第21話 六華の想いと 学祭模擬店準備


 水曜日。


 教育実習生の最終の授業が終わったその日の放課後。


 『研修室』の扉がそっと開いてプリントの束を抱えた六華が顔を覗かせた。


「あの~、村崎先生。アンケートのプリント持ってきました。」


「あ、越路さんありがとう。」


 綾香が席を立って六華の近くに行く。


「あ、あの・・・ちょっと相談。良いですか?」


 ひそひそと六華がささやく。


「うん、なあに?」


「あの、ここじゃあ何なんで、渡り廊下の所、良いです?」


 綾香はプリント束を自分の机の上に置いて六華について行った。


「相談って?」


 綾香は落ち着いたふりをして、そわそわしている六華に声をかけた。


「あの。文化祭の最終日なんですけど。16時の終了後の片付けの時に紛れてって思ってたんですけど、片付け前に、みんなで集まって打ち上げ会を開催しようって流れになって来てるんです。」


「え? そうなの?」


 初めて聞く情報に、綾香も目を丸くする。


「はい、だから、その・・・タイミングがつかめない感じになってるので・・・バラの交換は、日曜日の彼の休憩時間にしようと、思うん・・・です。13時30分・・・」


 予定より早まった状況にプレッシャーを感じているのか、六華が顔を赤くして、たどたどしく話す。


「え・・・と。越路さんは調理班でしょ? 時間合うの?」


「あの、それで相談なんですが。先生は店舗の監督役ですよね。」


「うん。一応『副担任』だからね。」


「だから、その・・・10分、いや5分ぐらい調理に入ってもらえませんか? どっちに転んでもそのぐらいで戻って来ますから。」


「え? あの、お恥ずかしながら、料理はあんまり得意じゃあ・・・」


 言いかけて、真剣な六華の眼差しと、胸元で微細に震える握った手に言葉を留めた。


「・・・うん。わかった。それで越路さんが頑張れるなら。」


(あ・・・敵に塩を送るっていう状況よね、これ・・・)


「あ、ありがとうございます。」


 少し涙ぐんだ六華が笑う。


(うわぁ、かわいいなぁ。こんな純な子に惚れられるなんてあの色男・・・あ、でも・・・?)


「あの。越路さん。」


「はい?」


「彼とは中学からの知り合いって言ってたわよね?」


「はい。同じ白澤中です。」


「変なコト聞くけど、中学の時、その・・・なんだ。彼の方から・・・アプローチとか無かったの?」


「え?」


 六華の少し驚いたような表情に、綾香の心拍数が跳ね上がった。


「いや、その。ほら、越路さんかわいいから。多感な年ごろの男の子が仲良ししてたら、そういう気分にもなるんじゃないかなって思ったから。」


 綾香がなんとか取り繕おうと言葉を並べる。


「ああ。なんだ。誰かから聞いたのかと思いました。」


「いやいやいやいや。そんなことないです。ぜんぜんないです。」


 表情の緩んだ六華に内心ほっとした。


「えっと。お恥ずかしながら中三の時に・・・でもその頃は受験も目の前にぶら下がってたし、現実の男の子より芸能人の方が魅力的だったし・・・。今から思えばバカなことしちゃったなって。」


 恥ずかしそうに六華が遠くを見つめた。


「あ・・・そうなんだ。それじゃあ、その時は『袖にしちゃった』けど、今は本気で付き合いたいと・・・」


 綾香は、いろいろと頭の中を整理しながら六華を見る。


「うん・・・だから『いまさら』感がどうしても拭えなくて、すっごい不安なんです・・・どう思います?」


「そうねぇ・・・まぁどっちにしろ、彼が驚くことは保障するわ。でも勝算となると・・・」


「そっ、それを言わないでくださいっ・・・」


 そこまで言って六華が口ごもった。


「うん。越路さんが決めたことなら、がんばって。陰ながら応援するから。」


「はいっ、ありがとうございます。」


 心配そうな蒼い顔から笑顔へと変わる六華を見て、綾香も笑顔を返す。


(あ~あ。私もお人よしねぇ・・・)


