第12話「天国へOver Drive」
高天原、神々の住まいたる屋敷。
うろうろ。うろうろ。
そんな音が聞こえそうな勢いでミナカヌシは広い部屋を行ったり来たりしていた。
「おい!いい加減大人しくしてたらどうなんだ。落ち着かなくて敵わん」
ミナカヌシの落ち着きのなさを見かねたタカミムスビは苛立った声で咎めた。隣に胡坐をかいて頬杖を突くカムムスビ様は面白そうにニヤニヤと笑みを浮かべながら見守っている。
「これが落ち着いてなんかいられるものか!彼らの久しぶりの帰郷なんだぞ」
ミナカヌシの子供じみた抗議は非常に珍しかった。
「単なる里帰りって訳でも無い。重大な報告があるって言う位だし今後の創造に関わるかもしれん」
「だったらやっぱり落ち着いてなどいられないじゃないか。私はもう興奮で走り出してしまいたい気分だよ!」
「馬鹿か貴様は!こう言う時だからこそ落ち着けと言ってるんだ。そういうのは適切な判断力を損なうといつもいつも…」
そこにカムムスビが横やりの不意打ちを挟んだ。
「そう言う貴方もさっきから貧乏ゆすりばっかりしてるねぇ。この部屋に入ってから占めて右足だけで1523回。左足だけでも893回…占めて…」
「お前はお前で何でそんなものを数えてるんだ!」
「自分が落ち着けと言いだしたんじゃないか。だから私は貴方の言う冷静な判断力を養うためにこうしてどこぞの堅物の貧乏ゆすりの回数をひとつひとつ、丁寧に真心こめて数えてる訳だよ。ゆすりが一回…ゆすりが二回…」
「寝れない時のまじないか!そもそもお前のそれは真心じゃなくて、単なる嫌がらせだろうが!!」
もはや開闢の時よりの恒例行事となりつつある造化三神の
「ん?入れ!」
障子がそろりと開かれ、顔を覗かせたのは神世七代の5代目にして赤隈の少女のオオトノベだった。その顔はいかにも「やべーものをみてしまった。後悔した」と言わんばかりの気不味そうなものだった。
「あの、お取込み中申し訳ないんですが…」
「いや、気にすることはない。どうした?」
タカミムスビは先程の乱行など一切無かったかのように冷静な表情に戻って尋ねた。
「えっと、イザナギとイザナミが戻ってきまして…通しますか?」
「!やっとか。いいだろう」
カムムスビとミナカヌシもその報告に目の色を変えた。
オオトノベが障子を開くと、かつてこの高天原で一番小さく、今ではすっかり立派な若き青年に成長したイザナギとイザナミが立っていた。
「悪い。中々帰れなくて」
「お久しぶりです、ミナカヌシ様。タカミムスビ様。カムムスビ様」
イザナミがしゃなりしゃなりという音がしそうな動作で深々と頭を下げる。
「うむ、二柱とも変わらず息災なようで何よりだ。ところで…」
「二柱ともお帰り!」
「あぁ~また大きくなったんじゃないかい?」
タカミムスビは喋っている途中でミナカヌシとカムムスビに押しのけられ、二柱のキャイキャイとした戯れにかき消されてしまった。それも、ミナカヌシの翼が偶発的にタカミムスビの顔に叩きつけられ、カムムスビの肘が鳩尾に入り、悶絶とともに床に崩れ落ちてしまうというおまけ付きで。
「二柱とも仲良くやってるかい?オシオ達も来てるの?」
「ヒワケの坊主たちは相変わらずやんちゃなのかな?」
「新しく見つけた生き物の事を教えてくれ!」
「最近の夜の生活は?」
「一番いい果実が食べられる島はどの辺り?」
「最近は週何回くらい?」
ミナカヌシとカムムスビの思い思いの質問攻めにイザナギとイザナミも苦笑しつつ困惑するしかなかった。イザナミはまあまあと宥めるが効果は思ったほど大きくないようだ。
