第17話 眠りにつく前に
校内放送の呼び出しがかかり、正面入り口に綾香が向かう。
そこにはダーティーブロンドの髪を軽く立たせた、サイバーな雰囲気のサングラスを装着した青年が立っていた。
スタートレック・ネクストジェネレーションの登場人物『ジョーディ・ラ・フォージ』のサイバネティック・バイザーのような、こめかみから両目をぴったりと覆う形のアイテムが、オレンジがかった銀色に光を反射している。
「村崎先生と言うから、もしかしてと思ってましたが、やはりそうでしたか。お久しぶりです。遠藤えんどう和樹かずきです。」
バイザーの青年はにっこりと笑って頭を下げた。
「ああ、ライブハウスで。その節はどうも。」
綾香も意外な顔見知りに驚いた。
「早速ですが、章浩は?」
「はい。保健室で横になってもらっています。ご案内します。」
中館一階の保健室に入った二人は遮光カーテンの前から声を掛けた。
「章浩くん。来られたわよ。和樹さん。」
「章浩。開けて良いかい?」
「ああ。和樹兄。わざわざごめん。」
返事と共に和樹がカーテンを開ける。
横になっている章浩の顔色は、先程よりかは良くなっているが、まだ白さが残っている。
「大丈夫か? 顔色が優れないぞ。」
「え? 顔が優れない?」
章浩は冗談めいた口調で両頬に手を添えた。
「お前が言うと嫌味になるぞ。だいぶ気分は戻って来たみたいだな。良かったよ。立てるか?」
「ああ。仕事邪魔しちゃったね。」
「そんなの気にするな。」
和樹が手を引いて、ベッドから立たせる様子を綾香は見入っていた。
「大丈夫? 歩ける?」
綾香がすぐ傍に駆け寄り、それを見た和樹が綾香に向き直った。
「村崎先生。この後予定はありますか?」
「え~と、特には。一色くんについていてあげるようにと指示があったぐらいで。」
「それじゃあ、虫の良い話かも知れないんですが、同行お願いしてよろしいですか? もしもの時、運転中では対処しきれない。」
和樹のバイザーが斜陽を反射して光る。
「あ、はい。その旨を伝えて直帰させてもらえるようにします。」
急いで保健室を出る綾香見送った和樹は、章浩に向かってニッコリと笑った。
「どうだい。兄ちゃんの交渉術も捨てたもんじゃないだろ? 感謝しな。」
章浩は照れ笑いを浮かべて頬をぽりぽりと引っ掻いた。
『タチバナ楽器堂』と車体の横に書かれた白いワゴン車が、橋を越えて川南地区の果樹園の脇を走って行く。
柿の林が植わっている一角を過ぎて、築垣つきがきに囲まれた古民家な感じの建物の前に着いた。
ワゴン車から降りた和樹は、寺社の参門のような黒い木製のゲートの前に立ち、柱のタッチパネルを操作する。
扉が左右にスライドして、門の向こうのコンクリートの地面が姿を現した。
古民家の玄関先にワゴン車が横付けされ、三人が降り立つ。
章浩が玄関横の「指紋認証システム」の挿入口に人差し指を入れると、ピッという電子音と『認証しました』の合成音声が流れた。
(ここが章浩くんのお家か・・・)
開いた引き戸をくぐり、玉砂利敷きの広めの玄関から中を覗くと、年期ものの柱や黒光りする板張りの廊下が白漆喰の壁にレトロなコントラストとして目に飛び込んで来た。
向かって左に客間らしき大きな部屋があり、正面には朱と黒塗りの格子で飾られたアクリル障子、板張りの廊下は右に向かって伸びている。
「お帰り~。あら、お客さん?」
廊下を歩く音が近づき、ポニーテールの女の子がひょっこりと壁の陰から顔を覗かせた。
「あ、美雄高校の村崎といいます。おじゃまします。」
綾香がペコリと頭を下げる。
「ああ。この前ペッパー・ランドにギグ見に来てくれたひとですね。お久しぶりです。」
ニコリと笑ったこの女の子、北原きたはら楓かえでは壁際から玄関の方へと歩み出た。
グレーのパーカー付きの半袖Tシャツに短パン姿の彼女は、いつもと様子の違う章浩に気が付いた。
「え? あき兄、どうしたの?」
足早に近づく彼女の右脚に、綾香の視線が止まった。
白いソケットに金属の棒と靴の木型のような足パーツの付いた義足が、右ひざ関節下に装着されている。
「ああ。ストレス性ショックだ。章浩を休ませてやってくれ。」
傍らに立っている和樹が楓の顔を覗き込む。
トレードマークの銀色のバイザーに楓の顔が映り込んだ。
「うん。それじゃ、今日の夕飯当番は私が代わるね。階段上がれる? あき兄?」
「ありがと。それじゃ、自室で寝かせてもらうよ。」
ぽんと楓の肩を叩いて、章浩は少しふらふらしながら玄関を上がって廊下を歩き出した。
「章浩。先生に肩貸してもらいな。それと、村崎先生。」
「はい?」
「これから僕はすぐに職場に戻らなきゃならないんで、19時過ぎまで章浩の様子、見ていてもらって良いですか?」
「え?」
突然の話に綾香が目を見開く。
「え~。あき兄の看病なら私一人ででも出来るよぉ。」
楓が不満そうに口を尖らせる。
「楓ちゃんは家事とか宿題とかあるだろ? それに脚を新調したばかりだから、階段の上り下りは感覚がつかめるまで危ないよ。先生、お願い出来ます?」
「あ、あの・・・」
ちらりと章浩の方を見る。
