第5話「わたしの彼は左きき/イザナギの楽園」

橙色オレンジの空の下、生ける者を全て撫でるように吹く優しい風。青々と繁る草が、風を受けて、寄り添い合いながら囁き合っている。

そんな高天原の一角の草原に、その少年はいた。シンプルな白い装束が陽光に照らされて景色の中に溶けていく中、黒い髪と幼さを残した瞳が際立って印象的な少年だ。

名を「イザナギ」と言う。

彼は終始、辺りをきょろきょろと見回しながら歩き回っていた。

いつものように二柱ふたりでいた折に、少し目を離した隙に何処かへフラッといなくなってしまった「妹」を探すためだ。



「イザナミ――――?お――――い、イザナミ―――――――!!」


いくら大きな声で呼びかけても返ってくるのはイザナミや他の誰かの言葉ではなく、風のささやきと草が擦れてざわめく音だけだった。それを聞いて唸りながら頭をかく。


「はあ、困ったもんだな…あいつの悪戯好きにも」


イザナギはため息をつくと手のひらで額の汗をぬぐい、その場にそっと座り込んだ。そして、彼女の事を考える。もともとひとをからかうのが好きなフシはあったので、こんな事は今に始まったことじゃないのは承知している。だが最近は日増しにそれが顕著になっているのだ。大胆ないたずらもするようになってきた。今のこの状況こそがいい見本市と言えるだろう。


それにしても暑い。

イザナギはそう思いながらふと空を見上げると、よく熟して肥えた果実にも似た太い雲がいくつも呑気に泳いでいるのが見える。しばらくそれをぼーっと眺めていたイザナギは風に押し倒されるようにその場に仰向けになって寝転んだ。

どうせその内出てくるだろうしいいか、と思って昼寝と洒落こもうとしているのだ。

イザナミは隠れるのが非常に上手く、一度姿を消してしまえば煙になってしまったのかと思う程に見つからないのだ。

そうやって探して探して、探し疲れた頃になって彼女はようやく姿を見せる。それも勝ち誇ったような笑顔と共に。

それがいつものパターン。今回もきっとそうなるのだろう。だったらじたばた動き回らずにのんびり待っていればいいのではないか?

そうした方がいいだろう。探すのを放棄したと揶揄されるだろうがそれは間違いだ。

むしろこっちが誘い出しているのだから、と思いながらイザナギは目を閉じた。

すると彼のすぐ側で、ガサガサと草の揺れる音がした。そこから一柱ひとりの影が立ち上がり、イザナギの側へと歩み寄る。


「イ―――ザ―――ナ―――ギ―――!!!」

「おお、イザナミか。結構早く出てきたな」


イザナギは、自分を脅かそうと頭上にいるイザナミを見上げると静かに笑った。

背丈も年の頃もイザナギと変わらない。そしてやはり彼と同じように黒い髪と、純朴さを宿した瞳が目を引く印象的な少女だった。だが、その表情は自らの悪戯が不発に終わった事で少々納得いかないと言いたそうな感じであった。


「まったく、可愛い妹を差し置いて昼寝だなんて…」

「悪かったよ。でもたまには俺に花を持たせてくれてもいいだろう?」

イザナギは起き上がってイザナミに微笑んだ。

「だとしてもちょっと意地が悪いわよ?女の子相手に」

「そうか?」

「そうよ」



伊邪那岐イザナギノミコト伊邪那美命イザナミノミコト


クニノトコタチから続く「神世七代」で一番最後に生まれた新しい番の神。最も若く、可能性に満ちた彼らを他の神々は自分達の子供のように大層可愛がった。


厳密には兄弟と言うのが正しいのではあるが、オモダルとアヤカシコネからかなり時間を置いて生まれたため皆の感覚的には子供のようなものである。実際、二柱とも他の神々より幼く、10代半ばから後半程度の子供のような姿だった。

さらには兄弟、別天津神達から目いっぱいの愛情を惜しみなく受けてきたせいか、一癖も二癖もありすぎる彼らとは打って変わって屈託のない純粋な性格に育ち、現在に至っている。

イザナギはいつも落ち着いており、物腰は柔らかだが時々熱くなったり、撮るに足らないような事でヤキモキしたりする。しかしイザナミや、家族でもある他の神々の事をとても大切に想っている善き青年と言った具合だが、少々押しが弱くボーッとしていることも多いのがたまにキズだった。

