8.歴


 そのあと――。

 歴と紡希は、柳原家に招かれて夕食を御馳走になった。シオクリのあとは、みんなで集まって食事する慣習があるのだという。これを直会なおらいというのだと、坂木が柳原家までの道中に教えてくれた。


 驚くべきことに、曜は長舟と一緒に暮らしているらしく、勝手知ったるに歴たちを招いてくれた。


 仕事終わりだという長舟は歴たちを出迎えて、炊き立てのご飯やら刺身やらワカメの味噌汁やらカブの漬物やら、テーブルいっぱいのおかずを手際よく並べて「遠慮せず食え」と言って夕食を振る舞ってくれた。


 歴はお言葉に甘えて、長舟のお手製の鰹の土佐作りを食べた。坂木も当然のように柳原家の食卓に混じって、誰よりも鰹を食べて、「やゐ子に食わせっからよこしぇ」と別の皿に取り分けて持ち帰ろうとし、長舟に「お客サンより食うやつがいっか!」としこたま怒られていた。その様子を唖然と見ていた歴に、曜は「いつものことなんだ」と笑いかけてお煮しめをよそってくれた。


 紡希は、最初こそ食事に手をつけようとしなかったが、鰹の刺身を前に野犬のように唸る自身の胃袋についに根負けしてか、一口だけ食べた。すると「夢がある!」と目を輝かせて、以降は手綱を失った馬のように猛然とした勢いで食事にがっつきだした。その様子を見ていた坂木が、それでいいんだ、と笑っていた。


 お腹がいっぱいになるまでごちそうになった歴と紡希は、長舟の運転する例のワゴン車に乗せられて、勿来駅前に帰ってきた。


 時刻は夜六時過ぎ。ちょうど駅には帰宅途中のサラリーマンや部活帰りの高校生が多くいて、歴はいまが日常の延長であることを実感した。夢みたいだけど、まったく夢じゃなかったこの日の出来事。


 なぜかワゴン車に同乗した坂木は、別れ際、まるで内緒話をするような悪戯っぽい笑顔で、歴と紡希に言った。

「いつでも来いな」


 ――それで、歴と紡希は、今こうして並んでいる。


◇◇


 あれから――坂木邸でのシオクリから数日後。いつもの、なんの特徴もない放課後だった。


「委員長」

 友達に囲まれ、雑談をしていた歴のところへ、小綿紡希がやってきた。


 歴と、友人たちの視線を一斉に浴びた紡希は、当初目を泳がせていたものの、しっかりとした口調でこう言った。


「今日、話ある。いっしょに帰るの、いい?」

 拙く言ったあとで、所在なさげにうつむいた紡希に、歴は頷いて答えた。

「うん、いいよ。今日は習い事もないし」


 歴の周りにいたクラスメイト――将太とか香苗は、驚きのあまり言葉をなくしていた。小綿紡希が喋ったことか、歴が快諾したことか、おそらくその両方かもしれない。


 唖然とする友人たちに別れを告げて、歴は紡希を連れて教室を出た。

 注目を浴びるのが嫌だという紡希の言葉に歴は了承し、まず二人は図書館にいって時間を潰して、下校のチャイムが鳴ったころ、学校を出て国道沿いを並んで帰った。


 委員長はどう思う――?


 そう問われたとき、歴はすぐに答えを出せなかった。答えを見つけるために歩きだすと、紡希も歩調を合わせてくれた。


 やはり、すぐに答えは出てこない。

 かわりに、歴は胸の奥に秘めていた感謝を、あらためて口にすることにした。


「――紡希。小父さんのこと、ありがとね」

「……前も、お礼言われた」

「何回言っても足りないんだ。ほんとうに感謝してるから……」


 紡希からの視線を感じる。少し気恥ずかしくなりながら、まっすぐ前を見て、それでも歴はちゃんと言葉を続けた。


「――亡くなった人の声を聴くこと。曜さんの言うとおり、危険なことかもしれない。でも、それは紡希にしか出来ないことだと思う。学校にいる他の誰にもできない。おれは、すごいことだと思うんだ」


 歴は再び、立ち止まる。

 合わせて足を止めた紡希の顔を、歴は今度こそ、ちゃんと見つめた。


「やろうよ、紡希。おれも手伝う」


 厚い前髪をカーテンのようにして隠した水面色の瞳をしっかりと見るつもりで、迫間歴は小綿紡希にはっきりと告げた。


「紡希みたいな人のおかげで、救われる人もいるはずだ。生きてる人も――きっと、亡くなった人も。おれも、そういう人たちの役に立ちたい。それがおれの人生にとって、大事なことだと思うから」


 紡希は一度、二度、と瞬きをして、


「――うん」

 やがて、はっきりと微笑んだ。

 それは、歴がはじめて見た、小綿紡希の笑顔だった。


 ――こうして、迫間歴と小綿紡希は、死者のために生きることを、決意した。


【プロローグ、完】

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