第15話 心のトゲ


 声が掛かって教室の中をおずおずと覗くと、ライトブラウンの長袖シャツに黒のテーパードスラックスと三つボタンのベストスーツ姿の章浩と義信、それに希美を始め数名の衣装チームの女子たちと、ジャージ姿の数名の男子が居た。

「センセ。脅かしちゃってごめんね。後ろ、カギ掛けるの忘れちゃってた。」

 六華が照れ笑いしながら頭を下げた。

「ホント、びっくりしちゃったわ。いきなり、その・・・男子二人が半裸になってるから。」

「あ、BLとか思った?」

 義信は笑みを浮かべて綾香を覗き込む。

「え、ちが、そんなんじゃ・・・」

「もしそうだったら、動画撮って有料で配信するから。」

 希美が意地悪く笑って義信を指差す。

「でも、まぁ、一色が相手だったら悪くないかな。」

「やめてくれ大場。」

「そんなことしたら確実に一人、女の子が悲しむわよ。ねぇ、六華?」

 義信と章浩の掛け合いに希美がツッコミを入れて、六華が無言で慌てる。

「それより、どう? 教科書通りのパターンで、突貫工事で悪いんだけど、衣装の感想聞かせて?」

「ああ。良いんじゃない? 結構キレイに決まってるし。」

「うん。実際給仕するときは、袖は短いほうが良いから、七分丈にするかアームクリップで調整するかした方が良いと思う。」

 義信と章浩はちょっと体を動かしてみて希美の方を見た。

「靴は上履きじゃサマにならないからさ、黒の革靴って持ってる?」

 衣装チームは面談を進めて行った。


 衣装の方向性も決まり、教室の中に作られた内装壁をパーテーションにして着替えを待っていた。

 ライトオークルの柱と漆喰風の白い内壁に作り上げたその向こうから、衣擦れのしゅるしゅるという音が聞こえて来る。

(音だけ聞こえるのって、何だかエロい・・・)

 邪な妄想が頭をよぎる。

 チラリと六華の方を見ると、頬を赤くして居心地悪そうにもじもじしていた。

「ほい。お待っとさん。」

章浩と義信がそれぞれの衣装を抱えて顔を覗かせた。

「衣装はここに置いて良い?」

「うん。ありがと。微調整したヤツで量産かけるから。じゃあ、執事役の人、当日はネクタイと革靴よろしく。」

 希美は教室の男子を見回した。

 章浩はキチンと畳んだ衣装を机の上に置き、義信は畳み損ねてくちゃりとした衣装をその隣に置いた。

「大場くん。男子もちゃんと服ぐらい畳めないとカッコつかないわよ?」

「は~い。せんせ。善処します。」

 義信はひょいと肩をすくめると苦笑いを返した。

「じゃあ、六華はその衣装お願い出来る?」

「うん。待ち針の仮止めの所でまつり縫いかけとくよ。」

 六華が大きな紙袋にベストスーツとシャツを回収して行く。

「それじゃ、悪いけど、俺、この後すぐに塾なんだ。お先。」

「おう、おつかれ。」

「おつかれさま~。」

 義信は片手をかざして挨拶すると、足早に教室から出て行った。

「そうそう、大岩先生からもう帰るようにって言付かってたの。みんなも、下校してくださいね。」

 綾香は胸の前でぱんと手を叩くと、教室に居るみんなを見回した。

「は~い。」

 他の生徒たちも、それぞれの荷物を引っ提げると教室の扉の方へと歩いて行く。

「それじゃ、さよなら~。」

「またあした~。」

 六華は大きな紙袋を大事そうに抱えて、綾香に会釈してすぐ前を通り過ぎて行く。

その隣に希美が足早に近づいた。

「ねぇねぇ、六華。」

「うん、なに。希美?」

「・・・嗅ぐ?」

「や、やめてよっ。そういうのっ。」

 赤くなった六華は、抱えた紙袋を遠くに回す。


 きゃいきゃいという声が遠ざかる。

 青春ねぇと感慨に浸っていると、綾香の後ろから温かい両腕がそっと回って、腰の辺りに巻き付いた。

「あやかさん。」

「! ちょっ、ちょっと・・・章浩くん?」

 綾香の左耳の上あたりに温かい息がかかる。

「こ、こら。学校でそういうことはっ。」

「綾香さん切れ。ちょっと補給させて。」

 背中全体がほわりと温かくなり、軽く重心が預けられる。

(うわ、やばい。こんなに密着されたら私の心臓の音、伝わっちゃうっ。)

 身じろぎしようにも出来ない綾香の密着された背中に、章浩の鼓動が伝わって来た。

(章浩くんの心音も・・・速い・・・)