対してイザナミは一見おしとやかと思いきや女神の中で最も快活な性格で、可愛がられ具合ならイザナギを凌駕している。彼女自身もまた愛情深く、イザナギ達を強く愛している。

ウヒジニが茶を入れればスヒジニと一緒になって美味しい美味しいと飲むし、ツヌグイとイクグイの角を撫でては二柱を照れさせる事もある。

オオトノヂの肩にだって何度も乗せて貰ったし、オオトノベの髪を悪戯で弄った回数も数えきれない。

この間に至ってはアヤカシコネの化粧道具を勝手に拝借しては背伸びして鏡も見ずに馴れない化粧をした結果、怪物のような形相になって「子供のやることだから」とその場にいて止めなかったオモダル共々大目玉を食らっていた事も記憶に新しい。


彼らのお陰で高天原もだいぶ騒がしくなった。けれども他の神々、とりわけミナカヌシはそんな日々を愛しながら過ごしていた。

そしてそんな愛すべき毎日が、永遠とわに続く事をも願った。



変わらず穏やかな風の吹く草原にイザナギとイザナミは並んで座っている。

そんな二柱ふたりを見守るように照らす空の光。幾度日が昇り、空の弧を描いて彼方へ沈む営みを繰り返して、高天原の色を絶えず変えようともこの場所の匂い、色合いだけはいつも同じような表情を見せる。



「…前々から思ってたんだけど」

「ん?」

イザナミが静寂を破った。

「イザナギってどうもいい加減なところがあると言うか、覇気がないと言うか、乙女心がわかってないと言うか…」

「別に、そんな事は無いと思うけどな…」

否定しつつも違うときっぱり断言できないのは、イザナギ自身にも思い当たる節がない訳でも無いからだ。


「大体この間だってオモダル兄様の飲みの誘いを断りきれずに朝までず――――っと戻ってこなかったじゃないの!」

「いやー、あれは不可抗力ってやつで…」

「アヤカシコネ姉様に怒られたの忘れたの?私まで巻き込まれてお説教食らったのよ!妹ならちゃんと兄貴に首輪つけときなさいとか、最近やんちゃが過ぎて乙女としては良くないとか、そもそも女性とは云々とか」

「そればっかりは…本当に面目ない…」


イザナギの敗北宣言だった。最初以外は俺とまったく関係ないじゃないか、とは口が割けても言えない。言えば最期、兄オモダルがアヤカシコネに受ける制裁よりもっと痛い目に遭うのが目に見えていたからだ。


「あ―もう!兎にも角にも貴方には一度た―—―っぷり『教育』を施してあげる必要があるわね?」

イザナミは立ち上がって両手を掲げると指を「ワキワキ」させてイザナギににじり寄った。先ほどまで優位に立っていたイザナギは

「おい…待てよイザナミ。何をする気か分からんが考え直せよ…頼むから早まるなって…な?」

後ずさる兄神と、妹神。両者の距離は一つ数えることに縮まる。


「…えいっ!」

するとイザナミ、両手でおもむろにイザナギの頬に触れると、唇の両端に指を引っ掛けて一気に引っ張った。


「んむっ!?」

「一体生意気な口はどの口なのかしら?この口?この口なのね?!」

頬は上下左右に引っ張られてはこねくり回されて、こねくり回されては引っ張られてを繰り返す。

そうしている内にイザナギは彼女に押し倒される形になってしまった

「ふぉいよふぇ!ほふぁへほんふぁひゃらはっはは《おいよせ!お前そんなキャラだったか》?!」

「えー?なんて言ったの?聞こえないわねえ?」

イザナミの攻撃は苛烈を極め、イザナギも必死でそれに対抗する。遂には彼女と上下が入れ替わって形勢逆転に成功した。 しかしいざイザナミは下に敷かれてもなおその攻撃はさらに苛烈さを増す。 そうこうしている内に またしても上下はゴロリと入れ替わりイザナミが上にのしかかる形になった。

そんなルーティンを繰り返しているうちに二人はどこまでも草原をゴロゴロと転がっていってしまった。

「うっ!」

すると突然 重力が二柱の体を揺さぶるの感じた。

そこは既に先ほどの平らな草原から 緩やかなから傾斜のある坂道になっていた。

くんずほぐれつの状態になっていた二人はその傾斜に身を取られながらやはりそのままゴロゴロと転がり落ちて行ってしまった。


「うぅ…イタタタタ…」


坂の下に転げ落ちた二柱の身体はもつれ合ったまま、しばらくの間動けずにいた 。イザナミ自身も兄の体がクッションに代わりになっていたとはいえやはり体の所々が痛む。そしてイザナギは完全にイザナミの下敷きになってしまっていた。


