ぐちゃぐちゃになればいいのに(4)



 通話が切られたとき、ひどく寂しく、やるせない気分になった。誰も起こさないようにそうっと寝室を出て、玄関で靴を履いて、まだ寒い三月末の夜の世界に足を踏み入れた。星は見えなかった。別に不満はなかった。今は星を見たくなかった。

 しばらく歩くと家屋が少なくなり、道の脇には畑ばかりになっていた。これ以上遠くに行ったら戻ってこれない気がした。脚も疲れてきていた。少し遠くにバスストップが見えて、そのそばのベンチに一旦座ろうと思った。

 冷たいベンチに腰掛けて、デッドスペースだらけの時刻表をまんじりともせず眺めていた。

 気が付くと、隣に女性が座っていた。暗くて顔がよく見えなかったけれど、たまたま目が合ったとき、その瞳の雰囲気に覚えがあった。

 私はすぐに思い出した。「こ、こんばんは」私は何故かどもり気味に声を掛けた。「あの、埜中優芽です。覚えていますか」

 少しの間きょとんとしていた女性は、やがて思い出してくれたのか、ああ、と笑顔を見せてくれた。

「優芽ちゃん? 六年前くらいに会ったよね?」

「あ、はい。紗良さん、ですよね?」

「名前、覚えてくれてたんだ。わ、嬉しい。えーちょっと、いつの間にかすっかり美人になったじゃん。ってまだ二十二なのにおばさんみたいだね私。あはは」

「美人だなんて、紗良さんに比べたら全然ですよー。でも嬉しいです」

「そんな上手言わなくていいよお。それより、こんなところで何をしてるの?」

「ちょっと、夜の散歩ですかね」私は笑う。「紗良さんは、何してるんですか?」

「ちょっと、夜の家出ですかね」紗良さんは私の口調を真似て言う。「いやあ、彼氏とうまくいかなくて」

「彼氏……勇気さんでしたっけ?」

「いや、別れたよあいつとは」紗良さんはあっけらかんと言ってのける。「ちょっとお互い若すぎて、浮気とか色々あってさ」

「はあ……」反応に困りつつ、私は言う。「じゃあ、別の人と付き合って、一緒に住んでいるんですか?」

「うん、さっき喧嘩してきたばかりだけど。それで、優芽ちゃんは何かあった訳?」

「何って……特には」

「でもほら、すごく疲れた顔してる」私の顔を指差して言った。「なんだろ、怒られたあとみたいな」

 紗良さんは私のことなんて全部解っているみたいな瞳をしている。髪はショートボブになっているけれど、六年前と本当に変わらない。

 穏やかで、それでいて威圧的な雰囲気。誤魔化しを許さない双眸。

 高校を中退して、そのときの彼氏と一緒に共働きで暮らしていたという女の人。この人は、いったいどんな人生を経てここまできたのだろう。人生経験、なんて浅い言葉じゃ語り切れない何かが、紗良さんの軸を作っているのだ。

 そんなことを思いながら、私は瑞希ちゃんと破局した話をする。創輝くんや、そのほかの別れてしまった男の子達の話をする。

「紗良さん、私は解らないんです。人を好きになることが、『友達になりたい』じゃなくて、『結婚したい』と思えるような好きのことが、解らないんです。だから知りたいんです。でも、誰と付き合っても、どれだけ一緒にいても、友達以上の感情は抱けなくて、そのせいで最終的には傷付けてしまうんです」

 私は懺悔する。紗良さんは黙ってきいてくれる。

「恋が知りたいんです。紗良さんがいつか言っていた、自分でコントロールしきれないような恋愛感情で、正しさも道徳も解らないくらい、ぐちゃぐちゃに混乱してしまうほどの好きを、知りたいんです。そして、その感情をお父さんとお母さんのようにコントロールできるようになって、お互いに結婚したいと思えるようになって、実際に結婚してしまうような、そんな好きに育てたいんです。だってそれは、とても素晴らしくて幸せなことなんでしょう?」

 そのためにはまず、それに繋がるような好きが生まれなければならないのに。

 どうして私のなかには、その種すらも生じないのだろう。

「ねえ、紗良さん。私はいつになったら、そんな風に誰かを好きになれるんですか? もしもそんな風に誰かを好きになれたら、恋人繋ぎを楽しめますか? キスを受け入れられますか? その先だって、好きな人となら想像するだけで吐いたりしませんか? みんなと同じように、誰かとの恋愛関係を、本心から楽しめますか?」