すると、彼らの後ろでうずくまっていたタカミムスビが顔をあげ、彼らを睨む。
「お前ら…」
四柱は聴こえていないようだった。タカミムスビはそれに青筋を立てた。
「…こっちの心配をせんかあああああああああああああああああ!!!!!!!」
その日の夜。
会合の場でもある炎の間。別天津神の五柱と、神世七代の初代たるクニノトコタチ、2代目のトヨクモノが円になって鎮座している――――――イザナギと、イザナミのスペースを開けつつ。
「じゃ、とりあえず近況報告から聞かせてもらおうか」
今回は珍しくミナカヌシが進行を取り仕切っている。普段進行を務めているタカミムスビは別にどうと言う訳でも無く、ミナカヌシの行動を見守っている。
「では、俺から」
立ち上がったイザナギは事務的な豊国から始めた。
地上、葦原中津国で見つけた自然、動植物、地形、天候…。様々な事がらが部屋の中央の炎の上に幻影として、イザナギの演説に呼応するように形を変えつつ映し出されていった。
タカミムスビは真剣な目つきで、カムムスビとアメノトコタチは興味深そうな微笑を絶やさずに時折頷きながら見守っている。ウマシアシカビは「ヤッパリ俺ガ種ヲ生ミ出シタ生命ハ素晴ラシイ」的な自画自賛を事あるごとに連呼し、クニノトコタチとトヨクモノは時折生物の生態について質問し、イザナギもそれに順次、的確に答えていった。
「うん、国は順調に発展していってるみたいだね。一時期はどうなるかと思ったけど…良い事だ」
一時期、というのはヒルコと淡島の1件の事を指しているのだろうが、あえて誰もそれに言及することはしなかった。
「それで、今回の本題というのが…」
続くようにタカミムスビが言葉を紡いだ。
「こいつと言う訳か…」
するとその場にいた9柱の視線が、一斉に部屋の中央の炎…の前に集中する。
炎の傍らで布団に横たえられ、眠ったままの一柱の知られざる神に。
煌々と燃える赤い炎に照らされたその神(と決まった訳ではないが、そうと思われるもの)を見つけたのはイザナギとイザナミだ。
あの日――――二柱で山頂に登った朝、天の御柱の側にそれは埋まっていた。
埋まっていたといってもそれは下半身だけで、上半身だけが地面の上にその姿を現していた。
見た目は麗しく、男とも女とも取れる(男神には違いないが)端正な顔立ちをしており、裸のまま埋まっていたその肉体も、美の極致をさらに極致まで突き詰めたように一切の無駄なく均整がとれていた。
ひときわ輝いていたのは、その髪である。まるで宇宙開闢の時に生じた光がそのまま染め上げられたような黄金だったのだ。
それがいったい何なのかその時は二柱は理解しかねていたが、自分達と同じ姿である以上そのままに放置しておく事は出来ず、家まで抱えて帰ることにしたのである。
今回イザナギ達が帰省を敢行したのも、この金髪の神について相談するためだった。
「デ、ソノ後ソイツヲドウシタンダ?」
ウマシアシカビは顎をかきながら訪ねた。
それにイザナミが立ち上がって答える。
「はい、目が覚めるまではと思って私達で面倒を見ていました」
「でも、それで今まで目覚めなかったのよね?」
「そもそも、それは生きているのかい?」
トヨクモノとクニノトコタチがあくまでも冷静に、理性的に指摘した。
「うん。心音も聞こえたし脈だってあった。生きてる事には違いないとは思う。だが、息をしていない。まるで我々に似せて作られた…そうだな、彫刻のようにピクリとも動かなかったんだ。今この瞬間もだ」