「あーもう、酷い目に遭ったわ…」

「誰のおかげでこうなったと思ってるんだよ。 先にふっかけてきたくせに」

イザナギが抗議の声をあげる。

この期に及んでまた口が減らないイザナギに対してムッとしたイザナミは 自分の下に敷かれている彼を睨みつけようと顔を上げた。


「っ…!!」

「…? どうした、俺の顔に何かついてるのか」



眼前の兄神の顔を直視した 彼女は突然、心臓に雷が落ちたような衝撃を感じた。

そりゃあイザナギとは生まれた時から一緒だったし、 今だって毎晩二人で抱き合いながら寝ているくらいだ。ただ、こんな至近距離で彼の顔を意識してじっと見つめたことなどあっただろうか?

これほどまでに勝手に目が泳いでしまう事などあっただろうか?

否、少なくとも自分が記憶している限りではこんなことはなかったはずだ。

だからこそ今この瞬間、イザナギの黒く艶やかな長い髪、幼さを残しつつも凛とした印象を受ける瞳から目を離す事が出来なかった。

だが、 長時間見ていると あまりにも眩しすぎて、 やはり目を背けてしまう。


「べ…別に何でもないわよ!」

そう悪態をつきつつも彼女の心の中は尋常ではなかった。

イザナミの顔は真っ赤になっており、顔から火が吹き出そうなほどだ。

(イザナギ…こんなに顔よかったっけ…何で、こんなにドキドキしてるんだろう)


その気になればすぐに離れることも出来たはずだが、イザナギの胸板に押し当てられた豊かで柔らかい乳房、絡め合った指や足、彼の姿を焼き付けた瞳を通して伝わってくる熱さが体を動けなくさせてしまう。彼女がその感情の意味を知るのは、もう少し先の話であった。



