第5話 心の内
鴻池駅から東へ1駅行った高島駅。
大規模駅の隣という立地のため大型商業施設の進出も無く、駅前一等地が英会話スクールの入ったビルとなっていた。
駅周辺は中規模な住宅街になっていて、駅から少し奥に入った通りに『高島商店街』アーケードが鴻池駅方面へと伸びている。
堂本(どうもと)香里(かおり)が高島駅に降りた午後6時、彼女のスマートフォンに綾香からのLINEが入った。
『7時ごろ、香里のトコ お邪魔して良い?』
香里は短く唸って返信をすると、商店街の方へと歩いて行った。
「いらっしゃい。」
「おじゃましま~す。」
香里の住む1LDKのアパートの部屋に、綾香がおずおずと上がった。
迎え入れた香里は、玄関前に立ててあるパーテーションの後ろへと誘う。
白い小型のコタツテーブルに、対面するように座布団が敷いてある。
天板の上には鶏の唐揚げ2パックとパーティー開けされたポテトチップス、チューハイの缶が結露を纏(まと)って乗っていた。
「え? 誰か来るの?」
酒盛りセットを見て綾香が目を丸くした。
「そう、『迷える小娘』がひとり。ね。さ、座って。」
プルトップをぷしゅっと言わせて、お互い乾杯をする。
香里がちょっと口を付けた時、目の前の綾香が手に持った缶をぐいっとあおった。
「・・・実習、どんな感じ?」
綾香が空き缶を天板に置いたのを見て、傍らの小型冷蔵庫から新しい飲み物を取り出した。
「・・・うん。楽しいよ・・・今日なんかクラスの女子たちとお弁当囲んでわいわいやったし。みんな良い子で慕ってくれてるし。職員室の皆さんも親切でね、こう、心構えとか、歴代名物生徒の話とか、モンスターペアレンツあるあるとか教えてくれてね、そうそう、それに文化祭にも参加させてくれるみたいでね、クラスのみんなと一緒に参画を・・・」
「はいっ、そこまで。」
ぱんと手を打って真剣な顔で香里が綾香を見据えた。
「必要以上に饒舌(じょうぜつ)になってる時って、綾香、相当ツライときなんだよ? 何があったの?」
にこにことしていた綾香の顔がくしゃっと歪んで、香里が出してくれた缶チューハイを一気にあおった。
「・・・私、もう人を好きになっちゃいけないのかな・・・」
二本目の酒を空けて、深い溜息をついた綾香はぽつりともらした。
「聞かせて?」
香里が新しい缶を取り出した。
「・・・今日ね、クラスの女の子たちとお弁当したの。」
「うん、楽しかったんでしょ?」
「そこで恋バナになったの。そのあと、一色くんと仲の良い越路さんって女の子が、その事で相談に来たの。」
「うんうん。」
香里がプルトップを開けて綾香の前に置く。
「越路さん、ずっと仲良してるカレに本気で恋してるみたいで・・・カレとの馴れ初めとか、一緒に受験勉強した思い出とか聞いて、ああ、このふたりは良い時間を過ごして来たんだなって思ったら・・・勝ち目ないなぁって。」
手にした空き缶をいじいじしながら、綾香は力なく微笑んだ。
「ふ~ん・・・引き合いに出して悪いけどさ。綾香と内藤もそんな感じじゃなかった? 大学入ってこの前まで仲良かったじゃん?」
「う・・・」
綾香が目の前の缶を手に取った。
「・・・ぷはっ。あの時はあの時で楽しかったわよっ。」
さすがの三杯目にはペースが落ちたのか、ゴトっと天板の上に飲み物を戻した。
「私ってそんなに魅力無い? オンナとして?」
「内藤に言われたコトまだ根に持ってんの?」
「そりゃあ、年中ショートヘアだし、スカートよりGパンなほうだし、おっぱいなんて大きくないし。それで女らしくないってどういうことっ!」
綾香はばんばんと天板を叩き、ポテトチップスの山が崩れて天板に転がった。
「あ・・・綾香。ちょっと話が脱線してるわよ。その、越路さん? 言い方悪いけど彼女が一方的に恋して、カレのほうは無関心ってケースなんじゃない? 綾香の時みたいに。」
「そうよ、絶対私の事大事に受け止めてくれるって思わせておいて何? あの態度。そんなにおっぱいが好きなら酪農家になると良いわっ!」
「・・・こいつ、からみ酒だったのか・・・」
香里は冷蔵庫からウーロン茶を取り出した。
取り替えられたウーロン茶を飲んで、ポテチとかをつまんで少しクールダウンした綾香に香里は話を戻した。
「・・・それで、その越路さんの気持ちは解ったとして、肝心の章浩くんの方はどうなの?」
「・・・そう言う話はまだ・・・もしカレもそうならって思うと怖くて、聞けない。」
「乙女か。」
「わ、悪い?」
香里は少しぬるくなった自分の缶チューハイを口にした。
「そこを押さえないで逃げ出すつもりなの? 綾香の事、慕ってくれてるなら、綾香の事、憎からず思ってくれてる訳でしょ?」
「そう思いたいけど・・・」
