第13話 告白 その後に


「~~~~っ・・・」

 個室に籠った綾香は両手で赤い顔を覆って、子犬が鳴くような声を上げていた。

(嬉しいんだけど、嬉しいんだけどっ、でもっ・・・)

 心臓の鼓動がようやく落ち着いてきて、壁向こうからの生徒たちの雑踏を聞き分けられるようになった綾香は、両肘を膝に突いた姿勢で顔を上げた。

(はぁ・・・彼と出会ったのが実習現場じゃなかったら、私、あのまま飛び付いてOKしてただろうなぁ・・・)

 今の自分の立場を少し呪わしく思いながら、深いため息と共に頭を軽く振る。

(これ今、授業してる「夏目漱石の『こころ』」の相関図みたいじゃない・・・この~、モテモテの「お嬢さん」め・・・)

 先週の、六華との恋愛相談の時の様子が頭をよぎった。

「あの子の純粋な気持ち、知ってるから余計につらいよぉ。」

 個室に座ったまま、がっくりとうなだれる綾香の耳に、校内放送が聞こえてきた。

『村崎先生、村崎先生。職員室においでください。』

「あっ! いっけない。職員朝礼っ!」


 朝礼後に「研修室」に戻った綾香は、そのまま机に突っ伏した。

「大丈夫? まだお腹痛いの? 村崎さん、月イチひどいんだ。」

 茉椛が心配そうに覗き込む。

「お腹と言うか、心が痛い・・・」

「?」

 思わず口から出た言葉を取り繕った綾香は、穂莉と茉椛に向き直った。

「ところで、みんなは文化祭、何やるの?」

「一組はプラネタリウムやるのよ。教室中に暗幕張って、その中にドーム作って入って見てもらうの。」

 穂莉が得意そうに話す。

「さすが理系クラスね。結構大掛かり?」

「星の等級調べて光の穴の大きさ計算したりしてるわ。あと、天球儀を投影機に転写とかしてるみたい。」

「五組は映画を撮るって。今、シナリオの大詰め。」

「三組はレトロなメイド喫茶。女子が衣装、男子が内装を作ってるの。」

「実習の最後が文化祭って、良い思い出になりそうね。」

 茉椛が嬉しそうに笑った。

「文化祭で最後か・・・」

 綾香がちょっと上を仰ぐ。


『文化祭後にもう一度告るから、その時に答えて?』


 今朝の章浩の言葉がリフレインして顔が熱くなった。


 綾香の現国の授業は「夏目漱石の『こころ』」が著された時代背景を考えてみようというお題で、生徒同士のディスカッションが図られていた。

 今朝の今日なので、章浩の方を向くのが気恥しい。

 前の方の席なので、教壇に立つと否が応でももろにカレの顔が目に入る。

(うわああ、わたし、見られてる。今朝告られたひとにじっと見つめられてるっ・・・)


