第13話「アクティブハート」
遙か遠い未来、人の子の間でこんなやり取りが存在する。
甲(便宜上表記)の「あなた自身をものに例えると?」なる問いかけに対する乙(便宜上表記)の「潤滑油です」なる答え。
或いは、甲の「あなたの集団における役割は?」なる問いかけに対する乙の「調整役です」なる答え。そして甲の立場にある多くの者が乙に対してこう囁く。
「貴方様の今後のご活躍とご発展を心からお祈り申し上げます」
乙の回答は、もっぱら甲に対するゴマスリのための嘘八百で、甲もそれを見抜いて激励と祈りの下に包んだ「
本神曰く「天を統べ、永遠の繁栄を司る者ならば、面倒見の良さも一流じゃなきゃいけねえだろ?」との事らしい。
そんなアメノトコタチは今、屋敷内、中庭沿いの廊下を速足で歩いていた。時折辺りをきょろきょろと見渡しながら、頭をガシガシとかいている。
「ったく…どこに行ったんだよあいつ」
舌打ちを交えた独り言から相当歩き回ったことが伺える。
彼は今、
屋敷内の捜索を打ち切り、外に出ると美しい草原に出た。アメノトコタチは涼しい風を感じながら一つ深呼吸をすると辺りを見渡して問題の
丘の上はとても眺めが良い事で知られており、高天原を一望することができる。かつてイザナギやイザナミも幼い時分にここに座って戯れていたこともある。
今、その場所を独占しているのは一柱の青年だ。
金髪に碧眼、そして質の良い服(アヤカシコネの
そんな彼―――アウワノミコトは浮かない顔で丘の下を見下ろしていた。
「よう。探したぜアウワ」
驚いたアウワが振り返ると、そこにはアメノトコタチが、かくれんぼで隠れる者を鬼のような笑顔で立っていた。
「あ…アメノトコタチ様」
「アメトコでいいって。そっちは長ったらしいって前にも行ったろ?」
「あ、す、すいません…アメトコ…様」
様付けも敬語も要らないんだけどなぁ。アメノトコタチは内心そう思いつつも敢えて言わずに苦笑した。
「しょうがねえ奴…。それよりお前さん、ここで何してた?ウヒジニが新しい茶を開発したんだが…行かないのか?」
アメノトコタチが丘の下を指さした。数名の影が集まって談笑したり、たわむれあったりしているのが見える。ちょうどこの下は神々のたまり場、そしてあの儀式の時にアウワが目覚めた場所に位置していた。
「行きたくない訳ではないんですが…皆とどう接すればいいのかよく分からなくて」
「ふーむ…まだ、慣れないか?」
「最初よりは良くなった方だとはおもいます。でもやっぱりまだまだで何とかしなくちゃ、とは思ってはいるんですが…」
アウワの覚醒から百数十日程。彼の成長…肉体の事ではなく精神方面の成長は凄まじい速度であった。覚醒初日は意思疎通は勿論、歩くことも起き上がることもおぼつかない、まさに生まれたての赤ん坊さながらだった。ところが次の日の昼頃には歩く、起きる、物を取るなどの必要最低限の行動ができるようになっていた。夜には神々の話す言葉や行動の意味を一通り理解し、翌朝には簡単な会話も可能になっていたのだ。
アウワはそれから、イザナギ達が地上に戻った後も神々総出で多くの事を教育を受けたが、その吸収力は驚異的で既存の知識を発展させてまだ教えていない事を自分で習得する力にも目を見張るものがあった。たった百数十日、たったの百数十日。それだけの期間で彼の知能は立派な大人のそれに進化していたのである。
だがそれで万事OKと言う訳ではなかった。数十日経った現時点で知識が大人のレベルに達したとしても、感情や良心、コミュニケーション能力や他者との信頼関係ばかりは簡単にはいかない。
そう言った物は一日や二日で何とかなるものではなく、相応の長い月日を積み重ねて、熟成させ、熟成させ、さらに熟成させていくことで初めて完成するものだからだ。
そしてアウワにはそれが足りていない。彼は今、
皆の談笑の輪の中にいてもどこか上の空だし、話を振られても長続きせずに口ごもってしまう。誰かに誘われたり、少々強引に連れて行かれたりでもしない限り集団に溶け込もうともしない。というよりは出来ないとするべきか。
知能と精神のギャップは、アウワをとても悩ませるものだった。
「僕、自分が凄く情けないですよ…」
