ぐちゃぐちゃになればいいのに(3)



 正直なところ、私がこの破局でもっとも恐れていたことは、自分のせいで斎藤さんが創輝くんともやり取りができなくなって、そこから繋がりが全てほどけてしまうことだった。けれど、そうはならなかった。私と創輝くんの仲は壊れてしまった。でも、斎藤さんと創輝くんの仲はそうではなかった。むしろ、見方によっては私がふたりのキューピットになったと言えなくもなかった。私との一連で傷心してしまった創輝くんは、いち早く、私に言われる前にそれに気付いて慰めてくれた斎藤さんに、ころりと心を移したのだ。

「ごめんね、なんか取っちゃったみたいな感じで」と、そこまで申し訳なさそうじゃない口調で斎藤さんは言った。

 私は電話越しに嬉しそうな顔をしている斎藤さんを思い浮かべて、まあ電話ってこういうときに楽だよね、と思った。表情を見せずに、大事な話をしたいとき。

「別にいいよ。私からすれば、斎藤さんにパスしたみたいな気がするし。ってこの言い方も変だけど。……でも一応言っておくけど、私はもう創輝くんとは遊べないからね」

「解ってる解ってる。私だって、三人で遊んだりして、やっぱ埜中のほうがいいやって思われても嫌だし」

「あはは。ないと思うよ……本当に、傷付けたみたいだし。癒してあげて」

「……本当に、ごめんね」

「いいって。気にしてない。たぶん創輝くん、運命の人ではなかっただろうし」

「…………」

「あれ、どうしたの?」

「いや……埜中って、運命の人、とか言うタイプだったんだなって」

 私は指摘されてから、自分がそんなロマンチックな言葉をナチュラルに口走っていたことに気付く。「あれ? いや、まあ、なんか自然に出てきた」

「ふふ。埜中の運命の人はどんなのなんだろうね」

「ちょっと、なんか恥ずかしくなってきたからやめて」

「運命を求める女……か」

「なにそれー。恥ずかしい肩書きみたいなの付けないでよ」

 と私は笑うけれど、でもあながち間違ってないのかもしれないと、心のどこかで思ってしまった。運命の人が、『結婚したい』に繋がる好きを私に芽生えさせてくれる人、という意味なら、私はずっと求めている。運命を求める女……やっぱり恥ずかしいけれど、きっと斎藤さんが私にそう言ったのも、そもそも私が「運命の人」なんてワードを出してしまったのも、結局はそういうことなのかもしれない。

 私は運命を求める女。だから運命を求めて、私は取り敢えず色んな人と付き合うことにする。とは言っても自分から言い寄ることはなくて、たまに隣の席の男の子とかに告白をされることがあって、暇なうちはだいたい受け入れるというだけだ。

 林間学校のときに初潮が来て、お母さんのような大人の身体に近づこうとしているらしいことを自覚してから、何故か三か月に一回は告白されるようになった。男の子の身体も大人に近づこうとしていて、その過程で異性を求めようとしているのかな? 解らない。でも取り敢えず私は、乱暴そうでなければ殆どOKした。

 誰と付き合っても、慣れれば一緒にいるのもそこまで悪くなかった。どうしても無理なときはあったが、大体は楽しめた。無意識下で嗅ぎ分けていたのかもしれない。でも、キスの段階で駄目になった。誰の唇でも気持ち悪かった。

 またあるときは、頻繁に抱き付いてくる男の子と付き合った。そのときも駄目だった。家族ではない、完全なる他人の身体が密着して、腕も脚も余すところなく捕縛される感覚に、キスに似た嫌悪感と、キスより強い恐怖心を抱いた。

 そんな風に過ごしているうちに、男の子と関わること自体が怖くなってきた。どうしてみんながみんなキスをしたがるのだろう? 小学生でカップルだと言うと大人達は微笑ましげな顔をするけれど、でも小学生が恋愛の参考にするような本やドラマには、基本的にキスやハグが載っている。あの気色の悪いだけの行為が、当たり前のように刷り込まれている。そして、みんなそれを写そうとする。どうしてそれが微笑ましいのだろう? 大人はもっと気持ちの悪いことをしているんだろうか?