「起こそうと何かしらの手は考えなかったのかよ?」
質問したのはアメノトコタチだ。
「勿論、手は尽くしたさ。呼びかけたり、まじないのようなものも唱えたりした。だが結果は今の通りと言う訳だ」
イザナギはそう言ったが、実際は目の前の神々が思っている以上のことも試してはみた。厳密には彼個神ではなく、彼の息子達が、だが――――。
カザモツワケは釣ってきた魚で頬をひっぱたき、イワスヒメは水を口に直接流し込み、イワツチビコは小さな果実を鼻に詰めてみたり、ヒワケら三馬鹿もとい三柱組は枕元でいつものイカサマだらけのバカ騒ぎ
「なるほど、大体分かった」
一連の話を聞いたタカミムスビが情報の整理を試みた。
「要するにそいつはオノコロ島に埋まっており、生きてはいるが完全に眠った状態で、どうやったって起こせない。と言う訳か」
「でも、根本的な問題はもっと別な所にあると思うね」
口を挟んだのはカムムスビだった。
「そいつは何故オノコロ島に埋まっていたのか。何を司っているのか、どういう神なのか。神世七代、別天津神、それとももっと別の…いや、そもそも一体そいつは『何』なのか…気にならないかい?」
カムムスビの問いかけに一同は全員黙り込んでしまい、部屋の中には火がパチパチと燃える音だけが聞こえる。
その問いに解を投じたのはイザナギだった。
「それに関しても答えさせてもらおう。まず、何を司っているのか、簡単にだが調べてみた。結果は不明。一切にモヤがかかっていて何も確かめられなかった」
八百万の神々と言うものは基本的にどの神が何を司っているのかが定まっており、それに応じて固有の神通力を使う術を持っている。
日の神なら太陽の力。大地の神なら大地の力…と言った具合に。
またそれは、生まれてある程度の時間が経たければ判別することは出来ない。
「つまり、こいつは生まれたての赤子と一緒という事だ。かつての俺とイザナミ、そして子供達のように」
イザナギの結論にクニノトコタチが唸って顎を指でかいた。
「
それにトヨクモノが付け加える。
「それ以前に、意識のない今のままじゃどうしようもありませんわ。このままこの子の寝顔をずーっと眺めているのも、悪くはないのですが…」
トヨクモノは眠れる神の金の長い睫毛を見つめながらため息をついた。
「トドノツマリ、コイツガ何ナノカヨリモコイツヲ起コス事カラ始メナキャコンナカッタリー会議ハ、茶番デシカナクテ、時間ノ無駄デモアルンジャネーカ?」
ウマシアシカビの意見は正論で、辛辣ですらあった。
アメノトコタチがそれに続く。
「けど実際問題、一体誰が、どうやって目覚めさせるのか?それが分からん事にはな…。言っとくが俺には無理だぞ。天を統べ、永遠を繁栄を司る者でも地上の事は専門外だからな」
「自慢気二言ウコトデモネーダロウガ」
その後、誰も意見を述べることはなく、再び場を静寂が支配した。
しばらく唸った後にタカミムスビが言った。
「今はこれ以上議論しても埒が明かないな…まあ、こいつの事はある程度分かった事だし、今日はこれまでとする。では解散」
神々が立ち上がり、次々と部屋を後にしていく―――――ミナカヌシと、クニノトコタチの二柱だけを残して。
長い無言――――――――――。
そして揺らめく炎。光に照らされた眠れる神。
ミナカヌシは炎、或いはその傍らの眠れる神…それだけをジッと、ただ真っすぐに見据えていた。
ミナカヌシの二つ隣の席に座っていたクニノトコタチはそんな彼の者を横目で見つめ続けていた。
「何か言いたいことでもあるのかな?」
