第19話 お泊り・・・



 19時を回り、和樹が帰宅した。


 せっかく夕飯を作ったのだからと綾香も食卓に加わる事になった。


「何から何まで済みません。村崎先生にはお世話になりっぱなしで。」


 部屋着に着替えてもバイザーを装着したままの和樹が、ペコリと頭を下げた。


「いえいえ。おかげで楓ちゃんともいろんなお話しが出来たし。」


和樹の隣に座る事になった綾香は、にっこりと笑って正面の楓を見た。


「うん。あき兄の学校の様子もいろいろと教えてくれたし。ね、ね、今週末の文化祭、行っても良い?」


 章浩の右隣りに座った楓がカレースプーンを片手に章浩を見上げる。


「土曜日なら良いよ。日曜日は最後に片付けとかで大忙しだから、置いてけぼりになっちゃうぞ?」


 章浩が優しい目をして答える。


「うん。解った。あ、今日はあき兄、左目入れてるんだ?」


「ああ。お客さんが居るんだからちょっとおめかし。」


 章浩は、はす向かいの綾香にウインクして見せた。


「そうだ、和樹兄。伊織いおり姉は?」


「ん? 今日は残業だって。夜勤の人のお子さんが熱出したんで、その代わりが来るまでのつなぎをしなくちゃならないそうだ。」


 和樹はカレーをもぐもぐさせながらチラリと壁に掛かっている時計に顔を向けた。


「いおりさん?」


「ああ。看護師なんだ。今年ハタチだから、綾香さんよりひとつ年下だね。あ、カレー旨いよ。」


 章浩がスプーンをくわえて綾香を見た。


「ありがとあき兄。」


 綾香が返事をする前に、楓が章浩の腕に自分の腕を絡めた。


(あ、楓ちゃんてブラコンだ・・・)


「こら、お客さんの前だぞ、はしたない。すみません村崎先生、いつもの食卓がこんな感じなんです。」


「ううん。私、一人っ子だから、みんなで食べるのって、すごく楽しい。」


 嬉しそうに綾香が答える。


 雑談しながら、そして綾香と章浩との会話にしょっちゅう楓が口を挟みながらの団欒の時が過ぎて行った。




「ただいまー。」


 玄関の方から声がして、廊下を歩く音が近づいて来る。


 食堂入り口にすらりと背の高い女性が姿を現した。


 ショート丈の、オリーブグリーンのベル・スリーブの半袖ブラウスに、細かいアコーディオンプリーツの7分丈のワイドパンツ。


 長めの髪を後ろで束ね、くりくりとした目が印象的な美人さんが綾香の姿を見てにっこりと笑って会釈した。


「あら、お客さん? どうりでいつもより賑やかだと思った。はじめまして。私、山本やまもと伊織いおりといいます。よろしくです。」


「あ、はいっ。村崎綾香です。章浩君のクラスで教育実習をさせてもらってます。」


 綾香はぴょんと立ち上がってぺこりとお辞儀をした。


「ああ。あなたが『あやかさん』ね。おウワサは、かねがね。」


 ちょっといやらしい笑みを浮かべて、伊織は口元を隠した。


「伊織姉。今日のカレーは楓ちゃんと綾香さんが作ってくれたんだ。」


「そうなの? すみません。お客さんに雑用させちゃって。」


 綾香より年下という話だったが、精神年齢的にもだいぶオトナに見える。


「いえいえ。楽しませてもらったからお礼を言うのはこちらの方です。」


 自分より大人っぽい体つきに気後れしながら、綾香が笑顔を返す。


「伊織ちゃん。帰宅早々で悪いんだけど、もう少ししたら俺は村崎先生を駅まで送って行くから、みんなの守もりをお願い出来るかい?」


 和樹は入り口の方に顔を向けて伊織を見る。


銀色のバイザーが電灯を反射して光る。


「ええ、いいわよ、かずくん。もう暗いから、バイザーを替えた方が良くない?」


「ん、そうだね。それじゃ、ちょっと支度して来る。」


 和樹は自分の食器を流しに持って行くと、いそいそと食堂を出て行った。


「綾香さん? 今度はじっくりお話ししたいものね。またいらしてね。」


 和樹が座っていた椅子に伊織が腰掛けて微笑む。


 はらりとはだけたベル・スリーブの隙間から、二の腕を真横に走る数本の鋭い切り傷の跡が覗いた。


(!・・・この人も、いわくアリなんだ・・・)