「……そんなに苦しまなくていいんじゃない」紗良さんは言った。「きっと、優芽ちゃんのそれは、しょうがないことなんだと思うから」

「しょうがないって、どういう意味ですか」

「私は専門家じゃないし、ネットで読んだことあるだけなんだけどね」紗良さんはそう前置きしてから、「優芽ちゃん、たぶんアセクシャルなんだと思うんだ」と言った。

「……アセクシャル?」

「日本語では無性愛者って言うんだけど。要するに、そもそも誰に対しても、恋愛感情を抱けない人のことなんだ。他人に対しての性欲も全然ないし、いい人、格好良い、みたいに思えても、だから恋人になりたいとか思えない、友情しか芽生えないっていう子。優芽ちゃんも、そうなんじゃないかって思ったんだけど」

 それはまさに、自分のことだった。私の頭のなかで、何かが弾ける感覚がした。

「そういうのは生まれ持っての性質だから、どうにもならないものとして受け入れるしかないと思う。しょうがないことなんだよ」

 紗良さんの言葉が、私の心臓を掠めていく。それは慰めじゃなくて、平たくてごつごつとした石のようだった。生まれ持っての性質。それはつまり、どれだけ頑張っても変えられないということで。受け入れる以外に道はないということで。

 だったら、私はなんのために追い求めてきたのだろう。『結婚したい』と思えるような好きを知る、なんて不可能だったんだ。私はずっと、馬鹿みたいに時間を遣ってきたんだ。楽しくもない交際のために。

 叶えられもしない夢のために、私は創輝くん達を振り回して、傷付けてきたんだ。いたずらに嘘をつき続けただけだったんだ。私は、お父さんとお母さんのように幸せになれない。おばあちゃんのように好きな人を語る老後も過ごせない。

 その可能性すらもない。

 三奈美ちゃんも斎藤さんも紗良さんも、創輝くんも瑞希ちゃんも、久賀ですら持っている可能性に、私は触れることすらできない。

 コントロールするどころか、ぐちゃぐちゃにすらなれない。

 永遠に。一生涯、ずっと。

「……もう帰ろっか。遅い時間だから」

 紗良さんは私を家まで送ってくれた。会話はなかった。紗良さんは何を思っていたんだろう。冬の闇のなかで、私が洟を啜る音や、しゃくりあげる声をききながら、私をどういう目で見ていたのだろう。

 解らない。もう何も解らない。解りたくもない。

 布団のなかは暗い。脳味噌はうるさい。朝なんて来なければいい。



 次の日は来て、その次の日も来て、春休みはどんどん過ぎていく。無意義な生理がやって来て、終わる頃には最終日。私は文房具の補充のために、駅前に赴く。ついでに本と服も少し見て、気が済んだら昼食を摂るためにマクドナルドに入る。幾何学模様の壁紙を眺めながら列に並んで、前の人がいなくなってから注文を考える。てりやきマックバーガーとポテトと水を頼んで、バーベキューソースをつけてもらう。完成品の載ったトレイを持って、席を探す。ランチタイムだからか空席がなかなか見つからない。カウンター席がひとつ空いて、ほっとしながらそこに座って、食べ始める。

 てりやきマックバーガーを食べ終えて、一旦口元を拭いていると、その拍子に手首がコップに当たって、カウンターに水をぶちまけてしまう。ああ、とコップをすぐに立てたおかげで全て流れてしまうのは防げたけれど、そこそこ盛大にこぼしてしまった。コップの倒れた方向に座っていた人が、うわ、と声を上げて、見るとズボンの太ももの部分に少しかかっていた。私は謝りながらハンカチを取り出してズボンを拭こうとする。すると、