「…あ――っ!!」


イザナギは突如沈黙を破り、体を起こした。イザナミはその衝撃で後ろに放り出されてしまった。


「ちょっと!急にどうしたって言うのよ!!」


彼女の先程までの悶々とした気分はどこへやら、イザナギのお陰で頭に冷や水を一揆にかけられたような気分だった。


「今日タカミムスビ様直々の呼び出しがあったんだ…俺たち二人とも…」

「ハッ…そう言えば…そんなことあったようななかったような…?やっばーい…」


どうやら、二柱とも完全に忘れていたらしい。

もはやイザナミの頭からは先程の事は完全に霧散していた。

それよりも、あのタカミムスビの言いつけをほっぽり出して二柱で遊び呆けていたなんてことがバレたら…もはや想像したくもない。


「こうしちゃいられない、急ごうイザナミ!」


イザナギはおもむろに彼女の手を握り、体を起こすとその手を引いて一気に駆けだした。


イザナミもそれに引かれて走り出す。

「うわっ!急に危ないじゃないのもう!」

「あの神ひとのお説教よりはマシだろ?」


悪びれずに言うイザナギの言葉に、イザナミは思わず吹き出してしまった。


「…フフッ、それもそうね!」


高天原を、一組の男女が走り抜けていく。

木々も、花も、虫も鳥も獣も、皆それを目撃していた。

彼らは息を弾ませながらも笑顔を振りまきながら夜空に一瞬だけきらめく流星のような速さでかけていった。

それはまさしく、二柱が星となって時代を一閃し「世界」を紡ぎあげることへの暗示だったのではないか、と後にミナカヌシは思ったという。

だがこの時は誰も知らなかった。星と言うものはどんなに煌めこうとも、いずれは滅びゆく運命さだめにある事を…。

それでもなお、二柱は、星が抱く永遠と言う幻想を決して疑わなかった。


「ふむ、揃ったようだな」

神々の屋敷の一室に二柱は立っていた。

部屋をうろうろと歩き回っていたタカミムスビはじっと彼らを見つめる。

「お前ら…何かあったか?」

「へっ?」

突然の質問にイザナミは素っ頓狂な声をあげた。イザナギもポーカーフェイスを保とうとしているが目が泳ぎっぱなしだ。

何しろ開口一番でドヤしつけられるかと思いきや、特にお小言の一つもくる気配がないので逆に警戒してしまっているのだ。


「いやな、足元が随分と汚れてるようだし、それにそこ、服のすそに草がへばりついている。あと汗が凄いぞ」

「…最近暑くなってきたからな、そのせいだと思う」

イザナギが答弁するが、イザナミからすれば声が震えてるのが丸わかりだ。


「…そうか、まあいい。本題に入ろう」

思わずほっと胸をなでおろした二柱にも気付かず、タカミムスビは話し始めた。


「いいか二柱とも、よく聞け。先日の合議において、遂に我々は地上世界の創造に着手することを決定した」

「地上って…あのドロドロの世界をか?」

「そうだ。我々は世界の誕生直後にミナカヌシを筆頭にこの高天原を創り、繁栄させてきた。だが未だ世界の創造が完全に達成されたとは言えん。あの地上に「国」を作ってここのように豊かな世界にすることは今の俺達にとって最大の命題と言えるだろう。分かるな?」

「うーん、それは分かりましたけど…」

イザナミが首をかしげて質問した。

「それと私達に何の関係があるんですか?」

タカミムスビは頭をかいてため息をついた。

「話の流れから想像できないか?その国を産みだす役割にお前たちが抜擢された、と言ってるんだよ」


「…ええっ!?私達がですか?」

「そんな大役を…」

イザナギもイザナミも驚きを隠せずにいた。

「不満か?」

「そうじゃない!ただ…驚いて実感がないだけだよ」

「ふむ…そうか、まあいい」


タカミムスビは少し考えると再び口を開いた。

「順を追って説明する。まあ座れ」

二柱は促されるまま床に正座した。すると同時に部屋のふすまが開き、カムムスビがお盆の上に湯呑を載せて入ってきた。

「やあ、お取込み中かい?長くなりそうと思ってお茶を用意したよ。ウヒジニの特製だ。ゆっくり味わうといい」

イザナギとイザナミの前にそれぞれ湯呑を置いた。

「じゃ、ごゆっくり」

「おいちょっと待て、何で俺の分がないんだ」

出ていこうとするカムムスビをタカミムスビが引き留める。

「え、だって貴方いらなさそうな顔してたしいいかなーって…」

絶対にわざとだ、とイザナギは思った。

「だからと言って自然ナチュラルに無視する奴があるか!お前分かってやってるんだろ、こんなワンパターンな嫌がらせ!」

「あーもう煩いね、冗談ってもんが通用しないのかい?貴方って奴は」

「その冗談が悪質だから言ってるんだ!」

いつの間にか取り出された三つ目の湯呑を置くと、カムムスビは手をひらひら振りながら出て行ってしまった。


タカミムスビは茶を一口すすると間を置いて再び話し始める。

「…気を取り直して、話を戻すぞ。まず、お前達が選ばれた経緯だが…」

「はい…」

「元々お前たちの抜擢をしたのはクニノトコタチだ。奴は真っ先にお前達を推薦していたんだよ。何故だと思う?」

「いや、分からないな」

イザナギは首をかしげながら否定した。

「俺も最初はそうだった。だが奴の話を聞いている内に納得がいった。それを説明するには少し昔の話をしなきゃいけない」


イザナギとイザナミが生まれてくる前、高天原には不安の色が立ち込めていた。

と言うのもオモダルとアヤカシコネを最後に、新しい神がしばらく生まれてこなかったからだ。

元々クニノトコタチを始めとして神世七代は順繰りに、定期的に生まれてきた。

彼らは其々、象徴や属性と言えるべきものをその身に宿していたのである。


クニノトコタチは天に対する大地の永久性。

トヨクモノは天地を分ける…包み込むともいえる雲。

ウヒジニとスヒジニは地の基礎となる泥や微生物のような生物の根源。

ツヌグイとイクグイは大地支えるが如き芽吹きや脊椎。

オオトノヂとオオトノベは大地の凝固、そして雌雄の性そのもの。

そしてオモダルとアヤカシコネは大地の完成、及び生ける者の精神そのもの。


と言った具合だった。

ここまで行けば順当に次の神が生まれるのを待つだけだった。

だが予定された時期を過ぎても、何も変化は起きなかったのだ。

それからさらに時は流れても、新しい神が生まれてくる気配はない。何度も待ちわびては待ち疲れ、待ちわびては待ち疲れ…。15の神々にも今後を不安視する空気が流れていた。何も変化、進歩がないことへの不安は神々とて想像以上に恐怖と不安をもたらすものらしい。


