2.歴

 坂木の先導のもと、歴と紡希は塩ヶ浦町を歩いた。

 この身近だけれど滅多に訪れることがなかった隣町りんじんの景色を、歴は興味深く眺め歩く。


 土曜の昼すぎだというのに、塩ヶ浦にはあまり人が出歩いていない。時折自転車に乗った高校生や、買い物帰りらしき荷物を持った老婆とすれ違うぐらいだった。反対に、車の交通量は多く、大型のトラックがびゅんびゅん国道を走っていく。


 歴たちの二歩先ほどを行く坂木が、口を開いた。

「寂れてっどな」

「そうですね……すごく静か」


 歴は周囲を見回しながら、坂木に同意した。

 塩ヶ浦は、かつて東北のなかでも一大港町だったと、歴は祖母に聞いたことがあった。そんな過去の面影を残してか、デパートや商店街など、昔の賑わいを感じさせる建物がぽつぽつと見受けられたが、現在では多くの店がシャッターを閉めているようだった。

 歴の住む勿来町も静かだが、塩ヶ浦の静寂は、寂しさを感じさせた。


「昔は映画館だの、飲み屋だのいっぺえあったんだっげどもな。バブル崩壊したっけこの有様さ。まぁ、栄枯盛衰っつーやつだな」

 心でも読んだのか、と思うほど、前を歩く坂木は的確な話題を振ってくる。


「ほんで少す前に商店街の店がどんどん閉まっていっちまってなぁ。若ぇやつは、休日は街さ遊びに行ぐしよ。年寄とっしょりは出歩かねぇし、まぁ静かだな」

「そうなんだ……」


 そんな話を聞いている間に、坂木に連れられた歴と紡希は、神社のある山の麓にたどり着いていた。


 麓には、高さ三メートルほどの築地塀が、歴たちの進路に立ちふさがるようにずらっと伸びている。塀沿いを少し歩くと、やがて塀の侵攻を止めるように重厚な屋敷門に行きあたった。


 門はそれ自体が頑固な門番のような威圧感を纏っていて、呆然と佇む歴たちを見下ろしている。歴は唖然としながら紡希に話しかけた。


「うわぁあ、見てよ紡希、でっかい門」

「……うん、でかい」

「おらだ」

 さらりと言って、坂木は門をくぐった。歴は紡希とその後をついて敷地に足を踏み入れる。


 坂木の家だという敷地内は、あれだけの長い塀と門を構えているだけあって、広大な面積を誇っているだった。おそらく、勿来一の大屋敷である歴の本家よりもっと広いだろう。

 門から屋敷へ続く庭は手入れが行き届いているようで、砂利道や灯篭、庭石が簡素ながら美しく整えられていた。庭園のあちこちで色とりどりの花が春を謳歌するように咲き誇り、圧倒されながら屋敷の奥へ進んでいく歴たちを可憐に迎え入れる。


 庭に敷き詰められた砂利道の飛び石を少し歩くと、やがて奥に母屋が見えてきた。こちらは平屋のようだが、そのぶんかなり奥行きがあるように見える。家屋というよりは、神社仏閣の本堂のような印象を受けた。