「大丈夫、自分で拭くから。いいからティッシュ取ってきて」

 と止められる。ズボンのポケットからハンカチを取り出すのを見て、私は駆け足でティッシュを取りに行く。余分に引き出したティッシュを持って戻ってくると、隣の席の人は「それちょうだい」と言って手を差し伸べてくる。反射的に手渡してから、申し訳なくなって「すみません、私がやりますから」と言うけれど、「いいからいいから。それよりも、またこぼす前に水の残り飲めば?」と拒まれる。私は手際よくカウンターの水を拭き取る動作にデジャヴを感じながら素直に水を飲む。ぐしょ濡れの塊になったティッシュ玉を捨てに行こうとするのを「流石にそれは私がやります」と言って受け取る。捨てに行ってすぐに戻り、「本当にごめんなさい」と謝ると、その人は笑い出す。「埜中、全然変わんないんだな」

 私はその人が誰なのか、そこでやっと気付く。

「あれ、加藤くん?」

「うん。俺のこと覚えてたんだ」

 それはむしろ、こちらの台詞だった。加藤くんは有名だったから覚えているけれど、私なんて、加藤くんが首を突っ込んできたトラブルの被害者達のひとりじゃないの?

「まあそうだけど、俺は基本的にいじめの加害者と被害者の顔と名前は覚えてるよ。一度いじめられた奴ってまたいじめられることがあるから、たまに見かけたら気にかけといて損はない」

 加藤くんは平然と言うけれど、そこまで考えながら助けていたなんて知らなくて、私は驚いた。

「そう言えば加藤くんって、なんでいじめの取り締まりみたいなことしてたの? わざわざ隣のクラスとかに首突っ込んでまで」

「さあ。昔から、なんか困ってる奴とか理不尽な目に遭ってる奴とか、嫌われ者とかの味方をしたくなるんだよ。話をきいただけでも、そのままにしておけないんだ」

 私は、そういうのって漫画とかだと格好良いけれど現実にいると病的に見えるよなあ、と思う。実際に言ってみる。

 すると加藤くんは、

「そうだな。なんかの病気なのかも。でもまあ、だったらなんだって話だけど」

 と言って笑った。

 それから進学の話になって、私と同じ高校に加藤くんが進むと知ってとてもびっくりする。加藤くんもびっくりして、「埜中ってもっと馬鹿かと思ってた」なんて言いだすので、「それはこっちの台詞です」と返す。

「今だから言うけれど、加藤くんって小学校の頃めちゃくちゃ目立ってて、正直、空気の読めない馬鹿かと思ってた」

「うわ、ひでえ。埜中だって色んな男子をとっかえひっかえして、ちょっと目立ってたんだぞ。いつ埜中がいじめられるかひやひやしてた」

「あはは。実際、あれのせいで友達だいぶ減ったけどね」

「あ、そうだったのか。と言うか、なんであんなに付き合って別れてって繰り返してたんだよ? そんなキャラだと思ってなかったからビビったよ結構」

「ああ、あれは若さゆえの過ちと言うか」私はなるべく笑顔で言う。これを笑い話にするいい機会かもしれない、と思う。「なんか、恋愛感情ってどんなのか知りたかったんだよね」

「ふぅん……。で、知れたの?」

「いや、全然駄目だったよ。しかも、これ最近解ったんだけど、私、そもそも、アセクシャルだったから、全部無駄だったんだよね。あ、アセクシャルって、知ってる?」

「……知らないけど」加藤くんは嘆息しながら、ハンカチを取り出して私に差し出す。「取り敢えず、涙出てきてるからこぼす前に拭けば」

「え、泣いてない」と言ったときに初めて涙声になっていると気付いて、いつからこんな声になってたんだろうと思いながらハンカチを貸してもらう。男の子のハンカチにしてはいい生地だった。「って、これ、加藤くんのズボン拭いたのじゃん」

「いや、違うハンカチだよ。泣いてる人がいたら貸す用」

「うわ、なんかキザっぽい。ちょっと引きそう」

「しゃあないだろ。泣いてる人も泣きたくなるようなことも、この世にはあふれかえってるんだから。ハンカチ一枚じゃ、とても足りないだろ」

「……ハナ、かんでいい?」

「好きにすれば」

 でも他人のハンカチを鼻水で汚す気にはどうしてもなれなくて、代わりに私はカウンターに突っ伏して、ハンカチを目に当ててたくさん泣く。うわまた泣いてるよ、しかもランチタイムのマクドナルドで、と自分を客観視する声が頭のどこかできこえてくる。