ミナカヌシが視線を此方に向けて呟いた。
「気付いておいででしたか。やっぱり貴方には敵いませんな」
クニノトコタチは苦笑しながらも頭をかいた。
「分かってるよ、言いたい事は」
ミナカヌシは立ち上がると、布団の側まで歩み寄り、そこに座った。眼前で呼吸ひとつせず、ピクリとも動くことなく横たわっている眠れる神。おもむろに腕を伸ばすとその手のひらを彼の胸部に重ねた。
脈を感じる。彼の心の臓腑は確かに動いていた。それを確かめるとその指は胸から首へと伝い、唇にそっと触れた。そのまま手のひらを頬を撫でる。まるで、壊れものか何かを扱うように。
「彼を目覚めさせるのに、手放しで賛成することができないんだろう?」
クニノトコタチは一瞬驚いた表情になり、ため息をついた。
「……何もかもお見通しと言う訳ですか。確かにその通りです。彼は僕たちと違ってあまりにも不確定要素と
「では何故、それを先ほど言わなかったんだい?」
クニノトコタチに向けられたミナカヌシの目は、あくまでも優しいままだ。
「仮に僕の懸念が事実だとしても、それでどうするべきなのかはっきりしていなかったからです。当分現状維持か、こいつを完全に封印するか…僕の悪い予感だけでこんな事言っても納得してもらえないでしょうからね」
「そうだね、特にイザナギとイザナミはそうかもしれない」
この日の日中、高天原に残った神々への挨拶を終えたイザナギとイザナミは屋敷の使われていなかった一室に眠れる神を寝かせていた。そして、随員してきた子供ら(彼らは彼らで好き勝手にやるだろうし、兄姉達に面倒を任せていた)にも構わず夕食時までずっとここで彼の面倒を見ていたのである。たまたまその部屋の前を通りかかったミナカヌシは、わずかに開いた障子の隙間からその様子を覗いた。
壁にもたれて座ったイザナギは眠れる神をじっと見守り、イザナミは傍らで時折髪を手櫛で撫でながら、まるで昼寝中の幼子をあやすかのように世話をしていたのだ。
もしこれでクニノトコタチの考えるような対処が行われれば、イザナギもイザナミもきっと激怒するに違いない。もしかしたら地上の発展にも悪影響を及ぼすかもしれない。
「それに、私個神としてもそういうの反対だ」
ミナカヌシは再び眠れる神を見下ろすと、その頬を指で撫でた。
「目覚めていなくても…この子は今こうして生きている。いやこれから生きようとしているんだよ、必死で。それを無視して闇の中に閉じ込めてしまうのは…」
「ミナカヌシ様…」
「私はね、クニノトコタチ。彼をこの世界に生まれさせてあげたいと思うんだ」
クニノトコタチは、ミナカヌシの星空のような瞳の中に、確かな決意を見ていた。
「明日、神世七代の皆を全員集めてくれ。彼の覚醒の儀式について説明をしないといけない」
数日後、高天原にいる全ての神々はミナカヌシの命によってある場所に集められていた。その場所はかつて、神世七代がたまり場として使っていた何の変哲もない広場だった。
招集をかけた張本神であるミナカヌシは誰よりも早く、その場所に立っていた。いつもの温厚で柔和なそれとは裏腹な、何かを決意したような真剣な眼差しだった。
その傍ら…色とりどりの花畑に寝かされているのは、あの金髪の眠れる神だった。
やがてミナカヌシの周りには、神々が次々と集まっていた。
別天津神、神世七代、家宅六神(とその兄たるオシオや末妹のキクリ含む)…その全てが一堂に会しているのだ。
これだけの事が起きるという事は、これからこの世界にとって重大な出来事に立ち会うのではないか――――彼らは偶然にもそう感じ取っていた。
