第9話 夜の公園


 ステージでは黒半袖のスタッフさんたちが、次のバンド用に新たなアンプを出してきて機材に接続・調整している。

 綾香と章浩のテーブルに注文したアイスティー2つと、大ぶりなホット・サンドウィッチが運ばれて来た。

 給仕してくれたホールスタッフは、顔馴染みの章浩の肩を軽く叩いて激励して去って行った。

「これがクラブサンドと並んで、ウチで人気のBLTサンド。

玉子とチーズも入ったボリューム・サンドウィッチ。ベーコンは焼きたてを挟んであるからすごくジューシーなんだよ。」

 章浩は楽しそうに説明すると、三角にカットされたサンドウィッチを一切れ手に取って断面を見せた。

「すごい。具だくさんね。食べ応えありそう。」

「はい、あ~ん。」

「じ、自分で食べられますっ。」

 周囲の目、主にカウンターの向こうからの視線を気にした綾香は、お皿に残っているもう一切れを手に取ってかぶりついた。


 トーストされた表面はカリっとしていて、もっちりとしたパン生地にレタスのシャキシャキ感、トマトの瑞々(みずみず)しさ、まだ温かいベーコンのジューシーな旨みと玉子のトロリとした感じが口の中に広がる。

「あ、おいひい。」

 頬張ったままで綾香が目を丸くして章浩を見る。

 章浩も嬉しそうにサンドウィッチを頬張った。


 ステージでは機材の調整が終わったらしく、天井から下りて来た吊り金具に、スタッフ数名が黒い緞帳(どんちょう)をセットしている。

 気が付けば、最前列に居た法被の一団はガタイの良いお兄ちゃんたちに取って代わり、絵面(えづら)がむさくるしい感じになっていた。

「次は誰が出るの?」

「う~んと、確か『暮帝美留(ぼでいびる)』だったかな。本物のボディービルダー四人組で、もっと世間一般にもボディービルディングの素晴らしさを伝えるために結成したって言ってた。強面(こわもて)だけどみんな良い人たちだよ。」

「へ、へぇ~・・・」

 綾香は入り口のボードに張ってあったポスターを思い出した。


 午後7時半を回り、綾香と章浩はPEPPRE=LANDを後にした。

 商店街アーケードの照明が明るく、少し時間感覚を狂わせる。

 高島駅方向に歩いていた二人だったが、細い車道と交叉する信号機の前で、章浩が視界を遮るように綾香の前に立った。

「綾香さん、まだ時間良い? ちょっと緑道公園の方歩いてみない?」

「う、うん、まだ大丈夫だよ。」

 少し早口にまくしたてる章浩に戸惑いながらも返事をする。

「よし、そうと決まれば、さ、行こうか。」

 章浩は綾香の左手を掴むと、力強く歩道の方へと誘った。

(どうしたの? あ・・・)

 章浩の肩越しに、交差点の向こう側に肩を組んでおしゃべりしている内藤カップルの姿が見えた。

 章浩は真っ直ぐ前を向いて、綾香の手を握ってぐいぐい歩いて行く。

(章浩くん・・・)

「そうそう、ぶっちゃけ、『ろりぽっぷ』のみんなどう思った? ギターの楓(かえで)ちゃんとドラムの和樹(かずき)兄(にい)が『清鏡園(せいきょうえん)』で僕と一緒に生活してるんだ。」

 明るめに話しかけてくれる気遣いを嬉しく感じながら、綾香が章浩をちょっと見上げる。

「楓ちゃん? はきはきして良い娘ね。章浩くんみたいに懐こいし。そうそう右足、捻ったのかな? かばうようにちょっとびっこ引いてたから。帰ったら見てあげて。湿布とか、お医者さんとか。」

「ああ、そうか。毎日見ていると気付きにくくなるもんだね。楓ちゃん中三で成長期だから、長さが合わなくなってきてるのかも。帰ったら聞いてみる。教えてくれてありがと。」

 にっこりと笑った章浩は歩くペースを少し落とした。

 建物の陰からライトアップされた木立ちの列が覗いた。

「長さ?」

「うん。楓ちゃん、右脚義足なんだよ。膝から下。」

「え・・・?」

「またそんな顔する。部分欠損がそんなに憐(あわ)れ?」

 章浩は少し眉をひそめた。

「いや、そうじゃなくって。章浩くんの情報、唐突だから理解するのに時間が要るの。」

「それならごめん。もっと言い方考えておくよ。」

 ぽりぽりと頭を掻いて肩をすくめる。

「えっと、それは、事故か何か?」

「・・・本人が嫌がるから、そこは綾香さんでも教えられない。・・・一つ言えることは、ウチに居るみんなは何かしら親元に居られない事情があるんだ。そこのトコロは記憶の隅にでも留めてくれると嬉しいな。」

 真剣な顔で章浩は綾香を見つめる。

「う、うん。分かった。」

 

 西川緑道公園。西川に沿って細長く整備された広い遊歩道。

 柳の樹や広葉樹が植樹され、地元の彫刻作家のブロンズ像やアーティスティックなベンチなどが配されて、街歩きスポットになっている。


「綾香さんはこの辺の人?」

「実家はここからお城の方向。今は大学の関係で、服部(はっとり)で一人暮らししてるの。」

 二人はピンク御影石を曲線に削り出したベンチに並んで座っておしゃべりしていた。

「そうか・・・服部なら今からお邪魔したら今日中に帰れないね。」

「来る気だったの?」

「ううん。お邪魔したら、すごい時間かかるはずだから朝から誘う。」

「こら。」

 暗くなった街に街灯が灯り、ライトアップされた柳の葉がさやさやと音を立てる。

 川面の水音が涼し気に響き、夜風がすうっと吹き抜けた。

 日中の暑さが嘘のように、少し肌寒く感じる。

 少し身震(みぶる)いした綾香にふわりとグレーのジャケットが掛けられた。

「寒くなった? じゃあ、そろそろお開きにしようか。」

 温かいジャケットの衿元に、そっと指を置いた綾香は恥ずかしそうに隣の章浩に目をやった。

「あ、ありがと。でも章浩くん、寒いでしょ?」

「じゃあ、公園から大通りに出る頃に返してくれたら良いや。そこまで歩いたら温かくなってるでしょ?」

 並んで川沿いを歩く。

(カレのジャケットを羽織らせてもらって歩くなんて、恋人みたい。)

「綾香さん、楽しんでくれた?」

 ニヤけていた綾香はこちらに向いた視線にあわてて顔を作った。

「うっ、うん。とっても。こんなに楽しかったのはすごい久しぶり。ありがとね。」

 にっこりと笑って感謝を伝える。

 目の前の章浩の顔がみるみる赤くなって目を泳がせた。

「どうしたの?」

 いつもと違う様子に綾香が覗き込む。

「その・・・綾香さん、今の表情、かわいすぎ。」

 視線を落としたまま章浩がつぶやき、照れ隠しに被っている中折れ帽をちょいと前に傾けた。

(か、かわいい・・・)

 赤い顔の二人は言葉無くぽてぽてと公園を歩き、大通りへ出た。

「あの・・・ジャケット・・・ありがと。」

「・・・うん・・・」

 短いやり取りでジャケットを返し、そのまま駅へと大通りを歩く。

 無言で添えられた章浩の右手を綾香はいつもより少し強めに握り返した。

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