 なんてぶりっこをするつもりはなく、私は知っている。漫画にも小説にもインターネットにも溢れている。同年代で実際に体験した子もいる。「一線の先」。「キス以上の行為」。「キャベツ畑の耕作」。一回だけ動画で見たことがあるけれど、わが身に置き換えたら二秒も見れなかったし、便器に吐いて両親を心配させてしまった。でも両親は、その行為を経て私を産んだのだ。そして私も、いつかはそれをするのだ。そのために生理があるのだ。それなのにどうして、私はそれを考えるだけで吐き気がするのだろう?

 大人になったら平気になるのだろうか? そもそも大人って何?

 さておき、私が彼氏を作っては別れてを繰り返すうちに三奈美ちゃんと斎藤さんがあまり遊んでくれなくなる。なんとか理由をききだしてみると、

「だって優芽といると、私も、誰でもいい子の仲間みたいに思われるから」

 と言われてショックを受ける。

 でも、客観的に見ればたしかにそうかもしれない。私なりの選別はしているつもりだけれど、小学五年生になってから小学六年生の秋までの間に、計六人くらいと付き合ったのは多い気がする。ちょっとやり過ぎた。

 他の子達も少し距離を取っている様子だった。変わらない接しかたをしてくれているのは、瑞希ちゃんだけだった。

「優芽ちゃんって、別に好きで誰かと付き合ってる訳じゃないよね。彼氏と一緒にいるときの表情っていうか、雰囲気かな、その子のことが好きで付き合ってるって感じがしない。恋愛そのものを楽しんでるようにも、見えないんだけど。気のせい?」

 その日はハロウィンで、瑞希ちゃんを家に招いてパーティをしていた。ひと通り騒ぎ終わって、ババ抜きをしているときに、突然そう言われた。

「……あってるよ。なんで解るの」私は瑞希ちゃんに手札を差し出しながらきく。

「うちも、最近男の子と付き合ったんだけど、なんか違ったんだよね。何かが。で、何が、なんで違うんだろうって思いながら続けてたら、いつの間にかその子といることよりも、彼氏と彼女の関係を続けることよりも、その違いを追うことに意識が行ってて。そのときのうちと、最近の優芽ちゃん、似てた。まあ、むしろ優芽ちゃん見てたら昔の自分がそうだったって気付けたんだけど」

 瑞希ちゃんはハートのクイーンを抜いて、自分の手札のなかで混ぜ合わせた。

「私は、人を好きになる……恋愛として好きになるっていうのが解んなくて。だから、色んな子と付き合ってれば、そのうち誰かが解らせてくれるかもって思ったの」

 差し出された五枚のトランプの背中を見つめながら、私は言った。

 そうなんだ、と瑞希ちゃんは頷き、

「でも、たぶんそういうのって自分から探しに行くものじゃないよ。一旦落ち着こう? もしかしたら、探すのに必死になってるせいで見つけるタイミングを逃してるかもしれないし」

「……そうなのかな」

「うん。……でも、優芽ちゃんのそういうの、同じ学校の子には理解されてないし、ぶっちゃけ裏で色々言われてるからね? うちは友達だからそんなの参加してないけど」

「やっぱり、そうなんだ。今から直しても、中学でも引きずられるかな」

「うぅん……一応、私立受けるのも視野に入れておいたら?」

 私が引いたのはジョーカーだった。

 その日から自省し、取り敢えず誰に告白されても断るようにする。一度、埜中って誰でもOKするってきいたんだけど、と言われる。そういうのやめたから、と言うと残念そうに去る。どうやら私は、無自覚に自分の価値を下げていたようだった。

 結局、公立中学に進学した。入学してみれば新しい同級生とも仲好くなれたし、瑞希ちゃんも同じ学校にいたので問題はなかった。三奈美ちゃんと斎藤さんと創輝くんは私立に行ったらしかった。加藤くんも同じ学校らしい、ときいて、私は小学五年生になってから加藤くんが校内であまり話題にされていないことに気が付いた。



 男の子達は中学生になるとますます馬鹿になった。大きな声でとても下品な言葉を叫ぶ子が増えた。大人しい男の子の多くはアニメやゲームの話ばかりするようになった。だからこそマシな男の子、まっとうで落ち着いていて爽やかな男の子が煌めいて見えるのか、三年生の先輩のファンクラブが結成されたりもした。むろん、私は入らなかったし、瑞希ちゃんも入らなかった。