「それじゃあ、その日、よろしくお願いします。」


「はい。まかせて。」


 機嫌よく六華は綾香に手を振って歩み出した。


 するとすぐにくるりと振り返る。


「あ、先生。」


「うん?」


「中学の時の話、ナイショにしててくださいね。」






 そして金曜日になり、朝のホームルームの時間。


 学級委員の義信が教壇に立って文化祭準備の件についての説明を行う。


「え~。それじゃあ、始めます。今日は知っての通り、2時限目が終わったら文化祭準備に入ります。みんなで机を隅に片して、大工班は内装設営、調理班は家庭科室でケーキとかの作成をお願いします。内装完成の目標は4時限目終了あたりで。昼食後にお店の段取りとか、接客の練習をしようと思います。質問は?」


 義信がクラスを見回す。


「はい。内装長引いたら?」


「せめて5時限目中で。先生から早く出来たら早く帰れるって約束だし。」


 義信の隣で担任の大岩がニヤリと微笑んだ。


「はい。接客は先生が教えてくれるんですか?」


「ああ。そこは接客業のバイトしてる一色くんがリーダーでやってもらおうと思います。良いよな?」


 義信の声に章浩が了承の声を上げる。


「メイド衣装は来ても良いの?」


「そこはお任せします。着てみて動きをつかんでも良いと思います。」


 一通り話しが進み、担任からの通達に代わる。


「大場が言ってたように、今日は文化祭準備がメインだ。早く出来たら早く帰れるが、焦ってケガしたら元も子もないからな。そこは注意するように。この文化祭、このクラスの良い所が発揮できる良い機会だと思うぞ。みんながんばってくれ。」


 綾香はこれが最後のホームルームか、と、ちょっと感慨に浸ってクラスのみんなの顔を見回した。






 四時限目終了のチャイムが鳴る。


 教室はパネル板のパーテーションで『ホール』と『キッチン』に区分けされて、施工を終えた大工班と内装のデコ担当の女子数名が自分たちの仕事の出来を眺めていた。


 ホールスペースは、白漆喰色を基調にダークオークの飾り板で装飾された「大正レトロ風」に構成され、教室の窓を利用してはめ込み式に作った飾り窓枠には、小洒落た布がカーテンをまとめる感じで左右に振り分けられて留められている。


 合わせた机には濃いブラウンのテーブルクロスが掛けられて、ランチョンマットとしてケミカルレースの布が敷かれている。




「あ、かわいい~♪」


 家庭科室から戻って来た調理班の女の子が、教室に入って来るなり感嘆の声を上げた。


「でしょ~。パーテーション巡らせただけとは思えない仕上がりでしょ? 椅子がいつものままな所は勘弁してね。後はそれぞれのテーブルセンターにお花を生けようと思ってるの。」


