第20話 そして夜が明けて
午前7時30分。
鴻池駅の一般車両用ロータリーに黒いワゴン車が止まり、後部のスライドドアが開いて章浩と綾香が下りて来た。
ワゴン車の助手席側の窓が開いて運転席の和樹が手を振る。
「和樹兄、ありがと。」
「お世話になりました。」
並んだ二人は手を振り返す。
ロータリーから高島駅方面に走り去るワゴン車を見送った二人は、お互いの顔を見合わせた。
「それじゃ、行こうか。綾香さん。」
「あ、あのね。章浩くん。」
「うん?」
「一緒にバスって、その、マズくない?」
「なんで?」
「え、その。学校の誰かに見られたら、誤解の元になるじゃない。」
「『誤解』じゃないから良いんじゃない?」
「それがマズいんですっ。」
綾香は目を剥いて詰め寄る。
「一晩『眠った』だけなんだから後ろめたいコト無いでしょ?」
昨晩のシーンを思い出して赤くなる。
(あんな生殺ししておいて・・・)
いたずらっぽく笑った章浩は手招きをして、綾香の先を歩き出した。
バスステーションの2番乗り場に並び、程なくしてやって来たバスに乗り込む。
オフィス街とは反対方向に向かう路線なのでこの時間帯は空いている。
乗っている学生の姿にビクっとした綾香も、スカートの柄が他校のものと判ると安堵の表情を浮かべた。
章浩に促されるまま後ろの方の席に並んで座る。
興奮してあまり眠れなかったせいか、バスの振動があくびを誘った。
「綾香さん、眠れなかったの?」
「え? ああ。ちょっとね。」
涙目で隣を見ると、上機嫌で微笑んでいる章浩の顔が飛び込んで来た。
「章浩くんは、調子はどう?」
「僕? しっかり休ませてもらったから、スッキリしてるよ。看病ありがとです。」
「そう。良かった。」
にっこりと微笑み返した綾香は、心の中のモヤモヤと戦っていた。
(くそぉ。かわいい顔して笑いおって・・・火つけておいて放置ってどんなプレイよ。)
「あの・・・綾香さんが寝不足気味なのは・・・僕があんなことしたから?」
「ううん、しなかったから・・・あ、あのっ。かっ環境が変わったからかな。ははは。」
ムラムラしっぱなしの綾香は口を突いて出た言葉を取り繕った。
(今日、クラスで授業受け持つのよね・・・無事に終われるかしら・・・)
三時限目。
章浩の視線になんとか耐え抜いた綾香は、授業を終えて『研修室』に向かっていた。
ちょうど廊下で穂莉と合流した綾香は一緒に研修室に向かう。
「どう? 村崎さん、調子は?」
「悪く無いよ。明日で授業を受け持つのが最後と思うと寂しいかも。秋山さんは?」
「私も。あとは、生徒たちと関われるのはホームルームと文化祭準備ね。そうそう、村崎さん。」
「うん?」
ちょうど研修室の扉を開けた綾香に、穂莉が続けた。
「シャンプー変えた?」
「!」
振り返って固まる綾香の表情を見て、穂莉が手を引いて室内に連れ込んで、ぴしゃりと扉を閉めた。
「何よ、その反応? やましいこと? ほら、喋ったらラクになるわよ~。」
「秋山さん、こわい。」
じりじりと迫る穂莉に後ずさりする。
「朝帰り?」
「ふっ、不可抗力ですっ。」
「おお。すごいじゃん。お相手は、やっぱり?」
赤くなってうつむく綾香の顔を、下から覗き込んでいやらしい笑いを向けた。
「~~~。・・・して、ません。」
絞り出した声に、穂莉が目をぱちくりさせて姿勢を正した。
「失敗したの? まぁ、童貞くんじゃしょうがないか。」
「そ、その行為自体に進まなかったのっ。」
「なんで。嫌だったの?」
「彼がね・・・途中やめに・・・って何言わせるのよっ!」
耳まで赤くなった綾香が目を剥いて穂莉に喰いつく。