 私達が入ったのは手芸部だった。三年生の女の先輩が三人いた。二年生はおらず、私と瑞希ちゃんの他には新入部員もいないようだった。先輩は初心者の私達を心より迎え入れてくれた。

 手芸部ではフェルトや毛糸で小物を作ったり、文化祭のときにビーズでアクセサリーを作って的当ての景品にしたりするらしい。実際に道具と教本を渡されてやってみるけれど、全然形にならなかった。同じく初心者であるはずの瑞希ちゃんはすんなりと覚えていたから、私にセンスがないのだろう。それでも、週に一度の活動と、家で暇なときに練習したりしていると、少しずつ上達していった。手芸技術の研鑽に一喜一憂しているときは、人間関係や自分についての悩みを忘れることができた。月に一度、みんなで手芸屋に買い出しに行くときも楽しかった。

 文化祭の日には、拙いけれどできる限りのアクセサリーを作ることができた。お客さんにも好評だった。来年も文化祭をやりたい、と心から思った。

 けれど、先輩方が引退し、次年度になっても部員は思うように集まらなかった。他に人気の部活なんていくらでもあった。夏になっても、部員は二年生の私と瑞希ちゃんだけだった。

「このままじゃ、同好会になっちゃうね」

 ふたりぼっちの部室内で、私は瑞希ちゃんに言った。

「そうだね。まあ、うちは別にいいけど。同好会でも、PTAのフリマに入れてもらうことはできるかもしれないし」

 瑞希ちゃんは、部活が同好会に降格されることには抵抗がないようだった。私は先輩に申し訳ないような気がして、すぐには受け入れられなかった。

 文化祭が終わると、降格が言い渡された。部室が使えなくなって、私達は図書室で活動するようになった。図書室にも教本はあるので、そこまで不自由はなかった。道具をいちいち家から持ってこないといけないのが、唯一の難点だった。

「優芽ちゃん、入部当時に比べたらすっごく上手くなったよね」

 冬のある日の下校中、瑞希ちゃんは私にそう言ってくれた。瑞希ちゃんもどんどんレベル上がってるよ、と言い返しながら私は嬉しかった。一年の春休みに、おばあちゃんに作品をプレゼントしたらすごく喜ばれた。いっぱい褒めてくれた。今年はもっと褒められるだろうか、と思うと春が待ち遠しくなった。

「高校生くらいになったら、どれくらいのクオリティのものが作れるようになっているんだろう」

 私は自分で呟いてから、そう言えば瑞希ちゃんはどこの高校に行くんだろう、と思った。私はまだ、志望校なんて全然考えていなかったけれど、三年生になったらどこかに決めないといけない。できることなら、手芸部のある学校がいいと思った。

 ねえ、と呼びかける声が重なった。私は瑞希ちゃんに譲った。すると瑞希ちゃんは、

「優芽ちゃん、どこの高校に行きたいとか、考えてる?」

 と、私がききたかったのと同じ質問をしてくれた。

「いや、考えてない。瑞希ちゃんは?」

「ううん、特には」でも、と瑞希ちゃんは私を見て笑う。「優芽ちゃんと同じところに行けたらいいな、とは思ってる」

 私はそのとき、素直に嬉しく感じた。中学で色々な人と接して、数人の友達ができたけれど、一番の仲好しは瑞希ちゃんだった。瑞希ちゃんは私のことを一番解ってくれるし、一番気にかけてくれた。思えば小学二年生の頃から、瑞希ちゃんとはずっと一緒なのだ。だから瑞希ちゃんは私のことをとてもよく知っていた。私も瑞希ちゃんのことをたくさん知っている自信がある。まだ知らない面もあるかもしれないけれど、たぶん、大事な面は全て知っているだろう。

 そんな自負はしかし自負でしかなくて、私は瑞希ちゃんのことを何も知らなかった。瑞希ちゃんがかつて失恋した初恋の人が三奈美ちゃんだったことも、今は私のことを恋愛感情で好きだということも。