神々が全てそろっている事を確認したミナカヌシは、その中にイザナギとイザナミの姿を見つけると一瞬だけ微笑み、一呼吸おいてから話始めた。
「親愛なる我らの家族たる神々の諸君、集まってくれてありがとう。今日はこれからとても重大な、この世界にとっても意義深い事を始めたいと思う!」
ミナカヌシのよく通る声は確かな威厳を漂わせ、場の空気を震わせる。
「先日イザナギとイザナミは地上のオノコロ島で、ここに眠っている一柱の神を見つけてこの高天原に連れて帰ってきた。我々はこの神が一体何者なのか、そもそも神なのか、それ以外の何かなのか、その一切を知らない。それを確かめようにも彼は今の今までずっと眠り続けたままだ…我々はこれより、この者を覚醒させる儀を執り行いたいと思う。異議のある者は、いないね?」
ミナカヌシは話し終えると難しい顔で腕を組んで事の成り行きを見守っているクニノトコタチに向けた後、周りを見渡す。クニノトコタチは一瞬だけため息をつくと組んでいた腕をほどき、うやうやしく拍手した。
「我ら神世七代、全員異議はございません。ミナカヌシ様の御心のままに。だよね、おトヨさん?」
トヨクモノがそれに答えるように微笑み、お辞儀をする。他の神世七代達も一様に肯定の意を示した。
次にカザモツワケが前に出る。
「イザナギとイザナミがせがれ達も、
カザモツワケの啖呵に家宅六神らも一斉に同意した。
そんな中、オシオだけが「こんな所でヤクザ仕草しなくてもいいだろうに」と言いたそうに顔を覆っていたが。
それから程なくして、ミナカヌシの指示の下に儀式の準備は着々と進んでいった。
まず、中心に眠れる神を横たわらせてその周囲の五つの方角にクニノトコタチからアヤカシコネまでの神世七代がそれぞれ二柱ずつ立っている。
彼の頭の方向に立っているツヌグイとイクグヒから左回りに、オオトノヂとオオトノベ、オモダルとアヤカシコネ、ウヒジニとスヒジニ、そしてクニノトコタチとトヨクモノという順に並んでいる。
この並びも儀式のために必須な要素であるらしい。
全てはミナカヌシとクニノトコタチが考案して何日も寝ずに話し合い、試行錯誤を重ねて編み出した方式なのである。
地上の万物を構成する要素は大まかに5つ分けられる。
それらは全てお互いを高めたり、喰らい合ったりするようにできている。
やがてそれは廻り続け、また新たな万物を作り出すだろう。
そしてその要素に相当する、或いはそれに限りなく近いものを持つ神に受け持たせる。その神々が神世七代であった。
彼らの神通力でその事象を再現し、眠れる神へ注ぎ込むことで覚醒を促す。
それがミナカヌシとクニノトコタチの思惑だった。
やがて全ての準備が整い、それを確認したミナカヌシは微笑んだ。
「じゃあ、始めようか」
他の神々は離れた場所から儀式の様子を見守っている。
ミナカヌシが右手を掲げ、天を指さした。
その瞬間、周囲に風が吹き、段々と勢いが強くなっていった。その空気はやがて渦を巻くように吹き荒れ儀式の場を包み込んだ。
「…
瞬間、ミナカヌシの右手から一筋の閃光が放たれて天を貫いた。すると先ほどまで青かった空は一瞬で宵闇へと色を変えて、そこへ淡く輝く星々が砂粒のようにばらまかれていく。
変わったのは空だけではなかった。宇宙の星々に瞬き出した途端、神々の足元、即ち5組がそれぞれ立っている場所に光で丸い円が描かれていた。
それを見たミナカヌシは翼を広げ、ゆっくりと舞い上がって中心部へと降り立った。