そうして待ち疲れることにも疲れてきた頃だった。

突如、地上の海から二つの光球が現れ、高天原へと飛んできた。

その中にいたのは、見たこともない小さな赤子の姿をした一組の男女神だった。

高天原は歓喜に包まれ、神々はおろか草花や生物たちすら祝福の風を吹かせていた。

早速その赤子達を調べた結果、彼らに刻まれていた象徴は「引き合う力、生命を生み出す力」という結果だった。


「それがお前達、イザナギ《誘う男》とイザナミ《誘う女》だ。理解できたか?」


タカミムスビの話に聞き入っていた二柱は何も言葉が出なかった。あまりにも実感がわきにくかったからだ。

思えば昔から、自分達は兄姉神達からは大層に可愛がられて育ってきた。甘やかされていたわけではない。厳しくされたこともたくさんあるし、それに反感を覚えたことだって少なくない。

だけど今、その意味がようやく分かってきた気がする。


「どうやらクニノトコタチは、お前らが生まれた時から既にこの役割を与えることを決めていたようだ。まったく、普段ボケ―――っとしてるようでとんだ食わせ者だよ」


イザナギもイザナミも苦笑するしかなかった。あの所謂「昼行灯」のような彼がそこまで見通していたなんて軽く恐ろしさすら感じる。


「とにかくだ。引き合い、結び合い、生み出す力を強く宿したお前達『誘う者』こそが地上へ赴き、国を作り出し、生命を生み出し、地を満たし、治めて発展させるのには適任だということだ。ひとまずは理解できたな?」

「ちょっと待ってくれ。今地上に赴くと言ったな?…俺達に高天原を離れろという事なのか!?」

「当然だろう。ここに居座ったままじゃ作れる国も作れない。お前たちはこれから『創造神』となるのだ。自ら地上へ降りてそこに足を付け、そこにあるものをしっかり近くで見据えて行動せねばより良き創造はままならん。」


返す言葉が見つからなかったイザナギは脇に座っているイザナミを見た。

国を作る云々はさておき、ずっと慣れ親しんできた高天原を離れる。ということが彼にとって一番ひっかかかっていることだった。

自分ならともかく、温室育ちの見本市と言えるようなイザナミまで地上に下ろすというのは…と考えると素直に首を縦に振ることができない。

「彼女が気がかりか?」

小さな声でタカミムスビが言った。

「まあ、いきなり言われても困るのは分かっている。細かい話はとりあえず後日という事で構わんぞ」

イザナミの方は無言で気丈な装った表情をしているものの、やはり不安の色は隠せないままでいた。その時だった。


「分かりました」

イザナミが沈黙を破った。


「え?」

「私、イザナギと一緒に地上へ行きます!」

その声と表情には、先ほどとは一転してわずかな迷いも感じられなかった。

「 ほう、 話が早くて助かるな。じゃあ詳細は…」


そこに再びイザナギが割り込む。

「ちょっと待ってくれタカミムスビ!…なあイザナミ、お前は不安じゃないのか?行ったこともない、それもあんな不安定な場所に送り込まれるなんて…」


イザナミは少し黙ってから言った。

「勿論、まったくないと言えば嘘になるわ。ミナカヌシ様だってこの高天原が作られる前はそれこそ天も地もない完全な無の中で孤独に苦しんでたんだし。でも、そのミナカヌシ様達が私達を推挙してるんだから、きっと私達にだって出来るはずだと思うの。あの方にだってちゃんとした考えがあっての事だし…皆が必要としてくれてるのなら、私はそれに答えたいわ。それに…」

急にイザナミが口ごもってうつむいたのでイザナギが聞き返した。

「それに?」

「んー、やっぱり今はいいわ!あんまり関係ないことだし…」

「…そ、そうか…」


「話は済んだか?」

タカミムスビが割って入った。

「あ、ああ…。タカミムスビ、一連の話だが受けるとするよ。イザナミがこうも覚悟を決めているならば俺も承諾しないわけにはいかないな」

イザナギがそういうとタカミムスビは安堵したというような表情で「そうかそうか」と首を縦に振った。

「それじゃあ詳細は後日改めて伝える。今日の所はこれまでとする。出立と婚礼の日まで今の内から心の準備をしておけ」

「ああ、わかった」


イザナギはタカミムスビが立ち上がり、ふすまを開けて部屋を出ていくのを見ていたが、最後の最後で一つ違和感が生まれた。

「ん…婚、礼…?」

「それではな」

イザナギが気付いて「ちょっと待ってくれ」と言おうとした時にはもう手遅れですでにタカミムスビはいなくなり、部屋には二柱だけが残された。




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