3.紡希

 紡希はテーブルの向こうで対面する、不来方こずかたようを見つめていた。


 紡希たちの坂木邸訪問から、三十分ほど経ったころ、曜は屋敷を訪ねてきた。以前と同じく、右足をひきずって。


 足のせいで和室で正座をするのが難儀だという曜に連れられ、紡希は坂木に通された座敷――控えの間というらしい――の廊下向こうにある洋間に移動した。


 そこは校長室のような一般的な応接間で、奥行きのある六畳ほどの部屋だった。紡希の膝ぐらいの高さのテーブルと、それを挟んで一対のソファーといった必要最低限の家具があるだけで、調度品の類は見当たらない。


 曜はソファーに腰を下ろしてから、テーブルの上にコンビニの袋を置いた。ごつんと固い音。なかにはカップのアイスがごろごろ入っていた。


「アイス好き?」

 と、曜が尋ねてくる。紡希は頷いて答えた。

「うん」

「なにが好きかな?」

「チョコ」

「チョコレートか。あるよ」


 そう言うと、曜はビニール袋のなかからカップのチョコアイスを取って、紙のスプーンと一緒に紡希に差し出してきた。


 紡希はすぐにラベルを剥がして食べようとしたが、曜が自らの手元に置いた抹茶アイスに口をつけようとしないのを見て、すぐにやめた。


 曜は例の、女性的な優しい笑みを浮かべながら、話を切り出した。

「紡希さん。このあいだのこと、怖かったよね」

 紡希は首を振って否定する。

「そう。運が良かったんだね、今回は」

 曜は微笑みを崩さないまま、こう続ける。


「いつもそうじゃないんだ。そうなるとは限らない。彼らはね、とても難しいんだ。長年、彼らと関わってきたお屋形でさえ全容を掴めないほどに」

 曜はそこで区切り、軽く一息つくと、


「森からモノを拾うのは、金輪際やめるべきだ」


 微笑みを浮かべたまま、不来方曜ははっきりと、紡希に告げた。

「とても危険な目に合うかもしれない。君自身も……君の大事な人たちも」


 ――紡希はうつむいた。前髪で隠れた瞳には、かすかに涙がにじんでいた。

 涙がこぼれないように、目の前に置いた、しおれたタンポポを見つめて、じっと、じっとこらえる。


 だが、曜は、紡希の小さな意地すらも察して、少し悲しげに、でもはっきりと言った。

「……ごめん。傷つけるつもりはなかった。ただ、本当に危険なことはわかってほしくて。なにかあってから後悔するまえに」


「……曜さんと、長舟さんみたいに?」


 曜の表情が、一瞬、凍りついた。

 口を挟んだ紡希は、慌てて釈明する。


「ごめんなさい。ほんとうに少しだけ、前会ったとき視えちゃった。視るつもりは、なかった。ほんとう」


 曜は、またすぐ微笑みを取り戻した。だが、優しい微笑みには、いくぶん寂しさが滲んでいた。

「――……そう。ぼくたちみたいに、大切なものを失うことになる」


 紡希は鼻をすすって指で涙をぬぐう。曜は、何もないテーブルに視線を落として、次をどう切り出すべきか悩んでいるようだった。


 しばし、二人の間に無言の時間が流れた。

 紡希は、言葉を考えて考えて、自分からようやく、切り出した。


「……紡希には、曜さんにとっての長舟さんみたいに、大切な人は、いない。だから、危険な目にあっても、困らない」

「家族は?」

「ぜんぜん大事じゃない」

「……きみは」


 問いかけた曜が、固まった。

 信じられないものを見たように目を見開いたかと思うと、細い眉をひそめて、美しい顔を苦しげに歪ませた。両手で顔を隠して、曜は呻くように声を絞り出した。


「……なんてことを……」


 なぜ曜がこんな表情をしているのか、何を言いたいのか。紡希にはすぐに、わかった。

 なぜなら紡希も同じように言葉を失くしたから。曜と長舟を視たときに。


 ――不来方曜には、紡希の記憶が視えたのだ。


 紡希が忘却の彼方に追いやろうとしている、あの日の記憶を。

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