「此処なる君。名は無き神よ」
五つの円が一本の線で結ばれていく。
「朝日と宵の赤き星の願いに従ひ、混元の闇より君を解き放たん」
新しい光の線が引かれ、其々の向かい合う円に向かって伸びていく。
線が結ばれると五つの円の外周をさらに大きな円の線が包み込んだ。
同時にその隙間に見た事もない細かい紋様が加えられ、「陣」はひとつの大きな紋様となっていた。
「巡りゆく万物の恵み、巡りくる万物の理を此処に!」
陣は輝きを増し、特に外周の光はより強い輝きを放って空に伸びていった。それはまるで、柱のように。
「此処に在りし神、水のクニノトコタチとトヨクモノ」
クニノトコタチとトヨクモノの胸から淡い水色の光の玉が浮かび上がった。
「金より生まれ出で、終に樹に吸い上げられ養う者。此れ分子の根源なり」
そこから放たれた光球が浮かび上がると隣にいるツヌグイとイクグイの頭上にふわふわと移動した。
「此処に在りし神、木のツヌグイとイクグヒ」
二柱の角が緑色に輝くと、そこから光は芽のように伸びていく。
「水より育ちて、終に焼かれて火を成す者。此れ
それは水色の光球に絡み付いて緑色に染め上げた。緑色の光球は隣のオオトノヂとオオトノベの頭上へと飛んでいく。
「此処在りし神。火のオオトノヂとオオトノベ」
二柱の赤い隈は光を帯びると緑の光球に向かって光を放った。
「燃ゆる樹より舞い上がり、終に地に堕ちて灰へと還る者。此れ命の根源なり」
赤き光線に貫かれた緑の光球は瞬く間に赤く変色し、隣のウヒジニとスヒジニの頭上へと下っていく。
「此処に在りし神。土のウヒジニとスヒジニ」
二柱の片方だけ黒い眼は銀色の光を放ち、飛び上がらせた。
「燃ゆる灰より積み重なり、終にその胎で金を育まん。此れ肉の根源なり」
舞い上がった銀の光は赤い光球の周りを素早く飛び交う。ついには光球を包み込んで鈍い銀色に変えてしまい、隣のオモダルとアヤカシコネの頭上へと移動した。
「此処に在りし神。金のオモダルとアヤカシコネ」
二柱の長い髪が大きくなびき、そこから、星々のような金の光の粒が舞い上がった。
「金の胎より産み落とされ、終にはその背に水を宿す者。此れ御魂の根源なり」
金の光の粒は銀の光球の周囲に集まり、ゆっくり包み込んでいった。
やがてそれは、何よりも眩い、黄金の光球へと変化していく。
黄金の光球は陣の中心、眠れる神の側に立つミナカヌシの手元へと収まった。
「此処に或るは、吾等が祈り。五つの根源を幾度も廻り続けては新たなる根源、新たなる摂理を生み出す君と成らんことを…」
ミナカヌシが手のひらに息を吹きかけた時、黄金の光球は再び浮かび上がり、クニノトコタチの頭上へ舞い上がった。だが今度は逆方向に、それも目にもとまらぬ速さで円の上を回っていったのだ。何十、何百と回った後、今度は元の方向へと回り始めて、その速さもどんどんと増していった。
やがて黄金の光球が回り続けた結果、陣の外周の光による柱を囲む輪を作り出した。
「此の闇は、君の夢なり。この光は、君の目覚めなり」
ミナカヌシの胸には、この眠れる神に対する様々な想いが去来していた。
一体彼はどこからやって来たのか?何のためにこの世界に生まれてきた?それは未だ誰にも分からない。
この世界に埋まれて何をもたらすの?
それは善いものか、悪いものか。きっと、両方だろうね。
それが見えた時、君はどうするのかな?
美しいと思うものに喜んで、それを希望とするのか、汚いと思うものに嘆いて、絶望に苦しむのか?
生まれてくることを嬉しく思うか?後悔して呪うか?
