05_芙蓉湖へ
一月二十日
初雪が降った。
とても激しく降るものだから、約束通りに来れないだろうと思っていた。
子供の体がひどく小さいのが目についた。栄養状態が悪いのだろう。彼女の指を握る手が、骨ばっていた。
金は十分に渡しているはずなのに、生活が苦しいのであろうか。彼女に、もっと金が要るかと聞いたが、ただ首を振るばかりであった。
代わりに、この子を引き取ってくれと、彼女は言った。
聞き違いとばかり思って聞き返したが、彼女は子供の背を押すだけだった。
引き取るつもりはなかった。
引き取るつもりはなかったのだ。
だが、彼女が娘の顔を上げさせた時、この子を家に迎えようと、そう決めた。
その娘は、とても美しい顔をしていた。あの子によく似た美しい顔を。
*
「長野県
車の走行音にかき消されそうな、小さな
「芙蓉湖――野尻湖のほとりなんて、ずいぶん素敵なところに住んでるね」
「祖父の別荘の一つだそうです」
「ふうん」という小町の抑揚のない声には、無関心を通り越して、いっそ退屈すら滲んでいた。
「あなたは」
「小町」
「……小町は、どうして家族を探したいんですか」
小町は、礼の問いに沈黙で返す。いや、おそらく言葉を探しあぐねているのだろう。唇を開いて、何か言葉を紡ごうとしては閉じる気配がした。
窓の外に雪がちらつき、礼が車のワイパーを動かし始める頃になって、彼女はようやく話し始めた。
「
静かなその声は、走行音しかない車内にひどく響いた。
「祖父からは、誰かを頼れとか言われてなかったんですか」
「言われてた。でも、」
小町の言葉が途切れるのに合わせて、車がトンネルに入る。ゆっくりと小町がこちらを向く気配がした。横目で伺えば、憂いを帯びた美貌が、またたくようにトンネルのオレンジの光に照らされていた。
「でも、あなたは、わたしが要らないんでしょう」
暗に、小町が頼れるのは礼しか居ない――そう聞こえて、自分の耳を疑った。
トンネルを抜ければ、小町の顔に一瞬浮かんだはずの憂いは、どこかへ立ち消えていた。そこには、いつもの彼女のしらじらとした表情が浮かぶのみだ。
「そういえば、この前の、間違ってるわ」
「……?」
「重信がただ一つ愛したものが絵画だって」
小町は、猫のようにゆったり目を細めると、礼に告げた。
「重信はわたしも愛してた」
「だからあなたにあげたのよ」という言葉を最後に、車内には雪を払うワイパーの音だけが積もっていった。
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