「・・・うん、綾香さんだ。」

「え、ど、どういう意味?」

「うん? なんかさ、どきどきするけど落ち着ける。そういうひとが腕の中にいるんだなぁって感動。」

(そんな風に思っててくれるんだ・・・)

「綾香さんもそんな風に思っててくれると嬉しいな。」

「・・・あ、章浩くん。あのね、その・・・」

 後ろから抱きかかえられたままの格好で、綾香は腰に回っている腕にそっと手を置いた。

「・・・あの、保留している件なんだけど・・・」

「・・・言いにくいこと?」

 寂しそうな声がすぐ後ろからして、腰に回っていた両腕に、くっと力が入る。

「あ、あの。先に言っておくけど、『保留』はあくまで立場上のことであって。だから、章浩君の気持ちを踏みにじるとかそんなんじゃないから。その・・・」

 章浩の腕の力が緩むのが分かった。

「ありがと。僕も綾香さんが普通の『大学生』に戻ってから告白すれば良かったんだろうけど。あの時、抑えきれなくて。」

 昨日の弓道場での真剣な顔が思い出されて、綾香の頬が染まった。

「あの・・・不安にさせちゃった?」

 腰に回っていた腕が離れて、今度は両肩を抱くように腕が回った。

「うん、実を言うと。やっぱ焦り過ぎちゃったかなぁとか、綾香さんの気持ちをもっと確かめてからの方が良かったかなぁとか、思ってた。」

「・・・章浩くん・・・」

 綾香は二の腕に巻き付いている章浩の手に自分の手を重ねた。

「綾香さん。」

 左耳の耳元でささやかれて、軽く鳥肌が立つ。

「キスしたい。」

「ふぇっ?」

 驚いて左後ろを振り向く。

「そこは、『うん』か『はい』か『YES』で。」

 目の前の章浩が優しい顔で微笑んでいる。

「~~~っ。こ、この子はぁ・・・」

「『了承』と取って良いんですね?」

 恥ずかしさに目を泳がせた綾香の唇に、少しひんやりとした柔らかな唇が重なる。

 体をねじった不自然な体勢のまま、お互いの唇をついばみ合う。

 誰も居ない教室に、ちゅむちゅむと水音のような音色が響く。

(うあぁ・・・章浩くんっ、上手ぅ・・・)

 お互いの舌先から糸を引いて唇が離れ、ほう・・・と綾香が艶っぽい吐息を漏らす。

 赤い顔の二人はそのままの格好でしばらく見つめ合った。

「綾香さん・・・かわいい。」

「章浩くんも、すてき・・・」


 余韻に浸っている時、章浩のカバンから『キューピー3分クッキング』のテーマソングが鳴り出した。

「ちぇ、良いところだったのに。ごめん、綾香さん。着信。」

「それ、着信音にしてるの?」

 離れた両腕に物足りなさを感じながら、綾香は不機嫌そうにスマートフォンを取り出す章浩を見つめた。

「はい一色です。はい、ええ。まだ校内に居ます。分かりました、これから向かいます。」

 通話を終えた章浩がカバンを手に綾香の所にやって来た。

「どうしたの?」

「何か、僕に来客だって。正面入り口に来てくれって。綾香さんも一緒に来る? 副担任として。」

「調子の良い時だけ先生扱いするのね。」


 正面入り口のある南館一階まで、大工チームの内装進行状況なんかを雑談しながら歩く。

 にこやかな章浩の顔に心の引っ掛かりが少し和らぐ。

 職員室のすぐ隣に正面入り口があり、来客には職員の誰かが対応出来るように、入り口側に守衛小窓とインターホンがついてある。

 渡り廊下を進んで職員室前の廊下を行くと、見慣れた担任の大岩教諭が立っていた。

「おお。一色。帰るところ引き留めて済まんな。」

「いえいえ。ちょうど声掛けに来た村崎先生に、内装の進行状況の説明してたとこなんで。で、僕に来客ですか?」

 少し説明っぽいセリフで告げた章浩は大岩教諭を覗き込んだ。

「ああ。入り口の所で待っておられる。久しぶりの知り合いと言ってたぞ。」

 首を傾げながら大岩教諭に連れられて行くその後ろを、少し遅れて綾香が続く。

 角を曲がり、赤いフロアマットの敷かれた玄関スペースに出ると、そこに紺色のスーツ姿の40代ぐらいの男性が立っていた。

 公務員風の、痩せ型のこの男性は、章浩に笑顔を向けた。

「やあ。久しぶりだね。」

 その瞬間、章浩の顔色が変わった。

「どこで嗅ぎつけやがったっ! 帰れっ!」

 普段見せない鬼の形相と怒号に、その場に居た綾香や大岩教諭、下校中の生徒たち数名が固まった。


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