照れ笑いを浮かべているが、やはり顔色は戻っていないように見える。
「章浩くんは・・・それで良い?」
「嫌だって言ったらバチが当たりますよ。」
不満そうな楓を尻目に、綾香に支えてもらいながら格子障子の部屋の横にある上り階段を一緒に上がって行く。
「かず兄。あのひと、あき兄のカノジョ?」
「さあな。なんだヤキモチか?」
「ち、ちがうもんっ。ちょっと気になっただけ。」
赤い顔をしてむくれる楓の頭を、和樹はぽふっと撫でた。
「じゃあ、兄ちゃんは仕事に戻るから。後は頼んだぞ。」
「うん、わかった。」
一度踵を返した和樹は楓の方にくるりと向き直った。
「そうそう、ヤボな邪魔はするんじゃないぞ?」
楓は斜め上に視線をやって、聞こえないフリをした。
木製の引き戸を開けて、六畳ほどの部屋に入った。
部屋の窓際にはノートパソコンの置かれた勉強机、壁際に参考書類の並んだ本棚。そして入り口側の壁にベッドが置かれている。
(うわ・・・章浩くんの匂いでいっぱい・・・)
どきどきしながら入り口付近に佇む。
鼻腔を浸食する香りに、頭がぼぅっとする。
「綾香さん。」
「はっはい。」
ベッドサイドの章浩は夏服シャツのボタンを外し始めた。
「え? え、え、え、えと、その・・・あの、あき、ひろくんは、休まないとダメでしょ? あの、いきなりそんな・・・」
生唾を飲み込んで綾香がしどろもどろに慌てる。
「うん、着替えるから向こう向いてて?」
「は? ああ、き、着替えるのよね。うん、じゃあちょっと外で待ってる。」
期待を裏切られたような感覚を恥ずかしく思いながら、ぎくしゃくと綾香は部屋の外に出た。
(ふぅ・・・焦った。私、なに考えてんだろ・・・)
しばらくして部屋の中から呼ぶ声が聞こえ、綾香が恐るおそる引き戸を開ける。
ブルーのパジャマ姿の章浩が、左目をウインクしたままこちらへ微笑んで立っていた。
「どうぞ、この椅子とか適当に使ってもらって良いから。」
ベッドサイドに引っ張り出された椅子を指して、章浩はぽふっとベッドに腰掛けた。
「う、うん。ありがと。」
部屋を見回すと、椅子を外された勉強机の上のガラスコップに『眼』が沈んでいるのを見つけ、思わず凝視する。
「あ、ごめん。いつも忘れないように『見える』ところに置いてるんだ。気になる?」
「え・・・と。まぁ、私の部屋には無いものだから、正直言うと・・・ね。でも、その、悪い意味で、じゃあないのよ? これも章浩くんの一部なんだし。」
「うん。ありがと。綾香さん、そう言うと思ってた。」
嬉しそうに章浩は笑った。
かなり顔色も戻ってきている。
「せっかく部屋に来てくれたのに、何もお構いできなくてごめんなさい。まだ頭の芯がくらくらするから横にならせてもらうよ?」
綾香はベッドサイドのイスに腰を下ろし、章浩はごそごそとベッドに潜り込んだ。
「綾香さん。」
「なあに、章浩くん?」
掛布団を顎先まで引っ張り上げた章浩は、顔を綾香の方に向けてその右目で見上げた。
「聞かないんだね。あいつとのこと。」
「・・・言いたくなった時で良いわよ。私からは聞かない。」
「やさしいんだね。綾香さん。」
章浩の右目がじわりと潤んだ。
「わがまま言って良い?」
「なあに?」
「手、握ってもらって良い?」
掛布団がもそもそと動いて、布団の端からちょこっと指が覗いた。
「ええ、良いわよ。」
綾香は布団の中に両手を入れて、その右手を包み込んだ。
「綾香さん・・・あったかい。」
章浩は安心した笑顔を向ける。
「うふ。章浩くん、かわいい。」
素直な言葉が口をついて出た。
章浩は赤くなって顔を背ける。
そして彼の右手は綾香の右手をむきゅっと握った。
「情けない所見せちゃって・・・ごめんなさい。」
壁を向いたまま、章浩がぼそりとつぶやいた。
「そんな事1ミリも思ってないわよ。ゆっくり休んで。」
自由な左手で、握られている章浩の右手をぽんぽんと叩く。
「・・・怖かった。」
「え?」
「今度会ったらぶっ飛ばしてやるなんて意気込んで、体とかも鍛えて・・・なのに・・・不意にあいつに会ったら、非力な子供の頃に戻って・・・怯えて・・・」
「章浩くん・・・」
綾香の手が止まる。
「僕は一生、あいつへの恐怖と敗北感から逃げられないんだ・・・僕は弱虫なんだ。悔しいよ・・・」
章浩の肩が震えているのが判った。
「章浩くん。あなたは良くがんばっているわ。ちゃんと過去にも向き合って、それを足がかりに前を向こうとしている。・・・弱虫なんかじゃない。だから、そんなに自分を責めないで・・・」
綾香も声を震わせた。
しばらくの沈黙。
「綾香さん。」
章浩が沈黙を破った。
「なあに?」
ぐいっと目元を左手で拭った章浩が、顔をこちらに向けた。
「もうひとつ、わがまま聞いてもらって良い?」
「うん?」
「眠るまで、手、握っててもらえるかな?」
「良いわよ。可愛い寝顔、見せてもらうから。」
お互いふふっと笑みを交わし、章浩は安心した表情で目を閉じた。
「おやすみなさい、あやかさん。」
「おやすみなさい。あきひろくん・・・」
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