第16話 怨みの元凶


 咬み付かんばかりの勢いに、大岩教諭が章浩の前に立った。


「おい、一色っ。どうしたんだ。」


「犯罪者ですよっ。追い返してくださいっ!」


 怒りに両拳を白くなるまで握り締めた章浩が、鋭い目つきのまま大岩教諭を睨みつける。


 綾香には章浩の、その表情に見覚えがあった。


(ひょっとして、この人が・・・)


「そんな大声で犯罪者呼ばわりはひどいなぁ。」


意図してか、その男性は軽い口調で答える。


 ふうと深呼吸をした章浩が、少しトーンを下げて口を開いた。


「・・・裁判所の接触禁止命令に時効があるとは知りませんでしたよ?」


 大岩教諭から半歩左に出て、その男性を視界に入れた章浩は、冷ややかな右目で正眼に見据えた。


「皮肉を言える歳になったんだな。あれから10年か。今年受験生だろ? 進路は決めたのかい?」


「誰かさんのおかげで、小三を『重学』したからな。まだ高二だよ。で、何の用事だ?」


「ああ。今後の事を話しようと思ってね。博美は元気かい?」


「答える筋合いは無いね。今後の事なら、一切、そのツラを見せないでいただきたい。」


 右目の端をピクピクと震わせながら、章浩はその男性を指差した。


「はは。嫌われたものだな。」


 苦笑いを浮かべたその男性はひょいと肩をすくめた。


「好かれる事をしたとでもいうのかっ!」


 章浩はおもむろに左目に指を突っ込み、その義眼をえぐり出して突き出した。


「この時に母さんも顔面骨折じゃないかっ。よくもぬけぬけとそのツラァ覗かせたもんだなっ!」


 激高して、義眼を握り込んだ拳で殴り掛かろうとする章浩を、綾香が羽交い絞めに抱き止めた。


「だめぇっ! 章浩くん落ち着いてっ!」


 章浩の前を塞ぐように大岩教諭が立ち、綾香が抱き留めている様子を確認すると、その男性に向き直った。


「どうやら話し合いにはなりそうにありませんね。教職員一同としても、学校での騒動は起こしたくないんです。私、一色くんの担任の大岩と申します。何かあれば彼では無く、この私を通していただけますか?」


 物静かな口調で告げた大岩教諭は、胸ポケットから名刺を取り出した。


「・・・今日の所はお引き取りください。」


「分かりました。先生にはご迷惑をおかけします。」


 名刺を受け取ったこの男性は軽く頭を下げて、拳を固めたままの章浩をチラ見して踵を返した。




 綾香に抱き止められたままの章浩は小刻みに震え、荒い息をついていた。


「・・・一色。済まなかった。先生がちゃんと身元を確認するべきだった。」


「はぁ、はぁ・・・うぐ・・・ん。せ、先生は悪く、ないですよ・・・」


 肩で息をしながら、章浩は力なく微笑んだ。


 抱きしめている両腕には、まだ体幹がぶるぶると震えている感覚が伝わって来る。


「せ、せんせい・・・ちょっと、苦しいかな・・・?」


 章浩が右後ろに首を回して綾香の方へとその顔を向け、照れくさそうな、情けないような笑顔が綾香の目に映った。


「あ、ご、ごめんなさい。」


 綾香はぱっと体を離した。


「あき・・・一色くん。大丈夫?」


 改めて綾香が章浩の顔を覗き込んだ。


 蒼い顔をした彼は苦しそうに息をしながら、笑顔を作ろうと口角を持ち上げた。


「先生が抱き止めてくれなかったら、はぁ、大岩先生突き飛ばして、襲い掛かっていましたよ。ありがとです。・・・・うぅっえっ。」


 眉間に深いシワを刻んで口元を押さえた章浩は、すぐ近くの教職員・来賓用のトイレに駆け込んで行った。


 扉が閉じる前に、激しく嘔吐する音が聞こえてきた。




 おろおろしている綾香を尻目に、大岩教諭は近くでスマートフォンを手にしている生徒たちに近寄って行った。


「済まんが、今の事は彼のプライベートの根幹に関わる所なんだ。お前らを信用しないわけでは無いんだが、今撮った動画を先生の目の前で消去してはもらえんだろうか? 頼む。」


