泣くより術が無い。
名島也惟
泣くより術が無い。
明日を恐れる僕は、泣くより術が無い……。
洋画だったと思うが、訳詞で聞いた事がある。
僕、壮太は中学生の頃に幼馴染の女の子、リイコを亡くした。それも僕の目の前で、交通事故だった。
リイコは近所の幼馴染で、高校生の時までずっと同じ一緒の学校に通っていた。彼女は明るくて人気があり、スポーツ万能だった。それに比べて僕は、部活に入らず自宅ゲームばっかりしていた。
僕は、リイコの日陰者扱いだ。中学校に進んでからは、お互いになんだか話さなくなっていた。思春期に入って恥ずかしくなっていたんだ。
そんな二年生の夏休みのあ雨の日、幼馴染のリイコの下駄箱に、クラスメイトに唆されて書くはめになったラブレターを、コソッと差し入れてしまう事があった。
帰り道、雨が強くなってきていた。傘がもう申し訳程度でしか雨を避けてくれていなかった。そこへリイコが僕を見つけた。傘も差さずに、びしょ濡れで。
リイコは僕を見つけるや否や、いつもと違う尖った大声で僕を問い詰めてきたんだ。
ソウ! と僕を呼んで、「これ何? ソウが書いたの?」
彼女の手には、僕がふざけて書いてしまったラブレターがあった。雨でクタクタになっていた。
「あ、それは、そうなんじゃなくて……」慌てて口が滑ってしまった。
「ごめん、それさ、本気で書いたんじゃなくってさあ。クラスの友達にずっと近所で一緒なんだろ、書いてみろよ。……って言われてしまってさぁ。ごめんごめん。気にする必要無いからさ…」笑ってしまう。
彼女は笑っていない。それどころか泪目になっている。
ここで言ってしまった事に後悔していた。
でも、もう遅い。
お互い沈黙が流れる。僕もどうやって取り繕えばいいのか。分からなくなっていた。
リイコは泪を溜めて怒り顔になり、叫んだ。
「もういいっ!」
その時だった。
リイコの後ろで、車の音が聞こえてきたかと思うと、その音は急ブレーキをかけた音に変わった。
悲鳴のようにけたたましかった。
なのに、リイコは気付いていない。
それどころか、僕が書いたラブレターを力一杯で破ろうとしていた。
……そこに、急ブレーキの音と、クラクションの音が喚くように唸る。それが鳥の叫びのように僕達を邪魔した。
危ない! 僕の声も聞こえていないのか、リイコ。
ドンッ! 強烈に響く音がした。路面が、揺れた。
途端に、リイコの姿が無くなっていた。
僕は目を開けた。そこには軽自動車が右側の塀に衝突して、横倒しになっていた。路面は急ブレーキの痕が流れるように黒く残っていた。
リイコがいない。
僕は再度、車がぶつかっていた塀を見た。
横倒しの車と壊れた塀の間。通っている中学校の女の子のブレザーの袖が見えた。
でも……、「気配」が無かった。
僕は、何か雰囲気に押されたように、堀に向かって駆け込んだ。リイコの名前を叫んだ。何回も叫んだ。
そこで、僕は、「リイコ」を見つけた。
いや、「リイコ」じゃない。人間だったもの。遺体だ。頭から身体から、血を流している「モノ」だった。
僕の中にあった糸という糸が、急に音を立てて、プツンと切れた。
僕は慟哭した。大声を出して泣いた。
取り返しの付かない事をしてしまったのだ。
その後は大変だった。僕は知り合いとして、また目撃者として、警察に聴取された。現場は騒然としていて、壮絶な事故として新聞にも取り上げられて、僕は度々取材を受ける羽目になった。顔は隠すという条件付きで。
その間、僕は心が冷めてしまったかのようだった。
だから、通夜の時も、僕は家族と共に出席した。リイコの家族や、彼女の友達に多くの人が、別れに来て、号泣やすすり泣きもいっぱい聞いた。
