02_形見の女


 その女は、祖父の蒐集部屋の中に佇んでいた。


 彼女が祖父の蒐集物――モルフォ蝶の標本や極彩色の鳥の剥製、そしてモネの『睡蓮』や「青の時代」のピカソ作品――の一つにみまごう程、繊細で、端正なつくりでなかったら、れいはすぐさま警備を呼んでいただろう。


 乱れのない横顔はつくりものめいて見えた。その顔が、扉を開けたまま絶句している礼の方を向き、ふ、と微笑む。


「似てる」


 重信しげのぶに、と唇だけで呟いて、彼女はこちらに向かってきた。固まったままの礼の手を彼女の手が持ち上げる。お互いの爪が、かつん、とぶつかり合った。


「ねえ、私、今日からあなたのものになるの」


 女は、まるで人生で一番幸せだというように笑った。


 美を人にしたら、こんなかたちになるだろう。

 

 祖父の愛人だったという女は、そういう女だった。





「なんで……!なんでお祖父ちゃんの美術品が、あの人に相続されるの!」

「落ち着いてください」


 祖父の秘書――財津ざいつは、礼の混乱、そして恐慌を予想していたのだろう。祖父の愛人だという女を別室に移動させると、彼は静かに礼を椅子に座らせた。


「遺言書には、円城寺えんじょうじ重信の遺産の一部、つまり美術品に限り、愛人である柳小町やなぎこまちに贈与するとされています。……弁護士にすでに相談した結果、法的に有効だと」


 財津の声音は、暗に諦めろと礼に告げていた。


 そして礼自身も、おそらく自分がどれだけ喚いたところで、愛する美術品は祖父の愛人の手に渡るだろうということが理解できてしまっていた。円城寺グループの、祖父の全財産からしてみれば美術品の価値はそう高いわけではない。裁判を起こしたところで、敗訴するのが関の山だ。


 そして、価値を解しない他人に相続された美術品は、オークションにでもかけられるのだろう。

 

 幼い頃自分を強烈に惹きつけた『睡蓮』が、ただの札束に変わる。

 

 腹の底から何かがせり上がってくるようだった。


「お嬢様」と呼びかける財津の声が、歪んで聞こえた。


「遺言書には、続きがございます」


 その言葉に、思わず顔を上げる。彼はどうしてか、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。何をそれほどためらうことがあるのか、何度か息を吸い、声を出そうとしては、黙ってしまう。


「先ほど申し上げた通り、円城寺重信の美術品は愛人である柳小町に贈与されます。その上で、、とのことです」


 静かな沈黙が、その場を満たした。


 愛人の贈与――祖父が残した前代未聞の爆弾が、その沈黙の中で爆発しようとしていた。

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