 歴と紡希はその坂木邸の玄関に足を踏み入れた。すると、上がり框で、一人の老婆が三人を出迎えた。

「おかえりなさい」

 老婆はさらに、歴たちを見て「あらぁ」と柔和な笑みを浮かべた。


 小柄な、白髪頭をお団子に結った老婆だ。見ている人の心まで溶かしてしまうような温かみのある笑顔を歴たちに向けて、嬉しそうに言った。


「あらあら、めんこいお客さんだごだー。いらっしゃい、ゆっくりしてけらいんね」

「こんにちは、おばあさん」

 歴が挨拶をすると、紡希がやや遅れて、「……こんにちは」と鼻声で言った。坂木が老婆に言う。


「やゐ子、曜ば呼ばってけろ。ちょうど大学終わってってきた頃だべ」

「はい。わかりました」

 やゐ子と呼ばれた老婆は、坂木に命じられたとおり、早速廊下の電話台まで歩いて、黒電話のダイヤルを回している。


「あ、曜くん、家さいた? うん、そうそう。おとうさん来てけろって。ごめんねー」

 短く電話口での話を終えたやゐ子婆は、受話器を置いて坂木に言う。

「曜くん、すぐ来るって言ってますよー」

「わかった。……紡希、もうすぐ曜っから。それまでここで待ってろ」

「うん」


 坂木の案内で、紡希と歴は屋敷に上がった。

 どうやら、屋敷のなかは外観どおり、かなりの面積があるようだった。旅館のエントランスホールのような大玄関から、屋敷の奥へと伸びた廊下がいくつも見える。歴の身長より横幅のある廊下の先に、隔てられた個々の座敷があって、それぞれ立派な襖や木戸で区切られていた。いったいどれだけの部屋数があるのか、歴には見当もつかない。


 そのうち、玄関からほど近い襖の一つを坂木は開いた。とたんに、畳の青々とした井草の匂いが、歴の鼻に漂ってくる。


 そこは縦に長い十畳ほどの広々とした和室で、襖で隣の部屋と区切られていた。部屋の中央に火鉢と、隅にいくつかの座布団が積まれているだけで、他に調度品や家電らしきものはない。襖に描かれた水墨画の孔雀や日本庭園だけが、唯一様式美を演出している。


「紡希はここさいろ」と坂木が指示すると、紡希は手で涙の跡を拭きながら「……うん」と頷いて、大人しくその場で体育座りをした。


「歴、お前はこっちさ来い」

「はい」

 歴は坂木に連れられて、紡希の待機する部屋からさらに襖を開けて奥の座敷に通された。


 五つほど縁を超えて導かれた座敷の一番奥。その部屋には、永遠に続きそうな座敷の終点であることを示すように、床の間があった。

 設えは上品なのに、文机や箪笥、極めつけはテレビにゲーム機が置かれ、妙に所帯じみた空間になっていた。最後の最後に気を緩めた部屋は、なんだか坂木という人物像を表しているようで、歴は妙に得心してしまった。


 歴がきょろきょろとしている間に、坂木が床の間の左側にある障子戸を開け放った、と、

「うわぁ……」

 歴は思わず、感嘆の声を漏らした。


 開けられた障子戸からは庭が一望できた――いや、庭というのは正しくないのかもしれない。


 屋敷に面した庭一面には、広大な池が広がっていた。


 池の水は、いま歴が覗きこむ出窓の下にまで流れ込んでいる。――つまり屋敷は、まるで池のうえに浮かんでいるような造りになっているようだった。


 池の面積も奥行きも、学校のプールよりずっと広い。眺望を眺め見た歴の視界からは果てが見えず、靄がかった水平線と、そこにそびえたつ朱色の大鳥居がかろうじて見えるだけだった。

 広がる池のいたるところには、浮かんだ小島や大岩がある。砂色の丘のような小島の上では、濃い色の松の木が、海へしなだれかかるように生えていた。

 そんな池全体の景観はどことなく、歴の目に慣れ親しんだ日本三景・松島を思わせた。


 歴は、あらためて手元の池をまじまじと見つめた。

 昼下がりの光を受けて、透明に波打つ水面。透き通ったそのさらに奥には、白い砂の海底を見ることが出来た。藻や、魚の姿はない。そして鼻先にかすむ、

「潮の匂いがする……」

「んだ。海と繋がってっからな」


 声に歴が振り返ると、坂木が画用紙大の和紙を机の上に置いているところだった。さらに箪笥のなかを探って、「あった」となにやら長方形の箱を持ちだしている。


「歴、この紙で船ば作れ。出来っが?」

「船? ですか?」

さ送る渡し船だ。モノの乗り物だな」

 そう言って、坂木は『おどうぐばこ はと組 やなぎはらおさふね』と書いてある贈答用のお菓子箱を歴の前に置いた。なかには「ふねの折りかた」と書かれた説明書や、ノリやホチキスといった文房具が入っている。


「……やってみます」

 言われたとおり、歴は机のうえで折り紙を始めた。説明書を見ながら、手順を確認して折っていく。実は、図工は全然得意じゃない。

 坂木が望むとおりのものがきちんと出来上がるか、内心冷や汗をかきながら歴は折り紙を続けた。


 坂木はというと、テレビを点けて、最新式のゲームを起動させ、座布団を枕にごろりと横になっている。ブラウン管に立体的なロゴが浮かび上がり、ちょっと不安になる起動音がする。坂木が暇なのか、それとも歴が船を完成させるまで待っていてくれるつもりなのか、歴にはどうもわからない。