「ああ~。それじゃ、村崎さん。欲求不満だね。だから今朝の朝礼で落ち着き無かったんだ。」
「えぇ? 判るぐらいだった?」
「何だか別のコト考えてるみたいだったよ。まぁ、今朝は大した通達じゃ無かったから聞き流しても問題無いと思うよ。」
お昼休みに女子たちが教室の窓側に集まってお弁当を広げている。
綾香もその環の中で歓談していた。
「先生と今週で最後なんですね。寂しい~。」
「うん。明日で最後の授業して、木曜日は実習生だけで最終の研修になるの。」
「じゃあ、明日で、もうクラスには出て来ないの?」
「金曜日の文化祭準備には顔出せるはずよ。まぁ体育館のイス並べとか学祭用の看板設置とかが終わった後になると思うけど。そうそう、衣装とかメニューとか大丈夫?」
今朝、登校前に近くのコンビニで買った唐揚げ弁当をつつきながら、綾香が女子たちを見回す。
「その辺は順調だよ。メイド役10名、執事役6名の衣装はほぼ縫い上がってるの。今日の放課後に仕上げアイロンと丈合わせして完成予定。で、学校の掲示板サイトに告知として、モデルズに着てもらって撮影してアップしようと思ってるんだ。」
「うん。メニューも問題無いよ。かわいい紙皿と紙コップホルダー手に入ったし、パンケーキをメインにしてるからバックヤードでじゃんじゃん焼けるし。金曜日に家庭科室使って、シフォンケーキ作る予定だし。」
ゴキゲンで女子たちは進行状況を自慢する。
「じゃあ、私が手伝えるトコは無いみたいだね。」
「そんなことないよ。アイロンとか丈詰めとか人手は多いほうが嬉しいな。センセお裁縫は得意?」
希美がお茶パックのストローをくわえて綾香を見る。
「あ、あはは。あんまり得意じゃない。」
綾香は引きつった笑いを浮かべる。
「ズボンの裾縫い。ダブル仕様にするからミシンは直線縫いで行けるよ?」
「その『ダブル仕様』ってのが、もう私からしたら魔法の領域だから。」
女子の環から笑い声が上がる。
しばらくおしゃべりが続いて、お弁当タイムも終盤に近付いた頃。
「そうそう、話ががらっと変わるんだけどさ。トモダチの話。恋バナね。」
「ほうほう。」
「長い事、幼馴染みに片想いしてる娘がいてね、その幼馴染みの男の子にキレイな女の子友達が出来たんだって。告白しようかと悩んでいた矢先にそんなことになって、その娘悩んでるんだってさ。どうアドバイスしたら良いと思う?」
恋バナに喰い付いていた女子たちから銘々の意見が上がる。
「それって時間掛け過ぎたんじゃない? やっぱ新鮮な方に流れやすいんじゃん。」
「ちゃんと想いを伝えれば良いんじゃないかな。悩んで見てるだけじゃあ、その女の子に取られちゃうよ。」
「男の子の気持ちがどこにあるのかも重要よね。」
わいわい言う中で、六華と綾香はちょっと発言を控えていた。
「そうだ、六華がちょっとシチュ近いじゃん? どう?」
「わ、わたし? 私は・・・そうなったら何も言えないよ。トモダチとしての彼と、恋人としての彼の両方をいっぺんに失うかも知れないから、こわい。」
本日の名言に、環のみんながちょっと静かになった。
その時、食事を終えた章浩がその近くに通りかかった。
「あ、一色くん。男子の意見も聞かせて。」
捕まった章浩は環の中に引き込まれた。
「・・・ふ~ん。そうだね。僕の意見だけど、ぽっと出の女の子と比べると、やっぱり長い付き合いしてる娘からの告白はぐっとくるものがあるね。この娘はそんなに長い間自分の事を想ってくれていたのかって思うと、愛しさが倍増する感じだよ。」
おお~。と女子たちが感心する中、綾香が目を見開いた。
(ちょっと待って。それって、越路さんが告ったら受けるってコトじゃない?)