「今日、連絡はあったの?」
「うん・・・LINEが来てた。」
「何て?」
「・・・開いてない。」
「綾香、なに怖がってんのよ?」
香里はポテチに手を伸ばした。
「だって半年経たずに二度も失恋するのって痛いよぉ。」
「何言ってんの。恋なんて『当たって砕けろ』じゃない。」
「だからその『砕ける』のがイヤなのっ。」
天板に両手を置いて、涙目の綾香が香里を見つめる。
香里はコリコリと頭を掻いて、短くため息をついた。
「もう・・・綾香。『生徒』が連絡取りたがってるんなら『先生』は応えてあげるのがスジなんじゃないの?」
「う・・・」
綾香は力なく呻(うめ)くと傍らのバッグからスマートフォンを取り出した。
画面をタップ&スクロールして行く。
「何て?」
「2~3回の呼びかけ文の後、今日は21時まで家の用事で手が離せないからLINEでも入れてくれって。」
「じゃあ、21時以降に電話は良いってことだね。ちょっと話してみなよ。」
「ええ? いきなり相手のプライバシーに踏み込むなんて。」
「もうっ、中学生じゃないんだからその辺はオトナな話の持って行き方ってモノがあるでしょ? とにかく章浩くんの熱量を計らないと、どっちにも舵(かじ)が切れないじゃん?」
「・・・わかった。」
綾香はスマートフォンを数度タップして、自分のバッグに戻した。
「あと1時間ぐらいあるからさ、ちょっと歌いに行こうか、気晴らしに。近くの商店街の中にカラオケ屋さんがあるんだよ。」
「うん、そうだね。ロックとかで発散したい気分。」
二人はいそいそと身支度を始めた。
「なんでこんな日に改装休業してるのよっ。」
綾香が不機嫌そうに高島商店街のカラオケ屋の前で口を尖らせた。
「まあ、オフシーズンだし、平日でもあるし?」
「何か不完全燃焼な気分。」
他に何か無いかと商店街を進むと、青いネオン看板の黒い建物が目に入った。
数人の大学生ぐらいのグループがその建物の扉を開けると、ドラムの重低音が漏れ聞こえて来た。
「ん? 香里、あそこは?」
「ああ。ライブハウスよ。隣の楽器屋さんが運営しているんだって。たしか・・・ペッパー・ランドとか言ったかな。」
「ふ~ん? 私ライブハウスって行った事無いな。ちょっと入って見て良い?」
二人は入り口横の大きなコルクボードにピンナップされている『本日の出演アーティスト』の写真やポスターを眺めて、大きな観音開きのドアを開けて中へ入った。
(ペッパー・ランド・・・どこかで聞いた覚えが・・・?)
ドアをくぐると、右手壁面に守衛室のような小窓とチケットカウンターがあり、そこからアッシュヘアーを軽く立たせた、イヤリングと細いチェーンで繋がった唇ピアスのお兄ちゃんが顔を覗かせて、愛想良く微笑んだ。
チョーカーのドクロチャームの片目がキラキラと光っている。
「いらっしゃいませ。チケットはお持ちですか?」
「え、あの、当日券とかあります?」
「はい。学生証があれば割引できますよ。チケットで1ドリンク無料になります。楽しんでいってください。」
見た目より対応の丁寧なお兄ちゃんに感心しながら、二人は大学生料金で入場して周囲を見回した。
左手側の建物の最奥には1メートル程の高さにステージが設置されていて幾筋ものピンスポットが当たり、少しトウの立ったロック紳士といった風情のバンドマンがライトに浮かぶ。
イーグルスのコピーバンドらしく、ちょうど『ホテル・カリフォルニア』がしっとりと流れていた。
店内にはキャンプにはもってこいの『ワンアクション・テーブル』が10基並べられており、そこで軽い食事をしながら歓談しているお客の姿もちらほら見える。
入口正面の壁面にはバーカウンターがあり、そこで数名が高い丸椅子に乗ってグラスを傾けて演奏を聞いていた。
「綾香、カウンターに行ってみようか。」
演奏中のため室内の照明は薄暗い。
香里に連れられて、綾香もカウンター席によっこいしょと乗っかる。
カウンターの中には蝶ネクタイのベストスーツ姿のバーテンダーが立っていた。
「いらっしゃいませ。何にいたしましょう?」
なんとなく聞き覚えのある声に、綾香が顔を上げる。
「いっ、一色くん?」
「あ、先生?」
意外な所での遭遇にお互いが目を丸くする。
香里と章浩が自己紹介を交わし、章浩は無料ドリンクとしてアイスミルクティーを綾香達の前に置いてにこりと微笑んだ。
薄明りに浮かぶバーテンダー姿の章浩に綾香は見惚(みと)れた。
(あ、これも・・・いい・・・)
「私服姿は初めて見ました。来店された時判りませんでしたよ。」
「あ、うん。私もまさかここに一色くんが居るとは思わなかったよ。声を聴いてびっくりしちゃった。」