 その告白をされたのは三年の夏、瑞希ちゃんの部屋で、机を囲んで進路の話をしているときだった。瑞希ちゃんの成績がちょっとよくなくて、私は無理をさせているような気になって「別に自分に合った高校に行けばいいじゃん。私、学校が違っても瑞希ちゃんとは遊ぶよ」と言っても、「絶対に優芽ちゃんと同じ高校に行くから」と瑞希ちゃんは言い、「だって」からの「うち、優芽ちゃんのこと好きだもん」という流れ。

 私は初め、その好きは友達としての、たとえばトトロに対するものと同じような種類の気持ちだと思った。この世に同性愛という概念があることは承知していたけれど、瑞希ちゃんの私への気持ちがそれだとは、すぐには思えなかった。

「あのさ、言っておくけど、友達としても好きだよ。ちゃんと。でも、うちは恋愛感情としての好きも、優芽ちゃんに抱いてる。……本気で」

 そう言う瑞希ちゃんの表情には冗談の気配が感じられない。笑っているけれど。自分が今どんな表情をしているのか解らなくて、顔の表面を指先でなぞった。笑顔ではなかった。私は笑っていなかった。当たり前だ、友達の告白を笑うなんて最低だ。

 でもどうして瑞希ちゃんは、今このとき、私と一緒の高校に行くか行かないかという話のときに、告白なんてしたのだろうか。気まずくなったらどうしよう、とか思わないのだろうか。……という疑問は、真っ直ぐ据わって私の口が動くのを待つ瑞希ちゃんの瞳を見ていれば自然と氷解した。

 気まずくなったら嫌だから言わない、なんて甘い考えはないのだ。

 瑞希ちゃんは今、まだ別の高校を選ぶ余地のあるこのときに、私に気持ちを伝えなければならなかったのだ。瑞希ちゃんは、気持ちをずっとしまい続けるくらいなら、私が離れるリスクを背負ってでも告白するほうを選んだ。

 覚悟によって作られたこの状況は、分岐点なのだ。瑞希ちゃんにとってとても大きな。私にとっても、とても大きな。

 だから私は本当に真剣に考えて、向き合って、答えなければならない。

 けれど、瑞希ちゃんとどういう関係でいたいかとか、自分が瑞希ちゃんのことをどういう風に好きなのかとか、そういう点を検討する前に、ふと浮かんだ思い付きが、私の思考を一気にさらっていく。

 もしかしたら、瑞希ちゃんと付き合えば、私は『結婚したい』に繋がる好きを知ることができるんじゃないか? どれだけ彼氏を作っても芽生えなかったのは、そもそも異性に恋ができる人間じゃないからなのではないか? 今まで気付いていなかったけれど、今も気付けていないけれど、私も同性愛者であるという可能性も、なくはない? と疑問符が付いている時点でその線は薄そうだけれど。

 でも、試す価値はあるかもしれない。

「瑞希ちゃん」私が呼びかけると、瑞希ちゃんの表情が少し揺れた。「私は、瑞希ちゃんとなら付き合ってもいいよ」

「……本当に? 気持ち悪いって思わない?」

「思わないよ。私が同性愛者かどうかはまだ解らないけれど、瑞希ちゃんに告白されて、本当に嬉しいって思ってる」

 そう言って笑ってみせる。

 瑞希ちゃんは私と同じ高校を受験して、無事に合格する。私もちゃんと受かる。

 結果が出てから卒業するまでふたりで遊びまくる。色んな場所でデートをする。瑞希ちゃんと一緒にいるのは楽しい。私は相変わらず恋人繋ぎが苦手で、それだけはやめてくれるようにお願いする。

 ある日、遠くの駅のショッピングモールで買い物をしていると、仁上、と瑞希ちゃんを呼ぶ声がきこえる。声のほうを振り向くとそこには知らない男がいて、雰囲気が陰鬱としていて、声にもきき覚えがないから本当に怖くて、瑞希ちゃんは私の服の裾をつまんで怯える。