「は、はい。・・・って言っても、そんなにちょくちょくお邪魔しちゃあご迷惑じゃ?」


 チラリと章浩に目をやる。


「うん? 綾香さんなら大歓迎だよ。なんなら今日、泊って行く? 空き部屋ならひとつあるし。ね?」


「それ、佑理ちゃん・佑美ちゃんの泊り部屋でしょ? それに綾香さんのプライベートな用事とかもあるのよ。ムリ言わないの。」


 伊織が章浩をたしなめ、章浩は肩をすくめて苦笑いを浮かべる。


「いろいろお気遣いありがとうございます。今度来る時は、何か手土産でもお持ちしますね。」


「やった。じゃあ、この辺じゃ珍しいお菓子とか嬉しいな。『東京ばな奈』とか『山吹色のお菓子』とか?」


「こら楓、調子に乗らないの。そんなお気遣い無く、気軽に遊びに来てやってください。章浩も喜びます。ね?」


「へへ。」


 照れ笑いを浮かべる章浩の隣で、楓があからさまに不満げな顔をする。


「それじゃあ、ちょっとおトイレお借りします。」


「はい。階段の前の扉がそうです。」




 綾香が階段の所へ行くと、ちょうど和樹が手にもう一つのバイザーを持って降りて来ていた。


「すみません。ちょっとお借りします。」


「ああ、どうぞ。」


 和樹は体をかわしてお手洗いの扉の前を譲る。


「あの・・・そのサングラス・・・?」


 気になっていた綾香は声をひそめて和樹を見上げた。


「ああ、これね。実は視力に問題がありまして。強い光や自然光が苦手なので、この特殊偏光バイザーで可視光線を調整しているんです。よくお客さんからもツッコミが入るんですよ。」


 手にしたバイザーをひょいと掲げてニッコリと笑う。


「そんな理由があったんですね。済みません無神経に聞いちゃって。」


「いえいえ。慣れてますから。それじゃ、準備が出来たらお送りします。どうせなんで鴻池駅までお送りしますよ。」


 和樹はそう言うとバイザーを手に、洗面台のある廊下を挟んで正面の脱衣所へと入って行った。


(そうか、ここのみんなは何かしら抱えている人達なんだった。でもみんな良い人ね。仲良くなれそう。)




 お手洗いの扉を開けるとかなり薄暗い照明が脱衣所に灯っていた。


(常備灯? にしては暗いわね。)


 何の気なしに、綾香が開け放たれている脱衣所の入り口から洗面台のほうを覗く。


 洗面台の鏡の前には和樹が立っていて、バイザーをコットン・シートで拭いていた。


 入口の気配に和樹が顔を上げて、そちらに顔を向けた。


「ひぃっ、きゃあああっ。」


 叫び声を上げた綾香は、そのまま廊下に崩れ落ちた。


「あっちゃぁ~。思わずやっちまった・・・」


 綾香の叫び声に食堂のみんなが駆けて来た。


「悪い。モロに素顔を見せちまった。」


 和樹の顔の真ん中に、ちょっと大きめな一つの目がぱちぱちとまばたきをして、済まなそうに章浩を見つめた。




 鋭く息を吸い込んで綾香は上体を起こした。


 周囲を見回し状況を分析すると、オレンジ色のナツメ球の電灯が灯る部屋のベッドで寝ていたらしい。


 跳ね起きた際に、掛布団が膝の方へと捲れて落ちた。


 寝起きの回らない頭でいろいろと考えてみる。


(え~と。章浩くんと和樹さんに同行してお家まできちゃってたのよね。それでカレー作って、みんなで食べて、帰り支度を・・・)


 夜目に慣れて視界がだんだんとクリアになってきた。


 上体を起こしているベッドの左隣に見慣れた男の子の寝姿があった。


(うん、やっぱり章浩くんの家で、ここは章浩くんの部屋で・・・)