 しょうがないじゃんか、と私は心の声を心の目で睨みつける。

 だって私はこういう人間なんだから。たくさん人を傷付けておいて、そのくせ自分が優しくされたら遠慮なく甘えて。いじめはスルーするし嘘はつくし、恋愛は不可能だし、何も解ってないし。

「ねえ加藤くん、私、自分なんて死んじゃえばいいって思ってる」私は突っ伏したままで、涙声のままで言う。「線路に飛び込んで、電車に轢かれて、ぐちゃぐちゃになればいいのにって思ってる」

「電車で自殺なんて迷惑かかる死に方やめとけよ。遺族に賠償金が求められるんだぞ?」加藤くんはそう言ってから、「……まあいいじゃん、恋が出来ないくらい。それでも友達くらいなら作れただろ?」と続ける。

「……さっき知らないって言ってなかった?」

「泣いてる間にググった。ふわっとしか解らなかったけど、まあ頑張れよ」

「軽いよ」私は言う。「何も解ってない」

「埜中の気持ちなんて解んねえよ他人なんだから。でも今、自分いじめをしてるのは解る。だから自分にいじめられてる埜中のことは励ますよ」

「……じゃあ、私をいじめてる私にも何か言ってみてよ」

「お前埜中のこといじめんなよ。過去にやらかしたからって、他人と違うからってなんだよ」

 と加藤くんは本当に怒ってるみたいな声で言う。

「どんな欠点があっても、人をいじめていい理由にはなんないだろ。そもそも過ちも他人との違いも欠点じゃないだろ。そんなの欠点にしてたら欠点ない奴なんていねえよ。欠点っていうのは、そういうのをいじめる心のことを言うんだよ。解ったら直せ、そしたらもう最高だからお前マジで」

「……最後のほうだけ薄っぺらいのなんなの」

「最後のは誰かを諭すときに毎回使ってる。それで改心されたことないけど」

「だろうね」

 そしたら私は改心第一号になるのかな、と思いながら顔を上げ、加藤くんにハンカチを返す。そして冷めたポテトを食べ切って、ゴミとトレイを片付けて外に出る。加藤くんと店先で別れ、私は家に帰る。

 帰路でまた自分を責めそうになるけれど、やめておく。

 最高ではないにせよ、その欠点さえ減らせば少しはマシな人間になれるだろうから。

 だから頑張ろう。頑張れ、とも言われたことだし。

 取り敢えずまずは、親への報告から。



 帰ったらすぐに話をしようと思ったけれど、実際に帰宅して自分の部屋にバッグを置いたら流れでベッドに寝てしまう。起きたら夕方で、リビングに行くとお母さんは晩ご飯の準備で忙しそうだ。私は調理が終わるまでテーブルを拭いたりして待つ。配膳などを手伝うように言われて、従いながら、お父さんって今日遅いの、ときく。ちょっと遅くなるって言ってた、とお母さんは自分のぶんの肉じゃがをよそいながら言う。いただきます。ごちそうさま。私が食器を洗っている間にお母さんはお風呂に行く。洗い終えて、私は脱衣所まで行く。扉の向こうで浴槽に浸かっているであろうお母さんに、私は大きな声で告げる。お母さん、お風呂から出たら話したいことがあるから。大事な話? うん。わかった、コーヒー淹れてリビングで待ってて。私はふたりぶんのカフェオレを淹れて、かすかに目視できる湯気を眺めながらお母さんを待つ。十分もしないうちに、お母さんはパジャマ姿でリビングに現れる。

「コーヒーありがとう」お母さんは頭にタオルを巻いたまま、椅子に座ってコーヒーをひとくち啜る。私も合わせて少し飲む。牛乳がちょっと少なすぎたな、と私は思う。お母さんは言う。「それで、話って言うのは?」