ちらりと六華の方をうかがうと、口を結んで真剣な顔をした六華が短く頷いていた。
放課後、被服室で衣装チームと、メイド・執事の接客チームがほぼ出来上がった衣装を手にわいわいやっていた。
「あ、かわいい~。」
「チュールパニエって初めて見た。バレリーナみたい。」
「レッグオブマトンスリーブってこんな感じになるんだね。」
「ブリムの付け方ってこれで良いの?」
はしゃぐ女子たちから離れた大きな鏡壁の前に、執事役6名が衣装のスラックスの裾を折り上げて並んでいた。
衣装チームに混じって、綾香も裾上げ採寸の手伝いとして参加していた。
革靴に合わせて裾丈を調整して待ち針を打つ。
それが出来たら脱いでもらったスラックスを希美が3センチ幅のダブル仕様に折りたたんでアイロンをかけ、縫製担当の女子に渡す。
ミシンが終わるとダブルの裾にスナップを縫い付ける。
見事な流れ作業で着々と衣装が仕上がって行く。
「先生。足にピン刺しちゃ嫌だよ。」
「いくら裁縫苦手でも、そんなことしません。」
章浩の裾を調整しながら、左腕に付けた針山から待ち針を打つ。
「こんなんでどう?」
鏡に映った姿をチェックしながら章浩が背筋を伸ばす。
膝立ちになっている綾香もそのまま姿勢を正して鏡を見る。
綾香の顔の高さに章浩の股間がある。
(うわぁ。)
「もうちょっと長い方が良いかも。」
「そ、そう? それじゃ、ちょっと伸ばすね。」
慌てて綾香が腰を屈める。
(せっかくお昼で落ち着いてきたところだったのに・・・)
「あ、触っても良いですよ。」
「こ、こっ、こんなところじゃ触れませんっ。」
「いや、革靴。ソールの高さを合わせなきゃ。」
きょとんとした章浩が綾香を見る。
「あ、ああ。そうよねかわぐつよねかわぐつ・・・」
気恥ずかしさに顔を伏せた綾香は黙々と作業を進める。
「どう?」
「うん。ばっちり。」
章浩は鏡の前でくるりと回って見た。
「じゃあ、後は光岡さんに渡してね。」
「了解。あ、先生。」
「うん?」
「『こんなところ』って?」
「あはは。いいから早く行って行って。」
引きつった笑いを浮かべた綾香は、章浩を男子更衣室にしている準備室へと押し込んだ。
男子女子共に衣装の最終調整が終わり、着替えて一同が揃う。
「おお~。全員揃うと圧巻だね~。」
希美はモデルズを前に感無量といった様子で頷いた。
「それじゃ、告知画像を撮影しますから並んでくださ~い。先ずは、メイドさんが真ん中でポーズして、執事さんが3・3に左右に分かれて囲う感じで。」
「おお、さすが写真部。手馴れてるね~。」
スマートフォンを手にした女子がテキパキと指示をしてショットを撮影して行った。
「どう? センセ。ウチのTOP6の男子画像。」
男子が着替えで席を外した時、スマートフォン画面に執事のみのバージョンでの画像を映し出して綾香に見せた。
「すごい、華やかな感じね。」
主に章浩に目をやった綾香がつぶやく。
「それ、待ち受けにするからちょうだい。」
覗き込んでいた他の女子から声がかかる。
「うん、良いよ。あ、今買い出しに向かった六華にも送ってやろ。」
そうこうしてるうちに男子が着替えを終えて準備室から出て来た。
「おつかれ~。じゃあ、衣装は個人でちゃんと管理してね。汚して当日に恥かくのは当人なんだから。」
「わかったよ。あ、アームクリップってさ。一色が持ってるようなヤツに変更しても良いかい?」
義信は希美の方を振り向いた。
「うん、給仕の妨げにならない範囲ならアレンジしてもらって構わないわ。」
「了解。一色、あれ、予備あるかい?」
「あれはPEPPER=LANDの備品なんだよ。まぁ、いくつか持ってるけど。無くさないでくれよ?」
章浩がパックの中からビニールのジップパックに入ったアームクリップを取り出して渡した。
「さんきゅ。」
「そうだ、せっかくだからやってみたいことがあるんだ。一色くん。協力おねがい♡」
うふっと希美がかわいく微笑む。
「なんかそう言う顔する時って、妙なコト企んでるときなんだよなぁ~。」
「いいじゃん。年一のお祭りなんだしさ。え~と身長が合うのは・・・沙織。ちょっと耳貸して?」
凸凹の二人が何かごしょごしょと話しをして、お互いがニンマリと章浩の方に笑顔を向けた。
「ただいま~。ちょっと手間取っちゃった。」
