第18話 ガールズ・トーク


 章浩は安心した表情のまま、規則正しい静かな息をしている。


 むきゅっと綾香の手を握っていた右手の力が抜け、右目がぴくぴくと動いているのが見えた。


(寝ちゃったのね・・・)


 真上から章浩の顔を覗き込む。


 義眼を外した左眼窩は落ちくぼんでいたが、それでも整ったキレイな顔に綾香はしばらく見惚れた。


(キレイな顔・・・まつ毛も長いんだぁ・・・)


 じっと寝顔を見ていると、オレンジがかった唇がぴくぴくと動いた。


(男の子なのに、ぷっくりとした唇してるのね・・・)


 下校前の教室で、この唇とキスしていた事を思い出して赤くなった。


 落ちて来る長さの髪じゃなくて良かったなどと思いながら、左手を枕に突いて、そっと顔を寄せる。




 ふと視線を上げて、部屋の引き戸の方を見る。


 少し開いた隙間から、きょろりとした目がこちらを見ていた。


「!」


 もろに目が合って思わず飛び退く。


 覗いていた目が隠れて、引き戸がからからと開いた。


「あ、どぉも~。お邪魔だった?」


 はにかんだ表情の楓が顔を覗かせた。


「う、ううん。今、章浩くん、寝付いたトコ。」


 心臓をばくばく言わせながら小声で綾香が答えた。


「そうなんだ。いきなりの事なんで、あき兄に何があったか教えてくれると嬉しいな。一階の私の部屋に来てもらって良い?」




 手すりを伝いながら義足の楓がコツコツと階段を降り、綾香もそれに続く。


 階段を降りて廊下を奥へと進み、食堂と思われる広間の前を過ぎ、2つ目の部屋の引き戸の前に立った。


 扉にはウッドピースのアルファベットで『KAEDE』とデコられたボードが掛かっている。


「どうぞ、散らかっててゴメンだけど。」


 6畳ほどの部屋に机、タンス、ベッドが置かれ、ペールピンクのかわいらしいタンスの上にはUFOキャッチャーの景品のような小さなヌイグルミがころころと並んでいる。


 カーテンも淡い色の花柄で、寝具も白を基調としたペールトーンでまとめられている。


 ベッドの上には、部屋全体の可愛らしい雰囲気とはそぐわない、真紅にラメが散らされたエレキギターが無造作に置かれて、その横には楽譜本がページを開いたまま伏せられていた。


「あ、ゴメン。滅多に人なんて呼ばないから。ギターどけるからベッドにでも腰掛けて。」


 ちゃかちゃかとベッドの上を片付けると、そこへぽふっと座った楓は隣をぽんぽんと叩いて微笑んだ。


「おじゃまします。」


 おずおずと綾香が腰掛ける。


「え、と、村崎さん?」


「あ、はい。村崎綾香です。」


「あやかさん、か。そう言えば、あき兄が最近その名前言ってた。」


「そうなの?」


 綾香は嬉しくなって頬が緩む。


「ぶっちゃけ、付き合ってるの?」


「え、いや、その、今は良いお付き合いというか、友人・・・う~ん・・・」


 自分でもどう説明したら良いか分からなくなり、言葉に詰まる。


「今は・・・か。なんだか煮え切らないのね。」


「・・・ごめんなさい。」


「別に謝って欲しい訳じゃないから。えっと、綾香さん、あき兄に何があったか教えて?」


 綾香は問われるままに、章浩の加害者の男性との遭遇の件を話した。




「・・・そっか。あき兄が『いつかぶっ殺してやる』って言ってたヤツが来たのか。」


「そんな事言ってたの?」


「うん。インターネットで鉄てつ鏃やじりとか買ってた。」


「ええっ?」


(そう言えば、弓のこと『身に付けたら役に立つスキル』だって言ってたっけ・・・)


 思い出した綾香は蒼くなった。


「ま、ホントにそんな事したらマズいってのは解ってるはずだよ。あき兄、バカじゃないから。」


 ベッドに腰掛けた楓はちょっと後ろに体を倒した。


 義足の銀色のシャフトが光った。


「綾香さんは『普通』の家庭のひと?」


「えっと、普通って?」


 こちらの目を覗き込むような視線に、綾香の目が泳ぐ。


「親から殴られたり、水風呂に投げ込まれたり、熱湯を脚にかけられたりとか、無い家庭?」


「ゲンコツぐらいはあったと思うけど、その他は無いはずよ。」


 綾香は目を見開いた。


「そっか。やっぱりそういうのが『普通の家庭』なんだね。気楽そうで良いなぁ。」


 楓は両足をぶらぶらとさせてつぶやいた。


「私ね。何ひとつまともに出来ないダメな娘って母さんから言われてたんだ。」


「え・・・?」


「小学校二年の時だったかな。母さんが夜のお仕事に行く前に、台所に立ってる母さんの足にお茶をこぼしちゃったのね。その時、母さん、湧いていた鍋を私の右足に投げつけたの。『熱い。これから出かけるのに何てことするの、この娘はっ! ホントに役に立たないんだからっ!』って。」