「そうな事ねえって…お前は頑張ってるよ。寧ろあいつらの方がちょっと性格に癖があり過ぎるというか…圧が強すぎるというか…なあ?」
アメノトコタチのフォローには一理あった。神々はそれぞれが基本、性格に癖の強い存在ばかりである。そんな中でも神世七代は癖の強さ、アクの強さが顕著で頭一つ抜きんでている。そんな10名とコミュニケーションに不慣れな段階から日常的に接しているアウワは健闘しているといっていいだろう。
実際、オモダルが自らの失言によってアヤカシコネを怒らせてしまった折にとっさとは言えアウワ自らが仲裁役を買って出た事もある。結果的にはアヤカシコネに上手く丸め込まれて引き下がってしまい、いつも通りオモダルが制裁を食らうというオチがついたのだが。
「そもそも僕はみんなとは違うし、変だから」
「変?俺にはそう見えないぞ」
眼下で、悲鳴と怒号が聞こえる。アヤカシコネがオモダルに何やら問い詰めている。大方、またオモダルがアヤカシコネがお茶のお供にと取っておいたおやつを失敬したって所だろうか。
「僕は、みんなとは何もかも違います。生まれも、素性も、雰囲気も…どんな神かも分からない、そもそも神なのかも怪しいし…それが何処かで引っかかってて…そもそもこんな得体のしれない僕に、生まれてきた意味なんてあるんだろうかって…」
アウワがため息をつくと同時にその頭を大きな手が鷲掴みにするように乗せられた。
「わっ、アメトコ様…?」
「そんな事を考えていたのか。気にし過ぎだと思うぜ」
「で、でも…」
「お前はお前だろ?今は馴染めなくても何もかも時間の問題だ、きっとな」
アメノトコタチの手がアウワの金髪をわしゃわしゃと撫でる。アメノトコタチとアウワの身長差は頭から肩程。最近はアメノトコタチが彼の側に付いてやっている事も多いので、並ぶと兄弟のように見られる事もある。
「まあとりあえず、ゆっくりやっていけばいいさ。とりあえず、行こうぜ」
「え?」
アメノトコタチは立ち上がってアウワの手を取ると、そのまま坂の下まで降りていこうとした。
「さっき言っただろ?新茶を飲みに行こうぜって。心配するな、俺がついててやるからよ」
「ああっ、ちょっと!」
アウワはそのまま、アメノトコタチに腕を引かれて彼らを待っているであろう神世七代の元へと歩いていった。
だが当のアメノトコタチは、アウワを見てふと思った。いくら自分がこうやって兄貴ヅラで気を配ってもおためごかしにしかならないだろう、と。
口ではああ言ってやったが、彼に関しては色々と考えておかねばならないことが多すぎるからだ。彼の素性、正体…こうも色々考えていると、彼を上手いこと言い包めて騙しているみたいで、さっきの自分の言葉が空虚に思えてしまう。
酷い偽善者だな、とアメノトコタチは内心で自嘲した。
だが、何はともあれ当面の間、俺がやる事は変わらない、というかそれしか出来ない。彼を一柱の神として、対等に接してやる。ただそれだけなのだ。
「さあ行くぞ
すぐ先にいたオオトノベがこちらに気付いて手を振っている。
アメノトコタチは手を振り返して叫んだ。
「おーいお前ら!ちゃんと俺らの分は残してあるんだろうなぁ!」
――――――――――――
「入るぞ、ミナカヌシ」
タカミムスビは部屋の主の許可を得ようともせずに障子を開けて部屋に踏み入った。
背を向けていたミナカヌシが冷静な顔でこの無愛想な訪問者に向き直る。
「随分と急だね、どうかしたのかい?クニノトコタチまで連れて」
タカミムスビの背後からにゅっと顔を出して「どうもー」とひらひら手を振っているのはクニノトコタチだった。
タカミムスビは一瞬だけ難しい顔で口をつぐみかけて、ため息をついた。
「…とりあえず、座って話させてくれ」
「どうぞ?」
ミナカヌシに促されたタカミムスビは向かいに座ると今度は辺りをきょろきょろと見渡してミナカヌシに顔を近づけた。
「今、この辺には誰もいないだろうな?」
「大丈夫だ。今はみんな外にいるし」
「この会話が聞かれる可能性は?」
「声を絞れば全く問題ないんじゃないかな」
「もうタカミムスビ様、何度も大丈夫だって言ってるでしょう?少しは僕を信用してくださいよ」
心配症が過ぎるとタカミムスビを見かねたクニノトコタチが口を挟んだ。
