03_願いを一つ


 まず、円城寺重信えんじょうじしげのぶという男について話そう。

 

 彼は元々、資産家の長男だった。当時の円城寺家は資産家といっても、現在ほどではなく、口さがない連中からは「小金持ち」と裏で嘲られる程度であったようだ。

 

 それが、円城寺重信という男の代から一変した。

 

 変化の前触れは、彼がある時神隠しのように姿を消したことだった。嫡子の失踪に慌てふためいた円城寺の当主は彼の捜索のため、家人、使用人、立っているものは皆使った。


 けれども、重信は煙のように消え失せ、けして見つからなかった。

 

 そうして、一年経ち、死んだと思われていた重信は、消えた時と同じように突然戻ってきた。彼の手には、円城寺家のその後の変化の始まり――ひとつかみの金塊が握られていた。


 どこからか未発見の金山のありかを見つけてきた重信は、金を掘って、掘って、掘り尽くした。そしてその金で得た紙幣を、全て造船業につっこんだのである。結果、円城寺家は大戦景気の波に乗り、船成金として財を築いたのだ。

 

 ただ、なぜ彼が突然消えたのか、それだけは誰も知らない。

 

 それが、れいの知る円城寺重信という男だった。





 礼の話を、女――柳小町やなぎこまちは客室のシーツの海の中で聞いていた。時折、退屈ゆえか、脚をばたつかせ布にしわを作っている。常人なら怠惰にしか見えないそれが、妙に退廃的に映えていた。


「へえ、重信、すごい人だったの」


 語り終えた礼に、小町はなんの感情ものっていない平坦な声でそう言った。


「ええ、ですから、あなたが相続する美術品と同価値の金銭はご用意できます」


 礼の言葉に、ようやっとこの長い昔話の意図を察したのだろう。彼女は、猫のようにゆっくりと体を起こすと、礼を見て目を細める。


 午後の傾いた陽が、色素の薄い彼女の目をちらちらときらめかせていた。


「わたしの貰う美術品、欲しいんだ」

「……!」


 とっさに、あなたのものじゃない、と口に出しかける。小町はそれすら見抜いたように、薄い唇を笑みの形に歪めた。


「おじい――祖父が、家のことなど関係なく、ただ一つ愛したものが美しいもの、絵画です。私は、それが他人の手に渡るのが嫌なんです」

「いいじゃない。わたしはあなたのもの。じゃあわたしのものはあなたのものでしょ?」

「法的には、そうじゃない」


 礼は、言葉をすり潰すように吐いた。小町の自分の中のルールに従い、それ以外には見向きもしない放埓さが、あまりに不愉快だった。そして、そんな女に礼の愛した美を相続させた祖父も理解し難かった。


 小町はそんな礼の激情を意に介さず、ベッド脇の椅子に座る礼に近づく。そうして、なだめるようにその手を持ち上げてさすった。


 初めて会った時のように、お互いの爪が、かつん、とぶつかり合う。


「じゃあこうしましょう」


 小町の手を礼が振り払おうとしたのと、小町の口からその言葉が発せられたのは同時だった。


「美術品を全てあなたの名義にする。そのかわりに、一つお願いごとを聞いて」


 驚きで、弾かれるように顔を上げる。小町と視線が絡む。彼女は、母のような、姉のような、柔らかく愛のにじむ笑みを浮かべていた。


 そのまま彼女はしゃがんで、礼と目線を合わせる。その目には、祖父によく似た茶目っ気が浮かんでいた。


「わたしの家族を探して欲しいの」

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