いや、君を勝手に起こしてしまう私達がこんな問いかけをするのは、虫が良すぎると言うものかもしれない。
それでも。
私は君に生まれて欲しい。君に生きて欲しい。君を愛したい。
そう願うだろう。
君は私達と違って、親もなく、ともに生まれる者もなく、一柱で現れた。
一柱っきりで寂しいと思うかな?いいや、そんな事は無いさ。大丈夫だよ、私達がずっと側にいる。私達神々が、君が幸せになれるように助けるから。
だ、か、ら…。
「掛けまくも畏き君よ、恐み恐みも白す!眠りを祓いて、混沌を清めて、今この世界に、生まれ出で給へ!!!!」
その瞬間、光の輪は一瞬でミナカヌシの頭上に向かって収束し、この世の始まりを体現したかのような真っ白な強い光を放つ光球になった。
ミナカヌシはそれを手に取ると、眠れる神の胸元へと近づけ、その体内へと沈めていく。すると眠れる神は大きく体をのけぞらせその肉体から凄まじいエネルギーを呼び起こした。エネルギーは地を震わせて大きな衝撃波を放つ。
神々は強い光と衝撃波に耐えかねて、皆目を逸らして地に伏していく。
光はどんどん強くなり、高天原を包み込んだ。
地響きが止み、光も段々収まってきた頃。
地に伏して気を失っていたイザナギは目を覚まして隣に倒れているイザナミを起こしながら周りを見渡した。
「何が…起きたんだ?」
空は既に青色に戻っている。周りにいた神々も、今はもう消えてしまった陣の中にいた神世七代も皆倒れて気絶しているようだ。
だがその中央でミナカヌシだけが意識を保ち、あの神の側に座っている。
「大丈夫か!ミナカヌシ」
イザナギの声に反応するように、他の神々も次々と意識を取り戻していった。
「ああ、問題ない。成功だよ。ほら…」
神々がミナカヌシの側に集まると、一斉に眠れる神の顔を覗きこんだ。
すると今まで一度も動かなかった瞼が、静かに開かれていく。
金の睫毛に覆われた瞳がその色を見せた。
それはこの空と同じ、澄み渡る青色でミナカヌシの方をじっと見つめていた。
瞳の次は瑞々しい唇が開かれ、最初の一息を吐き出す。
その者はゆっくりと体を起こしてぎこちない動きで自分の周りにいる神々を見渡すと、急に体を縮こまらせてミナカヌシの裾にしがみついた。とても怯えたような目をしている。
「おい、別に俺達は何もしないぞ」
眉を顰めるタカミムスビをアメノトコタチが宥めた。
「こいつは生まれたての赤ん坊同然なんだぜ。あんたみたいな
「誰がおっさんだ誰が」
「みんなちょっと静かに!」
ぴしゃりと言い放つミナカヌシの睨み顔に気圧され、二柱は黙り込んでしまった。
どんな時にも温厚で決して怒る事のなかったミナカヌシが決して発したことのない声だった。
眠れる――――否、もう既に目覚めた名もなき神に向き直ったミナカヌシは先程とは正反対の優しい声色で対話を試みた。
「大丈夫、ここには君を怖がらせたり、傷つけたりしようとする者はいない」
『その者』はミナカヌシの言葉を理解できていないようではあるが、その意思はぼんやりと理解したようで裾を掴んでいた手をそっと離した。
「………あ、あ……」
自らも口を開いて何かを伝えたいが、上手く声を発することができない。
「ああ、慌てることはない。時間はたっぷりあるんだ。それよりも大切な事がある」
『その者』は無意識に不思議そうな顔で首をかしげた。
「君の、名前が知りたいんだ。私は、アメノミナカヌシ」
ミナカヌシは自分の名前を、自分を示す
「ミ、ナ、カ、ヌシ…」
『その者』はおぼつかない口で繰り返した。
「そう、その通りだ…。じゃあ、君の、名前は?」
再び
「あぁ…ぅ…」
これにはミナカヌシも頭をかくしかなかった。そして、考えること数秒…。
「分かった、私が君の名を付けてあげよう!」
「おいミナカヌシ、本気なのか?前代未聞だぞこんな事」
タカミムスビが横合いから割り込んだ。これまでの神々は皆、生まれた時点で自分の名前と本質を理解しているものであり、他神に名前を付ける例など存在しなかった。
「いいんだよ。もう決めたことだ」
不思議なことにミナカヌシの頭には、名付ける名前が浮かび上がっていた。
『その者』の顔をじっと見据えたミナカヌシは言った。
「アウワ」
アウワと呼ばれた神は、疑問に思う様子もなくミナカヌシを見つめ返した。
「ア、ウ、ワ…」
「アウワノミコト」
アウワノミコト。それがこの神に与えられた名前だ。
その名前どんな意味を持つのか、彼の存在が世界に、歴史に何をもたらすのか、それを理解し得た者はこの時点では誰もいない。
「ようこそ、この世界へ」
人類の始祖たる神が、ここに誕生した。
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