第2部「Count ZERO」

第9話「Hey!MR.おぼっちゃん」

イザナギとイザナミが地上に降りてから神々が生まれ出す時。

その隙間のいつか、どこか。

狭間の時空の中である女神が思索に耽っている。

黙したまま、瞼も閉ざしたまま、動くこともないまま…まるで何かを待ちわびるかのようにじっと座っている。

彼女の名前は、今はまだ重要ではない。大事なのは、彼女の思考にどんな花が咲くのかという事である。

幾度も朝と夜を繰り返してはそこに座り、ただ、待ちわびる。地平線の遙か上を漂う光と闇、点と線が繋がり合うその時まで。

彼女の夢想と思索は終わらない。


そして、その終わりは突然やってくる。

彼女の瞳が音もなく開かれると同時に、偶然か必然か…辺りに強い風が吹いた。

彼女は同じ体勢のまま、確信に満ちた表情で瞳を輝かせている。

だが、その胸中が如何なるものかは知ることができない、それ程に無表情だった。


そして彼女は唇を開き、言葉を紡いだ。


「ーーーーーーーーが、産まれた」


―――――――


風の音がする。木々の囁く音がする。潮の匂いがする。空は青く、眼前の地平線の彼方までどこまでも続いている。

大事忍男神オオゴトオシオノカミは縁側からこの景色を眺めるのが好きだ。太陽も天の頂から下り始め用としているこの時間は気温も穏やかでのんびり過ごすにはとても最適だ。

風を感じようと常に半目気味の目を閉じてみる。すると視覚に回されていた神経が肌を一層敏感にさせ、彼の頭に息吹を与えた。


「今日もいい風だな」

そう思っていると大きな風が吹き付け、オシオの額にくっついた。驚きとこそばゆさで目を開き、くせっ毛の髪をかきつつそれを手に取った。

それは我が家の樹の葉だった。


この家の広い庭には、一本の樹が植わっている。


子供の頃から父母の間に挟まって、叔父と叔母からの賜り物(苗で贈られた)であるこの木になる実を食べながらよく茶を飲んだことは強く覚えていた。幾度も、幾度も繰り返し、自分が大人になって両親の手がかからなくなった今、オシオは自発的にこの習慣を時折おこなっている。

それが親の背を見続けてきたゆえのものなのか、自らの内に本能的に刻まれていた行動なのかは分からない。けれども彼はこの時間を尊び、とても愛おしく思っていた。


ある一点を除いては。


「おっし、また俺の上がりだな。」

「あぁ冗談じゃねえぞ?!テメエぜってえイカサマしてやがっただろおい!何週も一柱勝ちとかよぉ!!」

「おーおー、敗者の戯言は見苦しいねぇ?」

「ほう、やるってか?ああ?今すぐ海ン中たたっ込まれてえのかい!」

「貴様…俺の…俺の勝ち分を一気に…」


オシオの背後、14畳程の和室には3柱の青年達が座って喉から騒音を奏でていた。

集中力をかき消されたオシオは「ああ、また始まったな」と眉間を押さえながらため息をついた。

もう慣れたものだと思っていたけど、やっぱりうるさいものはうるさい。


「さて、次はどうする?麻雀か、丁半か?どうせまた俺様の勝ちだがな」


オールバックで、遊戯ゲームの一人勝ちという美酒に酔っているのは大戸日別神オオトヒワケノカミ。3柱の中では一番上の兄だ。イカサマ疑惑を否定も肯定もせず悪びれない不敵な笑いが似合っている。


「おお上等じゃねえの。何なら今度はてめぇのイカサマの証拠しっかり押さえて、落とし前にエンコ詰めてやってもいいんだぜ?」


長い髪を後ろで結んでいるのは天之吹男神アメノフキオノカミ。ヒワケの一つ下の弟にあたる。どうやら一番負けが込んでいるらしい。

瞳、眉、容貌のどれをとっても鋭利な印象を与える美丈夫で、そのキツさに拍車をかけているのが、やはり抜身の刃のような口調だ。


「勝ってたのは…勝ってたのは俺の方なのに…」


爪を噛みつつボソボソ呪詛を唱えているのは大屋毘古神オオヤビコノカミ。この中では一番下の弟だが、そう言われないと分からない位の威厳と風格を持っている。そして、彼を特徴づける雰囲気はその目にあった。白目に当たる部分は黒く、瞳に当たる部分は白い。


3柱ともオシオにとっては弟に当たる存在である。しかし彼らのドスの効いた声、厳つい顔を見るとあまりそうは思えない時がある。

オシオ自身はと言うと、ガタイもよく強面の彼らに引き換え、痩せっぽちで背も彼らより低い。おまけに髪は癖毛だらけで常に半分閉じている瞼。そして三白眼。冴えない男の見本市だ。

