もしていた。


 シェラルドが見つめ続けていると、アンネは歓声を上げる。


「わぁすごい可愛い……! え、ほんとによく似合ってます。シェラルド様もなにか言って」

「駄目だ」

「「え」」


 アンネとフィーベルの声が合わさる。


 シェラルドは急に制服を脱ぎ始め、上着を雑にフィーベルに渡す。慌てて上着を受け取ればすぐに「針子はどこだ」とメイドに聞く。


「あ、あの、シェラルド様」

「おいあのドレスどうなってるっ! 俺が言ったのと違うぞ!」

「お言葉ですがあっちの方が彼女には似合うので」

「だからって」


 と、針子と言い合いを始める。


「………………」

「……フィーベル様?」


 アンネが気付いたのかそっと声をかける。

 だが次の瞬間、フィーベルはその場から走り出した。


「「「「あ」」」」


 その場にいたシェラルド以外の全員の声が揃う。

 上着はその場に置き去りになった。


 シェラルドは一斉に視線を受ける。

 無言で向けられるそれに耐えきれず、上着を拾って、フィーベルの後を追った。







 フィーベルは走っていた。


(ここ、どこだろう)


 と思いながら。


 いつも同じような場所しかいないため、城の構図は把握しきれていない。しかも人にできるだけ会わないように気を付けていたため、いつも先生やアンネと一緒に行動していた。一人で行動していないからこそ、今自分がどこにいるのか分からなかった。だが、戻るつもりもなかった。


(……やっぱり、似合ってなかったんだ)


 はっきり駄目だと言われてしまっては、余計自分が花嫁役は向いてないような気がして落ち込んでしまう。普段よりは良くなるかも、と思ったのだが、その期待は呆気なく崩れた。


 いつの間にか頬を伝うものを見て自分で驚く。

 まさかこれくらいのことで泣くなんて。




「だからあの稽古は」

「だったら他の奴とやれば」


 どこからか人の声が聞こえ、思わず震えた。


 内容的に騎士のような気がする。まだ騎士団と魔法兵団の人には慣れていない。しかも複数だ。しかもこんな格好だ。シェラルドが駄目といったものなら、絶対に馬鹿にされるに決まっている。


(どうしよう)


 するとどこからか手を引かれた。




「あれ、さっき人いなかった?」

「見間違いだろ。さっきの話の続きだけどさ」




「「…………」」


 柱の影に隠れるように、二人は一つになっていた。

 シェラルドが庇うようにフィーベルを包む。


「行ったか」


 小声でシェラルドが言う。

 だがフィーベルは黙ったままだった。


「その……悪かった」


 何も言わないからか先に謝罪される。

 フィーベルは視線を避けた。


「別にシェラルド様は悪くありません。似合ってなかったんですから」


 ぎょっとしてシェラルドは言い返す。


「ば、似合わないなんて言ってない」

「でも駄目だって」

「それは」

「似合わないってことですよね」

「違う。そうじゃなくて」

「じゃあなんで」

「似合い過ぎるから困るんだ!」


 声の音量が大きかったから、シェラルドは慌てて手で口を塞ぐ。そして顔を横にして視線を逸らした。フィーベルは何度も瞬きをしてしまう。


「…………え」

「っ、」


 やけになったのかシェラルドは言葉を続ける。


「露出が激しい。そんなドレスで行ってみろ、飢えた狼がお前をどんな目で見るか。俺の花嫁なら俺だけに見せろそんなドレス!」

「…………す、すみません」

「いや、俺の方こそ……」

「「…………」」


 確かにドレスを着た時、胸元が開きすぎているとは思っていた。だが、着るのが初めてなので、こういうものだと思っていた。予想外のシェラルドの言葉に、何といえばいいのか分からない。


 両方が黙ったままだったが、シェラルドが涙に気付いたのか、そっと頬に触れてくる。その間にまた涙が頬を撫でた。シェラルドの手に当たり、濡らす。彼はポケットから白いハンカチを取り出し、優しく拭ってくれた。


 なんだか居心地が悪い。この場合どうしたらいいのだろう。そんなことを思いつつ、フィーベルは思い出す。今一番伝えたいことがあった。


「あのっ」

「!? な、なんだ」


 声が大きかったからか驚かれる。

 フィーベルはゆっくり伝えた。


「先生にテストしていただいて、全て大丈夫でした。ダンスも順調に覚えています。当日までに間に合います」


 きょとんとされる。

 だがすぐにふっと笑われた。


 その笑顔が見たかった。


「そうか。すごいな」


 口元を緩めながら手が伸びる。来る、と思えば大きくて優しい手が頭を撫でた。それが素直に嬉しくて、フィーベルも微笑んだ。


 するとシェラルドは少し迷う素振りを見せる。

 どうしたのだろうと思えば、耳元で囁かれた。


「綺麗だ」

「え……」


 お互い近い距離でしばらく見つめ合った。

 はっとして互いに顔を逸らす。


「戻るか」


 フィーベルは小さく頷いた。

 歩き出すと、そっと上着を渡される。


「上着、着てろ」

「は、はい」


 そのまま二人で先程の場所に戻る。

 歩いている間はずっと無言だった。


 そしてなぜかシェラルドは、こちらを一度も見てくれなかった。

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