「びっくりしたのはこっちですよ。連絡が付かないんで、調子でも悪いのかと心配してたんですよ。杞憂で良かった。」
「ごめんね。香里と、その、話に華が咲いちゃって。」
そこで演奏が終わり、一度室内が暗転した後、明るくなった。
オフホワイトの細身のシャツの二の腕に、袖をたくし上げているアームクリップの金具が真鍮色に輝き、ダークグレーのベストスーツが大人の男性を意識させる。
「先生はこういう所には良く来られるんですか?」
「ううん。今日が初めてなの。ライブハウスって、髪の毛逆立てて凄いメイクして鋲(びょう)とかをいっぱい付けた服を着たヒトたちが、叫んでギター壊してるイメージがあったから。」
「それは、なんか、いろんなモノが混ざってますよ・・・まぁ、それに近いパフォーマンスするバンドも居ますけど、大抵のヒトたちは真面目に楽器を演奏して、自分たちの世界観を表現しているんですよ。」
ステージでは次のバンドの楽器の配置やセッティングを、黒い半袖Tシャツのスタッフさんたちがわらわらと行っている。
「章浩くんは楽器はやらないの?」
香里がカウンターに両肘を突いて微笑む。
「お恥ずかしながら、僕には適正が無いみたいで。」
弱ったように頭を掻く章浩は綾香の方に目を向けた。
「先生は・・・」
「はい、章浩くん。」
香里が威勢よく声を掛けて、章浩と綾香がそちらを向く。
「ここは学校じゃないんだから『先生』は止めなよ。」
「え、いや、別に私は・・・」
きょとんとした綾香はひらひらと両手を動かす。
「あ、そうですね。じゃあ・・・」
章浩がカウンターから身を乗り出して、綾香の近くに顔を持って行った。
「綾香さん。」
「!」
顔が赤くなるのが自分でも分かった。
ポーカーフェイスの香里は、カウンターの下で親指をぐっと立てている。
「そう言えば、まだお返事もらってませんでしたよね。土曜日、都合付きます?」
「なに、綾香、誘われてたの? そんなんなら、ぐじぐじ悩まなくても良かったじゃん?」
「え? 何をぐじぐじ悩んでたんですか?」
「いっいや、その、ね。あの・・・一色くんは私なんかより・・・同じ世代のクラスの子を誘ったほうが、良いんじゃないかな?」
隣で香里が眉をひそめる中、目を合わさずに綾香がつぶやく。
「僕と一緒じゃ嫌ですか?」
「い、嫌とかじゃなくて、ほら、一色くんてクラスの女の子に人気あるじゃない? そんな子、誘ってあげれば喜ぶよ。」
「う~ん。それじゃ僕が喜べないですよ。僕は綾香さんと一緒したいんです。ダメですか?」
綾香の視界に、章浩が寂しそうな顔を覗かせた。
(うう・・・強力っ・・・)
「あ、私、ちょっとおトイレ。」
香里がおもむろに席を降りた。
「はい、チケットカウンターの横の扉がそうです。」
「ありがと。」
香里は綾香の後ろを通り過ぎざまに囁いた。
「ほら、しっかりっ。」
章浩は香里をちょっとの間見送ると、目の前の綾香に視線を戻した。
カウンターに座っていたお客も退出して、今は綾香だけが座っている。
(ふっ、ふたりきりっ。)
「・・・綾香さん。」
「は、はいっ。」
どこに視線を置いて良いか分からず、綾香の目がじゃばじゃばと泳ぐ。
「年下は頼りないですか?」
「そっそんなことはございませんっ。」
「それじゃ、土曜日の夕方、5時に。ここのカウンター席で待ち合わせしましょう。えっと・・・これがチケットです。」
章浩がカウンター向こうの手元をごそごそやって、モノトーンに青色で「PEPPRE=LAND」と構成された光沢紙のチケットを綾香の目の前に差し出した。
「あの・・・良いの? 私で?」
上目遣いでそのチケットを受け取る。
「綾香さんが良いんですよ。何度も言わせないでくださいよ。これでも恥ずかしいですから。」
「え~。そんな風には見えないわよ。私をからかって楽しんでんじゃないの?」
綾香は照れ隠しに、わざと意地悪く笑って見せた。
「ひどいなぁ。真面目に誘ってるんですよ?」
「ふふ~ん? ど、どうだか?」
室内の証明がすぅっと暗くなり、緞帳(どんちょう)で隠されたステージにスポットライトが灯った。
次の演奏が始まるのかと綾香が視線をステージ方向に外した時、綾香の両頬にひんやりとした手が添えられた。
(え?)
視線を戻すと、視界いっぱいに章浩の顔が迫り、そのまま柔らかな唇の感触が重なった。
ちゅっと小鳥がついばむような軽いキスをして、章浩は元のバーテンダーの位置に戻った。
綾香は唇に手を当てて、呆然と目の前の可愛らしい顔を眺めた。
「これでちょっとは本気度が伝わりました?」
そのままの格好で固まっている綾香に、香里が扉の隙間から親指を立てて見つめていた。
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