六華が数名の女子と一緒に被服室に入ると、被服室の中では撮影会が行われていた。
「盛り上がってるね。執事画像の時から撮影会してるの?」
六華が希美に声をかける。
「見て、六華。」
指差す方向には、見慣れない背の高い女子が恥ずかしそうにポーズを取っている。
薄くメイクした面立ちには、どこか見覚えがある。
「え? いっくん?」
「やあ、お帰り、りっちゃん。」
メイド姿のその子がひょいと手を上げる。
「あ、その自然な表情もイイ。」
パシャパシャとスマートフォンの撮影音が響く。
「な、何してるの?」
「やっぱり一色くんて、こういうの似合うと思ってたんだ。メイド喫茶に決まってから画策してたんだよ。」
ぽかんとする六華に希美は満足そうに答える。
「先生は?」
「村崎先生なら、がぶり寄りで撮影してるよ。ほら、そこ。」
最前列でスマートフォンを掲げる綾香は、カメラマンよろしくいろいろな角度で構えて指示を飛ばしていた。
「もうちょっと上を向く感じで、手は顎先に、で、腰を少し沈めて。そうそう。で目線はこっちへ流す感じで・・・そうっ!」
『綾香さん。ノリノリだったね。』
午後7時を回って章浩から電話がかかって来た。
「だって章浩くん可愛いんですもの。この機会を逃すテは無いわよ?」
『喜んでいただけたなら光栄です。そう言えば、明日で綾香さんの授業は最後かぁ。何だか寂しいな。』
「そうね。三週間の研修期間も振り返ってみればあっという間ね。」
綾香は壁に掛かっているカレンダーを眺めて、憂鬱に『実習開始→』と赤線で書き込んだ時を懐かしく思い出した。
『ま、晴れて綾香さんは大学生に戻って、何の気兼ねも要らなくなるから、僕としては嬉しいけど。』
楽しそうな章浩の声が耳元に響く。
「・・・あの。今日のお昼、憶えてる?」
綾香は神妙な口調で切り出した。
『うん。綾香さんは唐揚げ弁当で、僕はトンカツ弁当。』
「いや、そうじゃなくて。女子の話に章浩くんが連れ込まれた時の話。」
『うん。恋バナだったね。それが?』
「あの・・・章浩くんの恋愛観。やっぱり『ぽっと出』な女は・・・響かない?」
変な手汗をかきながら綾香が話す。
『あ、あれ気にしてたの? あれはそのシチュエーションで話しただけで、付き合いが浅い女の子は嫌とか言う話じゃないから。』
「でっでも、そういう状況になったら章浩くん、グラっと来ない?」
綾香は落ち着き無く部屋をうろうろし始めた。
『綾香さんが思ってるほど僕はモテないから大丈夫だよ。女の子友達は多いけど、そういう感じの子っていないから。』
「え、いや、でも・・・」
越路さんが文化祭で告りに行くのよと出そうになるのを抑えながら、綾香は無意味に腕を振り回していた。
「あの、もう、ぶっちゃけ、越路さんのこと。どう思う?」
『りっちゃん? 良い娘だよ。かわいいし、ノリも良いし。どうしたの? 好きなタイプ?』
少しおどけた章浩に、返す余裕も無く綾香は続ける。
「あ、あのね。もし、もしだよ。告られたらどうする?」
『りっちゃんが? いやいや、それは無いでしょ。』
(無い事は無いのよっ)
『まぁ、りっちゃんと一緒に居られるのなら悪くないけど、それは絶対に無いから。何か妙なコト吹き込まれたの?』
「ほら、悪く無いんだ。ぽっと出な私より越路さんが良いんだっ。」
感情的な綾香の語気に章浩は慌てた。
『あ、綾香さん、落ち着いて。何言われたか知らないけど、りっちゃんとは無いから。僕がフラれてるからっ。』
「・・・・・・え?」
意外な言葉に綾香が固まる。
「今、何て?」
『あ~・・・。僕の黒歴史になるから黙ってておきたかったんだけど。』
「えっと・・・?」
少し間が空いて、息を吸う音が聞こえた。
『中学の時、僕が告って見事に玉砕。「ごめん、オトモダチとしか見られないんだ」ってさ。』
「あ・・・そうな、の?」
『だから綾香さんは心配しなくて良いから。それより綾香さんの方こそ覚悟しててね、学祭最後の日曜日。僕の白バラ、ちゃんと受け取ってね?』
「あ・・・」
気分の乱高下に少し呆けた綾香は、再びカレンダーを見つめた。
カレンダーには『実習→』の赤ペンの最終日に、蛍光ペンで書かれた『章浩くん♡』の文字が躍っていた。
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