「そんな・・・」


 生々しい虐待の様子に息を飲む。


「その時は私が悪い事したから、その罰だって思ってたの。母さんが痛がって泣いてる私を置いて着替えて出て行って、私はとにかくお風呂場で火傷を冷やしてみたんだけど。」


 楓はひょいと義足を伸ばした。


「月曜日に学校に行ったら速攻で保健室に連れられて行って、そこから知らないオトナの人が数名やってきて、なんかお役所みたいな建物行って、病院行って、警察の人が来て、あの日一日、目まぐるしかったな。」


 ぱたぱたと足をぶらつかせる。


「楓ちゃん・・・」


「で、右足がこんなのになって、前居た施設からこっちに移って来たの。母さんが接触しないようにするためって理解できたのは4年生になってから。で、ここであき兄と出会ったんだよ。」


 すごい事を言いながらも楓は懐かしそうに笑った。


「あき兄。出会った頃は左目を前髪で隠してたんだ。そうだ写真見る?」


「え? いいの?」


「うん、ちょっと待ってね。パソ起動させるから。」




 ノートパソコンを引っ張り出した楓は、枕の上に展開してウインドウを開いた。


 USBフォルダーから画像を開く。


「ほら、これ。あき兄が小六の時。」


 トウモロコシの畑をバックに、伸ばした髪が左の顔面を覆っている男の子が、おかっぱ頭の女の子と肩を組んで写っている。


「あ、鬼太郎。」


「はは。それガッコでも言われたって。左目を作って入れるようになったのは中学に入ってからなんだ。」


 笑いながらカチカチと画像を繰って行く。


「ほら、これが入学式の時。一緒に校門で写したの。」


 詰襟に小ざっぱりとした髪型の男の子と、セミロングの楓が並んで微笑んでいる。


「あ、この頃から雰囲気あるのね。」


「でしょ。あき兄、キレイでしょ? 髪型変えたら別人みたいになってね。」


 得意げに楓が綾香を覗き込む。


「一緒に生活始めてから6年、あき兄、優しくしてくれてるんだ。ガッコのみんなや先生たちも親切だけど、どこかに『かわいそうな子』な感じがするから嫌だったの。その点、あき兄は特別視なんかしない態度で接してくれてるんだよ。」


「うん。彼、そういう優しさ持ってるから。」


「だからね。」


 楓がにっこりと笑って綾香に顔を向ける。


「うん?」


「あき兄と『遊び』ならやめて。」


 真剣なトーンですごまれた綾香は表情が凍る。


「あ、遊びじゃ、ありませんっ。」


「あき兄ね。目を潰されてから、ほとんど実のお母さんと会えてないんだ。お母さんも顔に大ケガしちゃったし。」


「・・・うん。」


「だからオトナな女の人に憧れがあるんだと思うの。」


「・・・そっか。」


 それを聞いて、章浩の懐く理由の一つが理解出来たような気がした。


「・・・さっき、あき兄にキスしようとしてたでしょ?」


「!」


「あき兄をテクで篭絡させて囲うつもりなら、私は認めない。」


「て、てて、てくって中学生がそんな事を。」


 慌てた綾香が目を剥いて両手をあわあわさせる。


「・・・違うの?」


「いや、されてるのはこっちと言うか・・・その、あの。」


「え? あき兄が?」


「あ、あの・・・なんて言ったら良いか・・・でもね、遊びとかちょっと良いトコつまみ食いしてやろうとか、そんなんじゃないコトは分かって?」


 綾香は真顔で楓の目を見つめた。


「うん。そう言う事なら解った。あき兄が誰を最終的に選ぶかは、その時だもんね。」


 六華の顔がよぎった綾香は、ちょっと引きつった笑いを浮かべた。


「そうだ、綾香さんてさ、料理出来る?」


 痛い所を突かれて顔が固まった。


「その顔じゃ、得意じゃなさそうだね。カレー作ろうと思うんだけど一緒にどう?」


「あ、カレーぐらいならなんとかなりそう。」


 ちょっとほっとして表情が緩む。


 楓に促されるまま、二人はキッチンのある大広間の方へ歩いて行った。


「あき兄、カレー好きなんだよ。」


「ホント? じゃあ、がんばって作らなきゃね。」






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