青ィせえるすまん
1.
世間から過ぎ去ったバブルは、自分のもとに留まっていると言ってもいい。不況で青ざめているリーマンに教えてやりたいくらいだ。
職業は、TV番組制作会社のプロデューサー。この肩書だけで、新宿あたりの嬢はキャーキャー騒ぐ。はしゃぎたくなる気持ちはわからなくもない。野久保はこの若さで、深夜枠の特番を任され、いずれも高視聴率を叩きだした。
タイトルは、『
いま関東ローカル圏で話題沸騰、オカルト旋風を巻き起こしている、心霊番組だ。野久保がプロデュースしたこの番組は、マイナーなテーマにも関わらず、高視聴率を記録した。それに気をよくした上層部から、続編の要請がきて、二度め、三度め、と放送が決定した。
放送された番組の視聴率は右に上がる一方。ついにゴールデンタイムの一時間枠で特番の放送が決定することと相成った。
だが――ここにきて、野久保は危機を迎えていた。
ネタが尽きたのである。
「ほいじゃ、今日も会議始めますか!」
野久保の声がけで、少人数の社外会議が始まった。
場所は都内某所、高級スキヤキ店の個室。経費はもちろん会社持ちだ。
野久保を除く二人の参加者のうち、一人は大卒の若手男性AD、
もう一人は院卒の女AD、
酒と料理がやってくるのを待つ間、吉野がヘラヘラ笑いながら言った。
「野久保P、次はなんの特集にしましょうね。『心霊大辞典』も、三回特番やってりゃ、いい加減マンネリですよね」
「まァねぇ~。この間俳優の
「『わたしには視える! 悪霊はこの青磁の壺に取り憑いている!』でしたっけ? 笑っちゃいましたよねぇ~! その辺のディスカウントストアで買ってきた二百五十円の壺なのに」
野久保と吉野がゲラゲラ笑っていると、二人の仲居が襖を開けて酒と牛肉の皿を持ってきた。オバサンの方の仲居が、慣れた手つきで鍋に火をかけ牛脂を引き、霜降り肉を焼いたところに割りしたを流し入れた。その間に若いほうの仲居が、それぞれの席に酒を置いていく。野久保はウイスキー、吉野はビール、田所は日本酒だった。
田所のチョイスを意外に思った野久保は尋ねる。
「あれぇ、タコちゃん、日本酒なの? 意外といけるクチ?」
「はい、秋田県人なので」
「秋田の人は飲むっていうよね!」
へつらう吉野に、野久保は苦笑してみせた。
「知らねーよ、そんな田舎」
場がしん、と静まり返る。野久保は二人を見回して笑い飛ばした。
「なに? お前ら俺に文句あるの?」
吉野は「いや、ハハハ」とひきつった笑みを浮かべる。田所は固まっていた。
ノリの悪い後輩に、野久保はグラスを傾けながらアドバイスしてやる。
「お前らさ、ダメよ。もう東京人なんだから。いつまでもろくにテレビが映らない田舎にこだわっちゃ、ダ、メ。わかるー?」
「はぁ……」
「わかる? わかんないでしょ? わかってないモン、その顔。いいか、教えてやるからサ。ありがたく聞けよー、俺の武勇伝」
野久保は咳払い一つ、人生の後輩たちにありがたい話をくれてやることにする。
野久保の人生も、最初から上手くいった訳ではなかった。
時はバブル。大学の同級生が五社、六社と内定を貰っているなかで、野久保は一社だけ。それも健康器具メーカーの営業という、パッとしない就職先だった。
仕方なく嫌々入った会社は、入ってもやっぱり嫌で嫌で仕方がなかった。野久保はそれでも真面目に仕事をこなしていたが、どんどんやる気がなくなっていくのを感じていた。ある朝起きて、顔を洗っているうちに急に糸が切れて、総務に電話して退社した。何度か会社から電話があったが、布団にもぐって聞こえないフリをした。
やることもなくフラフラと外に出たその日の昼のこと。
燦々と輝く太陽は、思いきった決断をした野久保の前途を祝福しているように思えた。
その後、実家にも帰らず東京でブラブラしている野久保のもとに、大学の先輩から声がかかった。テレビ番組の制作会社でADをしている先輩だった。
なんでも、バブル崩壊で世相も暗くなり、制作会社も世を盛り上げるような面白い企画を探しているのだという。それで、大学時代コンパの幹事をしていて企画力に定評のある野久保に声をかけた、というワケだった。
願ってもないハナシに野久保は飛びついた。その日のうちに会社に出向き面接を済ませて、翌日から見習いADとして働く契約を取りつけた。