目つきに関しては別に特段意識している訳じゃない。無意識にこうなってしまっているので今更直しようがないのだ。

時折、自分のそんな顔を鏡や水辺に映してみるとその度に「彼らは本当に自分の弟達なのだろうか?」と疑わざるを得ない。


今でこそ侠客か何かと見まがうような彼らだが、そんな者達の過去にも大層可愛らしかった頃の姿が鎮座していた。

やかましいのは変わらないが、それでも今のようにオシオの胃痛の種になる程のものではなかった。むしろ、子供らしい元気さと無邪気さが肩を組んでいたかのようで微笑ましく、安心する程であったのだ。

それが今では背丈と比例するようにわんぱくさも肥大化したかのように見える。時の流れはあまりにも残酷なものであった。


「あのさぁ…盛り上がるのはいいんだけどもうちょっと声を落としてくれないもんかんねえ…?」


オシオは恐る恐る、背後の弟達に抗議の声明をあげた。

すると3柱は一斉に長兄の方に向いて「ア゛ア゛ッ!?」と声を揃えて睨んだ。


「あっ、はい何でもないデス、すいません…」

有無を言わせぬコーラスにオシオは一瞬で怯んでしまい、再び縁側に向き直り、空を見つめるだけのひととなった。

(はぁ~~~っ、困ったもんだな…)


オシオが天を仰いでため息をついた時、隣に誰かが座ってきた。


「相変わらずやかましい愚弟たちだこと」

その少女は赤と黒を基調とした少々毒々しさを感じる衣服を身に纏っている。うなじほどまで伸ばした髪も服と同じように黒々と輝き、程よい無秩序さを醸し出していた。それにアクセントを付けているのが彼女の頭をなぞるように綺麗な弧を描いた赤い髪留めだった。

「あれ、イワスヒメか。どうした?」

石巣比売神イワスヒメノカミと言う名を持つ少女はひざ丈ほどのスカートから覗くスラリとした美しい脚を組んでその上に頬杖を突くと鋭く無機質な黒い瞳をオシオの方へ向けた。

「別に。ちょっと空気を吸いたくなっただけ」


彼女もまた、オシオ達兄弟の一員であった。

それも、この一家の長女、すなわち今現在、茶の間で終わりなき賭博合戦を繰り広げている3柱の荒くれ者達の姉と言える存在だ。

例え歩く無法地帯と呼ばれるほどに手の付けられない彼らであっても、イワスヒメの威厳と発言力の前にはスッカリ大人しくなってしまう。と言っても後者を行使することはあまり多くなく、例えば彼女の拳がちゃぶ台を叩けば、壁を蹴れば、「あ?」と低く喉を鳴らせば、その空間の騒々しさを一気にかき消してしまうのだ。


「まあ、お前はあんまり外に出たがらないからね。いいんじゃないの」

ひと聞きの悪い事言わないでもらえるかしら?私は引きこもってるんじゃなくて、長女としてこの家の秩序を守るという使命に従事しているだけ」

「秩序を守る、ねえ…」

言葉をつづける前にオシオは背後で変わらず遊んでいる3柱の弟達を一瞥した。

オオヤビコが常勝のヒワケの一挙手一投足を見張り、フキオはことあるごとにヒワケの行動にイカサマと文句を付けては乱闘になりかける。

「説得力のある主張だね…うん」

オシオの納得はイワスヒメにささやかながらある程度の満足を与えたらしく、彼女に鼻を鳴らさせる。

だったらもうちょっと秩序維持に力を入れて欲しいな、とオシオは心で思ったものの、口に出す気にはなれなかった。

イワスヒメはため息をつくと頬杖をやめ、組んでいた足を解くとそれをブラブラさせながら天を仰いだ。

「まあいい加減になれてしまったけどね、不本意ながら。あいつらに毎度毎度気を揉んでいるようじゃ姉は務まらないもの」

「少しでいいからその胆力の強さを僕に分けてもらいたいよ」

「あら、長兄なのに軟弱者どもに強く出られないなんて兄さんも形無しね」

「簡単に言ってくれるよ。軟弱と頑強の水準に、お前の目という物差しを用いるべきではないんじゃないか?」

イワスヒメは、明らかに見下したように鼻で笑って答えた。

「ハッ、相変わらず甘いのね。ああいうのは一度バシッと言って上下関係ってものを見せつけてやらないと永久に舐められる続けるのよ。私をごらんなさいな。一度目上ってものを見せつけてやれば多少の事じゃ揺るがなくなるし、あのうるささも少しは微笑ましく思えるし、多少は手加減して取り分を分けてやる寛大さだって見に付くと言うものよ」

「ああそう…って、取り分?」

頭に疑問符を浮かべたオシオの声は呆けていた。

「ええ、毎回圧勝し続けるってのも大人げないかと思ってね。この前はヒワケが珍しくイキが良かったからちょっと勝たせてあげて早めに退散したのよ。でもまさかイカサマしてるとはね…。今度参加する時にそんな真似したら当然シメるけど」