 男は瑞希ちゃんを見てにやにやとしながら、知り合いみたいな歩調で近寄ってくる。

 私はそこでぴんとくる。

「久賀?」

 男は私を見やり、「そうだよ。おれおれ、久賀」と言う。それから瑞希ちゃんのほうを見て、「仁上、おれのこと覚えてる?」と気色悪く笑いかけてくる。

 瑞希ちゃんは何も言わない。でも裾を引く力が強まっていて、明らかに覚えている。

 何をしにきたのか解らないけれど、何かある前にどうにかしないといけない。

「黙って。今デート中だから邪魔しないで久賀」

 私がそう言って睨むと、久賀は「なんだよ」と忌々しげに舌打ちをして、私とすれ違っていった。

「あいつ」久賀の背中が十分に小さくなってから、瑞希ちゃんは呟く。「まだ、うちのこと好きなのかな」

「……しつこいね」

「どうしよう、独りのときに出くわしちゃったら」

 瑞希ちゃんはそう言うと静かに震える。心なしか体調が悪そうに見える。

 私は、裾に縋る瑞希ちゃんの手を取って、握ってあげることしかできない。

 帰りの電車のなかで、取り敢えずもうここには来ないことにしようか、という話をする。遭遇率は下げたほうがいい。電車に揺られながら、隣で眠る瑞希ちゃんのことを考える。次に小学校の頃にあった色々なことを思い出して、それから少しだけ、久賀のことを考える。久賀はどうして、もうずっと前に振られた相手に今更声を掛けたりしたんだろう。仲が好かった訳でもないのに。むしろ、目に見えて嫌われていたのに。

 理解ができない。理解ができないから、気持ち悪い。そういう風に好意をずっと引きずって、そのせいで誰かを不快にしたり自分も傷付いたりすることが、小学四年になる前にあの女の人が言っていた、ぐちゃぐちゃになってしまう、ということなのだろうか。そうなのかもしれない。少なくとも、その一例ではあるだろう。

 久賀ですら知っているのだ。私がまだ知らない好きを。

 そう思うとなんだか胸のなかが暗くなって、お腹が痛くなってくる。

 久賀のように、知っているがゆえに疎まれるのと、私のように未だに知らないのでは、どちらのほうが不幸なのだろう?

 結論のないまま私の誕生日が来て、瑞希ちゃんは祝いにきてくれる。両親にはまだ、瑞希ちゃんと付き合っていることは言っていない。瑞希ちゃんには、理解されなくて別れさせられたら嫌だからと説明しているけれど、本当はまだ自分が同性愛者か確定していないので軽率には報告できないという実情によるものだった。嘘をついているようで後ろめたくはあるものの、そもそも告白されて嬉しかったというのが正直ではないのだから、今更だろう。

 瑞希ちゃんは私にお揃いのペンダントをくれる。銀色のハートの「右側だけ」と「左側だけ」で分かれていて、私のと瑞希ちゃんのを合わせると綺麗なハートになる。小恥ずかしいデザインで、ちょっとつけるのに躊躇うけれど、瑞希ちゃんは楽しそうなので、ひとまず目の前で首に通してみせる。

「似合うよ、優芽ちゃん」と瑞希ちゃんは言って笑う。

 それからホワイトデーのお返しを交換する。

 瑞希ちゃんからは林檎のキャンディーを。

 私からは手作りのクッキーを。

 夜になって、今日は星が綺麗らしいと瑞希ちゃんが言うので、厚着をして夜空の下に繰り出した。深夜というほどの時間ではないし、もう高校生になるのだから、という理由で両親は同行しなかった。その代わりに防犯ブザーがふたりぶん渡された。

 朝からずっと晴れていたから、雲ひとつない夜の空が広がっていた。おばあちゃん家のある辺りに比べたらかすむけれど、それでもあちらこちらで光の点が煌めく綺麗な星空だった。