こうして、野久保はバブル崩壊で社会全体がゴタつくなか、先輩のコネで番組制作会社に入社することに成功したのだった。
これだけでもラッキーだったが、そこで話は終わりじゃない。
むしろここからが、野久保のサクセスストーリーの始まりだった。
意気揚々と制作会社に入社した野久保だが、当時周りにいたお偉方や先輩たちは、有名大学出身者が多く、鼻もちならない連中ばかりだった。学歴も、たいした経歴もない野久保は、連中から冷たい目で見られパシリに使われ、大いに見下された。
そこで、野久保はあえて奴らの鼻をあかすために、頭でっかちのエリートが眉を顰めるようなオカルトをテーマにした番組を企画したのだ。
その番組――『特報! 心霊大辞典』が当たった。当たりまくった。
バブルで青ざめている奴ら、エリート意識に凝り固まった奴らを、野久保は自らの実力一つであっさりと越え、せせら笑ってやったのだ。
野久保は敏腕プロデューサーとして、制作会社はもとより、民放キー局にまで名が知られるようになった。毎晩、歌舞伎町の飲食店をハシゴできるまでになったのだ。
この世の春だった。
「……俺は、あのとき確信したね。もうさ、学歴って時代じゃないワケ。俺みたいに、ホントに出来る奴が評価される時代なの。時代を先取りして東京で良いマンション住んで会社のカネで良いメシ食う! これがホントの成功者ってワケよ!」
鍋のなかでぐつぐつと煮立った牛肉を、溶き卵に混ぜて食べる。野久保はのけぞって吼えた。
「あー、スキヤキうめぇー! 仲居さん、これマツザカですか? それともオウミ牛?」
「……まつさか牛です」
「あー! やっぱりねー! 俺レベルになるとわかっちゃうんですよねー。利き酒ならぬ利き高級肉? なんて!」
若い仲居はあまり可愛いとはいえないひきつった笑い方をした。四十点。
野久保は構わず、甘―いタレに、濃厚な卵を絡めて食べる。以前、食通だかのセンセイと会食したときには眉をしかめられた。スキヤキなら肉には砂糖を乗っけて醤油をたらせ、だっけ? ばかばかしい。食は楽しく消費してナンボ。食べ方にケチつけられたくはない。
同じくスキヤキを堪能しながら、吉野が嬉しそうに言った。
「さっすが野久保P! 企画力だけじゃなく食にもお詳しい! ほんと憧れちゃいますよー! 次の特番もみんな期待しちゃうワケですよねー!」
「おう、そうそう! アナタわかってるじゃん!」
ほお袋いっぱいに牛肉を詰めながら、野久保は満足して頷く。
そんなとき、田所がカバンから企画書を持ちだしてきた。
「それで野久保P、次回の『大辞典』なんですが……」
「ああ、そういえばそうだったね。なに? アナタ。ネタ考えてきたの?」
「はい。UFO特集はどうでしょう? 一度テーマを切り替えて、番組の幅を広げるのも悪くないのでは。オカルト番組の趣旨からも外れてないと思うのですが……」
「はあ? UFO?」
野久保は箸を叩きつけて田所をねめつけた。
「タコちゃん、アナタさぁーどこ大だっけ?」
「えぇと、青山、」
「わかってない。わかってないなー。せっかく良い大学出てるのに、アナタ、もったいない! 時代は心霊だよ? UFOじゃダメなの。キラーコンテンツはオ、バ、ケ、な、の! 視聴率見ればわかるでしょ? 心霊ネタ取り上げるだけでこの不況でもバンバン
「しかし、心霊はもうネタが……」
「そこをひりだすのが俺たちの腕でしょうよ! えー?」
野久保はイライラしながらいちいち口を挟む田所を睨みつけた。吉野が困惑したように二人の間を見やり、「まぁまぁ」となだめるが、田所はむすっとした顔で口をつぐむだけだった。
その後、スキヤキを食べながら三人で積極的に意見を交わした。不気味な廃団地に突撃取材、都内でウワサの幽霊トンネルに突入、視聴者の恐怖体験を基にした再現VTR……。
様々なアイデアが提案されたが、どれも類似の番組で観たことのある企画ばかりだった。センセーショナルで目新しさがあり、視聴率に繋がりそうで、かつ野久保のセンスにビビっと響くようなネタはない。
結局、スキヤキ屋では良いネタが浮かばず、今夜はお開きになった。
こういう日もある。
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