「そうだな…脱線して済まない、本題に入ろう。実は、例の件の結果が分かった」
「例の件」と言うのは、アウワの件だった。
クニノトコタチはアウワの覚醒の儀を構築する際、ミナカヌシにある約束を取り付けていた。
・覚醒後、当面の間はアウワを監視する事。
・彼の事を徹底的に調べ尽くす事。
・得られた情報は逐一報告&共有。
この世界に突如生まれ、現れたアウワに関して自分達はあまりにも無知であり、それを解消するにも情報が足りなさ過ぎた。情報さえ少しでも多くあれば、何が起きても対策を立てやすくなる。クニノトコタチはミナカヌシにそう伝えて説得した。
その約束の下であの儀式のシステムを構築し、実践したのである。
そして今が、二番目の約束…アウワの調査に関する報告であった。この百数十日間、タカミムスビが自ら担当した案件だ。
特に、アウワが一体「何を司る、象徴する神」なのか…。
「とりあえず結論から単刀直入に言うぞ」
「ああ」
タカミムスビはため息で一瞬の間を置いて言った。
「まったく、何も見えなかった」
「……見えなかった?」
ミナカヌシは呆気に取られた顔になって復唱した。
「ああ…どんなに調べ直しても…何も見えなかったんだよ。いや、見えなかったなんてもんじゃない。ま最初からなかったかのように『空白』だ。何も書いてないんだよ、あいつには」
ミナカヌシは顎に手を当てたまま真剣に聞いている。クニノトコタチもタカミムスビから一切視線を離さない。
「つまり彼は、何も司っていない神、無銘の神と言う事か?」
「まあ平たく言えば…そういう事だ。俺の調査不足で解明できていないならまだしも、始めから何も司っていない神なんて、前代未聞だ。そもそもただでさえあいつは謎な部分が多すぎる…今後、どんな事態が起きるか…」
タカミムスビの報告が終わると、ミナカヌシはしばらく考え込むような表情になって答えた。
「報告は分かったよ。とりあえずこの事はひとまず他言無用で様子見ということにしよう…後のことは考えておく」
その答えに満足がいかなかったのか、クニノトコタチが苦虫を噛み潰したような顔で立ち上がった。
「……何も、手を打っておかないというのは…」
「放置するわけじゃない、まだ情報の収集が必要というだけだ。今の所、まだ何も起きていないし。とりあえず言いたいのはそれだけだ」
クニノトコタチ、参ったなあという顔で「うーーーん」と唸りながら頭をかき「せめて監視だけは続行させてもらいますよ」と言い残し、タカミムスビを伴って部屋を出た。
部屋に一柱残されたミナカヌシは目を閉じ、しばらく黙したまま何も語らなかった。
そして夕刻、アウワの自室として与えられた部屋では優しく西日が差し込んでいた。
「へぇ、そんな事がねえ…」
アウワの報告を聞いたミナカヌシは頬杖をつきながらクスクスと笑った。
「そうなんです、そしたらスヒジニがもう何て言ってるのか分からない程に甲高い声でまくしたてて…もうしっちゃかめっちゃかです」
夕刻、優しく西日が差し込むこの部屋はアウワの自室として与えられた部屋だ。
今はクニノトコタチが定めた、その日の出来事や思った事を報告させた上での
そして聞き手の担当を買って出たのは現最高神たるミナカヌシ。
「しかしまあ、君も最初の頃よりは随分と溶け込めてきたようだね。最初はどうなるものかと思ったけど」
「はい!実際に接してみると、みんなすごく話しやすくて…これも、アメトコ様とミナカヌシ様…皆のお陰です。本当に…ありがとうございます」
知識が大人のそれと同一と言えども、こういう無邪気な笑顔だけは、まだいい意味で幼さを残していると言ってもいいだろう。
「そうか、少し安心したよ…アメトコからは君が少し悩んでいるようだったと聞いていたからね」
ミナカヌシは安心したように笑った。
「えっ…聞いちゃったんですか。アメトコ様…秘密にしておいてほしかったなあ…」
昼間、自分がアメトコに漏らした自分自身の出自、正体。
「そうやって軽い不平でも言えるようになったのもまた成長だよ」
「そういう、もんでしょうか…」
ミナカヌシは立ち上がると縁側の方へ向かって外を見つめた。