「あのね、お母さん」私は言う。「本当にごめんねって思ってるんだけど」

「うん」

「お母さんには、孫の顔を諦めてほしい。ついでに言うなら、娘のウェディングドレスも」

 お母さんは一拍遅れて、「どういう意味?」ときいた。

「私、人を愛せないの。恋愛感情がないみたいなんだ。男の子相手でも、女の子相手でも。子供を作ろうとも思えない。アセクシャルって言うんだって」

 私はお母さんの目を見つめながら言う。

 そして願う。どうかお母さんが私を受け入れてくれますように。がっかりしたり、ため息をついたりしませんように。少しでも哀しみませんように。

 私はずっとその反応が怖くて、だから今まで両親に言うことができていなかった。

 でも今、言ってしまった。伝えてしまった。

 ちゃんと言えただろうか。ちゃんと伝わっただろうか。

 お母さんは、私の願った通り、暗いリアクションはしなかった。ただ、穏やかに微笑んでくれた。

「解った、諦める。と言うか、話はそれだけなの?」

「え?」

「てっきり私、逆に妊娠しちゃいましたとか合格取り消しになったとか、そういう致命的なのかと思った。無駄にどきどきさせないでよ」

「致命的じゃないの?」私は戸惑いながらきく。「だって、結婚はおろか恋愛すらできないんだよ? お母さんとお父さんみたいに、幸せな家庭とか築けないんだよ? 人生的には大ダメージじゃない?」

「全然、致命的じゃないけど。精々かすり傷じゃない? 恋愛できないからって、私達みたいになれないからって、家庭を築けないからって、それで駄目になるほど人生って柔じゃないよ。そもそも、幸せって言うのは誰かみたいになるものじゃなくて、自分が一番楽しくて落ち着ける毎日を得ることなんだから。幸せって人の数だけあるし、あっていいんだよ」

 お母さんのその言葉は、優しさとか体裁とかじゃなくて、本心から本当のことを言っているようにきこえる。加藤くんのおかげで消えかけていた精神的な重たさから、それで完全に解放される。

「……ありがとう、お母さん」

「そもそも、おかしいと思ってた」とお母さんは続ける。「だって優芽、彼氏の話とか全然しないんだもの。色んな人と次々付き合ってたのは家に呼んでたから知ってたけど、のろけたりとかもしなかったし。別に好きだったんじゃないのね」

「え? いやだって、のろけってなんか馬鹿みたいじゃん」

「本当に好きだったら馬鹿みたいになっちゃうものよ。人間なんて一皮むいたらみんな馬鹿なんだから。ある意味、優芽は馬鹿になっちゃうシチュエーションが人より少ないってことなのかな。だったらいいことじゃない」

「そう言われると、そうかもね」

 と言って私は笑う。笑える。

 一時間後にお父さんが帰ってきて、出迎えようとするお母さんに私は言う。

「お父さんにもちゃんと自分で言うからね」

「解ってる」

 お父さんが肉じゃがを食べ終わったタイミングで、私は切り出す。お父さんは色々と確認のような質問をしてきて、それに答えても理解はしきれていない様子だったが、受け入れてはくれる。励ましてもくれる。

 言ってしまえば案外こんなものか、と自分の部屋に戻った私は思う。なんだか、恋愛が可能か不可能かなんて、本当に些細でどうでもいいことなのかもしれないとすら思える。

 明日から高校生だ。高校生と言えば青春、青春と言えば恋愛って感じで、楽しそうに恋愛をしている同年代とか増えるんだろうなと思う。実際、高校生活が題材の漫画や小説やドラマはほぼ恋愛かスポーツかその両方かだし。でも私はスポーツもそこまで好きじゃなくて、じゃあどうしようかな。まあどうにかなる。どうにでもなる。

 私の性質が誰かに私をいじめさせたりもするかもしれない。そうでなくても周囲と温度差ができてしまうかもしれないけれど、まあ大丈夫だ。取り敢えず加藤くんと友達になれば。そうすれば孤独にはならないし、いざと言うとき守ってくれるだろう。恋愛感情じゃなくて、加藤くんの病的な正義感によって。

 それは本当にありがたい。

 お父さんの前にお風呂に入って、さっぱりしてパジャマを着てまた部屋に戻って、ふと部屋に掛けてある高校の制服を見る。そもそも制服のデザインが進学の決めてだったのだけれど、改めて見ても、けっこうおしゃれで可愛い。

 スマホで明日の天気を検索すると、どうやら快晴らしい。

 雲ひとつない春の蒼天の下、この制服を着て登校すると思うと、それだけで明日が楽しみで、なんだか幸せな気分だ。




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ぐちゃぐちゃになればいいのに 名南奈美 @myjm_myjm

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