 女子たちの提案で、今日は校庭の芝生の上での昼食会になっていた。

 梅雨前の日差しは少し暑いくらいで、校舎の影になっているこの場所は涼しい風が吹いていて心地よい。

「センセ、お疲れ?」

 少しやつれた感じの綾香に女生徒が声を掛ける。

「え・・・そんな風にみえる?」

「何か、表情が疲れてるように見えるよ? 授業するってそんなに疲れるものなんだ。」

「気を遣ってくれてありがとう。一息ついたら大丈夫よ。」

 笑顔を作った綾香はお茶をすすった。


「そうそう、この前の一色くんの件。」

「ぶっはあっ。」

 環の女生徒の声に綾香がお茶を吹き出し、周りかから奇声が上がった。

「せ、せんせ、大丈夫?」

「ごほっ、ごほ・・・ゴメン、ちょっと飛び込んだ・・・」

 涙目の綾香は咳き込みながら胸元を叩き、傍に居た六華が背中をさする。

「えっと、何だっけ? そうそう、一色くんね。あのさ、私、見ちゃったんだ。商店街のアーケードでね、女の子と一緒してるの。」

 綾香の顔色がさっと蒼くなった。

「え、どんな子?」

「へへ~。」

 その女生徒はスマートフォンを引っ張り出した。

 画面をひょいひょいとスクロールして行く。

「こんな子。ほら。」

 女子がわっと集まり、その手の中の画面を覗き込み、歓声が上がる。

 綾香も恐るおそる人垣の間から覗き込む。

 そこには女の子を支えるように寄り添う章浩の姿があり、小柄なポニーテールの女の子が微笑んで章浩を見上げていた。

「ああ、楓ちゃんかぁ。」

 安堵した綾香は思わず声が漏れ出た。

「あれ、センセ。楓ちゃん、知ってるの?」

 六華が意外そうに綾香の方を振り向く。

「え、なになに。その反応? 一色くんのカノジョじゃないの?」

 スマートフォンを掲げた女の子が六華と綾香の方を凝視する。

「この子、いっくんの親戚。北原

きたはら

かえで

ちゃんって言うんだよ。確か今、中三。」

「な~んだ。せっかくスクープだと思ったのにぃ。」

「で、センセは? どこで会ったの?」

 六華は綾香を覗き込んだ。

「あ、言っていいのかな? 実は、大学の友達と高島商店街のライブハウスに行ってね。そこであき・・・一色くんがバーテンダーのバイトしてたんだよ。」

「えぇ、先生の彼と?」

「残念でした。カレなんかいません。女友達です。で、そこでバンド活動している楓ちゃんとそのメンバー、紹介してもらったんだよ。」

 ちょっと時系列が違うけどまぁいいや、と綾香はあらましを話した。

「へぇ~。一色くんバーテンやってんだ。そうだ、喫茶店のウエイターやってもらおうよ。接客の本職だからサマになるんじゃない?」

「いいね。女性客も呼び込めるよ。希美、大正レトロな感じで男子服、いける?」

 衣装チームの光岡希美に視線が集まる。

「うん。大丈夫だよ。だた、男子の意見調整の時間は取れないから『これ着て』な感じになるけど。」

(章浩くんのウエイター・コス・・・)

 邪

よこしま

な妄想に綾香の頬が緩む。

「メインはメイドなんだから、ごちゃごちゃは言わせないよ。そうと決まれば見た目の良い男子に話、通しておこう? て、コトで一色くんと大場くんは六華、よろしくぅ。」

 ノリノリの女生徒は、ちょっといやらしい目で六華を覗き込んだ。

「なっ、なんでわたしっ?」

「そりゃぁ、中学からの知り合いだし、もっと話とかしたほうが良いし? ね、せんせもそう思うでしょ?」

 あわてて赤くなる六華を尻目に、この女生徒は綾香ににっこりと微笑んだ。

「そ・・・そうよね。うん・・・」


 放課後、被服室を借り切って、三組の女の子たちがトワール布で作った試作品を9号ボディに着せ付けて検討している。

「裾はもう少し短い方がかわいくない?」

「このマトンスリーヴって、もっと膨らんでた方が良くない?」

「そこにチュールを裏打ちするから大丈夫だよ。大きすぎるとアメフトのひとになっちゃうよ。」

「タッセル・レースはこの位置で良いかな?」

 トワール生地に修正ポイントやレース取り付け位置などを書き込みながらデザインを詰めて行く。

(光岡さん、デザイン系志望だけあってすごいわね)