 落ち着いた物言いと辛そうな表情に、その場の生徒たちは大岩教諭の指示に従った。


「それと、村崎先生。」


「は、はいっ。」


 トイレの方をしきりに気にしながらおろおろしていた綾香は、その声で我に返った。


「一色の家に連絡をして、家族の方に迎えに来てもらってください。僕は今あった事を校長に報告して今後の対応を検討したいと思います。」


「は、はい。分かりました。」


「他の先生たちにも僕から説明しておきます。村崎先生は彼のことを最優先に対処してあげてください。」


 大岩教諭はそう告げると、職員室の方に踵を返した。


「あ、そうだ。村崎先生。」


「はい?」


 その後を追って職員室に向かおうとしていた綾香に、大岩教諭は振り向いて近くへ寄るように手招きした。


「生徒と仲良しは良い事ですが、来週末まではウチの『教員』であることをお忘れなく。」


「!」


 凍り付いた綾香に、大岩教諭は愉快そうに笑いかけた。


「教育現場ってモノは、周囲の目を病的に気にするものでしてね。ですから、恋愛沙汰はなるべく隠密にお願いしますよ。」


「え? え、え、え、あの・・・それを、どこで・・・」


 顔の色を無くした綾香が大岩教諭の顔を凝視する。


「これでも僕は『国語』の教師でしてね。さっき村崎先生が一色の名前を呼んだトコロでピンと来ましたよ。心配しなくても口外はしませんから。さ、では、仕事に掛かりましょう。連絡が終わったら、村崎先生は一色についてやっててください。」






 職員室で差し出されたクラス名簿から章浩の家の番号をプッシュする。


 玄関先で大騒ぎをしていたので、他の教職員たちもざわざわしていた。




 数回のコールの後『この電話を転送します』の電子合成音声が流れ、再びコールが鳴る。


『はい。清鏡園、遠藤が承ります。』


 若い男性の声が受話器から聞こえて来た。その声のバックにJ-POPのリズムが流れている。


「あの、もしもし。私、美雄高校の村崎と申します。一色章浩くんのご家族の方でよろしいでしょうか?」


『はい。章浩が何か?』


「はい、実は・・・・・・」


 綾香は事のあらましをかいつまんで説明した。




「・・・という訳で、ご家族の方にお迎えをお願いしたいのですが。よろしいでしょうか?」


『そうですか・・・分かりました。オーナーに話をして私が迎えに行きます。今、高島なのでそんなに時間はかからないと思います。しばらくお待ちください。』


 話しを終えた綾香は、近くの職員に迎えが来たら知らせてくれと言付けて廊下に飛び出した。




 きょろきょろと周囲を見回すと、来賓用トイレの扉の近くの壁に体を預けて、ぺたりと腰を落としている章浩を見つけた。


「章浩くん。」


 ぱたぱたと駆け寄る。


「やあ、せんせい。学校では名前で呼ぶのは控えるんじゃなかったっけ?」


 まだ蒼白い顔をしている章浩が笑顔を作って見せる。


「お家のひとが迎えに来てくれるそうよ。遠藤さんて言う男の人。」


「ん? 和樹兄かずきにいが・・・? それじゃ、仕事の邪魔しちゃったな。」


「それより、まだ顔色優れないわよ? 保健室行く?」


「うん・・・申し訳ないけど、肩貸してくれると嬉しい。」


「こんなんで良ければいくらでも。」


 手を引いて立たせた綾香は章浩の右腕を肩に回して、よちよちと廊下を進んで行った。


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