なのに僕には、まるでテレビを見ているみたいで悲しい気持ちにならなかった。
リイコの母親が、そんな僕に噛み付いてきたのも気持ちは分かっていた。僕がお焼香を済ます時に、
「ソウ君、あなた見ていたんじゃないの? なんでそんな顔が出来るのよ? あの子はあなたの事を………! 」
そのまま泣き崩れたリイコの母親を、父親が宥めていた。
しっかりしなさい、戻った時に母がそう慰めてくれた。
でも僕の心の中では、得体のしれない何かが膨らんでいたような気がしていた。
それがこの時確かに、膨張し過ぎてバチンと破裂したんだと思う。多分、僕の心の中で何かが弾けたんだ。
「ごめん、お母さん。急用を思い出した」
別にこの時何を言っても良かったんだ。
僕は集まる人達の中を、切り裂くように飛び出してしまった。脇目も降らず、脱兎の如く。
何も分からなくなって駆け出したくなったのだ。
僕は気が付いたら、いつの間にか近くの河の土手にまで走って来ていた。息も絶え絶えだった。陽が沈んだばかりだけど、まだ明るかった。
グラウンドで子供達が集まっていたけど、荷物を片付けて引き上げようとしていた。
そこに見えた、黒いもの。
野良犬だった。死んでいる。動かない「モノ」だった。
走り抜いていた僕は、息も切れかかってしゃがんでいた。
ふと黒いモノを見た。犬の死骸に何かが動いていた。
烏だった。烏が数羽、動いていた。
烏達は食べていた。屍肉を貪っていたのだ。
その烏が食べている屍肉。何か蠢く。蛆だった。
僕はそれを見て気持ち悪くなり、嘔吐してしまった。
犬の死骸と同時に、「モノ」だったのだ。
死骸には骨が見えていた。頭蓋骨が見える。
穴になっていた眼が、僕を、じっと見つめていた。
僕は、気持ち悪いのと怖いのが綯い交ぜになった気持ちになり、また走り出した。
事故の時に見えたリイコの亡骸と、犬の亡骸がダブって見えた気がしたのだ。
そうだ、あの時リイコの瞳が僕をじっと見つめていたんだ。
あの後、僕は家に戻り、両親にこってり絞られた。罰として明日の告別式は私達も出るから、お前も手伝えと通達が来た。
ほぼ強制的だった。文句を言える雰囲気じゃなかった。
それでも両親は、僕に気を使ってくれたのか、リイコの両親達と一緒に火葬場に行きなさい。最後の別れなんだから、と掛け合ってくれた。僕は火葬場に、他の方達と一緒に行く事になった。
火葬場で、高い煙突に煙が更に高く立ち昇る。リイコが天に昇って行ったんだな、とちょっと思った。
周りでは泣き声が聞こえる。
そんな時、リイコの母親が渡してくれたもの。
ラブレターだった。
僕がリイコに渡したラブレター。
開けた跡があった。読んでいたのか。
所々、点々と紙に皺が寄っていた。
涙の跡だった。
それを見た僕の瞳が、何か僕の中で切れていた糸を繋いだ。
瞳から涙が流れた。
泣いて泣いて、大声で男泣きしてしまった。
皆が見ている中で、ラブレターを掴みひたすら泣いた。
あの時、リイコが亡くなって、思い出す事。
「死」は誰だって訪れる。僕だってそうだ。
でもリイコと小さい時から知っている存在がいて、一緒にいたい存在がいた。これからもずっと。
死んでしまった。初めて僕の側で、身体の一部になりそうな人を失ってしまった。
認めたくなかったんだ。好きな人がいなくなった事を。
現実を恐れたんだ。
その時は、泣くしか術が無かったんだ。
今日はリイコを亡くして七回忌になる——。
泣くより術が無い。 名島也惟 @nazynajima68
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