「何だよ、君もあれやってるのかよ!」

オシオは衝撃の事実に珍しく大声で突っ込んだ。まさか彼女もこの喧騒の共犯者(いつもではないにせよ)だったとは。また一つ、胃痛の種が増えるようだ。

「姉たる私にイカサマ働くって事は、ナメてるって事。そんな狼藉者には生き地獄を味合わせてあげなきゃね?」

イワスヒメは、ぽきぽきと指を鳴らしながら右手を開いたり閉じたりした。

「ていうかお前、さっきもう慣れたとか揺るがないとか言ったばっかりじゃないか」

「あら、表には出さないってだけよ。あくまで冷静に、厳格に報復を与える主義なの」



オシオは思わず天を仰いだ。やはりイワスヒメもまた、自分達の家族だ。家族と言う間柄上、性格が良くも悪くも似てしまうのは普遍の現象ではある。しかしこんな所にまで神格的じんかくてき共通点が出てしまうのは、そして自分には彼らと似なかったのはどういう事だろう。

後の世に、「鶏が先か、卵が先か」という言葉がある。イワスヒメの恐ろしさ、容赦のなさにヒワケたちが神格的影響を受けたのか、彼らの物騒さにイワスヒメが毒されたのか、オシオは後々までこの不毛極まりない命題に幾度か悩まされ続ける事になるのだった。


「まったく…どいつもこいつもたまには静かにできんのか…」

庭に新たな神が現れた。黒く短い蓬髪、鋭い目つきに均整の取れた肉体の上から黒いノースリーブの上着を着ただけの上半身に、同じく黒く締まった細袴を履いた男神であった。

名を石土毘古神イワツチビコノカミという。


「イワツチか…お前も何とか言ってやってくれよ。一応兄貴なんだから。少なくとも僕よか言う事聞かせやすいだろうに」

イワツチはオシオの一つ下の弟であり、イワスヒメの兄、つまりこの中で2番目に有力な神である。しかし、その威厳ある凛とした佇まいと堀の深い顔立ちは、兄たるオシオと並べてみても抜きん出ており、彼こそがオシオを含めたこの兄弟達の実質的なリーダーと見られることも少なくない。


「俺だって何度か注意はしたさ。だがそうしたところで大人しくするような連中に見えるか?」

オシオは即座には否定できなかった。

「で、でもさ…努力はしようよ、努力は」

「努力した上で言ってるんだ、兄貴。そもそも俺は放任主義だし、それに、ここじゃあれ以外特にやることがないしな」

するとイワスヒメが横から口を挟んだ。

「私、イワツチ兄さんが麻雀やってたの見たわよ、飛ばされたのに文句タラタラ」

「イワツチィィィィィィィィィ!!お前もかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

オシオの慟哭が天にこだました。


オシオは先程とは反対に、溜息をつきながら思いっきり項垂れた。この家には常識神と言うものは存在しないのかと。ヒワケらは言わずもがな、彼らを御する立場であるイワスヒメはそれを放棄して悪ノリしだす。同じ立場で放任主義者のイワツチもこの有様だし。一番下の弟は末っ子ながら末恐ろしい程の(洒落ではない)統率力とカリスマ…に付与されてしまった暴れん坊ぷり。まだ小さい末妹は何考えてるのか分からない。あとは…と言う所でオシオの頭に両親のことが浮かんだ。


「そう言えば、親父とお袋は?いないみたいだけど」

「ついさっき出かけたわよ。島の外を探検しに」

「またか…、よく飽きないなああの二柱も。もう何度も歩き回ったろうに。いつまでも新婚気分が抜けてないみたいだし」

「まあこの国も広いからな。そうそう簡単に調べ尽くせるもんじゃない。いずれにせよ俺達『家宅六神』に出来るのは、しっかりとこの家の留守を守る事だ」


家宅六神。

イワツチビコから、ここにいない一番下の弟神までの6柱の神。

それこそが彼らに冠せられた名だった。

「留守番と言うか…それにかこつけて好き放題してるようにしか見えないのは、僕の気のせいなんでしょうか?」


「気のせいだ」

「気のせいよ」

二柱の冷徹さをも孕んだ即答は綺麗なコーラスを生み出した。

オシオはもはや突っ込む気にもなれず、頭をかいて再び天を仰いだ。そして兄弟たちの喧騒を聞き流しながら庭の向こう、眼前に広がる緑と海、そのどこかにいるであろう父と母に心の中で呼びかけた。

(父さん、母さん。お願いですからたまには早く帰ってきてください…僕の胃はそろそろ大変なことになりそうです)


そしてその願いは、風の中へと消えていった。


(ああ、我が家も前途多難だなあ…)

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