 デコレーション班の女の子が得意そうに『店内』を見回した。


「ちょっとごめんよー。通しておくれー。」


 入り口に立っている女子達の後ろから声がした。


 女子達がわらわらと道を開けると四人の男子が分解した柱時計のパーツを抱えて入って来た。


「おつかれ。やっぱり体育部はこういう時に頼りになるな。」


 ジャージ着で首にタオルを掛けて、電動ドライバーを片付けていた義信が顔を上げる。


「お、ちょっと見ない間に客席が出来てる。良い感じじゃん。お昼後に柱時計組み立てるからここに置いておいて良い?」


 章浩が黒板隠しに立てているパーテーションの前に立つ。


「ああ。だけど今その壁、傷付けたら大顰蹙だいひんしゅくモノだぞ。」


「分かってるよ。悪いけど、そこのビニール持ってきて敷いてくれるかい?」




 クラスのみんながキッチンスペースに集まって昼食を摂る。


 会議室から借りて来た調理台用の長机を寄せてお弁当を広げる。


 ちゃっかりと綾香の隣に陣取った章浩は、左隣の義信と話しながらお弁当の包みを開ける。


「ん? 一色の弁当、なんかかわいいな。愛妻弁当みたいだぞ?」


「あ。楓ちゃんめ。」


 お弁当を覗き込んだ義信の声に周りの女子が反応する。


「え? 一色くんのカノジョお手製?」


「家族だよ。お弁当作ってあげるから、明日学祭に行った時、何かサービスしてって。」


 綾香もそのお弁当を覗き込む。


 玉子焼きに唐揚げ、インゲンの和え物のおかずに、ごはんの上にピンクの鯛でんぷでハートマークが描いてある。


「うわぁ、愛情みちっ、て感じね。」


「どうりで、妙にノリノリだと思った。」


 恥ずかしそうに、章浩が苦笑いを浮かべる。


「その子って先週、表町商店街で一緒だった娘?」


 はす向かいの女の子がお弁当と章浩の顔を交互に見ながら話しかける。


「あ、見てたの? 一緒に義肢・・・ちょっと買い物に出てたんだ。明日来た時に、みんなにも紹介するね。その際、何かちょっとイロ付けてくれると嬉しいな。」




 手早くお弁当をかき込んだ章浩は席を立った。


「そんじゃ、バラした柱時計組んで来るよ。」


「おう、俺もすぐに行くよ。」


 義信が急いでお弁当をかき込むと、パーテーションに作った『通用口』をくぐって章浩の後を追い、他の男子もそれに続いた。


 こちら側には女子だけになって、メイド衣装の小物の話とか、シュガーポット等のカスターとかの話をあちこちで話し始めた。


「先生。あのね、実は学祭が終わった午後四時から、この店舗を壊す前にオツカレ会しようって話になったの。」


「それで、先生も実習最終日だから、先生のオツカレ会も兼ねようと思うんだ。参加してくれます?」


 希美と沙織が綾香の隣にやって来て綾香を覗き込んだ。


「あら嬉しい。そんなことしてくれるなんて光栄だわ。ありがとう。ぜひ参加させてもらいますね。」


 食べ終えたコンビニ弁当をレジ袋に包んで、綾香はにっこりと微笑み返した。


「あ、そうだ。伝統のバラ交換イベントについて教えてもらえる?」


「おおっ、先生もスキですねぇ。いいですよ。」


 希美と沙織はノリノリで綾香の隣に座り、すぐ近くの六華がそわそわと居心地悪そうに体を揺らせる。


「えっと。もうカレカノになってるヤツらは、学祭の最初から赤バラと白バラ交換して付けてるのがほとんどね。」


「そうそう。で、だいたい初日のお昼過ぎあたりから、赤バラの男子と白バラの女子の数が増えて来て、そんな連中が模擬店とか展示会場とかライブ会場とかに出没し始めるの。」


 楽しそうに二人は話し出した。


「どこで告るかは人それぞれなんだけど、中庭とか屋上とか三階の渡り廊下とかが多いみたい。」


「だから、ちょっと一緒に中庭行こうかって話になったら、いよいよな感じよね。」


「うん。意中の人なら心のガッツポーズよね。」


「へぇ、そうなんだ。ちなみにお二人さんは、どうなの?」


 綾香はこちらの会話に聞き耳を立てている六華を視界に収めながら、希美と沙織に微笑んだ。


「私は、ねぇ? あんまりその辺のご縁が無いから。それに服デザインして作ってる時が楽しいし。その点、沙織は期待大なんじゃない?」


「私? 私は、べつに。」


 きょとんとした沙織が希美を見下ろす。


「すっとぼけなくても。4組の神崎君だっけ? バレー部の部活の時、良い雰囲気って聞いてるよ?」


 ニヤリとした希美が沙織を見上げる。


「え、や、ちが・・・彼とは、話が合うというか、その、ほら備品管理も一緒にやってるし・・・」


 妙に慌てて、顔を赤くした沙織が両手をわたわたさせた。


「う~ん。青春だねぇ。せんせい、うらやましい。」


「や、先生まで・・・もう、私よりも六華が該当者でしょ?」


「うわっ、こっちに来た?」


 ビクっとなった六華が目を丸くした。


 希美と沙織がくいくいと手招きして、六華をすぐ近くに座らせる。


「さて、六華さんのプランを聞かせてもらえますかな?」


「なんで教授風?」


「いいじゃん。話してみなよ。協力出来る所は協力するし。ね?」


 六華はおずおずと頷くと小声で話し始めた。






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