 歴は折り紙を続けながら、坂木に尋ねた。

「あの、拝み屋さん。紡希は……だいじょうぶなんですか?」

「んー、まぁ大丈夫かって言われたら大丈夫ではねぇべな。本人は“視えすぎ〟て辛いべ。あいなぐなっどさ、なんでもかんでも命があって大事にしなくてはなんねと思う。肉も食えね野菜も食えね、外さも歩けなくなる」

 そう、悲惨な状況を坂木はあっさりと説明した。


「ま、曜に任せっぺ。俺よりもあいつの方が、紡希の気持ちばわかっぺからな」

 ゲームと繋がったテレビでは、鮮やかなグラフィックと共に壮大な音楽が流れている。タイトル画面が表示されるより前、ボイスつきの映像が流れる。オープニングムービーというのだと、ゲーム好きな友達に聞いた。次世代機、だっけ。ここ数年でゲームもずいぶん進歩したのだという。


 テレビから視線を外さないまま、坂木は続ける。

「……曜もなぁ、昔は紡希みてぇなもんだったんだ。紡希よりうんっとずっとひどかったんだけどな」

「そう、なんですか?」

「まぁず、ひどかった。寄られるわでかれるわ、なんぼ助けにいったか知らししゃね。今は長舟のおかげでだいぶ治ったげっどな」


 ゲームタイトルが表示されて、ロード画面へ。三つほど作成されたセーブデータのうち、もっともプレイ時間が少ないものを坂木は選んでプレイしている。


 歴は問う。

「紡希は、なんであんなふうになっちゃうんですか」

「生まれ持った資質もある。だけっども、あいつの場合はちっかけがあってああなった」

「ちっか……あぁ、きっかけ?」

「そう。


 鈍りすぎて「き」が発音できていない。

 歴は頭のなかで反芻する。

 あんなふうに――視えすぎてしまうキッカケ。


 ベルトスクロールアクションゲームの一面をクリアしてから、坂木はあらためて総括した。

「まぁ、生きづらいべな」

「でも、拝み屋さんだったら治せるんですよね?」

「そりゃ無理だ」

「えええっ」

 歴が驚いた、と同時に坂木はゲームオーバーになっている。残念がることもなく、タイトル画面に戻って、淡々とロード。


「よく、おれの方さ来る人で勘違いしてるのがいんだ。やれ心霊スポットさ行って調子悪いから視てけろだの、家のなかさ御祓いしてけろだの言って、なんでもかんでも解決してもらえるって思ってる人たちさ。そりゃ仕事だがらよ、とりあえずはなんとかすっげども。だっげっどもそいつは間違いでよ、おれは対処療法みてぇなもんで、万能薬ではねんだ。だいたいおれ拝んだことねぇしよ。神サンなんているかいねぇかもわかんねぇしよ」


「えええっ!?」

 歴は思わず叫んだ。拝み屋は霊能力者だというから、祭壇に向かってお経や呪文を唱えるとか、神さまや仏様の力を借りるとか、そういう想像をしていたのに。

 とんでもなくショックを受ける歴を尻目に、坂木はゲームをしたまま淡々と続ける。


「曜はおれのこと医者……それもただの診察医みてぇなもんだっつうけどな。的確な例えさな。原因があってこいなぐなる、っつうことは原因もとを正さねばどうにもなんねんだ。薬飲まねがったり、病院さ通って治す気がねぇ奴は医者がなんぼしたって病気治んねぇべ? それと一緒さ」


 坂木が使うプレイヤーキャラクターは、攻撃に夢中で敵から殴られまくっている。ボロボロにやられているのに、坂木はまるで意に介した様子もなく淡々と○ボタンを押し続けている。ヤケクソになっているんじゃないかと思うほど下手くそだった。


「治っかどうがは、まぁ紡希の努力次第だべな。本人に変わるっつう気持ちがねくてはダメだ。いつまでも引っ張られる」

 そう言って、坂木はまたセーブデータをロードした。

「果ては、破滅する」

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