「ええっ?!」


 左隣を凝視して固まった。




「ん・・・綾香さん、気が付いた?」


 右目を開けた章浩が同じように上体を起こして綾香に並んだ。


「え? え? え? な・・・どうして?」


 綾香は思わず体を探る。


 服はみんなと団欒した時のままで、ブラも下着も付いている。


「先に言っておくけど、何もしてないからね。妙なコトしたら楓ちゃんから絶交するって宣言受けてるから。」


「あの、わたし・・・?」


「和樹兄が謝ってたよ。素顔見せちゃってゴメンって。」


「あ・・・やっぱり、あれ、和樹さん?」


 薄暗がりの中の『一つ目小僧』を思い出して綾香は鳥肌を立てた。


「和樹兄は『単眼症』で産まれたんだ。ご両親に誕生は伏せられて特殊養護施設・・・まぁ、和樹兄の言葉で言えば『研究施設』で育って、ここに移って来たんだって。」


「そう・・・なの・・・」


次から次へと今まで予想もしていなかったコトが起こり、綾香はふぅと息を吐いた。


「和樹兄の外見でバケモノ呼ばわりしないで欲しいんだ。ちゃんと僕に生き方を諭してくれた頼れる兄さんなんだよ。」


 すぐ目の前で、真剣な顔の章浩が語る。


「うん。私にその知識が無かったから驚いただけ。和樹さんを嫌悪とかしないから安心して?」




 にこりと微笑んだ綾香は、目の前の章浩が一緒に寝ていると言うコトにようやく気が付いた。


「うあ・・・あの、一緒に・・・寝てた?」


「うん、開いてるベッドが無かったし、寝袋なんて持ってないから。それに今度は僕が綾香さんの寝顔堪能させてもらっちゃった。」


 いつもの、綾香をからかうような調子で章浩が答える。


「綾香さん、ほっぺ、ぷにぷにしててかわいかった。」


「こ、こら。妙なコトしたら楓ちゃんから絶交なんでしょっ?」


「うん。和樹兄からコンドーム貰ったけど使ってないよ。」


「あっ、あたりまえですっ。寝込みを襲うような子に教育した覚えはありませんっ。」


 目を剥いた綾香は、耳まで熱くなったのが判った。


「あはは。まだカレカノになる前だもんね。お楽しみはそれからってことで。」


 章浩はぽんと綾香の肩を抱いた。


「うぅ・・・ホントにカノジョとか居なかったの?」


「ホントですよ。だからここから先、どうして良いのか判らないんですよ。」


「んっ?・・・・・・」


 章浩はそのまま肩を抱き寄せて唇を重ねた。


 体をねじって綾香の両頬に手を添え、上唇を挟む。


「ん・・・はぁ・・・」


 舌先を少し開いた綾香の口の中に挿しいれ、そのままそっと体重をかけて枕に倒す。


「うん・・・あ・・・」


「綾香さん・・・」


 綾香の上に重なった章浩が唇の触れる距離でささやく。


「あぁ・・・あきひろ、くん・・・」


 そっと章浩の手が綾香の胸に触れる。


 ブラ越しにぎこちない手の感触が伝わり、綾香はもどかしくなって身じろぎをした。


「あ・・・ん。だめぇ・・・」


(うわぁ、体が熱い・・・私、求められてる・・・)


 布ずれの音が聞こえない程、自分の心音が耳元で響く。


 章浩の唇が綾香の耳たぶにやさしく触れた。


「もう夜中の2時だから、今日は泊って明日一緒に学校行こうか?」


「ええっ?!」


 一気に現実に戻った綾香は大きな目をさらに見開いた。


「ふふ。おやすみ、綾香さん。良い夢見られそうだよ。明日もよろしく。」


 章浩はぽふっと隣の枕に横になって、掛布団を引き上げて綾香にも被せた。


「ちょ・・・ちょっとぉ・・・」


 全くの不完全燃焼感に、綾香はモヤモヤしたまま隣の章浩の嬉しそうな笑顔を見つめた。






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