 家から少し離れた公園まで歩くことにした。ひらけた場所のほうが空を遮るものがないだろう、と思うと楽しみだった。

 公園に着く頃には時刻は九時を示していて、門限は九時半だからあまりいられないね、という話をしながら、冷えたベンチに並んで座った。

 見上げた空には、どこまでも広がる宵闇のなかに、数多の星の光が笑っていた。

「綺麗だね」

「うん」

 しばらくの間、私達は星々に見入っていた。

 ふと時間を確認すると、そろそろ帰らないと門限に間に合わなさそうだった。ロマンチックな気分から、少し現実に引き戻された。そういう感覚も、嫌いじゃない。

「そろそろ、帰ろうか」

 私は隣の瑞希ちゃんのほうを向いて、そう言った。

 すると瑞希ちゃんの顔が突然近づいてきて、唇と唇が触れた。

 鼻息の熱と、ふさがれる視界。

 止められる息と、伝わる生々しい弾力。

 私にはやっぱり、どうしても気持ち悪くて。耐えられなくて。

「……やめてよ!」

 つい、怒鳴ってしまった。

 あのときと同じように、創輝くんやそれからの彼氏達を拒むときにしてしまったように、瑞希ちゃんの肩を強く押してしまった。

「……痛い」

 瑞希ちゃんは目を伏して、怯えたような声音で言う。

「ねえ、優芽ちゃん、うちのこと好き?」

「……瑞希ちゃんが嫌いなんじゃないの。キスが嫌いなの。ごめんね」

 私は立ち上がり、座ったままの瑞希ちゃんに手を差し伸べた。

「優芽ちゃん、嫌いかどうかなんてきいてないんだけど」

 瑞希ちゃんは手を取らずに、こちらを真っ直ぐに見据えて言った。空気が冷たかった。夜は静かだった。私は「立ちなよ。もう帰らないと」と、もう一度手を差し伸べなおした。瑞希ちゃんは取ってくれなかった。

「ねえ優芽ちゃん。優芽ちゃんは本当は、うちのことなんて」

 不意に、ベンチの近くの木々の隙間から、声がした。その声は私どころか、瑞希ちゃんのことも停止させた。ひそめるような声と、耳を澄まさないときこえないくらい小さく、繁みが揺れる音もした。声は高くて、こもっていた。少し苦しそうだった。

 ぼうっとその方向に釘付けになっている瑞希ちゃんの横で、私は公園の地面に、びたびたと、嘔吐してしまった。どうして。どうしてこの世界には、私が理解できないものが、私が気持ち悪くなるものが、あふれているんだろう。そして、どうして、私が理解できないもの、私が気持ち悪くなるもののことが大好きな人が、あふれているんだろう。どうして私は理解できないんだろう。どうして私は気持ち悪くなるんだろう。理解できたら、気持ち悪さがなくなったら、それは幸せで素晴らしいことなのだろうか。

 私は何も解らない。

 汚れた口元を洗面所でうがいしているとき、瑞希ちゃんは私を心配してくれた。大丈夫。びっくりしたね。ああいうのって、本当にいるんだね。私は、思い出すからやめて、と言った。と思う。覚えていない。瑞希ちゃんが私の家に泊まったのか、それとも帰ってしまったのかも、覚えていない。

 春休み中に家族でおばあちゃん家に行って、おばあちゃんと他愛のない話をして、いつも通り泊めてもらう。午後十時、消灯された部屋のなかで瑞希ちゃんから電話がくる。

「ごめんね。寝てた?」

「大丈夫だよ。……久し振り」

「うん。ねえ、優芽ちゃん」

「何?」

「あのさ」

「うん」

「別れよう、うちら」

「……どうして?」

「だって優芽ちゃん、うちのこと恋愛対象に思ってないじゃん」

「……そうだね」

 私は認める。痛いような、寒いような、そんな感覚のなかで。

「優芽ちゃんが、友達として以外でうちを愛してくれてないの、結構伝わってたよ。解るよ、それくらい」

「ごめん」

「その辺については謝っても許すつもりないから。うちのこと、馬鹿にしてるみたいなものじゃんか。というか、馬鹿にしてたんじゃないの?」

「馬鹿にしてない。そんなつもりはなかったよ」

「だよね。優芽ちゃん、悪いことしたくてするタイプじゃないもんね。悪意から人を傷付ける子じゃないもんね。解ってる」

 でも、と瑞希ちゃんは言う。息遣いが震えている、気がする。

「優芽ちゃん、あのね、好きでもない人と付き合っちゃ駄目だよ。もしかしたら恋愛的な意味で好きになれるかもとか、恋愛について何か掴めるかもとか、そんな動機で受けてほしくて、告白する人なんて、ほとんどいないよ。少なくとも、うちは違ったよ」

 瑞希ちゃんは今、どんな顔をしているんだろう?

 電話って、こういうときに不便だ。

 大事な話をしているのに、表情が見えない。

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