「だが、もし君がそんな悩みを抱いていたとしたら、私にも責任がないとは言えない。あの時、君を目覚めさせたのも半分は私のエゴなんだからね」
ミナカヌシは再び座ると、過去の記憶を噛み締めるようにため息をつき、どこか遠くを見つめた。物理的な遠くではなく、記憶の彼方、忘れてしまいそうなほどの過去という意味での遠い場所にあるそれを。
「君は、私によく似ていた」
「似ていた…?」
「ああ、そうさ。前に教えただろう?私の事を」
ミナカヌシは原初、孤独な存在だった。この世の誕生と同時にに生まれたミナカヌシは最初にして唯一の存在。自分を観測するものも存在せず、混沌の雲海という闇の中を身動き一つ取れずに揉まれながら彷徨っていた折、ほぼ同時期に生まれたタカミムスビとカムムスビに救いだされたあの頃。
「君もまた、あの島の地中で眠りという暗闇の中に一人でいた。イザナギとイザナミが君を見つけてここに連れてくるまでは」
自分がミナカヌシに似ている。確かにそうだな、とアウワは思った。細かい所は違えど目の前にいる原初の神の境遇は自分のそれと共通点があった。
闇の中で生まれ、闇の中で孤独に覆われていた
「誰だって一柱は寂しいだろう?君が抱える寂しさと、私が抱いた寂しさがよく似た色をしていた、と思ってしまったんだ。…ごめんね、君を目覚めさせたのは、私の身勝手だったかもしれない。だって勝手に自分を君に重ねていたんだからね…」
ミナカヌシは自嘲気味、かつ寂しそうに目を細めた。
「ミナカヌシ様…」
アウワは少し考えてから再びその名を呼んだ。
「ミナカヌシ様」
ミナカヌシの目が再び開かれた。
「僕は今日、アメトコ様やウヒジニ達と素晴らしい時間を過ごしました。自分の悩みを少しでも忘れ去ってしまう程に。それだけでも十分だったと思います。あなたが目覚めさせてくれなかったら、ここにいる故の悩みを持つことは無かったけど、今日という時間を過ごせる事もなかった」
ミナカヌシは、アウワによって自らの心を覆っていた殻が少しずつはがれていくのを感じた。小さな欠片を一つずつ、丁寧に取り払っていくように。
彼は元々、自分が救おうとした存在であった。けれど今その立場が逆転しているようにも思えたのだった。
「ミナカヌシ様。僕、今度また…あの地上に、中津国に戻ってみようと思います」
「地上に?それはまた急だね」
「僕はまだ、知らない事ばかりです。だから地上に降りて、多くのものに触れて、多くを知りたいと思ってるんです。僕の名前を呼んでくれたミナカヌシ様に、答えるためにも」
「アウワ…」
自分の名前を呼ぶミナカヌシの声に、アウワは自分の中に爽やかであたたかな風が吹き抜けるのを感じた。
そう、あの時もこうだった。あの日、無意識という闇が晴れた時に初めて自分と目を合わせて、あなたは僕の名前を呼んでくれた。
アウワノミコト、自分の名前。
ミナカヌシが付けてくれた名前。
名前とはそこにある存在を表し、世界に繋ぎ止める言葉。それは単純に特徴を捉えただけの記号。或いはどんな存在であって欲しいか、その存在を観測する者が与える、願い、祝福…はたまた呪いか。
細かい点は千差万別ながら、とても大きな意味をもつ名前と言う表現。
ミナカヌシが彼の名前を呼ぶ声には、生まれた祝福、幸せへの願いが強く込められていた。
「そういう事なら…君が望むのならば、私達はいくらでも手を貸そう」
改めて、憑き物が落ちたような気持ちだった。
少なくとも目の前にいる
きっと自分の存在にだって、意味はあるのだろう。いつか見つけ出せるだろうか。
「じゃあ明日から、もっとみんなと
アウワは、ミナカヌシがそうしてくれたように笑い返した。そして、思っていた言葉を途中まで言いかけて口を閉じてしまった。
言えなかったのではない。言わなかったのだ。
この言えなかった事の葉は、自分がもっと大きく成長して、前に進んで、ミナカヌシに胸を張れるようになるまで取っておこう思う。
「頑張ってみるといいよ。きっとうまく行くさ」
だから今は、この言葉だけに留めよう。少しの隠し事と、大きな想いだけを込めて。
「はい。ありがとうございます、ミナカヌシ様」
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