 綾香は着々と決まって行く様子に感心して見入っていた。

 そこに中座していた六華が戻って来た。

 心なしか顔が赤い。

「えっと。希美が言ってた大体のコンセプト伝えたら、いっくんと大場くん、OKだって。」

「よっし。それじゃ、男子は『170A』のサイズでトワール組んで、後は微調整で対応。ジャケットは時間ないから、ベストスーツでまとめよう。」

 希美は満足そうに頷くと、目をキラキラさせて「紳士服製図」のページをパラパラと開いた。

「あの、センセ、センセ。」

 小声で六華が綾香の袖をくいくいと引っ張った。

 誘われるまま、被服室の隅の裁断台の方に行く。

「あの・・・さっき話に言ったついでに、その、文化祭の終わりに、時間取れるか聞いたの。」

 綾香もその話題に緊張する。

「で、どうだったの?」

「・・・あの、終わったら、時間取ってくれるって。」

「そう・・・なんだ。」

「それで、その。やっぱり一人では心細いと言うか、勇気が出ないから。センセも付いて来て欲しい。」

「え? それは・・・」

 心の中がザワついた。

「すぐ隣とかじゃなくて。その、プレッシャーに負けて逃げ出さないように、私の中の支えとして居て欲しいんです・・・ダメですか?」

 迫る重圧に潤んだ瞳が、綾香を見つめる。

「う、うん。分かった。それで越路さんが頑張れるなら。」

 笑顔の裏に後ろめたさを隠して綾香が微笑んだ。

「ありがとセンセ。うれしい。」


 午後八時前。章浩からのLINEに告知があったので、綾香は食事を終えたテーブルのガラス天板をキレイに掃除して、その上にスマートフォンを置くと正座してそれをじっと見つめていた。

 画面のデジタル時計がプレッシャーを与えて来る。


 午後八時。

 時計がその時刻を示すと、画面に『着信 章浩くん♡』と表示が現れた。


 すぐにスマートフォンを引っ掴むと、深呼吸して数秒こらえてから画面をタップする。

「もしもし?」

『もしもし、今大丈夫ですか?』

「うん。大丈夫だよ。しばらく大工仕事だね。体調はどう?」

『こう見えて、弓道部は結構体力自慢なんだよ。それにこういう工作は好きだし。』

 楽しそうな声が綾香の耳元で響く。

『女子はどんな感じ? 進んでる?』

「光岡さんが指揮して着々と進んでるわ。そうそう、突然のウエイターの件、驚いた?」

『まあね。なんか「執事なキャラ」が必要だって。でも面白そうだし、大場もノリ気だし。良いんじゃないかな。』

 綾香はちょっと部屋を歩いて、ベッドに腰掛けた。

「聞いた話、ベストスーツになるそうよ。」

『それじゃあバイトとあんまり変わらないかな? まぁ、僕らに選択権は無いんでしょ?』

「良く分かるわね。」

『女の子に逆らっちゃ、長生き出来ないからね。』

 笑いの混じった声が響いた。

「達観してるのね。あの、その時の事なんだけど・・・」

『うん? どうしたの?』

「その話を持って行った越路さんなんだけど・・・」

『うん?』

 綾香は言い難そうに、口をもごもごさせる。

「あの・・・越路さんが話があるって、その、文化祭の後・・・」

『ああ、その事? りっちゃんが文化祭終わったら教室に居てくれって。』

「えっと、それ、章浩くんはOKしたんだよ・・・ね?」

 嫌な心拍数が跳ね上がる。

『うん。中学からの長い付き合いだし。友達のお願いは聞いてあげないと。』

「そう・・・」

『あ、文化祭の後と言えば、綾香さんの都合は? 教職員は時間の融通は利くの?』

「あ、あのね。教室に越路さんと一緒に・・・行くことになったの。」

『りっちゃんが頼んだの?』

「うん。」

『そうなんだ。僕としても場所の選定の手間が省けてラッキーだよ。』

 明るく話す声に綾香はきゅっと唇を結んだ。

「・・・章浩くんは、それで良いの? 仲良しなんでしょ? 心とか痛まない?」

『? 話しが良く見えないけど、りっちゃんの用事が済んだら僕が綾香さんに伝える番だから、そこのところは覚悟してね。』

「!」

 六華の事でずっとモヤモヤしていた綾香は、自分の身に起きる事を再認識して固まった。

「あの、か、覚悟って言われても・・・」

『今朝、ちゃんと僕は言葉で伝えたから。次は綾香さんの番だよ。楽しみにしてるからね。』

「い、いじわる・・・」



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